今すぐ人気ブログランキング
【第12話】〜愛し懐かしトルコとトルコ料理編 其の四〜 『トルコで一番大事な食べ物・・・とは?』
● 誰もが納得?! トルコで一番大事な食べ物って・・・?
前回、話の行きがかりから、つい脱線してしまった。
美食の国トルコの幻影が、ちょっと辛くなりすぎたからだろうか。
でも、おかげさまで一週間、わりに普通の食生活を営めた(大袈裟?)。
「次回は、トルコ料理でこれを語らずにおけない、一番大事なものの話。
さあ、なんでしょう?」とか振っておいて「次回インシャアッラー」としたの
で(マーレーシュ)、今度こそ、その不可思議なお答えをじっくりと・・・
・・・語るまでもない。答えは「パン」だ。
それも、いわゆるフランスパンに近い、西洋型のパン。
● トルコのパンは本当においしい
珍妙な答えを待っていた方には拍子抜けするような答えかもしれないが、
ヨーロッパの水準からしてもトルコのバゲット型のパンは本当においしい。
しかもイスタンブルではどこでも手に入る、最も一般的なパンがこのバゲット
型だ。
もちろんパンの形は多種多様で、中東で一般的な平たい形もあるが、フランス
パンとドイツの白パンを足して二で割ったようなこのパン、美味い上、
タダ同然に安い。
形は様々あるが、総称してトルコ語では「エクメク(ekmek)」と呼ぶ。
一時的にトルコをヨーロッパ・リーグに戻せば、優勝はトルコである。
ヨーロッパは長期から短期まで何度となくあちこち滞在したが、
価格を考えなくても「パンが一番うまい」のはトルコだ、と思う。
イスタンブルでぶらぶらしていると、パンの釜だしに出会うことがある。
釜は街のいたるところにあって、うまく釜だしにぶつかると、ホカホカ湯気の
たった暖かいパンにありつける。釜でなくても、街角の雑貨食料品店(トルコ
語でバッカルという)でも買える。
値段といえば、日本で売っている「大きなバゲット」くらいの大きさのパンが、
一本10円もしなかった(1992年当時)。
軽くぱりっとした歯ごたえはあるが、柔らかく、中はしっとりとして食感だけ
で「口福」を味わえる。何もつけずにそのまま齧り付いても美味い。
当時は薄給で、窮乏生活を余儀なくされていた私にとって、
これは何よりありがたかった。何しろトルコというのは乳製品も豊かで安く、
チーズにパンで何とかしのげたのだ。
●トルコ人とパン(エピソード1)〜 ヨット・クルーズの買出し 〜
トルコ人というのは実は大変なパン喰い人種で、このパンを一日一人一本くら
いは平気で食べてしまう。
都市部では洋風のパンだが、平たいアラブ風のパンも食べる。
トルコ人のパン喰いエピソードといえば、アメリカ人の友人夫婦がヨットのク
ルーズに参加したときの話が忘れられない。
これはヨットで一週間ほど寝泊りしながら地中海沿いにあちこち寄航して、思
う存分海を楽しむという趣向のもの。夏によくあるツア−だ。
他5名ほどの客とともに参加した友人らは、あるとき寄港地で買出しの風景を
見てたまげた。ものすごい量のパンを積み込んでいる。
屈強な大男数名が、バケツ・リレー状態で積み込み作業をしていたそうだ。
しかもそれが「パンだけ」の情況に彼らはぶつかったのである。
「明日も別の港に寄るんだから、今日、一週間分買い込まなくても・・・」
と、言ってみたところ「全部明日までの分だ」とあっさり言われたとやら。
「要するに、トルコ人のクルーが食べるわけだよね」と、溜息をついていた。
元々パン食のアメリカ人がここまで驚くのだから、
日本人の感性では理解不能もいいところである。
●トルコ人とパン(エピソード2)〜 職場の従業員食堂風景 〜
確かに、昔の職場の従業員食堂でトルコ人の同僚を見ていると、米や芋に豆、
マカロニの類と併せて山ほどパンを食べていた。
もちろん、たいてい肉だが主菜もあるし、サラダもスープもあるから、
日本人の感覚ではもう十分すぎるほどなのだが、思い返してみれば女の子でも
バゲット三分の一くらいのパンは取っていた記憶がある。
ちなみに無料。ただし、味のほうは「1勝1敗1分け」といったところ。
しかも勝ち星は安定していなかった。
まあ、従業員食堂なんて、どこでもそんなものだろう。
横浜ベイスターズの勝率みたいなものだ。
故に、瞬間的に上位争いに食い込んだり、ましてやほんの一夜でも、一位に
飛び出してきた時の喜びは計り知れない。
おお、脱線・・・イスタンブルの従業員食堂に戻ろう。
「あれ、アリーマ、パンは?」「いらない」「え〜、ホント?」なんていう会
話は何度繰り返されたかわからない。
男の子の同僚などは親切に「ほら、パンとってきてあげたよ。あそこにあるん
だよ。気がつかなかった?」と、パンをどかどか持ってきてくれたりした。
う〜、どうもどうもアリガトウ、チョク・タシャッキラ〜。
「じゃあ、一個だけ」などと言おうものなら「具合でも悪いの?」だの
「ダイエット?! アリーマは痩せ過ぎだから、しなくていい!!(注:当時
28歳、独身)」だのと、過剰なほどいろいろ心配してくれたものだ。
だから「パンいらない」などとは、口が裂けても言えなかった。
(注:これは「若い現地在住者」だからできたことなので、中高年層以上およ
び旅行者は真似をしないで下さい。健康のため自分のため、"No"はハッキリと
言いましょう)。
当時は若かったし、ホテルのロビー回りから館内中を、ひたすら動き回る肉体
労働が主体だったので、そういう環境下でも何とかカロリー消費できた(ホテ
ルのロビーの真ん中に、一見すっきりと座っている「あの人たち」は、実は
「ダークスーツを着た肉体労働者」なのだ。しかも冷や汗までかく。
まず太らず、しかも太れない)。
で、そのツケはカイロで営業に配属され、デスクワークが増えたとたんに「目
に見えて」現れたのではあった。やれやれ。
●「ご飯」対「米料理」〜彼我の差について〜
ご飯をおかずにパン、と言われると、不思議な気がする。
昔「いしいひさいち」のギャグ漫画にそんな貧乏学生ネタがあったのすら
思い出す。
しかし、トルコはもとより中東一帯では、欧米などと同じで、米はあくまで調
理したもの。油でいため、味付けをして、手間をかけた「米料理」だ。
パスタと同じようなもの、といえばわかりやすいだろうか?
(ただし、トルコ語で「パスタ」というと「ケーキ」のことになる。お菓子に
なってしまうので御注意を)。
というわけで、日本のように、塩も入れず油脂類も使わず、まったく素のまま
「炊いた」米を主食とする習慣は、逆になかなか理解してもらえない。
「ご飯」はゴハンで「米料理」じゃないんだー!といくら叫んでも、
誰もわかってくれない。
実際、これは世界的に見るとむしろ珍しい習慣だと思う。
私の思いつく範囲内では、似たような国は韓国と中国の一部くらいだ。
他にもあるかもしれないが、どちらにせよ例外のうちだろう。
そもそも、ご飯を『炊く』という表現自体が、中東や欧米の言語感覚にない。
英語の"steam"(蒸す)という言葉は、便宜上あてがわれたものだから、口に
するたび不思議な気分になる。
トルコで米を使った料理はいろいろあるが、米がメインのものは「ピラウ
(pirav)」と呼ばれる。「ピラフ」の語源でもあるらしい。
日本では「洋風ご飯」をピラフと単純に言うが、"pilaf" という単語を西欧語
の辞書で繰ってもこれもなかなか出てこない。もし出てきても「トルコ風」又
は「中東風」の米料理、となっている。
日本では「洋風炊き込み御飯」の類を「ピラフ」と言うが、我々が「洋」とす
る国では本来「中東風」。
なんだか騙し絵を見るような、言葉の彩だ。
●トルコ生まれの猫たちの話
トルコ生まれの我が家の猫らも「パン食」。
トルコで生まれて、乳離れした後はパンと猫缶を混ぜたものを食べて育ったの
で、いまだにパンが好きだ。ご飯なぞ混ぜると、いっせいにそっぽを向く。
なぜパンだったかというと、これはまことに単純な話。
当時の私の経済力では、到底缶詰だけで猫らを養えなかったからだ。
で、混ぜ物としては、ただ同然のパンが一番都合がよかった・・・と。
米も安かったが、当時は「炊飯器」を持っていなかったので、
「ご飯」は休みの日の特別食となっていた。
それが特に苦にならなかったのは、ひとえに我が「特殊体質」である。
父祖に感謝しよう。
ネコ連れ結婚したカイロでも、質は落ちたがパンがタダ同然なのは変わらず、
最初はみな文句をいっていたが、次第に慣れた。
パンの高い日本に帰ってきた今、クロワッサンなどを買ってくると、
即座にこっそり袋を咥えて走りだそうとするのを、足蹴状態で止める羽目に落
ちている。
刺身も肉も並んでいるのに、何故クロワッサン?!
怒りながらも複雑な気分になる。
そのうち一匹が、帰国後、交通事故で半死半生になったことがある。
大手術の後、一命を取りとめ、点滴で栄養をとりながらしばらく入院していた。
主治医の先生いわく「何か口にしてくれれば、退院させてやれるんですが、
何をやっても食べてくれないんです。できるだけ好きそうなものを上げてるん
ですけれど・・・」。
とにかく親身で前向きないい先生だけに「?」となった。
で「何を?」と先生に聞いてみた。
「マグロのブツとか、カニカマとか・・・」
ううん、と考えて、翌日私がなにか持ってくることにした。
結果、差し入れはバクバク食べて、数日後退院となったのである。
差し入れたのは、鳥のササミを煮たものにパンとミルクを入れて、ブレンダー
でクラッシュした「トルコ生まれエジプト育ちのお猫様用養生食」だった。
「なんかそれ、おいしそうですね」(センセはお腹が空いていたらしい)
「パンとミルクとチキンが好きなんです」
「へぇ」
「帰国子女なもので(しかも育ちが貧しいんですよ、センセ・・・)」
うちの駄猫らは相変わらず、缶詰だけよりもパンを混ぜたもののほうが食いつ
きがいい。
このたまの「贅沢」に、裏返しになった私の過去の生活をふと思いやる。
懐かしくもおかしい「パン混ぜ猫まんま」なのだ。
今日もよろしく、ぽちっとワンクリック!
Posted by arimaburabura at 10:43│
Comments(2)│
TrackBack(0) |
Amazon.co.jp |
楽天市場 |
ブログ
この記事へのトラックバックURL
今週はちょっと遅かったですねえ。(~o~)
マガジンも見てますけど、ブログだと返事が気楽にかけるのでブログのアップは心待ちにしてるんですよ。
中東の事についてはまさに「無知」なので、このマガジンはとても参考になります。それと、アリーマさんの豪快で繊細なお人柄が文章を通じて伝わってきます。
今回の
「中東とパン」の組み合わせも、現地を知る人ならば「当たり前」の話かもしれませんが、想像でしか知らないわたしのような人間からすれば、「ビックリくりくり」です。あんぱんを食べながら「ふむふむ」と読んでいます。
パン好きの猫ちゃんの話もまた聞かせて欲しいですね。
これからも楽しみにしてます。
あんぱん
あんぱん様
パンについては、現地にいたときは当たり前すぎて考えもしなかったものです。
帰国していろいろ思い出しているうちに、ふと思うことも結構あります。
現地にいるときには「あんぱん食べたい」とか、目の前にないもののことばっかり考えてしまうんですよね・・・私は基本的にあんまり甘いものは食べないんですが、当時はたまにヤミクモに「アンコもの」が食べたくなる時がありました。
そういう時は、日本から後生大事に担いでいった「小豆」を地味に煮たりしていましたが、それもないときは味の似ている「緑豆」(これはどこでも売っていた)を煮ておりましたっけ・・・。
何はともあれ、ご参考になれば幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
なお、猫らは「今日は予防注射に・・・」と今朝言ってたら、全員終日逃亡中。
まったく、利巧なのか馬鹿なのかわかりません・・・。