
まったく今年の暑さは異常だと思う。
で、たまたま手元にあったA新聞を、ぼんやりとめくっていて我が目を疑った。
去年の今ごろ、文字通り汗水&脂汗までたらして翻訳した本が、突然読書欄の冒頭に出ているのである。美形の女性ダンサーの横顔を収めた表紙は、確かに「あの本」だ。
モデルが私なのだから間違いはない(真っ赤なうそです)。
この『中東ぶらぶら回想記』のブログがスタートして以来、ずっとあの「ハワイの本」の写真が片隅に出ており、翻訳者本人がちょっと違和感を覚えつつあったのである。
そろそろ旬も過ぎたし、引っ込めようかどうしようか・・・と考えていたところだった。
まだしばらく出しとけ、ということなのだろうか。
さてここで、簡単にフラの話を。
「フラ」というより、日本では「フラダンス」といったほうが早い。
最近ちょっとしたブームにはなっているが、一般的には「肌の露出が高いセクシーダンス」というイメージが、まだこびりついている感がある。
私が「勉強のため」ということでフラの教室に通った時も、
「ココナッツのブラをつけて、腰みのを振って踊るアリーマ」というイメージが、身内で相当笑いを呼んだらしいのだ(ほっといてくれ!)。
いっておくが、こういうイメージなのは「ハワイのフラ」ではなくて「タヒチアン」である。
本来のフラは、一言で言えば、日本の御神楽のようなものだ。
ハワイの土地にまします神々に捧げる、謡と奉納舞のようなものと考えればよろしい。
神への祈りを韻律に乗せた「オリ」がまずあり、それを表現する手段の一つとして舞がある。
初めに祈りあり、次に表現する手段の一つとして踊りもあったわけだ。
そして、この踊りも含めた神と交流する術を、総称して「フラ」という。
だから「フラダンス」という言葉は、まったく意味をなさない。
また、男女の求愛のような庶民的な感情表現から、王家の伝説伝承の形に至るまで、多種多様な形で「フラ」は現れる。
昔のハワイ人にとっては、呼吸するのと同じほど自然にフラがあったのだ。
まだハワイが南海の孤島で、神と人がともに暮らしていたような良き時代である。
日本の和歌のように、掛け言葉で複層的な意味合いを持つ詩(メレ)をつくり、それに合わせて歌い、踊る。
そしてそのように相手に語りかける時、言葉だけでなく手の動きも大切だった。
その後、イギリスのクック船長を皮切りに、欧米の人間がハワイを発見する。
実は「フラ」という言葉の語感自体がなにやらユーモラスなので、欧米でもかつては「フラフラ・ダンス」などと呼ばれていたのだ。
基本的に初めてハワイの風俗を目にしたのは、イギリス人をはじめとした「服を着て生活するのが当たり前な文化圏」の人々であり、女性が上半身に何もまとわずにいる当地の習慣は、余りにショッキングであり、彼らにしてみれば異常だったわけだ。
そこで、現地の風俗を非常に不健康な形で解釈した次第。
このくだりをすべて書こうとすると、あまりに長くなるのでこのくらいにしておくが、とりあえずフラというのは大変奥の深い世界なのですよ、というところを強調しておく。
尚、この『アート・オブ・フラ』という本は、基本的に写真集なのだが、本文の内容も濃密だ。翻訳の質はともあれ、原書は間違いなくそうなのである。
私のような他称『エジプト人』が、たまたまこのような本と巡り合えて、翻訳までした・・・というところに、何であれ神の御意志を感じる、といったら言い過ぎだろうか。
その後、フラの形は歴史とともに変わっていったが、相変わらず踊りと歌と音曲が一体化したスタイルは変わらない。
現代に作られたものでも、"Keep Your Eyes on the Hands"という歌がある。
緩やかにうねるお尻の動きはセクシーだけど、
ちゃんと手を見ていなくちゃだめだよ。
でないと、彼女の大事な合図を見落としてしまうよ。
・・・という内容の歌だ。
ハワイの伝統文化は、指先まで行き届いたものなのである。

ジーンナッソーズオリジナルのハワイアンプリントがカワイイアロハシャツ 7952