2006年10月08日

再び、ラマダーンの風景 〜彼らの信仰、私のお仕事 其の二〜 【第64話】後編

(前編よりつづく)

●エジプトのキリスト教徒たち

なんだか愚痴が長くなったが、これは私の宗教的信条よりは、マジョリティーだから
マイノリティーに対する配慮を欠いても良い、という無神経さに対する、
実に子供っぽい反発でもあった。

「エジプトはイスラームの国」とされている。
実際に国教はイスラームだ。

でもしかし、だからといって、100%がイスラム教徒というわけではない。
これはエジプトに独特の状況でもあるのだが、コプト教徒という東方正教系の
キリスト教徒始め、少数のカソリックやプロテスタントが、エジプト全人口の
10%以上いるのだ。

表向き、こういったキリスト教徒は、イスラム教徒とうまく共存しているように
いわれているが、実態を見れば、表面社交上はうまくやっているけれど、実感や実生活では
マイノリティーなりの鬱屈憤懣を相当抱えているな、という印象がある。

エジプトのキリスト教徒は「存在を許された人々」というポジションに甘んじてきたが、
昨今ではそういった状況に不満がかなり鬱積してきて、社会問題化しつつあるらしい。

昨年の記事のどこかに書いた記憶があるが、この断食期間中に昼間の社員食堂に行くと、
コプト教徒の不満が思うさま吐き出されている。

曰く、
「我々だって宗教上の断食がある。同じ信仰を持ちながら、イスラム教徒だけが
優遇されるのはオカシイ!」
「辛いツライって、連中は年一回だ。我々はもっと多種多様な断食期間が年中ある」
「なんにせよ、ヤツラは勝手過ぎる!」
などなど・・・。

そこで私も、宗派は違えどキリスト教徒、ということがわかると、こちらは逆に
ぎゅっと距離を詰めてくるから面白い。

まあ、不満を噴出させるわりに、コプトの社員もラマダーン中はイスラム教徒と
同じ時刻に、全員ではないにせよ全速駈足でそろって退社していたのだけれど。
その辺が特に気にならないらしいのは、大変面白い・・・。

尚、当時、某外資系企業が「コプト教徒はラマダーン中も通常と同じ退社時刻」
としたら、陰で凄まじいブーイングの嵐が巻き起こったところも見た。
確かにこれは、よくよく事情を聞くと片手落ちで、コプトの宗教行事を全く考慮していなかったので、怒る口実を与えたようなものなのではあった。

しかし、コプト教徒の場合は、敬虔な信者と、なんとなくナァナァな信者が明らかに
いるから、一律に決めかねたのかもしれない。

なんであれ、宗教というものは難しい。
切羽詰らない限り、ゆるゆると接するのが、やはり一番無難なのだ。

ましてや「我々の正義と常識」と称する、西欧型の感覚(例えば民主主義)を、
これが正しいと高圧的に押し付けようものなら、今度はイスラム教徒もコプト教徒も
一致団結して、アンチ感情に走る。
国や地域によっては、マイノリティーが西側のパワーをうまく利用することはあろうが、
基本的に好感情で迎え入れられているわけでないのは同じだ。

以上、今回は不満とボヤキの思い出話。
長く住んでいても、こういうことはあるのだ。

不満なく住める国など、世界中探してもあるわけないのだし。

この辺の奇妙さを感じられるようになったのは、同じイスラーム圏のトルコに
住んだあとのことだった。
一口にイスラーム圏と言っても、状況は色々なのだ。
それを実体験しただけでも、トルコで過ごした時は貴重だったと
いまさらに思うのである。
  

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2006年10月06日

再び、ラマダーンの風景 〜 彼らの信仰、私のお仕事 其の二 〜 【第64話】前編

●続「お祈り」と「お仕事」、そして「宗教」

「エジプトでのラマダーンは正直に告白すると、案外人間関係的にしんどかった」
と、前回ぼやいた。

単なるボヤキである。
個人的な愚痴だ。

でも敢えて言ってしまうと、ラマダーン中のエジプトのイスラム教徒というのは
往々にして非常に押し付けがましくなる。
時には高圧的ですらある。

イスラームに限らず、信心深い人と対するときに、その宗教の詳細やその是非に
ついて議論するのは、どこの世界でもタブーだろう。
もしやると、たいていは感情的になって相手がヒステリックになるか、逆に
非常に沈鬱な顔つきで立ち去られた挙句に、二度と口を聞いてもらえなくなるか、
そのどちらかだと思ってよい。

いや、エジプトなどでイスラム教徒を相手にそういう議論をしたわけではない。
たまたま私は古いプロテスタントのクリスチャンの家で生まれ育ったので、
中学生くらいのころに教会で、そういう類の議論をぶつけたことがあったのだ。

たかが子供のいうことに、大人がむきになって
「あなたのいうことは間違っています! 何故なら間違っているからですっ!!」
という様な反応をするのにウンザリした挙句、教会に行くのをやめてしまった
ことがある。

いま私が大人としてその場にいたら、そんなコナマイキなガキは一瞬でひねって
やれると思う。
自分の宗教に対するスタンスを、常に取りかねている不信心ものの私だから
言えることもあろう(勿論、これは威張れたことではない)。

一方で、敬虔で信心深い人というのは、往々にして視野が狭く頑ななところがある。

そんな経験が頭の隅に残っていて、現地で宗教の話は極力避けていた。
虎の尻尾で遊ぶには、本人あまりに余裕がなかったのである。

でも、腹の立つことの一つや二つ、三つ四つ五つ、こうした異種の信仰を掲げて
対してくる同僚になかろうはずはない。

例えば
「断食をしないのか? 何故だ?? 良いことではないか・・・。
少なくとも我々と、気持ちを分けあえるのに、何故オマエは断食をしないのだ」
などという問いかけは、聞き飽きるほど聞いた。

「私はクリスチャンだから」と、我が母や親族がどう考えても「是」としなかろう
一言で、全ての議論を逃れていたものだった。

そもそも、自分たちの大事な宗教行事に、そう簡単に異教徒を誘うことは、
神(アッラー)に対する不敬ではないのか??、とよく不思議に感じたものだ。
何の神であれ。

(*注:アッラーというとイスラームだけのように思われがちだが、英語で"God"が
「神」を一般に示すのと同様、アラビア語のアッラーも普遍的に「神」を意味する)

こういった宗教儀式である断食に「体験参加」するほうが、よほど不敬に思えるが、
そういう考え方は偏狭なのだろうか?

まあ、したい人はすればよいと思うが、私は頑としてしなかった。
あくまで、私個人の気持ちの問題である。
日本で寺社仏閣にいっても、見学のみで参拝は避けた私が、エジプトだからといって
「断食」という真に宗教的な「行」に参加するのは、間違ったことに思えたのだ。

挙句に「XX社の日本人スタッフは、断食をしているそうだ」などと言われる。

あ、そう・・・そのヒト、何日か前に我が家で飲んだくれて帰ったがな・・・などは
言わぬが花だ。
イスラム教徒ですら、本音と建前の使い分けが必要なのだ。
その彼を責める理由は、全くない。

それにしても、黙ってこっそり昼食を済ませてオフィスに戻れば
「あ、ナニカ食べたな・・・?」と、鼻をヒクヒクさせられるのには参った。
そういう煩悩に耐えるのが「行」なのではないのかねえ。

いまはやめたが、当時はヘビースモーカーだったので、煙草を吸う場所も考える。
普段は「女子喫煙所」状態の場所で、煙草なんぞ吸おうものならば睨まれるのだ。

だから、わざわざゲスト用のトイレで、人気の少ないところを選んで「個室」に
閉じこもってコソコソ吸っていたものだ。
不良に憧れる中学生じゃあるまいし・・・と、たいそう情けなかったのを今でも
覚えている。

しかし有り難いことに、この期間はイスラム教徒が「イフタル(断食明けの食事)」
を自宅でとれるよう慮って、退社時間が一時間ほど繰り上がる。
だから、全員全速駈足で退社したあと、人気のない静かなオフィスで仕事をするのは
なんだか楽しかった。
解放感があるということは、それなりに一日中、結構ストレスがたまっていたという
ことでもあるわけだが。

私一人だけ残った事務所で、ゆっくりと煙草を吸う。
他には、隣のオフィスにイギリス人の上司が居残っているだけだ。

はあ、やれやれ・・・と思っていたら、一人仕事で居残りになっていた下っ端の若造
が、
「オマエ、ラマダーン中なのに、どういう神経してるんだ!」と言ってきた時は
さすがにカチンときた。

「就業時間は過ぎてる。ココは私のオフィスだ。しかもオマエの場所は外の廊下だ!」

なんという、大人気ないことを言って、オフィスのドアを閉めたりしていた・・・
あ〜あ。

(後編に続く)
  
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2006年09月30日

第63話 再び、ラマダーンの風景 〜彼らの信仰、私のお仕事 其の一〜(前編)

◆ 第63話 再び、ラマダーンの風景 〜彼らの信仰、私のお仕事 其の一〜(前編)


●ラマダーン月、始まる

去る9月24日までに、イスラム諸国を含め全世界が、ラマダーン月に入った。
ご存知のように断食をする月で、うっかり「断食月」などと訳しているところも
あるものだから「ラマダーン=断食」と思う向きがあるらしい。

だから、去年など某大新聞が堂々と「小泉首相が、ラマダーン明け朝食会を主催」
などという「???」な記事を出してしまったりした。
しかも気の毒なことに、見出しだったのだ。

「ラマダーン明け」と言うと「ラマダン月が明けた(終わった)」ということで、
そういう祭りや行事もあるけれど、意味はまるで違うものとなる。
「断食明け」とするのが正しい。

これは、早速誰かが気付いて叱られたと見えて、夕刻見たインターネット用の記事は、
こっそり訂正されていた。
この新聞社、外信部や会社上層部には非常にレベルの高いアラビストがいるのだ。
でも、記事を書いたのは政治部の記者あたりだったのだろう。
・・・カワイソウニ・・・。

でも、誤解が生まれるのも、まあ仕方あるまいよ、とも思う。
恥ずかしながら、かく言う私も現地にいる間、しばらくはそう思っていたからだ
(理由になっていないかしらん?)。

以前にも書いたかもしれないが、ラマダーンというのは「月の名前」である。
日本の陰暦で、例えば八月を「葉月」と呼ぶように、イスラーム暦(こちらも陰暦)
の月の名前にもそれぞれ意味があるのだ。
ラマダーン月はイスラーム暦の九月にあたる。

これを誰かが「断食月」などと訳してくれたので、特に突っ込んだ知識がない場合
「断食=ラマダーン」と思い込んでも無理はない。
そう思いませんか(人のせいにするのはよくないだろうか?)。

ラマダーンの語源は「ラムズ」で「焼き払う」「灼熱」という意味があるそうだ。
命名の由来は「罪を焼き払う」という意味合いがある、という説やら、
この習慣が始まった七世紀当時、メッカあたりは夏の「熱暑」の頃だったからだ、
とか、諸説ある。

詳しいことをご存知の方、是非教えてください。


●ラマダーンについて

ラマダーン中の生活や習慣については、昨年の連載で一通り思いつくままに
書いてみた(思えば、連載開始以来もう二度目のラマダーン、ということになる。
時の経つのは早い)。

その一回目で、ざっとラマダンがどういうものかは触れた。
詳しくは以下を参照いただきたい。
http://arima.livedoor.biz/archives/50110597.html

昨年10月分に目を通していただけると、各国現地の事情なども書いてある。
http://arima.livedoor.biz/archives/2005-10.html

でもまあ、それが面倒な方のために改めて簡単に解説すると、

1.この月に「断食」をすることで、貧者と思いを一つにし、己の禊ともする。
1.食を絶つのは、夜明けから日没まで。食べ物だけでなく、飲みもの、煙草など
全て絶つ。日中の性的交渉も御法度である(夜はいいのだ)。
1.月の始まりと終わりは、月暦に従い「新月から新月まで」となる。
世界各地で月の見え方は違うので、各国各地で始まりと終わりの日が変わってくる。
1.この期間の善行は、通常時よりも徳が高いとされて、富める者が貧しい者に
積極的に施しを行ったり、コーランを熟読したり、といったことが励行される。

そういうわけで、例えば普段は夜明けのお祈りなど、なんちゃってサボってしまう
不信心者も、この期間だけはきちんと真面目に起きて祈ることが多い。
大酒飲みは、約一ヶ月の休肝月ともなる。

ただ、国によってかなり差はあって、例えばトルコのように、特に気にせず普段の
暮らしを続ける人が多い国もあるし、サウジなどの湾岸諸国やエジプトのように、
国をあげて信心に向かうところもある。

(後編につづく)

2006年9月28日(木)配信


  
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2006年09月09日

再び、ファラオの復讐について(其の二 対策編) 【第62話】

(其の一の続き)


●それでも、当った場合・・・

さて、前回は「ファラオの復讐 その予防法」だった。

私が経験した限り、暴飲暴食を避け、冷たい水をがぶ飲みしない、としていると、
かなりの確率で「当り率」は下がる。

実際、私の友人など、言うこと聞いてるうちは大丈夫だったのに、
ある日ルクソール西岸であまりの炎天下に耐えかねて、止める間もなく
「冷たいミネラルウォーター、イッキ飲み」に走り、結果、その晩は一晩「P状態」
で泣き暮らしたことがある。

この場合は、特に高熱を発したり吐いたりしていたわけではなかったので、夕食は雀
の涙程に押さえ込んで(本人食欲もなかったし)、早く寝てもらったら翌日には回復し
ていた。

勿論「シャイ・ビ・ナーナー(ミントティー)」をしっかり飲んでもらった。
軽い不調は、これで何とかなる。
と、いうか、何とかなってほっとした。

用心していても、やっぱり当るときは当る。
そういう場合、恨みがましく思っても仕方がないので「ファラオに愛された証」
と考えれば、少しは気がラクになろうか?

さて、ここで一番いけないのは、素人療法と痩せ我慢である。
(注:上記の友人の話で、ワタシがやったこともまあ「素人療法」の範疇だけれど、とりあえず一晩様子をみて、状態が悪くなるようだったらドクター、と思っていたのだ)。

どこかのSNSなんぞみていると
「正露丸を倍量飲んで、日本の下痢止めと風邪薬を飲めば治る」
などと、想像するだに恐ろしいことが書き込んであったりして、なにか書き込んで
注意喚起すべきかどうか、結構悩むこともある。
これなど、空恐ろしいことに、某添乗員さんの「知恵」らしいのだ・・・ヤメテクレ!

正露丸は水当たりくらいにしかきかない。
倍量なんぞ飲むと、胃が荒れて余計辛いだけだ。
また、あまりの辛さに手持ちの止寫薬を服用して、下痢と吐き気を止めようとするの
も危険だ。

これはお医者さんに聞いた話なのだが、下痢や嘔吐というのは、体内に入ったバイキ
ンなりウィルスなりの「異物」を、生理的に肉体が追い出そうとしている状況なので、
素人判断で止めると、出て行くべきものが体内にとどまることになるから、余計ひど
いことになりかねない。

発熱も同じで、体内の抵抗勢力と侵略軍が熱く戦っている証拠、なのである。
軍事情報っぽくいうと(?)。

そこに「解熱鎮痛剤」など送り込むと、どっかの先進国の外部勢力が余計な介入をしたように、戦況を泥沼化させることがある。

この熱を、どのタイミングでどのように下げるかは、素人が判断しないほうがいい。

風邪薬???
日本で「こりゃ流感だ〜」なんてとき、「風邪薬」で治そうとしますかね?
と私は聞きたい。
まったく、どこの誰がそういう何の根拠もない「素人療法」を得意げに吹聴するのだ
ろうか。

SNSのコメントに思いっきり「バカタレ!」と書き殴りたい衝動と戦うのに疲れてきたので、最近はあまりみないようにしているのだけれど。

尚、一点重要なのは「水分補給」だ。
上下ともシンガポールのマーライオン化している(おお、失礼)ので、当然脱水症状になる。

もちろん「冷えたミネラルウォーター」などでないのは当然で(もう目の仇にしてい
るのだ)、理想的には「ぬるいお湯」。
もし手持ちで「ポカリスウェット」の類などあれば、吸収がいいので
「冷やさないで」飲む。

こういうときに、日本からこっそりスーツケースに忍ばせてきたティーバッグの日本
茶の類は実にありがたい。若干でも食欲があるなら「インスタント味噌汁」でもいい。

あともうひとつ、こういう状況下「熱いお湯がほしい」と思ったら、
日本人が常駐しているような「高級ホテル」であれば、ルームサービスに電話をかけて

"Boiled water, please!(ボイルド・ウォーター・プリーズ!)"

と各自申し述べていただきたい。

日本人のスタッフが対応してくれるケースも勿論あろうが、ゲストはあなた一人では
ない。
だから、他のことで駆けずり回っている場合など、逆に対応が遅れかねない。
ルームサービスに直接頼むほうが、間違いなく早い。

ホントウです・・・ホントウなんです・・・(経験者、談)。


●ドクターを呼ぼう

そういうわけで、できれば旅行保険に入っておいて、ホテルなどでドクターを呼ぼう。
旅行者のこの類の症状は、本人まことに深刻ながら、申し訳ないことに現地関係者は
「慣れっこ」だ。

カイロのホテル時代、必ず発生する会話の定形があった。

「お薬だけあればいいですから」
「いえ、現地のお薬を中途半端に飲むのは危険ですから、お医者さんを呼びましょう」
「お医者さんを呼ぶほどではないですから」
「こちらのお薬が必要なほどの状態でしたら、お医者さんに来ていただくのが一番です」
「・・・でも・・・」
「30分以内にドクターがお部屋に参りますので、お手伝いがいるようでしたらお電話
下さい」

で、ヨロシクドーゾ、なんていってドクターを呼んでいたものだ。

逆のパターンを日本のホテルでも経験したし(ゲストはエジプト人。第33話参照)、心情的にはよく理解できる。部屋までドクター往診というのは、ものすごい大事のようで気が引けるのである。
でも、旅行保険に入っておけば、薬代まで申請すれば戻ってくるのだから、そのほう
が得だ。

そして、大事なのは「ん??!!」と来た初期に押さえ込むことだ。
我慢強く日本から持参の薬を飲み続けて、状態を悪化させたゲストを何人見たかわか
らない。

エジプトのドクター、と言われると、申し訳ないけれど正直なところ「大丈夫なの
か?」と思いたくなるが「ファラオ関係」に関してはプロだ。

「日本に帰れば、いいお医者さんが・・・」というのもケース・バイ・ケースで、とりあえず「きちんと信頼できるドクター」を呼んでもらって、一応診察を受けることをお勧めする。

別に脅かそうというつもりはないが、カイロのドクターなら即座にわかる単純な病状
が、日本のドクターには「得体の知れぬ奇病」であったりするケース、なくはないの
である。

これは元在住者のケースだが、カイロで特殊な食中毒を起こした人が、丁度帰国直前で「日本に帰ってちゃんと診てもらうから」と帰国して、病院に即駆け込んだが原因不明。
検査検査でたらい回しにされているうちに、不幸にも亡くなられた、という話もあった。
カイロだったら「よくある病気」で、即対応してもらえた状態だったという。

これは極端に特殊な例ではあるが、意外に「現地の病は現地の医者が強い」というのは、半分くらいは真実だとおもう。
少なくとも、エジプトでは。
勿論、病状にもよるので100%とは言わないが、少なくとも日本の医療は万能ではない
し、エジプトにも信頼できるドクターはいる。

まあ、ろくでもないのも勿論いる。
でも、そういう「ヤブ」は日本にもいる。
だから、その辺を言い出したらきりがないのではある。

とにかく旅行者と病気というのは、彼の地では切っても切れない縁深いモノなので、
安宿から高級ホテルまで、とりあえずドクターは呼んでもらえる。
その辺は、下手をすると日本のホテルよりしっかりしているかもしれない。

ただし、各個人差のあることなので、健康上の不安がある方は、あくまで念のため、
出発前に主治医に相談をして、そういう場合の対応策を聞いておくとよいかと思う。

そして、どうせドクターにきてもらうなら早いほうがいい。
熱がでた、吐いた、という段階で、変に手持ちの薬でごまかさずにお医者を呼ぶべし。
我慢して長引かせるだけ、体は消耗する。

尚、ホテルによっては24時間呼び出し体制のドクターがいる。
これが、日本の高級ホテルだと「救急車対応」になるときいて、たまげたことがある。
この辺は、エジプトのほうが濃やかだ。



●水よりからだにいい飲み物

だんだん説教臭さがエスカレートして、書いてる本人疲れてきたから、少しは楽しい
話。

「現地のお飲み物」

けっこうお腹によい飲みものがあるのだ。
お試しあれ。

「シャイ・ビ・ナーナー」:ミントティー

何度かでてきたが、消化整腸作用がある。
ビュッフェでつい食べ過ぎたかなあ、などという時にも、胃がさっぱりしてよい。
苦手な方も、薬だと思ってお飲みください、是非・・・。


「カルカデ」:ハイビスカスティー

現地では、冷やして甘くして飲む。
ジュースのようだが、実はお茶なのだ。
赤い色をしていて、見た目にもキレイだ。

高血圧にきく。体の熱を取る作用があり、ビタミン豊富。貧血にもよい。
現地のものというのは、実にうまい具合にできている。

尚、日本でも最近よく見かけるようになったが、非常に高い。
エジプトなら高級スーパーマーケットなどで買っても、一キロ1000円もしないので、
お土産にもよいかもしれない。

「アシル・リモーン」:レモンジュース

エジプトのレモンは、どちらかというとライムに近い。
これも生のレモンを山ほど絞って、甘くして飲むので、ビタミン補給や体の熱さましに
よい。


食後のコーヒー(いわゆる「トルココーヒー」と言われているもの)も、
現地風の濃厚なものは、アニスやカルダモンなどが入っていて、消化促進や解熱によい。
クセはあるが、是非おためしあれ。
あれだけ飲むと「ナンダこりゃ??」と思うが、現地の食事のあとにいただくと、
なるほど胃がさっぱりする。

郷にいれば、とはよくいったものだなあと、こういう飲みものの効用薬効などをきくたび、つくづく思う。

(2006年9月8日配信)  
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2006年09月02日

再び、ファラオの復讐について 【第61話】(後編)

(前編のつづき)

●自己管理について

気がついたら二ヶ月も連載をサボっていた私に、自己管理のナンタルヤを言われるなど、
読者の皆様にしてみれば噴飯ものであろうが、耐えてこらえて聞いていただきたい。

結局のところ、エジプトなど中東に限れば、旅行中に体調を崩す原因は以下の三つ。

1.寝不足
2.過労
3.暴飲暴食

単純な話だ。
以下、解説。


1.寝不足
大人が一週間も海外に出ようと思ったら、仕事を休むことになる。
忙殺されて寝不足になっているのが普通だろう、と思う。

専業主婦は関係ない?!
とんでもない、主婦だって毎日の仕事プラス留守宅の手配などがあるのだ。
買い物、お土産、挨拶などなど、普段の仕事に乗っかってくる仕事で忙しいのだ。

経験的に、ツアーで最初にダウンするのは若い独身者が多い。
でもこれは「最近の若いもんはだらしない」からでは必ずしもなくて、
一人で全部抱え込んでいるからではないか、と思うことがある。

そういうわけで「疲労との戦い」は、実は旅立つ前からはじまっているのだ。

出発前夜は荷造りに追われ、あるいは興奮してほとんど寝つかれず、挙句に朝が極端に早かったりする。

飛行機の中で寝て行けばいい?
ここでとれるのはあくまで「仮眠」であって、しっかり横になって眠れるわけではない。
疲れは、取れるどころか増しているのが普通だ。


2.過労
1と同じ話だが、とにかく「休暇だから眠れる」という信仰に近い感覚をもって、
皆様それぞれ、最寄の国際空港に向かう。

特に旅程が決まってなければ、行った先の最初の宿から一歩も出ないで、ぐっすり眠るというのもアリだろう。
贅沢だけど、場合によってはありうると思う。
私自身も「休暇旅行=場所を変えた健康的熟睡環境での生活」だった時期がある。

だって「バケーション」だ「バカンス」というのは、本来「空にする」という言葉が
元になっているのだ。まあ、空っぽになる手段は人それぞれ、ということだけれど。

さて、そういうワガママな人種はおいといて、旅程の決まったパッケージツアーだと、
添乗員さんの申し述べた「明日の旅程」は、絶対なのである。

「それでは皆様、明日の行程をご説明申し上げます。

モーニングコール 2時半
お荷物を廊下に3時までに出していただきまして、ご朝食。
チェックアウトを済ませていただいて、ロビー集合は3時半、出発4時と・・・」

カイロから、ルクソール、アスワンなどの上エジプト方面に移動するときなど、
これが普通だ。

本当は、旅程のゆったりした、詰め込み型でないツアーで行くのが理想的だけれど、
なかなかそうもいかない。
ほんの5日か6日の間に、強行軍でエジプトの名所旧跡を訪ねる旅が始まる。

そして、疲労はますます重なって行くのである。


3.暴飲某食
かくのごとく、パンチドランカー状態の老若男女が遭遇するのが、まずは「飲みもの」、
次に「食べもの」だ。
そして実は、一番ダメージが大きいのが「飲みもの」なのである。

でもまず、食べものについて。

エジプトに限ると、食事はビュッフェが中心になる。
地方では、朝、昼、夜と続くこともある。

イヤミに聞こえると悲しいのだけれど、日本人の行動をみていて「やれやれ」とおもうのが、ビュッフェを皆でいただくときだ。

日本では「バイキング」、またはもっと直裁に「食べ放題」と訳されている。
そこに歪みが生まれる。

私も実は深層意識の中ではそうなのだけど
「ビュッフェ=バイキング=食べ放題」
となって、とにかく片っ端からイッテしまえ・・・となりがちなのだ。

しかし、エジプト現地のビュッフェの料理というものは、例え朝食でもけっこう脂を
使っている。
ランチはビュッフェか定食かわからないけど、きっちり食べる。
そして、ディナーの豪華なビュッフェに突入。

ここで考えてみてほしい。
あなたは、日本にいるときに、一日三食お腹一杯食べていますか?

しかも、中東や欧米に関しては、一見さっぱり見えても相当な油脂類が使われている。
ホテル勤務当時、某高級ホテルの清潔にして整然としたキッチンで「ひぇぇ〜!」と
たまげるほどの油脂が投入される現場を、目の当たりにしてきたから間違いない。

それだけ食べれば、ただでさえ疲れきった睡眠不足の体に「胃もたれ」「消化不良」がついてくるのは、当然のことではなかろうか?

このようなビュッフェでの過食を避けるには、時間さえ許されるなら、いい方法がある。
レストランに着いたらまず、どんな料理が出ているのか、まず一回り見て歩くのだ。
そして、何をどう食べようか考える。

こうしているうちに、脊髄反射的に熱く燃え上がった「行け、食べ放題だ!!」という一時的興奮状態が、少しはおさまる。そうです、皆さん、冷静に・・・。

見慣れない料理が多い場合は、あまり量をとり過ぎないこと。
食べてみて、もっと食べてみたいと思ったらまた取りに行けばよいのだ。

そうして往復するうちに、意識は「きちんと食べよう」という方向に向くものだ。
そのほうが楽しいし、実は格好良くもある。

尚、これはマナー違反だけれど、取ってきたものが口にあわなかったり、どうにも
食べきれないな、と思ったとき、潔く残すのが明日の自分のためになる。
海外旅行の場合、どうしても日常のバランス感覚を失いがちだし、
食べたらイメージが違っていた、ということも多い。

本来ビュッフェで、取ってきたものの食べ残しというのは、あまり格好のよいものではないのだが、無理をして消化不良を起こすくらいならきっぱり残すべし。

ただし、時間が限られるランチなどの場合は、この限りではない。
状況に合わせながらも「腹八分目」を必ず心の隅におかれたい。


●飲みものについて。

現地で暮らしていれば、日本より時期によっては快適であろうとも、初めて来た旅行者にとっては慣れない環境だ。

そこで暑いと、日本人の場合、特に目だってカチンコチンに冷えたものを飲む傾向がある。

氷がいけない、というのではない。
場合によってはそういうケースもあろうが、氷よりもっといけないのは、
日本人の「カチンコチンヒヤヒヤ執着癖」とでもいうべき習性だ。

あなたたち、お爺さんやお婆さんに言われませんでしたか?
夏場は暑い時こそ熱いお茶を飲み・・・あーーーそこのおじいさんっ!
凍ったミネラルウォーターのイッキ飲みは、やーめーーーーてーーーーー!!!

日本にいるときも、暑い時に冷たいものばかり飲んでいれば胃腸が変になる。

それが、エジプトのように、エキセントリックなほど異国情緒あふれる土地で、
過労と寝不足を抱えて慣れないものを食べているのだ。

挙句に、寝不足、過労、過食・・・ときて、ヘタヘタに弱っている胃腸の上に、
冷たい飲みものをドバドバぶっかけたら、弱った体が余計にへたるのは理の当然。

そうおもいませんか?

ただしエジプトでは、特に暑い時期、水分補給は必須のものだ。

だから、常温のものを常備して、チビチビ飲むのが正解。
冷たいものしかなければ、噛むようにゆっくり飲んでほしい。
それだけで、相当にファラオさまはお喜びくださるのだ。
本当です。

そして、一度口をつけたボトルの賞味期限は一日。
バクテリアが繁殖するからだ。
夜余ったら、髪を洗うときに頭からドバドバかけてリンスするとか、
歯磨きや洗眼に使うとか、あるいは捨ててしまうとか、手段は色々だが、
「その日のうちの使いきり」をオススメする。

最後に、もう一度、大きな声で繰り返したい!

「ビュッフェの食べ過ぎに注意!」
「冷たい水のいっき飲みはやめよう!」

(この項、次回に続く)
  
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2006年09月01日

再び、ファラオの復讐について 【第61話】(前編)

●お詫び

この冒頭、実はこの連載で結構多い、という事実に気がついて呆れた。
呆れるだけで、反省につながらないのはいけない。
いけないと思うが、結局三歩歩くと忘れて、しょっちゅう「お詫び」になる。

こんな筆者を、暖かく励ましてくださる皆様のお気持ちに支えられ、なんとなく休載
していたが、これまたなんとなく再開せんと原稿を書き始めた。

だらしのないことで申し訳なく思うが、エジプト化した猫人間の書く、中東がらみの
徒然の記と思っていただければ幸いである。

マーレーシュ。

ああ、いい言葉だ。
日本語に翻訳不能な言葉だが、敢えていえば「まあまあ、ね」「いやぁ、どうも・・・」
「それはまた、ねえ」「いやいやまあまあ」というような様々なニュアンスがある。

そして、言われた相手も「マーレーシュ」と答えるのである。
返事の場合は「おお」とか「ああ」とか「いや、まあ」みたいなところか?
ともかく、言ったところですでに「赦し」が成立している。

この微妙なユルさは、実にエジプト的だ。
全てがグレーエリアで、ゆるゆると流されていくのである。

と、いうことで、エジプト人のふりをして勝手にお許しをいただいて、
久しぶりに本文に入ろうと思う。



●ファラオの復讐について

実は、夏休みの前に一度「ご注意」ということで上げておこうと思っていたのだが、
今日になってしまった。

でもエジプトのツアーは秋口以降が本番だから、ここで書いても遅すぎはしないだろう
と思う。

いや、別に新しい話題ではなく、昨年の春頃に以下のような話は書いているのである。
関心ある方は、あとで読んでみていただきたく。

http://arima.livedoor.biz/archives/17070534.html


簡略に行こう。

エジプトには、俗にいう「ファラオの復讐」という病がある。
何のことはない「一種の食中毒」なのだけれど、症状は相当きつい。
端的にいうと「強烈な嘔吐、激烈な下痢、灼熱の高熱」と、言いようによっては詩的に
さえ響く病状だ。
しかし、実際に当たったときの「肉体的な」響きは、詩的なものとは程遠い。

その辺の話と予防、ということでもう一回、敢えて書きなおしたい。



●水関係

1.エジプト現地には、ミネラルウォーターがある。
 
 生水については、慎重な人は飲まない。だからといって、別に毒ではない。
 私はカイロで過ごした最初の一年を生水で過ごした。
 やめたのは「たかが20円程度で美味しい水が2リットル買えるのに、
 なぜこの不味い水に耐えなければいけないのか?」と、ある時ふと思ったからだ。
 現地の水は、硬くてカルキが強くて、住居用などは消毒もきつい。
 はっきりいって不味いのだ。

 じゃあ何故ひたすら生水に固執したかって、それは25歳当時の「若気の至り」
 としかいいようがない。
 今思うと馬鹿げてるが、なにか妙なコダワリを持ちたくなる年頃だったのだ。
 かわいいものである。まあ、いいじゃないですか。

 毒物に近ければ、歯を磨いた瞬間におかしくなろう。
 そして、原則その心配はない。

 ただし、水質が硬いのでカルキ分は強い。
 「水が変わると水あたりする」という現象は、極端に言えば九州の人が東京にきて
 も起きることなので、ましてやエジプトならばミネラルウォーターを飲むのが
 常識といってよいだろう。

 だから、飲料水はミネラルウォーター、としても、あとはあまり神経質になりすぎ るのは
 考えものだ。 

 ちなみに、私はエジプトから日本に一時帰国すると、いつでも最初の一週間くらい
 お腹の調子がいまひとつだった。
 まあ、そんなものだと思っているので、普通に飲み食いしているうちに平常に戻る。
 疲れがたまっているときなど、お腹が結構ちくちくした(繰り返すが
 エジプト在住時「日本で」のことだ)、諸事に追われているうちにおさまる。

 もっと気の毒な例を上げれば、来日したエジプト人が日本でホテルの生水を飲んで
 「逆ファラオの復讐」にあうケース。
 
 こういう人たちには、ひっそりと「シャイ・ビ・ナァナァ(ミントティー)」を
 ホテルの部屋に差し入れたものだ。
 お気の毒すからね・・・。
 同じような目にあって苦しんだ経験のあるものとしては、やはりこういうときは、
 出来るだけのことをしてあげたいと思う。

 そう、余談だが、私も現地で数回は経験している。
 別に無傷で十年過ごしたわけではない。
 大抵、他所の国にしばらく「出稼ぎ」に行っていて、戻ってから一ヵ月後くらいに
 発症するのだが、しまいには慣れてしまった。

 私にとっては「愛の帰国歓迎セレモニー by ファラオさま」のようなもの、
 だろうか?


1.「生の野菜や果物を食べるな」という話
 これは、人それぞれであって、個人差が大きいので、一概にはいえないことではあ る。
 
 ただ「現地の水で洗っているから生野菜や果物は厳禁」のような言い方も極端だ。
 特に生野菜というのは、消化が必ずしもよくないし、昔から日本でも
 「胃を冷やす」とよくいう。
 それだけに、胃腸のコンディションが万全でないときには消化不良の元になりやす い。
 
 一般のローカルレストランでは、洗い方や水質などは色々だと思うが、少なくとも
 一流といわれるホテルの場合、水はきちんと浄化槽を通っている。
 過去、カイロ市内一流ホテルを某所が調査したところ、雑菌のレベルなどは特段 
 健康に悪いものではなく、場所によってはボトル売りのミネラルウォーターよりも
 よかった、という話を聞いたことがある。

 だから「エジプトの水で洗った野菜を食べると食あたりする」というのは、
 必ずしも真実ではないし、極端ないい方だ、と思う。
 要するに、本人の体調の問題なのだ。
 
 ただし例外的に、ティーン・ショーキ(トゲ付きサボテンの実)のように
 夏場に道端で皮を剥いてもらって食べるようなものは、一応それなりに覚悟を・・・
 といっておく。

 果物自体はよいとしても、露天だけにナイフなどの衛生管理は言わずと知れてい る。
 衛生管理? 
 露天によっては、売ってるおじさんの手ぬぐいなんかでチョチョイと拭いてお終 い、とか、横にあるバケツに突っ込んで手ぬぐいで・・・という「管理」。
 
 用心深い友人は、丸ごと買って自分で処理していた。
 厚手のゴム手袋着用である。
 そうしないと、手のひらがトゲまみれになって、とても痛い思いをするそうだ。

 「ふうん」と、単純に感心しつつ、衛生状態怪しげなナイフで切り捌かれたものを
 道端で買い食いして10年ばかり、特段問題が起きなかった例もある。
 私と夫と、似たような行動形態の奇怪なお友達のように
 
 これで平気なのは、現地で生活していて体調が平常だからなのだ、と思う。
 抵抗力もついているし、何しろ体が現地化している。

 日本に一時帰国して、生水を飲んだらお腹の調子を崩すくらいだ。

 要するに、この場合、水質というよりは「慣れと体調」なのである。


1.当たれば全て、食べもののせいになる
 これに関しては、野菜や果物と同様で、私は以前から疑問に思っている。
 確かに、体調を崩す理由は多い地域ではあるけれど、それを全てエジプトの
 食べもののせいにするのもひどい話だ、とよく思う。

 くどいようだけれど、体調の問題、ひいては自己管理の部分が実は大きい。
 詳しくは・・・(つづく)。
 

  
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2006年07月01日

カイロの夏の過ごし方 【第60話】後編

前編に続く)

●夏の楽しみ

夏の間、日中カイロの街を歩いている人間はぐっと減る。
なにかトチ狂って徒歩で外出した、どこぞのホテルの日本人営業マンが
「うわ〜、しまったぁ〜〜〜」などとスーツを着こんで肩で息をしている
などという、かなりイレギュラーな光景もときになくはないが、
これは本人の学習能力が猫並み以下だからであって、
たいていは室内か日陰でじっとしている。

そして、陽が落ちるとともに、人々は活動的になる。

どこでなにをするか、というと、特になにをするわけでもなく、
なんとなく外を家族でそぞろ歩いて、どこからか現れる露天の物売りを
冷やかしたり、もう少し高級志向だとエアコンの効いたショッピング・
モールにでかけてみたり・・・と、実に楽しげに町をお散歩する。

ハンハリーリー市場など、観光地ではあるが地元のカイロっ子たちにも
楽しいところで、こちらも賑わう。

そんな中、全身黒ずくめの女性の集団も通る。
サウジ方面からの避暑客だ。

公園などでは、いつの間にかお弁当を持参した家族が、涼みながら晩御飯
などという光景もある。

それぞれ、家族で楽しくはしゃぎながら過ごすので、夜は結構騒々しくなる
夏のカイロの風景だ。


●そして、日本で・・・

さて、そして東京や横浜あたりでは、夜になっても相変わらず蒸し暑く、
湿度が上がれば、体がアタマが湿気を吸ってぶよぶよしてくるような
気分になる。

これは中国人の漢方の先生に言われたのだが、私など十余年もそういう
地域で過ごしたので、特にとりわけ「体が湿気を吸いやすい体質」に
成り果てているのだそうだ。

実際、中東圏で長く過ごした駐在員が帰国して、変な咳が止まらなくなり
どこの医者にいっても、さっぱり原因不明だったのが、また中東に出たら
全快した、などという話も聞いたことがある。
だから、私だけではないらしい。

季節がピークに来ると、湿気たせんべいが、水でブヨンとした物体に
変わっていくような状態で、ヘマなことばかりしでかす。

嗚呼、悲しきことかな、私は体質はエジプト化したままだ。
何年かすればなれるかと思ったが、一向に改善しないところを見ると、
適当なところで日本を脱出するまでは、とりあえず我慢するよりほか、
手の打ちようはなさそうである。

だから、せっせとベッドと布団に夏モードで乾燥機をかけ、迫り寄って
身体をぺったりとくっつける猫たちを、いじけない程度にあしらい、
ひたすらにひたすらに、夏の終わりを待つ次第である。

このシーズンほどカイロが恋しくなることはない。

(6月22日配信)

  
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2006年06月30日

カイロの夏の過ごし方 【第60話】前編

◆ 第60話 カイロの夏の過ごし方


●カイロの夏は40度を超える、が・・・!

去年もちょっと「カイロの夏」のお話は出した。
http://arima.livedoor.biz/archives/29066522.html

そう、今頃のカイロときたら、30度など軽く飛ばして、みるみるうちに日中は
40度をこえる。
こうなると「暑い」というよりも「熱い」。

これを聞いただけで「夏のエジプトなど金輪際行くものか!」と反射的に思う
ことだろうが、私の個人的な感覚で「夏のカイロと東京、どちらか選べ!」
と言われたら、迷わず「カイロ!!」である。

たまたま触れてきたことではあるが、エジプトというのは湿気がないので、
40度であれば感覚は東京の30度くらい。
暑いことは暑いが、日陰か室内にさえいればよいことで、しかも陽が落ちれば
涼しい風が吹く。

また、カイロでは公式に40度は滅多と越えない。
実は、40度を越えたら「勤労者は家に帰ってよい」という規定があるとやらで、
政府の公式発表はたいてい39度止まりだ。
うそつけ!と言いたくなる日は結構あるが、まあそういうことになっている。

確かに40度を越えた中で外にいるのは辛い。
しかし、35度くらいなら快適なものだ。

だから、早朝や日没は意外に過ごしやすい。
そう思うのは私だけではないようで、カイロ日本人会がアンケートをとったら
「東京よりもカイロが過ごしやすい」と答えた人が圧倒的に多かった。

ツアーも夏場は、どうしても日中炎天下の行動はある程度避けられないものの、
出来るだけ早朝に観光を持ってくれば、案外耐えられる。

しかも、完全なオフシーズンだから、冬場は大混雑の各有名史跡などは
空いていてゆっくり見学できる。
ちゃんとしたホテルはプール装備なので、朝観光したあとは、のんびりと
プールサイドで寛ぐ、などということも可能。
案外ツアーシーズンとしても捨てたものではない、と私は思っている。


●カイロで「避暑」をする人々

でもだからといって、中東がどこもそのように快適だ、というわけではない。
それを証拠に、夏場になると、サウジアラビアやクウェートなど湾岸方面から、
一斉に長期滞在客が押し寄せてくる。

目的は「避暑」だ。

参考までに、本日6月22日の各地の気温と湿度を・・・(Yahoo! Weatherより)

    日中平均 最高気温 最低気温  湿度
東京   25度   27度   22度    78%
カイロ  35度 35度   25度   34%
リアド   44度  43度   31度    8%
ドバイ  36度   32度   25度   67%

今日のカイロはちょっと湿度が高そうだが、まあでもこのくらいならば、
体感気温を10度引いたような状態を考えれば爽やかなものだ。

しかし・・・ナンボ湿気が辛いとは言ったって、カラッカラの低温オーブン
みたいなところは、やっぱり遠慮したい・・・嗚呼、リアド。

そしてドバイ・・・今は行きたくない。以上。

尚、日中平均のほうが最高気温のほうが高いのは、単に不思議だが、
これはYahooのデータである。念のため。

だから、湾岸諸国の住民にとって、カイロとは実に過ごしやすい街なのだ。
アラビア語も通じる。
だから、夏のカイロの高級ホテルは意外に混んでいる。
遺跡は空いているにせよ。

(後編に続く)

(6月22日配信)


  
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2006年06月26日

カイロ住宅事情 其の二 〜住居探しと大家の弱み〜 【第59話】(後編)

前編につづく)

●大家との駆け引き

さて、じゃあここにするか、ということになると、諸々の駆け引きが始まる。
カイロで外国人がシャッアを借りる場合、家具付きが普通なので、一通り
家の中をチェックしてから、アレがない、コレをつけて欲しい、という交渉が
始まる。

安いところの場合は「洗濯機が欲しい」「テレビはないのか」
「食器が」「鍋が」「鏡をひとつ」「扇風機が欲しい」などという話になり、
大家が「おお、家に余っているのを持ってきてやる」と、時にはしょうもない
ものを持って現れて、ああだのこうだの・・・となる。

高級なところでは、もう胸を張ってガンガン家具の追加を要求してよろしい。
「大型冷凍庫」「衛星放送アンテナ」「食器洗い機」「ビデオ」・・・と、
果てしない物欲を大家にぶつけるのである(結構楽しい)。
とにかく、いってみたらすんなり買ってくれたりするので、黙ってないで
口に出すのが肝心。

肝心の家賃についても、もちろん要交渉。
この場合、一人のときより夫婦のほうが交渉が有利に運ぶ。
いや、夫婦、と一般化したが、我が家の場合である。

とりあえずどちらかが、ボディーブローを細かく入れて下交渉を済ませ、
次に二人で出向いて、もう一人が右ストレートを炸裂させる、というパターン。
時には、日本語で夫婦喧嘩のアトラクション入りであったりする。
ケンカのふりをして、次の展開を打ち合わせているから悪質なコンビだ。

大家はいきなり怒り出す夫(乃至は妻)に驚きあわて「まあまあまあ・・・」
と仲裁に入ろうとする。
エジプト人というのは、基本的に気は荒くないので、大きな声で言い争う光景
を見ると、つい仲裁に入りたくなるらしい。


●契約終了時の駆け引き

さて、そして住み始める。
安いところでデポジット一ヶ月、高いと二ヶ月支払って、これは当然
「家具などの損傷分を差し引いて、出るとき返してもらえるもの」という前提、
ではある。一応は。

でも、ナンノカンノと難癖をつけて、ほとんど返してくれないのが普通だ。
ここで再び、ボディーブロー&右ストレート攻撃に移るのだが、
この場合もうすでに「この夫婦は日本人のくせに、やたらと交渉が強気だ」と
刷り込みが出来上がっているので、大家との関係が良好でない場合は往々にして
難航する。

ところで、実はこういうシャッアを持っているパターンは色々なのだ。
なんでも、ナセルの革命後くらいからある古い住宅についてはびっくりする程
安く借りられた時代があったらしい。
これは「自分か家族が居住する」のが建前なのだが、それなりにいい物件を安く
握っている大家は、住まずにナイーブな外国人(特に日本人は好まれる)に
貸して、収入にしよう、ということになる。
本来は違反なのだが、なんとなく大目に見られているところがあるが、
何かの弾みで「元々の貸主」に「又貸し」が発覚して、すぐに出て行け!と
理不尽なことを言い出す害虫のような家主もいた。

もちろん、自己所有のシャッアを公正に貸し出している大家もいる。

その辺り、やましいところがあっても無くても、たいてい「表の契約書」の
家賃を十分の一位にしてサインしてくれ、と大家がいいだすことがよくある。

何のためかといえば、実は税金対策なのである。

この場合、その代わり毎月の家賃には領収書を発行すること、という一項を
契約書に入れさせておく。
で、払った額面どおりの領収書を、しっかり保管しておくとよろしい。

契約終了時、これは結構威力を発揮する。
ナンダカンダとごね始めた時の、黄金の必殺右カウンターストレートを一発。

「それならかまわないけど、契約書とアナタのサインした領収書を税務署に
出すからね。いいんだね」

彼らの天敵は税務署なのだ。
エジプトの税務署、この類の副収入には結構厳しいらしい。
たいてい、ゴタゴタウダウダがぴたりと止まって、それなりにリーズナブルな
妥協線が成立する。

まあ、そんな調子で、カイロの生活はナンノカンノと交渉がついてまわる。
別に声を荒らげて争う必要は無いが、あきらめずにとにかく粘ること、
相手のいうなりにハイハイと契約などを進めないことなど、家探しに限らず
大切なことである。

結構つかれるのではあるけれど「人間的成長」の場に・・・
なっているのだろうか?

(6月23日配信)

  
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2006年06月24日

カイロ住宅事情 其の二 〜住居探しと大家の弱み〜 【第59話】(前編)

 カイロ住宅事情 其の二 〜住居探しと大家の弱み〜(前編)


●カイロ生活はメイド付き

前回、ピンからキリまであるけど、とにかくだだっ広い、という話をした。
そんなだだっ広いアパートメント(カイロでは「シャッア」という)を一人で
維持管理するのは大変なことだ。

しかも、風通しよくできたカイロの住居は、砂漠から砂埃の押し寄せる、
その名も「埃及(エジプト)」にあるわけで、当然のことながら、床に食卓に
拭いても拭っても半日もすれば砂埃が積もっていく。

この漢字名、元は中国語らしいけれど、見事なネーミングだといつも感心する。

でも、なんと、カイロではメイドを雇うのがアタリマエなのである。
メイド、というと「萌え」なるイメージが最近の日本で蔓延してるらしいが、
この場合は単に「お掃除のオバサン」だ。
「シャッガーラ」という。

「ご主人たまぁ」などと可愛らしい声でいったりはしない。
「ヤ、マダーム!」と、太くドスのきいた声で呼びかけてくれる。

だから、お掃除は基本的に「やってもらえるもの」だ。

料金は色々だが、週に3〜4日きてもらって月5千円〜1万円くらいが相場だ
ったと記憶している。
掃除洗濯片付けの類が、病気のように不得手な私には有難い話だった。

そう、ついにカイロを離れるとき、上司のイギリス人に
「カイロで一番懐かしくなりそうなものはなんだい」と聞かれて、
ごくシンプルに「シャッガーラ」と答えて呆れられたものだ。

一度は、腹を立てて思いっきりメイドを一人クビにした。
その時、カイロを離れていた夫にそう報告したら、
「で、掃除とかは誰がやるわけ?」と聞かれたこともある。
「私がやります」
「・・・無理だと、思うなあ・・・」

前回から嫌味くさい話ばかりで、読者の皆さんも辟易しているだろうが、
私は結婚生活初日から「メイド付き」だったのだ。
で、この巨大なシャッアを一人で掃除してまわるなんぞ、可能性以前の問題、
ということに二日ほどで気がついたものだった。


●住居探しの方法

1989年にカイロへ渡ってから、本当によく引越しをした。
最初の二年のカイロで四軒、次のミュンヘンで二軒、イスタンブルで二軒。
その後カイロに戻った五年間で、四軒。

カイロに関していえば、下は月100US$から上は2000US$まで、実に色々なところ
に住んだ。
だから、カイロの住居探しはかなり上手い方だと自負している。

方法は色々ある。

1980年代末ごろは、何故か街角のそこここに「不動産の口利き屋」を生業に
しているオジサンがいて、この辺なら住んでもいいなあ、と思うあたりで
「部屋探してるんだけど」とその辺の商店主あたりに言うと、どこからともなく
そういうオジサンが出現するのだった。

ただ、この類で成功した例はあまり聞いたことがなく、化け物屋敷のような
ところに連れて行かれるのが常だったので、結局のところ私はやらなくなった。

その後、ちゃんとした不動産屋が出てきたので、もうこの類の
「どこからともなく出てくる家捜し口利きオヤジ」は多分もういないのだろうな
と思う。
もういないと思うと、なんとなく寂しい気がする。
あれはあれで、なんともエジプトらしい存在ではあったから。

不動産屋だと手数料はとられるが(たいてい家賃一か月分)、まあまあまともな
ところを見つけてきてくれる。

外国人向けのスーパーマーケットにある「掲示板」にも、何度かお世話になった。
この辺に出ている広告は、大家本人が出していることも多いので、不動産屋の
手数料が不要だから便利だ。
ただし、当たるか否かは運次第。

幸い私は、二回当たりを引いた。

もう一つ多いのは「口コミ」で、これが意外によくある。
何故かカイロのエジプト人は、複数シャッアを持っている中〜大金持ちが
結構いて、まわりにそれとなく「シャッアさがしているんだけれどね」と
いっておくと、どこからともなく噂が広まって「オレの友達の弟が・・・」
「私の親戚が・・・」「姉さんのダンナの友達が・・・」と、パラパラ話が出
てくるから面白い。

こういう時、特に紹介料が出ているわけでもなさそうなのに、話を持ってきた
自分の知り合いが、たいてい一緒についてきてくれて、その友達なり親戚なり
姉さんとそのダンナなりが一緒にぞろぞろと現れて、家主と一緒に部屋を
見ることがよくあった。

で、気に入らなければ「ごめん」の一言ですむから、エジプト人は面白い。
まあ、好きというほどでもないが、なんだか憎めないところだと思う。


(後編に続く)

(6月23日配信)

  
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2006年06月18日

カイロ住宅事情 其の一 〜シンドラーのリフト(?)〜 【第58話】後編

前編より続く)

●カイロで高層階に住む

高所が苦手、と言いながら、住むところに関しては、あまり深く考えたことは
なかった。
知人宅が高層ならば「いやあ眺めがいいですね」と、単純に羨ましがって
いたくらいだ(でも、本能的に避けるのだか、バルコニーにはまず出ない)。

結婚してイスタンブルからカイロに移ってから半年ほど後、諸般の事情で
引越しをすることになった。
そうしたら、ビルはボロイが場所は便利で、内装も家具もステキな物件が
見つかった。
あまり深く考えなかったのだが、15階にあって、窓からナイル川が一望できる。

気に入ったので、猫らを連れて引っ越してきた。

しかし引越し後、どうもなんだか体調がスッキリしなくなったのである。
しかも、隣近所によれば、引っ越すまではわりあいとまともに動いていたという
エレベーターがしょっちゅう不調を起こす。

深夜すぎまで仕事で駆け回って、やっと我が家にタッチダウン・・・と思ったら、
門番がひどく情けない顔で「マダーム、エレベーター故障だ」と告げる。
これは、かなり応える。
チップを弾んで門番に書類かばんなどを持たせて、せめて手ぶらにできるとはいえ
15階までハイヒールのまま這い上がるのは、いかに足腰にはちょっと自信のある
ホテルマンのワタシにも、結構「苦行」な深夜二時、だった。

15階で降りようとした時、いきなり10センチばかりぐっと沈んだこともあった。
気絶しそうになった。

挙句、旧式のエアコンの室外機(下にはなにもなくて、ドカンと外に箱型に
突き出ている)の上で、猫らがよく昼寝をしているのを発見してしまった。

見た時は、冗談抜きで心臓が止まりそうになった。
長男タケゾウなんぞは、寝ぼけてベッドから落っこちたりするような、
超オマヌケくんなのだ。
呼び戻すにも及び腰で、えさで釣って呼び戻し、その後その窓は「開かずの窓」
とした。
猫に「高所恐怖症」はないらしい。


●シンドラーのリフト

「もう引っ越そう!」と、夫と話し合って家捜しを始めた頃の、とある朝まだき、
カイロで結構強い地震が起きた。

本当に、車酔いしそうな揺れが来た。

「グーラグーラグーラゴォン」と、夫。
「・・・とりあえず、今はここにいるのが安全だよね・・・」
「そうだなあ、でもさ・・・」

二人同時に言った「早く引っ越そう!」

余震というよりは「ビルの揺れ残り」がおさまるまで、あと数分かかった。
その間に、ワタシはぐっすり寝てしまったそうだ(とても疲れていたのだ)。
外では、一度大地震で怖い思いをした隣近所の大騒ぎが、遠く聞こえていた。

その後の物件探しで、階数をよく確かめないで見に行ったところは「23階」。
もう、窓から外を見るだけで具合が悪くなったものだ。

その時、大家が声を大にして強調したのは、
「ここのリフト(エレベーター)はスイスのシンドラー社製だ。
だから、問題ない。心配ない。大丈夫だ!!」

タイトルのわりにオチがこじんまりして申し訳ないが、今回の事態を聞いて、
なんだか複雑な心境で「あのときのこと」を思い出した次第。

尚、その後、ナイル川沿いの建物の三階に越した。
バルコニーで爽やかな朝の川風に吹かれていると、
これぞ贅沢、としみじみ思ったものである。

ついでに書き添えると、諸々の体の不調は解消し、どうも妙に落ち着きの
なかった猫らものんきな顔つきになった。

そんなこんなで、今回は思い出話だが、
次回はもうちょっと現実的な住環境のお話でも・・・インシャアッラー。

(2006年6月16日配信)
  
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2006年06月17日

カイロ住宅事情 其の一 〜シンドラーのリフト(?)〜 【第58話】前編

●ちょっとだけ高所恐怖症

昨今巷をにぎわせている、シンドラー社のエレベーターの話を聞いて、
カイロのころの話を思い出した。

その記憶と絡めて、住宅事情など。

私は基本的に「高所」というのが苦手だ。
まあ、眺めのいいトップフロアのレストランで食事、などと言うのは平気だし、
観覧車に乗るのも好きだ。
もちろん飛行機に乗るのだって平気なので「高所恐怖症」というほど大げさでは
ないものの「吹きっさらっし状態」の高所には近寄れない。

でもまあ「高層階でお食事」よりは「明るいテラスでお食事」だし、
「観覧車」よりは「公園のお散歩」だから、やっぱり得意科目ではないのだろう。
もちろん「飛行機」よりは「列車」なのは言うまでもない。
その選択肢がある限り、だが。

高層ホテルの外窓清掃の様子など、見ているだけで心臓の奥が痛くなるくらい
怖い。
ホントに怖い。

カイロ名所の「カイロタワー」など、二回ほどやむを得ず行ったが、
連れて行ったお客さんの前で笑顔を保つのが、恐ろしく苦しかったのを
覚えている。

あそこ、もちろん手すりはついているが、一番上は吹きっさらしなのだ。
その手すりだって、エジプト人の管理化にある。
馬鹿にするようなことを言ってはいけないだろうが、メンテナンス感覚が薄い
国民性なので、寄りかかる気にはなれない。
とりあえず、背中を内壁に貼り付けるようにして、さりげなくカニ歩きだ。

子供のころ三階くらいに数年住んだことはあるけれど、あとはずっと一軒家
だったし、何故かその後、学生時代の札幌から結婚してしばらく経つまで、
常に住居はせいぜいが5階くらいまで。
だから「眺めの良い高層階に住む」というのがどういうことか、
まともに考えたことはなかったのだ。

最近、スイスのシンドラー社のエレベーターに色々問題が起きて世間を
騒がせていたが、それでふとカイロでの出来事などを思い出してしまった。


●カイロの住居

カイロ都市部では、住居は大半がアパートメントだ。
日本と違って、石造りの建物が多い。
余程のことでもなければ、隣近所の家内での騒音が耳につくことはないし、
天井から足音がどかどか、ということもない。

基本的に屋外の熱気を取り込まないような構造になっているらしく、夏は外より
部屋の中のほうが涼しい。
建物が古いほどそうなる。

ついでに面白いのは、日本では暑いと窓を開けて風通しを良くして・・・とやるが、
カイロでは本格的に暑くなると、雨戸まで閉めて外の熱を遮断する。
外気温40度超え、などというときは別として、案外それでしのげるのだ。

カイロでは、下は月1万円程度から、上は月20万ほどの高級マンションまで、
ずいぶん色々なところに住んだ。

嫌味めいて聞こえるといけないが、一番高級なマンションは250平方メートル
で3LDKだった。
すべて高級家具までついて、普通の六畳間がワンセットでパンパンになるような
ソファのセットが、リビングに3セットばかり置いてあって、ロココ調の大食卓が
ゆったりと鎮座ましましていたものだ。

そこまでいかずとも、カイロのアパートメントは相対に広くできている。
大家族での生活が基本だから、チマチマとワンルーム、などという発想自体が
薄いのだ。
実際、子供がそれなりの年になったら家を出て一人暮らし、という発想はなくて、
男女問わず「結婚するまで親と同居」が常識だ。

外国人用の賃貸に出てくる物件に良くあるのが、息子が結婚するときのために
一応住居は用意してあるけれど、当座のところは空いているので、数年で帰国
する外国人に貸す、というパターンだ。

よく聞く冗談で、アメリカ人などが日本のワンルームマンションに入って、
「で、ここが玄関で、部屋はどこなの?」というのがあるが、
一度向こうに住みついてからたまに帰国すると、その気持ちがなんだか
わかる様な気がした。
私の実家が、所謂ワンルームの住居を賃貸していたことがあるのだけれど、
小さい部屋など「カイロの自宅のバスルーム」だった。

母に「ウチって狭いなあ」とぼやいたら「もう二度と帰ってこなくてよろしい」
と言われたこともある。

これ以上言うと、みなさんに嫌われそうだからやめておくが、とにかく各物件、
広いだけは広い。
建物の状態やら設備やらで、賃貸料は天と地ほど違うが、どっちみち広い。
ただし、ボロいところは恐ろしくボロいのではある。
そういう、だだっ広いだけでボロいアパートメントに住むのも、これはこれで
案外しんどいものだ。
(2006年6月16日配信)

→後編に続く

  
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2006年05月28日

嗚呼、イスタンブル! 【第57話】〜後編〜

(前編http://arima.livedoor.biz/archives/50486707.htmlからの続き)

●そして、イスタンブル・・・

今まで住んで、どこが一番居心地がよかったか、と言われると、私にとっては
イスタンブルになる。

今もそう変わっていないようだが、やはり旧ローマ帝国の街の迫力というのは、
ひしひしと肌身に感じるものがあって、この誇り高き「古都」の空気は、
ミュンヘンにもカイロにもないものだ。

本来、今まで行った町で一番好きになって、恋情すら覚えるのが「ローマ」。
実はローマに行ったのは、イスタンブルからカイロに引っ越したあとなのだが、
はじめてローマの街を歩いたときの、あの胸の高鳴りは忘れられない。
だから、イスタンブルに惚れるのも無理はないわけだ(?)。

いろいろな意味で、いい街だった。
何しろ若い連中が元気なのである。
そして私もまだ三十路を超えていなかった(遠い目・・・)。

映画はヨーロッパあたりとほぼ同時に封切りだし、街のヘソになるタキシム広場
にあるホールでは、しょっちゅうオペラだコンサートだとイベントをやっている。

実は一度モーツァルトの『魔笛』を観に行っただけだが、一番いい席でも1000円
もしない。
安い席は300円くらいらしくて、学生と思しき若い連中が、普通に普段着で
観に来ていたのが印象的だった。

その『魔笛』がまた、トルコ語版だ。
元が皆目わからないような演目じゃなくて良かったと思ったものだ。

クラシックもそんな具合に、わりあい自然に溶け込んでいたし、ジャズのライブ
もなかなか迫力があった。
ホテルの同僚に連れられて行った、巨大なライブハウスはヘビメタ専門で、
その日に市内のドームでコンサートをやった「メカニカ」というグループが
深夜過ぎくらいに現れて、突然にわかライブがかかっていたこともある。

とある友人は(ゲイだった)、家に山ほど映画館用のフィルムを抱え込んでいて、
ちょっと親しくなった友人は誰でもよんで、自宅で上映会をやっていた。
で、おのおのが持参した食べ物や酒でちょいと飲み会をやって解散、なんていう
面白い集まりもあった。

フィルムはどうしたのか聞いてみたら、トルコの映画会社というのは価値が
わからないから、ちょいとした伝を頼って「オクレ」と言えば、二束三文で
譲ってくれるんだそうだ。
今はどうだか知らないけれど、おかげでもう二度と観る機会はないかなあと
思っていた、黒澤明の『デルス・ウザーラ』なんかみせてもらった。
「お別れ会」という名目だったんだけれど。

結局、ひとつの街への思い入れというのは、街自体の魅力半分だが、あとは
個人的な体験で決まるものなのだろう。
イスタンブルでは、本当にいい仲間に恵まれて、楽しい遊び場も山ほどあって、
Mr.ヤマグチと結婚に至ってなかったら、今でもまだいたかもしれないと
思うことがある。

蛇足だが、5月29日は、奇しくもうちの夫婦の結婚記念日でもある。
陥落したのはどっちで、させたのはどっちだ、という話は、
とりあえず突っ込まないでおこうと思う。
どっちみち、もう13回目だ。

ただ、ウェディングドレスのまま式などを仕切り倒したのは、このワタシ。
式のあとの新郎挨拶では、下を向いて神妙なふりをしながら「黒子」をやった。
白いウェディングドレスの黒子というのは、言い得て妙だが、
私と親しい友人らは「アリーマが、いつマイクをふんだくって
自分でしゃべりだすかと気が気ではなかった」と口をそろえていっていた。

う〜ん、下を向いていたのに、空気でわかったのかなあ?

今年は、イスラム教徒の皆さんには申し訳ないが、豚肉料理の名店にて
祝う予定になっている。



  
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2006年05月27日

嗚呼、イスタンブル! 【第57話】〜前編〜

●5月29日

この日は何の日か?
オスマン・トルコがコンスタンティノープルを陥落した日だ。

コンスタンティノープルというのは、ギリシャ語ではコンスタンティノポリス
といって『コンスタンティヌスの町』という意味。
この辺、読み方がギリシャ語、ラテン語、英語と交錯していて、
いちいち説明をつけているときりがないので、コンスタンティノープルに
コンスタンティンで統一してしまう。悪しからず。

ここでいうコンスタンティヌスとは、勿論かつて東ローマ帝国を建国した
コンスタンティン大帝のことだ。

ちょうどヨーロッパとアジアの分岐点にあり、北に中央アジア、南にアラブから
アフリカへつながる通商路の、丁度交差する地点にある。
よくぞここを選んだものだと思う。


●「イスタンブル」か「イスタンブール」か?

その都市名の変遷をたどると、三回や四回ではすまないし、そういう本は山ほど
あるので、近代にいきなり飛ぶ。

日本でひとつ、国としての見識を感じるのは「各都市や国家は現地語読み」
という原則だ。
ただ、誤って入ってきて長く呼び習わされると、それで定着してしまうことも
ある。イスタンブールがいい例だ。

昔々(になるのだろうな、やっぱり)、庄野真代という歌手が歌って流行った
『飛んでイスタンブール』という歌があった。
この「飛んでイスタ〜ンブ〜ル〜〜」というサビが、実にポップかつ演歌調で
秀逸だったせいか、日本人の頭にこの都市名は「イスタンブール」と完全に
インプットされてしまったくらいだった。
でも、原語主義を採るのならば正確には「イスタンブル」が正しい。

では、なぜ「イスタンブール」と伸びてしまったのか、と、ふと不思議に
思って調べたら、ペルシャ語やアラビア語では伸ばしているのである。
たぶんその影響なのだと思う。

でも、トルコ語では「イスタンブル」だ。

*注:尚、この『飛んでイスタンブール』は『異邦人』同様、カラオケで入ると
問答無用で私がマイクをふんだくることにしている。



●「イスタンブル」の意味するところ

これは諸説あって、どれも微妙に無理があるようにも筋が通っているようにも
思えるから不思議である。

ただ、意外や「イスタンブル」という都市名が正式名称となったのは、
1923年にムスタファ・ケマル初代大統領がトルコ共和国を創立した、
その10年後の1933年となる。
それまでは「スタンブル」だの「クスタンティニーヤ」と呼ばれていたそうだ。
いずれもアラビア語で、前者は「コンスタンティノープル」の「スタン」と
「プル」がくっついた略称が定着したもの。
アラビア語では「p」を「b」と発音する癖があるので「プル」→「ブル」と
変成したのだろう。

なぜにその前に「イ」がついたかは調べ切れなかった。
トルコ語は二重に子音を使うことを嫌うので、特に「トルコ語の純粋化」を推進
していたケマル・パシャが「イ」をつけた、という説はある。
逆に、アラビア語の方言では「イル」という定冠詞をよく使うので、
子音とリエゾンして「ル」が落ちて「イスタンブル」になったのかもしれない。
「The Metoropolitan」というような意味になるから、悪いイメージはない。

後者の「クスタンティニーヤ」は、そのままコンスタンティンの名前が残った
「コンスタンティンの町」という意味。

当時のトルコはギリシャとは見事に仇敵同士だった(今でもそうだけれど)ので、
自然とイスタンブルに収まったのかなあ、と思う。

余談だが、梨木香歩の『村田エフェンディ滞土録』という、ちょっとステキな
幻想小説があるのだが、ここの舞台は1899年の「スタンブル」。
村田という日本人の研究者が、この街に滞在して遭遇するさまざまな出来事を
描いた小説なのだが「あの時代」のにおいが感じられる佳作だ。
オススメである。

(後編に続く)


  
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2006年05月12日

ジョークについて 其の二 〜エジプト人の笑いのツボ〜 【第56話】後編

(前編http://arima.livedoor.biz/archives/50468287.htmlにつづく)

●あるサイーディーが・・・

披露したネタは、私が知っているくらいだから、誰でも知っているノクタ。
以下のとおり:

あるサイーディーが、デューティーフリー・ショップに行った。
テレビを一台買おうと、店員に「このテレビをおくれ」と言ったが、
「ダメダメ、サイーディーには売れないよ」と追い払われてしまった。

しかしそれにしても、どうして俺がサイーディーだとわかったんだろうな?
と、悩んだ男は、たぶん服装のせいだろうと、今度はジーンズにTシャツという
都会風の格好で再び店に出かけた。

「このテレビをおくれ」
「ダメダメ、サイーディーには売れないよ」

男は再び店員に追い払われてしまった。

どうして俺がサイーディーだとわかったんだろうな?、と男は悩み、
今度こそはとばかりに気合を入れて、立派なスーツを着込み、ネクタイを締め、
これならば大丈夫に違いない、と自信満々で店に再び出かけた。

「このテレビをおくれ」
「ダメダメ、サイーディーには売れないよ」

さすがに腹を立てたサイーディーは、店員に言った。

「おまえ、どうして俺がサイーディーだとわかるんだ??!!」
「だって、これはテレビじゃなくて、冷蔵庫だぜ」


●エジプト的キャラクターの不思議さと面白さ

この話はいろいろバリエーションがあって、テレビ&冷蔵庫の組み合わせに
限らないが、もう本当に古典中の古典だ。
これが、馬鹿受けする。
何度やっても受ける。

挙句「アリーマは一つノクタができる」という噂がホテルに広まって、
こっちがどんなに忙しかろうと「ちょっとあれをやれ」になるのだ。
なにがそんなに面白いんだか、さっぱりわからない。

でも、拒否すると「アリーマは、フロントではやったらしいけどバンケット
ではやらなかった」などといういらぬ僻み嫉みを招きかねない。
エジプト人、大変明るく見えるのに、結構つまらないことにこだわるのだ。

でも、ある時期おそろしくしつこかったのに、いつのまにかパッタリと、
誰も何も言わなくなった。
エジプト人は熱するとしつこいが、冷めるとあっさりしている。

これは実は人間関係にも出る。
普通日本人の同僚同士が、何らかの理由で険悪になったら、すべて水に流して
また仲良くするなど、あまり考えられない。

でも、エジプト人の場合、一時期は仇同士のようにいがみ合った二人が、
何かのきっかけで、簡単に仲直りするのである。

また、一度いなくなって数年後に再開すると「おお、久しぶりだねえ!」と
非常に喜んでくれることもある。
いがみあった過去など、きれいさっぱり忘れているのだ。
こういうことは実に驚くほど何度もおきたので、平均的エジプト人キャラと
認定してもよろしいか(?)と、考える。

まあ、いつまでもグジグジ根に持たない、というのはエジプト人のいい所だ。
しかし、一度揉めると、かなりしつこくねちっこく険悪で陰険になる。


●「笑いのツボ」の違い

前回の話に戻るが、日本人の笑いのツボというのは、国際的にみると実は
相当変わっている。
世界各国違いはあろうが、基本的に「笑いの対象」というのは、動作であり、
言葉であり、話だ。
それは日本も同じだが、ひとつ決定的に違うのは「微妙な間」や
「一瞬の不思議な空気感」が非常に大事なことだ。

言葉や動作ですべてを埋め尽くすのではなくて、メリハリを楽しむところは、
日本独特だと思うことがある。
「動」の部分で笑うのは同じだが、「静」の部分での笑いというのは
翻訳不能の独特な世界だ。

エジプトに話を戻すと、本当に彼らの笑いのツボは、いまもって不可解な
ところがある。
先程の「ノクタ」はまだわかりやすいが、映画館などに行くと、
気分ぶち壊しになるくらい、わけのわからんところで「大爆笑の渦」が起きる。

例えば、古い話だがアーノルド・シュワルツネッガーの『ターミネーター』。
あれは、逃げ回る男女の無事を祈ってハラハラどきどきするはずなのだが、
エジプト人の観客が感情移入したのは「ターミネーター」のほうだったのだ。

シュワルツネッガーが、今度こそ機械でひき潰された・・・と安心したら、
また再生して立ち上がったシーンで場内拍手大喝采が巻き起こる。

この辺はまだ「不思議」ですむが、「ビッグ・ブルー」という
リュック・ベッソン監督の名画ではひどい目にあった。

ロザンナ・アークエット演じるヒロインが、
海に引き込まれるように深く潜ろうとする、恋人であるダイバーの命綱を、
男に懇願されて泣きながらナイフで切るシーンがある。

「見ていらっしゃい、私の愛を!」

何度見ても泣けるシーンで、胸を熱くしていたら、場内の半分ほどが
「笑った」のだ。

出かけた涙も引っ込んで、思わずあたりを見回してしまった。

大人気ない話だが、あれですっかり気分を害した私は、カイロで映画館に
近寄らなくなった。

しかし、あそこで何がおかしかったのかは、いまだに「謎」のままである。
  
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ジョークについて 其の二 〜エジプト人の笑いのツボ〜 【第56話】前編

●中東のジョーク

中東というと、本当に悲惨で暗い危機感あふれた状況下、
戒律の厳しい宗教に殉ずる怖いほど真剣な人々の住むところ、というイメージ、
かなり強いのではないかと思う。

アッラーを笑い話にしたり、性的な冗談など言おうものなら、
人々に石くらいぶつけられそうな気がするかもしれない。

ところがどっこい、中東の人たちほど笑うことが好きな人種はいない。
日本人は、ここまでいえない・・・と、絶句しそうなきわどい冗談も大好きだ。
もちろん時と場を考えなければいけないが、日本の「小噺」のような定型の
ジョークがあって、これをアラビア語では「ノクタ」とか「ヌクタ」などと呼ぶ。

これは、宗教がらみのものから極端なシモネタまで、中東圏内各国各地で
多彩なバリエーションを誇っている。


●エジプトの場合

エジプトの場合、一番よく出てくるのが「サイーディー」もの。
サイーディーというのは上エジプトの住民のことで、エジプトでは「田舎者」の
代名詞になっている。
ガラベイヤ(エジプト独特のすその長い服)を着て、頭にターバンをまいた、
いかにも田舎の実直で純朴な農夫のイメージだ。

関東人や関西人が名古屋を馬鹿にしたり、九州人が「佐賀県」を馬鹿にしたり、
というパターンと同じで、エジプトの場合はサイーディーになる。

そんなわけで「ワヘッド サイーディー・・・(あるサイーディーが・・・)」
で始まるノクタのバリエーションは多彩だ。

この国の(多分ほかの中東の国も)不思議なところは、同じノクタを何度も
繰り返しては、そのまるっきり同じネタに毎度大笑いするところだ。
これはあくまで個人的な体験で、一般にそうなのかどうかはわからないが、
あまりのしつこさに、私は辟易したことがある。

実は、私はひとつだけ、アラビア語の「ノクタ」をやれるのである。
たぶん「アリーマがやる」というシチュエーションが受けたのだろうとは思うが、
うっかり一度同僚にやってみせたら、その後しばらく、なにかにつけては
「アリーマ、あれをやれ」とくる。

やれやれ。

まあ、そのたびに初めて聞いたように爆笑馬鹿受けするので、
そう悪い気はしないわけだが、あんまり何度もやらされるので
ちょっとうんざりしたものではあった。

なにしろ、同僚に軽い気持ちで言って見せたら、死ぬほど笑い転げた後、
エジプト人上司のところに引きずっていかれて、もう一度やらされたのである。
で、さっきの同僚はまた笑い転げていた。

(後編につづく)  
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2006年05月06日

ジョークについて 〜其の一〜 【第55話】

●これもこれで各地各様

いわゆるホモサピエンスというのは、生物としては一種だが、
人類の営みというものは、実に各地各国で多種多様だ。

今回も、とりあえずちょっと中東を離れてみようと思う。

挨拶のお約束ですら、似たような文化圏に見えても違う。
今回はジョークについて。
これが実に、面白いけれども状況によってはつらいものなのだ。

そもそも、jokeという英語はどう定義すればいいのだろう。
"sense of humour"という表現はあるが、jokeがうまい、という意味ではない。

日本語では「冗談」で、輸入語的に「冗句」という言葉も使われるけれど、
どうも上記の英語と互換性はなさそうだ。

さて、思い出話。

私がカイロに行って、一番最初に困ったのが、語学力自体ももちろんだが、
この辺の感覚の違いだった。
特にカイロに住み始めたころ(注:当時25歳)は、同年代の若いイギリス人
の友人が多くて、勢いそういう連中ばかりの飲み会だのパーティーだのに
よく遊びにいった。
もちろんエジプト人も来ていたが、そういう連中は私などとは
したたかさのレベルが違った。

私は誘われれば、安全が確保されていて且つよほど面倒なことがない限り、
国内外を問わず、ハイハイ、ノー・プロブレム
とか何とかいって出かけてしまう。

まあ、若い連中の無礼講、ということもあるだろうけれど、
誰か友人が一緒であっても、ネイティブの会話に突っ込んでいくのは
当時の英語力では相当にしんどかったものだ。

これが、私の中の「日本人」という壁だと気がつくのに数年かかった。
恥を忍んで告白すると、当時は意地悪されてると思って、
泣いちゃったりしたことさえある(あ〜あ、馬鹿だなあ)。

無礼とジョークの区別がつかなかったのだ。
無論、周りはひっくり返りそうに驚いていた(おお、恥ずかしい)。
何しろ当時は、今より10キロ体重の少ない、ほっそりとした東洋人の女の子
だったんである(大過去形だ、と念を押すまでもあるまいが)。

最近は「無礼」で「下品」な性的ジョークを言ってるカナダ人(♂)を
「来る場所を間違えてるみたいだから、お勘定して出てお行き」
と、にっこり笑いながらバーから叩き出せるくらいにはなった。

人間、歳とともに度胸も貫禄も皮下脂肪もついてくるんである。


●余談

ちょっと話がそれる。

一度は誤解を解きたいと思っていた。
私の経歴を見ると、なにやら恐ろしくアグレッシブにしてエネルギッシュに
人生前向き・・・というイメージが浮かぶらしい。

転々とした土地や国、業種は確かに普通の人より多少変わっているかも知れない。
でも、そのほとんどは別に自分で走り回って求めたのではなく、
ぼーっと「次、どうするかなあ」と思っているときに、目の前に差し出された
話を、これまた、「ハイハイ、ノー・プロブレム」などといって、いいかげん
に引き受けてきただけのことだ。
その結果、奇妙な履歴ができてしまっていた次第。

で、当時あんまりものを考えなかったツケが今になって回ってきて、
最近は、必死に相当ガタのきた「脳内ビジュアル・レコーダー」を回しながら、
本を読んで「ああ、あれは、こういうことだったのか!」などと、
驚き納得している始末だ。

私的な話で恐縮だが、途中で今の夫と出会って結婚したのも、完全に「想定外」
の事態ではあった。

猫がぞろぞろついて歩くようになったのも、行きがかり上で、これも想定外だ
った。
でも、家族ができたのは何よりだった、と今でも神様に感謝している。
なんの神であれ。


●再び、各国各様

西欧社会の、特に利害関係の絡まない若い連中にとって、議論とはゲームだ。
これは、国にもよるが、多くの西欧諸国で共通だと思う。
子供のころから、親と、兄弟と、友達とこういったゲームに打ち興じる。

「秘すれば花」を美徳として育った日本人、こういう場面では実に弱い。
子供の時からの鍛えられ方が違う。

相手に言うことに
"No, I don't think so."とか
"No, I disagree."
などという文化、日本ではゼロなのだ。
それはわかる。
それは日本人としての美徳ではあるけれど、やられっぱなしもシャクだ。

英語圏はまだいいほうだが、ドイツ人なんて自分の理解不能な事を聞かれると、
庶民はまず"Nein"つまり、ノーと言って相手を否定する。
否定が最大の防御なのだ。

国によって温度差はあるが、西欧圏では私の知る限り、イギリス人は、
黙って聞いていてもいいけど、とりあえず何かいいなさいよ、
というお鉢が回ってくることが多いように思う。

アメリカ人は、状況にもよるが「マイノリティーの扱い」に慣れている様で
「日本ではどんなものを食べているの?」といった、答えやすい質問が飛ぶ。

ドイツでは、ドイツ語でまともに「参戦」できない限り、無視される。

一番楽なのはアメリカ式だが、ホスピタリティーがあるようで、実はかなり
馬鹿にされているようにも感じるのである。

で、英語もそうだが、ましてやドイツ語で、とにかく何とか
「何も言えない木偶の坊」でなくなるために、とにかく会話を自分で
リードすることにした。
どこか食いつけるところに食いついて、無理やり自分の前に話を引っ張る。

若い連中の無礼講な飲み会くらいでしか使いようはないし、この態度は
大人の「表面的な社交」の世界では受け入れられないのだけれど、
これで少しは話ができた。

この習慣は、まともに英語で商談だの接待だのをやるようになっても、
結構役に立った。
とりあえず、その日の「ジョーク」を決めておくのだ。
予備二つくらい含めて。
あと、何か特に、最近の日本について話すべきことも決めておく。
自分の意見がきちんとなければ「わかんない」で終わっちゃうので。

でも、うまく行けばここから引っ張れる話題は多い。
展開までは決めない。でもたいてい何とかなる。
若いころは強引にねじりこんでいた「最初の一歩」だった。
いまは、普通に話しながら会話の流れをつかめる。

第一「若い女の子」ではないので、頭から小ばかにされなくてすむ。
国籍を問わず。
だから、経験と年齢というのは、悪いものではないと思う。

私は年齢を重ねることが嫌ではない。
不便なことがいろいろあるのも、確かだけれど。


●中東のジョーク

西欧的な軽やかさがないのは、ご想像のとおり。
またアラビア語圏では、日本で「さむ〜い」とされる類の言葉遊びが
大変喜ばれる。

あまり名誉な話ではないけど、私のエジプト時代の通称は
「アリーマ・ライーマ」だった。

アリーマというのは、こじつけくさいけれど「アリーム」という
主に神学系の学者、知識人の女性形で、一般に女の子の名前にはなりにくい。
でも、音感が似ているので、なんとなく浸透した。

じゃあ「ライーマ」はなにかというと、
「こずるい、目端が利く、ずるがしこい」という、大変セコい合いの手だ。
英語の"wicked"に近いかもしれないが、もう少し明るく軽い。

音や言葉の遊びが好きなあの連中にかかると、寒くもクサくも何ともなく、
私が会議などで、結構いけそうなプロジェクト案など出すと
「アリーマ、ヤ、ライーマ」と呟いてくすくす笑う連中がいたものだ。

まあ確かに、最終的には勤務先の利益のために、案外「ライーマ」なことも
やって、結果は良かったのだから、コンプリメントだと思っている。

さて、では実際のところは・・・?
というところで、次回に続く。  
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2006年05月01日

続 キスと抱擁〜各地各様・・・でも、ホントのところ〜【第54話】後編

(前編http://arima.livedoor.biz/archives/50452070.htmlより続く)

●回数の違い

Nさんによると
「アメリカは一回、欧州は左右の頬へ各一回とスコットランド人の友人が言っていました」
との由。

これは驚いた。
ヨーロッパでも中東でも「基本は二回」だからだ。

ちなみにフランス人だと
「二回は挨拶だけど、三回は特別な人だけ」となるらしい。

二回キスしてから「もう一回ね」と、頬を寄せる。
女性同士ではないけれど、女性から男性の場合はどうなのだろう?

ドイツにいるとき、フランス生活の長いレバノン人の留学生が仲間にいて、いつもそんな感じだった。
長身金髪碧眼の美形美丈夫だった。
いまでも顔が緩む。ふっふふふ。

あの「はい、もう一回ね」は、露骨ではないが微かに男女の匂いが漂う。
あれはあれで悪くないものではありました。
へへへ・・・とか喜んでるようじゃ、いけないんだろうな、ワタシ。

前回徹底糾弾(?)したオジサマがたの「矛盾しとるだろうがオマエ!」
という怒号が聞こえてきそう。
スミマセン。


●例外イベントは大晦日

これも「男女に限る(ゲイ・ピープルを除く)」話だけれど、
ヨーロッパでは大晦日にあっちこっちでパーティーがあって、年越しの瞬間「誰とでもキスしてよろしい」という習慣(?)がある。

それは知っていた。

でも、たまげたのは南アフリカだった。
一度だけ、夫と二人クリスマス休暇を南アのケープタウンで過ごした、
その時の話だ。

人々の日常生活にまでは触れられなかったけれど、少なくともお正月期間は「唇でブチュ」が新年のご挨拶らしい。

私たちは、ホテルのガラディナーなんぞ柄でなー(?)、とか言いながら、
町場のよさそうなパブのカウンターに腰をすえたのだった。
ニズナという、インド洋沿いの静かな落ち着いた町だ。

わいのわいのと町の人で盛り上がる飲み屋で、結構いろんな人と楽しく飲んだ。
で、年明けと同時に、みーんな一斉に「ブチュ」の嵐。
男女のみだけれど。

お正月気分の間、この「ご挨拶」はそこいら辺中で当たり前に見かけたから、一般化していいのだろうと思う。
たとえば、ホテルのフロントのお姉さんと、お客を迎えにきた顔なじみらしい旅行会社のオジサンが、ハッピー・ニュー・イヤー!とハグして軽くブチュっといく。ブチュブチュという擬音はなんだか下品で気恥ずかしいが、本当に「ブチュ」と音を立てるのだ。

だから、そういう「お作法」らしい。

南アフリカ旅行は10日間ほどだったけれど、本当に忘れがたく楽しかった。
この話は、そのうちにまた改めて。

と、こう、かくして、挨拶の形というのは各地で本当に違う。

「日本と欧米では習慣的に安心できる人と人の間の距離に差があるとか。
日本の方が遠いんだろうと思います」と、Nさん。

改めていろいろ教えてくださった、読者のNさんに感謝申し上げます。  
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2006年04月29日

続 キスと抱擁 〜各地各様・・・でも、ホントのところ〜 【第54話】 前編

●各地各様あれやこれや

アメリカ在住の読者のNさんから、お便りをいただいた。
現地で結婚して長く生活しておられる方なので、アメリカの事情がよくわかった。

以下、Nさんのお便りを併せて、前回の補足をしておこうと思う。
ちょっと「中東」から離れるが、お許しいただきたく
(皆さん、知りたくありませんか?)。

前回の記事で、
「なんだか男同士でブッチュと接吻する「挨拶」も所によりあり、ときいた」と書いた。
どうもロシアの方面らしい。
実態は如何なのであろうか?
是非ロシアに強い方に教えていただきたい。

Nさんによると「唇」というのは、実はアメリカでは「あり」だそうだ。
男女の場合で、かなり親しい間柄の「挨拶」とのこと。

曰く、
「親しい友人の男女や、近所付き合いでは顔を寄せ合いますが、
半分以上は頬で音だけではなく実際に軽く唇を合わせます。
これは流石にダメです。ごく親しい奥さん達との挨拶の時には困惑します」

う〜ん、ハリソン・フォードばりの「近所の旦那さん」だったら、
結構嬉しいかも・・・と思ってしまった私は、所詮「日本のオヤジの一種」です。

困惑する相手としない相手がいそうな気が・・・でも、横で夫が他のオンナと・・・
と考えると「やっぱりだめ!」と思う私はやっぱり日本人です。

オヤジと馬鹿にした皆さん、ごめんなさい。
私も根っこの部分は皆さんと同じであります。
許してくださいまし。

ただし、同性同士はないようだ。
もちろん、ゲイ・ピープルをのぞいて、ということだけれど。
あるなら金輪際「渡米移住」という人生オプションは捨てようと思う。


●キスの回数と「お作法」(?)

所謂この「ハギング」の基本形は、握手して顔を近づけて、
左頬に一回、右頬に一回だと思っていた。

繰り返すけど、頬を近づけて「チュ」というよりは軽い舌打ちみたいな音を立てるだけで、唇はつけない。原則として。

でも、Nさんのお話で、面白いコメント
「アメリカ人にも明らかに初対面の異人種をハグする事に躊躇する人がいます。
習慣の違いを思いやってなのか潜在的な人種の壁かは判りません」

これは両方かなあ、と思った。
日本人ほか一般的なアジア人は心理的に抵抗があり、イスラームでは男女は御法度、などという人種と習慣の違いを理解している人たちも少なからずいるだろう。
アメリカのような国ならば、大人になるまでに相手を困惑させてしまって、困った経験のある人もいそうではある。

でも、正直なところ後者もあり、だろう。

あと、前回書き忘れた大事な基本。

Nさんより
「ハギングは初対面ではあり得ませんし、尊敬の念が有る様な場合は握手が普通です。でも、初対面で話をした後のお別れの挨拶はハグになる事は多い様です」

確かに、初めての出会いまでに余程エモーショナルな背景(なんであれ)
がない限り、最初は握手。
いきなりハグってはいけない(?)のです。
気をつけましょう。


●なんとなく私的実践(?)パターン

でも、話が盛り上がったあとは、ハグしてバイバイ、ということにはなる。
ただし、商談では微妙。

私は女性なので、海外からくるよく知っているお客さん(又はその逆)で、そうしょっちゅう会う仕事相手でなければ「じゃあ、お元気でね」という意味で自然とそう体が動くこともある。
空港まで出迎えた時に「わあ、お久しぶり!」という挨拶にもなる。

でも、普通はやらないだろう。たぶん。
あと、男性のほうから、というケースはない。
とりあえず自分で空気を読んで、OKかNGか決めている。
それが本当にOKかNGかは、また別の話になるのだろうけど(OKであってほしい、と祈る)。

ちょっとここで脱線。

最近は、86歳のエジプト人のお爺さん。
亡父の知人が、フランス留学時代の親友が来日するので、私がエジプトに縁があるのを思い出して食事に誘ってくださったのだ。

イスラム教徒といっても、革命前の上流階級のお年寄りというのは、もう本当にエレガントで素敵な人が多い。
明るくてやさしくてホスピタリティーにあふれたエジプト人本来の良さと、ヨーロッパの教養と落ち着きを併せ持った人がいる。
話をしていても、実に教養豊かで、教えられることが多い。
一昔前の「エリート」というのは真に「選良」だったのだなあ、とよく思う。
これは世界中どこでもそうだ。

その方に言わせると「革命がすべてをだめにした」というのだけれど、このあたりの考察は別の機会に譲ろう。

物静かだけれども快活な素敵な方で、どこをどうひっくり返したら86歳というカウントになるんだろ、と驚いた。毎週末はテニスを楽しむそうだ。
昔はナショナルチーム級だったということで「今も右の膝が痛むので、きっちりサポーターでガードしてやってるよ」とのことだった。

私も昔は陸上部で、膝と腰がどうの・・・と、普通に盛り上がれる86歳紳士。
エジプト人としては始めて遭遇した「花の好きな人」でもあった。
三渓園という有名な公園にご案内したら「あの花はなに? この花はなに?」と「花の名前」を山ほど聞かれる。

「ワタシ、エジプトの人に花の名前なんて聞かれるの、初めてなんですけど」と、言ったら、笑っていた。

「どうしてあの木はあんなふうな面白い形に枝を伸ばしているのだね?」
さすが、お目が高いこと。

「日本では、植木というのは一種のアートなのですよ。
彼らはただのガーデナーではなくて、アーティストなの」
「たいした国だねえ、ここは」

素敵な方だった。

で、お別れのときに、そういう風にご挨拶した。
先方も、ごく当たり前に受け止めていた、と思う。

余談でした。失礼。

(後編に続く)
  
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2006年04月21日

キスと抱擁について 【第53話】 (後編)

http://arima.livedoor.biz/archives/50442274.htmlより続く・・・

●エジプトでは?

基本は同性同士だが、まあそれなりに欧米化した人たちは男女でもやっている。
でも、トルコの都市部のように「アタリマエ」な習慣ではない。

彼の地にきて、日本人が一番驚く光景が、多分この「挨拶風景」だと思う。
なにしろ、髭面のむくつけき男同士が、しっかと手を握り合い、抱擁をしあい、
頬をズリズリすり合わせているのだ。

面白いことに「同性同士のスキンシップ」は特殊なことでもなんでもないので、
仲良く手をつないで歩いている姿もよく見かける。
女性同士だと「ふぅん、仲良しなのね」程度のイメージだが、
男同士のこういう姿を見慣れないと、この国はホモセクシュアルが多いのか?
と思いたくなる。

私がはじめてこういう光景を見たのは、18歳の時短期留学したドイツだった。
リビアの留学生らが、常にみんなして連なってつながって、手をつないで
歩き回っているのを見て、やっぱり「ゲイなんだ」と思い込んでいた。

でも、一ヶ月もすると「ヨーロッパ的悪しき習慣」に馴染むらしくて、
嬉しそうにディスコで女の子とチークを踊っていたりする。
いかにも慣れない感じだが、どうもいわゆるホモセクシュアルではないらしい、
と漠然と思ったのを覚えている。


●ついでに、同性愛について

この辺は非常にデリケートでややこしい話なのだが、はっきりいえば、
表で堂々とスキンシップしている人たちは「ただのお友達」だ。
ゲイではない。

イスラームでは、同性愛は御法度だ。
国によっては死罪、というケースもある。
性交渉はあくまで子孫繁栄のためのものなので、そうでないものはダメ!と
わかりやすい線引きがある。

そのわりに、伝統的に「お稚児さん趣味」という風俗はあった。
以前にご紹介した中世の詩人アブー・ヌワースなどは、その典型である。
参照→ http://arima.livedoor.biz/archives/50066624.html

現代にいたり、トルコであれ、エジプトであれ、傍で様子を見ていると、
明らかに「その種の愛好者」が集まる場所があるらしい。

例えば、日本人の男の子と某ホテルのバーカウンターで飲んでいたら、
ねっとりと絡みつくような視線を感じて、背筋がザワっときたことがある。

別に自惚れるわけではないけど、東洋人の女性というのはよくそういう視線の
対象になるので「ウザイぞ!」と睨みを入れようとしたら、
その視線は私のほうを向いてしゃべっている男の子の「うなじ」に
べっとりと張り付いていたのである。
毛むくじゃらの、いかにも暑苦しい、脂ぎったオッサンだった。

「あのさぁ、場所変えようよ」
「ナンデ?」
「あとで説明する」

で、店を出てから彼に説明してあげたら、悶絶死しそうになっていた。
「あのカウンター、二度と行かん!!」と騒いでいたな。
あのオヤジの姿を見せずに店から連れ出したのは、私の「友情の証」なのに、
「言ってくれたらぶん殴ってやった!」とか怒るから困ったもんだ。

ともあれかくもあれ、男性同士の場合、状況は多分二つに分かれる。

ひとつは単なる「代償行為」。
男女関係の拘束が厳しいし、日本のように風俗産業がおおっぴらにある
わけでもないので、お友達とつい・・・というケースはあるらしい。

でも、この場合はあくまで「やっぱり異性がベター」ということで、
ひたすら押し隠し通すようだ。
根に「これは恥だ」という感覚はある、という。
自分で聞いた話ではないのだが、エジプトの状況を見ていると、
そうかもしれない、と思う。

もうひとつは、いわゆるホモセクシュアル。
これは本当に、お付き合いの実態を目撃してしまったから言えるのだが、
実はカイロに「ゲイのヨーロッパ人」が結構流れ込んでいるのだ。
これはモロッコあたりも多いと聞く。
多分イスタンブルにも、結構きているだろう。

昨今はずいぶん状況も変わってきているが、やはりヨーロッパの自国では
公にできない、又はしたくない人たちがカイロあたりに住み着いている例は
結構見かけた。
中東各地に、そういうゲイコミュニティーはあるらしい。

カイロにいった当初、英語学校もかねているところでアラビア語を
習いにいった。
クラスメートに、そこで英語の先生をやっているイギリス人の男の子がいて、
仲良くするようになったのだけれど、ある日彼が目をテンテン状態にして
「大変なところにきちまった・・・!」と嘆いたものだ。

「ここの英語の教師(全員イギリス人)、10人の内9人までゲイなんだ!」

相手は同国人であったり、エジプト人であったり、ケースはいろいろだが
ひっそりとそういうコミュニティーが存在しているのを、それで知った。


●しかし・・・?!

ところが、昨今の「鳥インフルエンザ」の大流行で、アメリカあたりを中心に
この「キスしてハグ」という挨拶を嫌がる傾向が出てきたというから驚いた。

詳しくは以下の記事をご参照のほど。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1867790/detail

これは中東の話ではないが、そうなってくると世界的に諸々のマナーが
変わるなあ、と考え込んでしまった。

どっちにせよ、これが中東に入り込んで浸透することはなさそうな気が
するのではあるけれど。  
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2006年04月20日

キスと抱擁について 【第53話】 (前編)

●挨拶のいろいろ

日本人は、挨拶というと反射的になんとなくお辞儀をする。
よーよー、と手を振ったりすることもあるが、
まあ「とりあえずお辞儀」がスタンダードだろう。

これは、実は日本人以外からすると、かなり奇妙な光景らしい。

胸を張って相手の目を見て、がっちり握手
・・・というところからビジネスが始まる欧米系の連中なんかからすれば、
目線を合わせず頭をひょこひょこ上下させる姿は滑稽らしく、
日本人を馬鹿にする小ネタによく使われている。

実際「礼」にも型があって、あの「ひょこひょこ型」は正しいお辞儀じゃない、
と思うけど、私もついやるから人のことは言えない。
でも、カイロやイスタンブルのホテル時代、VIPのお客様をお見送りする際は、
正面玄関前で深々とお辞儀をすることにしていた。
「これが日本の『礼』なのである」という、自分なりの自己主張だったけれど、
今となってはカワイイもんだね、と笑いが漏れる。
若かったなあ。

さて、ところ変わって欧米に行くと、親しい仲間で女性同士や男女の場合、
頬を軽くつけて、チュと音をさせ、軽く抱擁する、という習慣がある。

ご存知ではあろうが、あれは、音だけだ。
唇ベットリつけたりすると、ちょっと薄気味悪い。

キスについては男同士でやってるのはあまりみたことないが、
親しい同士だと代わりにがっしりと抱き合ったりしている。
いわゆる「ベアハグ」というやつ。
女性同士、又は男女でも、社交とはいえ親しければ抱擁の強弱に違いはある。

この辺、日本人的には実に照れくさいのだが、慣れれば悪くないものだ。
なんとなく、距離をおいた「お辞儀」より、親愛の情が増す感じがする。
ただ、日本人で海外駐在のオッサンなど、相変わらずあれを「挨拶」じゃなくて
「接吻」という刷り込みが消えない人もいて、こういう人がやると
なんかさりげなさがない。

XXさんて、結局典型的な日本のオヤジだったのね・・・と、失望したこと数知れず。
あれは「挨拶」です!

3歳の子供からお婆さんまでに適応されるもので「若い女の子」とだけする
ものではないんです。
「キスしてもらっちゃった〜」とか、あからさまに喜ぶ姿は、
可愛いといえば可愛いけど、ちょっと悲しくもある。
気をつけてくださいね。
思うんなら、心の中に収めてください。お願いです。
そういう気持ちの場合、挨拶でなくセクハラになります・・・。

なんだか男同士でブッチュと接吻する「挨拶」も所によりあり、ときいた。
相手が女性だろうが男性だろうが、こういうのだけはパスだなぁ、と思う私は
やっぱり日本人だとおもう。

イヤだ、そんなのは!


●中東の場合

さて、ところ変わって中東。
やはり「キスと抱擁」は親しい仲間同士の挨拶では基本となる。

ただし、男女ということになると、これは国によって違う。
トルコの特に都市部では、男女でも欧米型。
ただ、違うのは「男同士」でも普通の挨拶、というところだろう。

日本の男性諸氏が一番気分的になじめないのは、
この「男同士の挨拶」らしい。
まあ、いやだろうよなあ、と同情する。
あのヒゲのびっしり生えた脂っこい頬と自分の頬が触れるのは、
親しくても抵抗があるだろう。
ワタシは女性でよかったです・・・。

まあ、無理してやることもないので、握手だけしてうまくかわす、
という手もあり。
郷にいれば、と頑張るか、うまくかわす技を編み出すかは、ご本人しだい。

イスラームでは、本来は肉親や夫婦でない男女が肌を触れ合うのは御法度。
握手すらだめ、なんである。
だから本当のところよろしくないのだけれど、トルコではなんとなく
男性同士、女性同士に加えて、男女でも割と普通にそういう「挨拶」をする。

ただし、男女の場合は、相手を見ることは大事だ。
トルコでも、敬虔なイスラム教徒は「女性同士」「男性同士」そして「親族」
に限られる。

(つづく)


  
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2006年04月15日

カイロ医療事情 〜鼻血ブー事件〜 【第52話】 後編

(続き)http://arima.livedoor.biz/archives/50433693.htmlより

●鼻血ブー事件

で、私的体験記をひとつ。

鼻血ブー事件が、あるとき勃発した。
ふざけているようだが、あの時は相当深刻だった。

ある日あるとき鼻をかんだら、鼻血が出てきて止まらなくなったのだ。

とりあえずティッシュ(なぜか『ネスカフェ』同様に商標名の『クリネックス』
で定着している)を一箱抱えて、上を向いてじっとしていたが、怖くなるほど
出血が止まらない。

しかし急ぎの見積もりもあったりして「帰りなよ」と周りで騒ぐ同僚を無視し、
鼻にクリネックスの束を押し付けては取り替え、を繰り返して、
とにかく急ぎの仕事だけは片付けた。
上を向いたまま、下に目線だけ落としてPCを操るのは結構苦労だ。
ブラインドタッチなどという洒落た真似ができないので、本人死に物狂いながら
その姿は周囲の笑いを誘う。

終わるころには、何とか出血も収まった。
ちょっとふらふらしたが、とりあえず勤務先と提携している大病院に出かけた。

行ったら、もうすでに待合室は座るところもないありさまである。
仕方ないから、若い男の子の前で貧血で倒れそうになる演技をして、
座席を確保する。
実際、三分当てたティッシュの束、絞れば鮮血が滴りそうなくらいの状態が
数時間続いたのだから(注:話がかなり大きくなっている怖れがあります)、
あながち演技でもなかったのだ。

で、散々待たされた。
確か五時から診療開始で(エジプトの病院は午前中の部と夜の部に分かれて
いることが多い)、五時過ぎには待合室にいたが、やっと病院を出たのが
九時近かったのを覚えている。

で、医者曰く
「ん〜、鼻の中が炎症起こしてるな。薬だしとくから、アレ塗ってコレ飲め」

物理的に血の気を失っていなければ、グーをぶん回したいような見立てだが、
何もいえずに病院の薬局へ・・・と、
「そんな薬ないから、あっちの薬局で買え」ときた。

モーローと歩いて、行き当たった薬局で処方箋を出す。
すると、処置したばかりのはずなのに、また「ブー」が始まるではないか!

「ヤブめ・・・!」という怒りをこらえて(血の気が上がるといけないので)、
取り急ぎ、薬に先駆けてティッシュを二つ買う。

その日は、家に帰って、処方された薬飲んで寝た。


●重要会食で苦しむ

翌日は休みたかったが、夜までびっしりスケジュールが詰まっている。
(↑今の私には、別の人の話のように聞こえる)。

特に夜が重要で、日系企業の総支配人クラスが30名ばかり集まる夕食会。
しかも、私は諸般の事情でゲスト扱いになっていたのだ。
欠席など考えられない。
それなのに、出社したらまた鼻血ブーである。

どうも「酒、タバコ、そしてメシ」がどうもよくないらしい。
タバコはこらえ(数年前やめたが、そのころは煙突状態だった)、食事も控え、
ヤブ処方の薬を願かけて飲み下し、夕食のレストランに向かう。

自分のホテルならば、事情を話してうまくやってもらう手もありだが、
その晩は「韓国料理屋」でしかも「焼肉」ときた。

そのころの私と夫は、当地の狭い日本人村において
「圧倒的割り勘勝ちスーパーカップル」
という名誉ある称号(?)をいただいていた。
ナンボ「あ、じゃあビールを少しいただきまぁす」なんてカワイぶっても、
皆さんの各家庭であれだけ暴れているのだから
「具合でも悪いの?」と言われるのがオチだ。

よく知っている人なら「今日はなんだか鼻血ブーなんですよ〜」
と笑ってごまかせようが、困ったことに与えられた席は新任で着任した、
えらい人ばかり。
どうぞ今後も是非ご贔屓に・・・という、営業活動ができるように、と、
幹事のエライ人が気を利かせてくれていたのだった。
本来なら、まことに粋な計らいなのだが、この日は辛かった。

一生懸命焼肉のお取り分けに励み、ビールは極力飲まず、辛いものは避け・・・
と涙ぐましい努力をしてると、優しい皆さんは
「遠慮しないで、さあ!」
「あなたさっきから食べていないじゃないの」
「ほらほら、これからいろいろお世話になるんですから、一杯ぐっと」
などと仰ってくださる。

ひたすら遠慮していると
「オマエ、みんなにもう正体ばれとんのやで。素直に飲んで食いや!」
などと、回ってきた「古参」で「幹事」で「大阪人」のオッサンが
ガシガシと肩をゆする(ゆすらないでぇ〜〜〜)。

かくして何とかかんとか「ブー」を抑えこんで会食終了。
普通なら、どっかで二次会のパターンにコバンザメのようについていって
「大営業活動(カラオケ大会)」を展開するのだが、もう限界だ。
ブーは秒読み段階である。

そういうわけで、失礼にならないぎりぎりまでこらえて
「本日はお招きありがとうございました、ではこれで・・・」と、ひっそり場を
脱出しようとすると・・・嗚呼、日本人会会長でもある大クライアントが、
目の前に立っているではないか。

「いやいや、先日はどうもありがとう。助かりました。また今度ですね、
XXXXの仕事をね・・・」と、平常時なら食らいついて離さないようなオイシイ話
が始まる・・・が、鼻血ブーは決壊直前、あ、キタ、キタ、キタァァーーーー!

鼻をすすり上げながら、顔は下に向けぬまま、お辞儀して笑顔、という、
変な動作を繰り返す。

「あ、申し訳ありません。私、これからちょっとホテルに戻らないと・・・」
今のお話は、また改めてゆっくりうかがわせてくださいませネ、とかなんとか。
うそつき!!

「あ、お送りしますよ」と唱和する声(皆さん、運転手つきベンツ)は
聞こえなかったフリをして、脱兎のごとくタクシーに飛び乗り、
ティッシュの束を鼻に押し付けた。

家に着くまでの十分ほどの間に、ポケットティッシュが二つ消えてなくなる。
スーツに血が付いたりするとえらいことなので、ハンカチに押し込み包む。
なんかちょっと「お土産もって帰る、オトーサン」の風情。
今思えば、ということだけれど。


●個人のクリニックを探す

結論として、このまま放っておいてもだめだ!
とういうわけで、リビングのソファーに横たわったまま、ちょうど帰ってきた
夫に状況を話す。

相変わらずティッシュ絞れるくらいの鮮血量。
たまげた彼は、知り合いに電話をして
「誰か耳鼻科のいいドクターを知らないかぁぁーーー」とたずねるのだった。

幸い「かなり年だけど、腕はカイロで一番よ」と、知り合いの某ドクターが
一人紹介してくれた。

「連絡先とかはわからないけど、ドコソコの目立つ通り沿いにあるから、
すぐわかるよ」

翌日、早速向かった。
しかし、なんぼその通りを往復しても、それらしいクリニックは見当たらない。

と、瞬間「む?!」と思った。

「あぇら〜!」(あれだ!)
「でも、看板ないよ」
「『ムシュタシュファ(病院)』って、書いてあるよ〜!」

ああ、アラビア文字なんかちょびっと読めたからって、なんの役に立つんやら、
と思っていたら、立派に役に立つもんだ。

しかし・・・さすが英語の看板を出してないだけあって、中は「ややや?!」と
思うほどボロい。
でも、とりあえず先生はすぐ診てくれた。待ってる患者、ゼロだったし。
しかも、マイルドに言えば「相当なご年配」だ。

「あー、鼻のちょっと大きな血管がブッチリ切れちゃったんだね。
この頃すごく乾燥してるし、最近風邪をひいたでしょう?
思いっきり鼻かんでると、そういうことが時々起きるの、カイロでは」

「ホェイ」(Yes)
「まあ、とりあえず、切れた血管、焼ききっちゃおう」
「ホァッ?!」(What?)
「こういうのでね、チュッと焼いちゃうんだ」

と、ドクター、単なるミニハンダ鏝のようなのを、見せてくれる。
相当に年季の入った「お道具」だ。

「ンフアァァ!」(意味なし)

横で立ち会った夫によると、鼻の穴からスゥッと煙が一筋出てきて、
結構面白かったとやら。

「麻酔が切れたら痛むから、痛み止め。あと、抗生剤出しておく。
明後日、一応見せにきて。もう大丈夫だよ」

で、確かに鼻は翌日くらいジンジン痛んだけど、きれいさっぱり治った。
いったいぜんたい、カイロでも一流の評価高いあの大病院の三時間待ちは
なんだったんだ!!!

もうひとつ付け加えると、カイロの産科は結構よいらしい。
日本のように待たされることもないし、丁寧に診てくれるから日本よりいいよ
と、とある友人が言っていた。

エジプトの場合、妊婦は「宝物」なので、周りで寄ってたかって甘やかして
くれるのに、日本に帰ったら周囲が冷たくてさびしい思いをした、という
人もいた。

そんなわけで、個人レベルではそう悪くないと思うが、カイロの場合は
大病院が問題だ、とおもう。

だから、長期滞在をする場合は、必ずきちんと行き届いた医療保険に加入して
おくことをお勧めする。
いざとなったら、保険で海外まで移送してくれるようなものまである。
こういうのは高いのですけれどね。
  
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2006年04月14日

カイロ医療事情 〜鼻血ブー事件〜 【第52話】 前編

●医療事情はどうなっているのか?

以前から繰り返しているが、カイロというのは案外暮らしやすい街だ。
治安はよいし、人はかなりスローだが、性格は「必ずしも」悪くないし、
物価も安い。
食材も、魚のいいものが手に入りにくいのがちょっとつらいが、野菜、肉など、
基本的なものは安くて、下手をすると日本より豊富にある。

そう、日本帰国以来しばらく、仔牛肉とラムが身のまわりから消えたのが
信じられなかった。
当たり前にあると思っていたのに、日本ではあまり売っていなかったのだ。

最近はBSEの恩恵(?)で、羊肉はかなり出回るようになったが、
仔牛肉は相変わらずの状態。こちらはBSEでもっと状況が悪くなった。
ひとつ得ればひとつ失う。
世の中や人生というものは、そういう風にできている。

おっと、食肉事情でなくて、医療事情の話だった。

そういうわけで、カイロの住み心地は決して悪くないのだが、
一つだけどうしても不安な部分があった。
それが、医療事情だ。


●設備の悪さ、技術のなさ・・・

実はJICAなどがかなり前向きに技術供与して、協力している。
日本政府の援助で立派な小児病院なども建てられている。

だから、大きな病院にそれなりの設備、というものはあるらしい。
でも、ハード部分はともあれ、ソフトの部分はまだまだ、というのが実感だ。
おそらく今もそう変わっていないようだと、いろいろな人の書いているものを
読むと感じる。

確かに優秀な腕のいいドクターはいるが、大概が個人のクリニックで
特定少数の金持ち又は在留外国人を相手にしているので、探す場合は
ありとあらゆるコネを駆使して、情報収集となる。

こういう場合、日本人であれエジプト人であれ、非常に親切だから、
一応それなりのところは見つかる。
日本大使館には医務官の先生がいらして、診療ということではないが
医療相談も受け付けているし、病院などのリストも一応ある。
私は個人的にずいぶんお世話になったものだ。
なにしろ、勤務先から徒歩五分に大使館があったのだ・・・。

だから、大事でなければ何とかなる。

でも、個人のクリニックで手におえないほどの大きな怪我や病気をしたら・・・
と、それだけは常に不安だったのが正直なところだ。

なにしろカイロの場合、個人のクリニックはともかく、大きな病院が
まるで当てにならない。
衛生管理などもいいかげんだし、看護師という職業自体が社会的に高く認知
されていないので、スタッフもよく訓練されているとは言いがたい。
病院で大切なのは、医師はもちろんだが、サポートするスタッフの質が病院の
クオリティーを決めるといってよい、と思っている。
だからカイロの医療事情は、そういう意味では「まだまだ」である。

そして、医者はといえば、昔の日本の大学病院の「待ち三時間、診療三分」が
そのまま悪い形で残っているようなもので、何度か行ってみたが結局個人の
クリニックをあたることにした。

余談だが、最初にホームドクター的な個人のクリニックにいって、そこから
紹介されてはじめて大きな病院にいく、という形は、ヨーロッパあたりでは
当たり前のことらしい。

ドイツ人の友人がしばらく東京の実家に居候していたことがあった。
その時に私は『腎盂炎』なるものを起こして、這うようにして近所の大病院に
出かけたのだが、その時に付き添いで一緒にきてもらったことがある。

彼は大きな病院にまっしぐらに向かいながら、うんうん唸っている私を見て、
恐ろしく不安だった、と後で言っていた。

「ドイツでは、大きな病院に運ばれるっていったら、大変な状態だからね」

日本では、最近何かというと大きな病院に駆け込むけれど、考えてみれば
昔は必ずホームドクターのようなクリニックがあって、そこで手におえないと
判断された時に初めて大病院行きだったような記憶はある。

いつからその流れが変わったのだろうなあ、と不思議だ。

そんなわけで、カイロでも個人のクリニックは各人の生活レベルに合わせて、
多種多様そろってはいるのだ。

いいお医者さんは、たいていアメリカやイギリスなどの大学できちんと
医師免許までとってきたような人で、下手な日本のドクターよりも余程優秀に
思える人も少なくない。
また、エジプトの大学は基本的に授業が英語なので、英語は問題なく通じる。

(続く)
  
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2006年04月06日

-番外編- 靖国神社で桜吹雪に酔う 【第51話】 

●単なる花見の話

今回はもともと「お休み」の予定だったので、とある靖国神社での一日を
気が向いたから書いてしまっても、まあいいかなあ・・・と考えた。

靖国神社、などと書くと、そもそも配信元が『軍事情報』であるからして、
アリーマの深遠な日本国家観などが、ついに語られるか・・・

などと期待する読者は、一年も経ったからさすがに居られぬであろう。
ただ「不敬である」というお怒りだけは、許してくださいごめんなさい、
と最初に申し上げておきます。

単に靖国神社でお花見してきた、と、それだけの話なのであります。

「こんなものを読んだら腹が立ちそうだ」といやな予感がする読者の方は、
今回は休載だったんだ、と思ってくださいまし。


●実は大穴場の靖国神社

企画するのは、エジプト時代のお友達で「桜男&晴れ男」ゆえ、
今年も去年同様最高のお花見となった。
メンバーは先日の「シャブ仲間」(以下記事参照 http://arima.livedoor.biz/archives/50384593.html )。

060403千鳥淵へ向かう行列しかし、毎度ながら思わずひるむのは、千鳥ヶ淵の人の群れ。
ほとんど朝のラッシュ時のホームのごとく、
桜並木の下で人間の大群がブラウン運動を行っている。
ま、これはこれでちょっとした景観ともいえるけれど、見ていると辛い。


060403靖国神社に向かう人の群れ人ごみが苦手な私はつい尻込みするのだが(去年はすっぽかして帰りかけた)
忍耐強く靖国神社まで辿り着きさえすれば、お花見天国が待っている。


060403夜10時まで営業・・・参道あたりは確かに込み合っているけど、並び立つ屋台群の裏には、
椅子とテーブルなどをしつらえた場所があり、実にあっさりと座れるのだ。

高校時代に陸上部中距離で、アホのような猛練習を積んだ結果、私は右の腰と左の膝をひどく痛めている(1500mは4分33秒チョイでした。自慢!)。


060403予約可の特等席だから冷たい地面のビニールシート上で、長々過ごすのはちょっと辛いのだ。
その点、ここは普通に座れるからワンダフルなんである。
そもそも、今回の面子の4名中3名までは元体育会系で、しかも全員が中年ゆえ
皆似たような悩みを抱えているわけだし。


こういうテーブルなどがスタンバイしているところは、テキヤさんが自分の
「ショバ」として仕切っていて、お酒や肴などはそこの屋台から買うのが
原則だが、ないものは適当に他所で買って持ち込んでよい。

ゴミは回収してくれ、ビールの空き缶、ワンカップの空き瓶などは、
渡すと走って捨てにいってくれる。

060403桜天井かくして、見事な桜天井を振り仰ぎ、
舞い散り踊る桜吹雪に身も心も委ねる体制が簡単に整う。
あとは飲むだけ。


「四月は花見で酒がのめるぞ〜〜!」

と、四人でひたすら花を愛でてどうでもいいような話をしながら、
ヤキソバ、お好み焼き、たこ焼き、中国焼餅、大阪焼き(*注)…と、
おそろしく炭水化物ジャンキーな状態で盛り上がる。

(*エンリケ殿下のお問い合わせによると、大阪にはないそうな。
お好み焼きのタネと中身を直径10センチくらいの方に流し込んで焼いた
のだけど・・・おいしくなかったです)。

もちろん、煮込み、焼き鳥、おでんといったアイテムも欠かせない。
しかも、面白いことに靖国神社の屋台は大半が「全品500円均一」状態。
缶ビールもカップ酒も缶チューハイも、ほとんど何でも500円。

わかりやすいし、とっても楽しい。
ルンルンと500円握ってタコ焼きを買いに走る。

しかも、さすがは靖国であって、最近社会問題化している
アホーな若い連中が、意味不明に暴れまくることもない。
カラオケを握り締めて吼えたける、迷惑な騒音集団もない。

●靖国神社、屋台関係調査レポート

060403ドネルケバブの屋台さて、今年は二回目で、かなり周囲を見渡す余裕もできた。
ここに立ち並ぶ屋台、実は案外ハイレベルで、しかも国際色地方色豊かだ。


海外からは韓国のチヂミ、中国の焼餅、クレープ、などなど。
国内的には、信州のお焼きに、秋田きりたんぽ、沖縄、九州etc.

060403ドネルケバブでも、トルコのドネルケバブにはたまげた。

ドネルの屋台のおじさん焼いているのは、去年は明らかにトルコ系のオジサンだったが、
今年は一見「ん?」と思うが、日本の人だった。

「いやぁ、ドネルケバブなんて屋台に並ぶようになったんですねえ」
となんとなく話し掛けたら、
「うん。最近は青山とか六本木とかでもよくあるから、珍しくなくなったがねえ」との由。

え、ひょっとして「靖国が先」だったんですか・・・と、ちょっと驚く。


060403結局変なドネルケバブ見たところは、しっかりとトルコのドネルだが、実物はちょっとイメージが
違った・・・まあいいか。


060403タイ料理の屋台ついでに、今年はタイ料理も出ていた。
ふらふら人ごみにまぎれていると、レゲエな姿の黒人のお姉さんが
携帯に向かって
「ちょっとぉ、もぉすんごいクールなキャッスルにきてんのよ今!
なんだかわかんないけど、もぉ、人がいっぱいですごいの!
もぉ、グレイトでファンタァスティック!」
とか興奮気味に話しているかと思えば、
なぜかは知らんが30人ほどのインド人グループが、ザクザクと通り過ぎて行く。

不思議にグローバルな靖国神社。

さて、そんなようにしてあっちこっち覗いて回った結果、
一つわかったことがある。

「ショバのない屋台のほうが、内容がよい。
同じ500円のお好み焼きでも、全然レベル内容が違う」

厳しいリサーチの成果である。
参考に・・・なりますか・・・?

●大仁田厚の『奉納プロレス』

060403大仁田厚奉納プロレスそう、このような「国会議員活動」を行っている人もいた。


元レスリング部と、東スポ中毒が各一名いて、とても行きたそうだったが、
なんとなく飲んでるうちに終わってしまった。

060403レスラー
060403ポーズをとるレスラーオット(東スポ中毒)が興奮気味に「上半身裸のレスラーの群れがいるぞ!」
とか言ってるので、いいかげんに聞き流していたら、Tシャツ着てたけど、
ちゃんと客寄せに歩き回ってました。
携帯カメラ向けたら、のどか気味だった表情を一変させて
「ウォーッ!ガァー!!」とかパフォーマンスまで入れてくれた。
行けばよかったかなあ。


060403奉納プロレスの呼び込みでも、なんとなくマネージャー風のオニイサンは、なぜかスーツ着用で、
ちょっとかわいそうな雰囲気。
なんだか微妙な悲壮感を漂わせて
「小学校二年生以下は無料となっておりまぁ〜す!!」
なんてメガホンで叫んでいる。
ひょっとしてあの人は、議員秘書の方だったりするのか・・・?


(こちらの記事もどうぞ
 http://arima.livedoor.biz/archives/50420468.html )

●桜雑感

060403桜と赤目垣
10年余りの海外生活で、四月に帰国できたことは一度もなかったので、
いつもこの時期になると「ああ、今ごろは」と、少し感傷的になっていたのを
思い出す。

060403イカゲソ、サクラトッピング花としては、私は梅のほうが好きなのだけれど、見事な桜天井を見上げながら
ワンカップにイカゲソを齧っていたりすると、この昂揚感は他の花にはない
と痛感する。
ゲソのトッピングは桜の花びらだ。
ワンカップにもひとひらの桜。


060403桜サクラ
梅は一輪、桜は並木・・・などと、ふとつぶやいてみる。


日本人に生まれてよかった!と、喜び合いながら、帰り道はカラオケ突入。
森山直太郎の『さくら』を、昂揚感に駆られて二回も熱唱した次第である。


追伸:

第50号記念プレゼントについての詳細は、次号に発表いたします。
しばしお待ちを。

あと、私の「手術」は、ほんとにただの「背中のオデキとり」です。
心配おかけしまして、すみません。

そうそう、応募者の方で「粉瘤だったら、結構痛いですよ」とアドバイス
くださった方・・ありがとうございます、まさにその「粉瘤」というやつです。
痛いんですか・・・しくしく。  
Posted by arimaburabura at 20:47Comments(0)TrackBack(2) | Amazon.co.jp | 楽天市場 | ブログ

2006年04月05日

春にして君を離れ 〜アガサ・クリスティーと中東〜 【第50話】 (その4)

前回からの続き)

●驚き、でしかない

実はあまりにストーリーが滑らかなので、読者は当たり前のように陸の孤島に
連れ去られてしまうのだが、初めて読んでから20余年後、ふと考え直して

「は?!」

と驚きあきれたのである。

陸の孤島のようなレストハウスに、サーバントとボーイなど、現地の男しか
おらず数泊。車の乗客も彼女一人であったりする。

そもそも、こういう単独の旅行などを、当時の良家の奥様が結構当たり前に
やっているというのが面白い。

こんなルート、最近では、リュック背負った元気のいい旅行者でも、
多少の危険は覚悟の上で、のほほんとはしていないのに、
ジョーンの様子は「東京から熊本に出る」くらいだ。

それだけに、当時の英国の現地での強大さが強烈に感じられる。
彼らは、いまや戦乱の中にあるあの土地を、当たり前のように旅していたのだ。
男だけでない。いわゆる「婦女子」も。

確かに、本来住んでいる人間は善良ではあって、治安的な不安はないにせよ、
当時の英国人というのは「自分の国の延長」という感覚で
中東あたりを旅していたらしい。

最後のほうで、ジョーンは「あら、私のドイツの友人たちは、ヒットラーのこと
など何も悪く言っておりませんでしたけれど」なんて言っている。
そんな時代の話だ。

古きよき英国、というのは、こういうものだったのか・・・とつい考え込んで
地図など開いてしばらくの間、ぐうの音も出なかった。

オチはつかなかったが、あとは何を思うも読者の皆様の想像にゆだねよう。

そして、そんなとんでもない行程を当たり前にたどる途中、砂漠のど真ん中で
足止めを食う主人公。
やることも行くところも無いところで、内省と自省のモノローグを繰り返し、
また繰り返しながら、次第に彼女の人生の「ミステリー」が浮かび上がる。

どんな事件よりも、人生が最大の謎だと、ミステリーの女王は知っている。
是非とも一読をお勧めする一冊なのである。  
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