2007年12月30日

旅支度について、そして旅行の準備について(どうでもよい長い雑文)

先の記事で今年はオワリとしたつもりだが、なんとなく旅行気分が盛り上がっているなか「いったい旅行の準備は大丈夫ですか?」と心配してくださる方が現れた。

彼女はこのクリスマスに「酒にあうケーキを!」という私の勝手な要望に見事こたえてくださった、いわば恩人である。

だから彼女のために、と言うと相当恩着せがましいが、まあなんとなく私と夫の旅支度の話でもして、今年最後の記事にしようかと思う。

長い話が始まる前に一応申し上げておくならば、彼女が個人的に各種相談に応じてくれる「キッチン山田」のスイーツはスバラシイ。
ケーキやお菓子のご用命は、是非どうぞ。

さて私の旅支度の話。
一応どうも英語ではラチあかんような気がする国に行くときは、
現地語を一日中聞いて耳だけ慣らすことを二週間ばかりする。
旅行会話の超基本形だけを繰り返すテープを買ってきて、ベッドの中でラジカセのスイッチを押し、歯を磨きながら、シャワーを浴びながら、ご飯食べながら、A点からB点に移動しながら・・・と、テープが伸びきるまで聞き続ける。
一生懸命勉強しなくていい。
とりあえず聞き流しておいて、気になったところは暇なときにテキストを眺めたりすればよいのである。

もちろん流暢な会話など望めないのだが、少なくとも駅や空港の構内放送は聞こえるようになるし、自分の要求を口に出した結果、相手の返事する内容に対して、ワカランまでも「わからないからわかりやすくいってくれ」と頼んで同情を買うくらいにはなる。
その程度のナントカなり方、ではあるが、まあやらないよりはマシだ。
たぶんそうなのだ、と信じたい。
低レベルだと笑うならば笑ってクレ・・・。

尚、そういうことをしていた時代からすると、いまはiPodとかいうものができて情勢が変わったらしいが、私と夫がそういう旅行をしていたころは、まだまだ「ラジカセ」が健在だったのだ。

ちなみに夫は「財務・経理・内務担当班」なので「語学・手配・渉外担当班」の行動にはタッチしないことになっている、と抜かす・・・むっとくる、が、この辺のパワーバランスは日本の省庁と大差はなく、結局英語以外の各国語は私に振られておしまいなのである。

でも、今回は香港・マカオだ。
「甘いっ!」といわれりゃあそれまでだが、とりあえずのサバイバルはイギリス旧植民地(マカオはポルトガルだが)だけに英語でなんとかなりそうだ。
私も夫も英語はどうにかなる。
別に自慢でもなんでもなく、各々のナリワイにかかわるものだからだ。

ちなみにさっきの話に戻すと、我が家でフル装備スタンバイしていたのは
「ベトナム語」の教材だった。

しかーーーし!
なんと残念なことに、思いついたのが12月はじめごろ。
ああでもないこうでもない、と言っているうちに、結局フライトもホテルも
「取れることは取れるが、超高額」という事態に陥っていたのだった。

特にホテルがどうにもならない。
高級ホテルにはこだわりません、と友人のトラベル・エージェントに言ったら
「ホーチミンのホテル状況は、昔のカイロのようなものだと思いなさい」と。
彼女はカイロ時代からの友人なのである。

そう、こういうときにトラベルエージェント経由で泣きついてくる個人観光客など、現地のソコソコ高級なホテルにすればネギを背負って鍋までぶらさげた鴨、なのであったよな、嗚呼。
これって「業」というものだろうか、嗚呼。
そして「こういう土地」の高級でないお手軽ホテルの場合は、自分の目で見て確認せずに泊まるなど暴挙だ。

ホーチミンに行ったことがないので、私の知っていた時代のカイロとどの程度違うのかわからないが、土地勘のない場所で家なき子になってウロウロするエネルギーを他に回したい場合、そういうことになる。

ああ、ご旅行は計画的に・・だねえ、と諦めた次第。

そこで次の候補に上がったのが、台湾、シンガポール、バンコク・・・といったところだが、香港、ときたところで「あああああああぁぁぁ、行きたぃぃぃぃ!!」となった。
香港と言えばマカオだからだ。
マカオと言えば最近読んでどっぷりとはまった、バリー・アイスラーのジョン・レインシリーズに出ていたではないかいな。

(ちなみにジョン・レインとは、日米ハーフでベトナム帰りの、主にCIAをクライアントとする殺し屋。設定だけ聞くとアホらしくてたまらないが、読めば必ずはまる。A.J.クィネルにはまった経験のあるヒトは必読ですぜ。できれば、一冊目から。東京を舞台に日本の政治に暗躍する巨悪に立ち向かいます。あ、そりゃあアホ臭い、とかいわずに、まあ読んでみてください)

雨の罠 (ヴィレッジブックス)


しかもこの界隈ならば、二週間集中洗脳術のようなことをせんでも、どうにか英語でイケそうであろう。
「イケそう」というのは、即ち「ウマイモノの飲み食いに困らなさそう」ということなのだが。

ウマイモノというからには、やはりそれなりの準備を・・・と思えば、そういうことも特になく、「誰かなんかあったら教えてね」といって歩く程度だ。
最近信頼度急上昇の「地球の歩き方」だけ買ってはある。

さて、昨夜のこと。
夫、突然いわく
「旅行に持っていく本はもう用意できたの?」

私が夫の海外出張にあたって、妻らしく準備をするのは「本」なのだ。

「今回は本はいらないでしょ」
「いや、どうせキミのことだから、部屋で寝ながら本ばっかり読んでいるんじゃないかなあ、と・・・」

イヤミのつもりだったらしい。
だから、ちょいと極端ではあるが、我々夫婦の旅行形態を思い出させてあげるために、敢えて言ってみた。

「本ばっかり読んでグダグダ暇暇に寝てばっかりいたって、香港でもマカオでもお腹が空いて外に出れば、ホテルの向こう三軒両隣には香港やマカオの麺屋・飯屋・粥屋なんかがあるんだから環境は十分違うでしょ!」

香港・マカオはそういうところらしいと聞いて、そういうホテルを選定済みでもある。ホテル探しが面倒くさいので、日本から手配可能な安ホテルで手を打つあたり、よくも悪しくも年を喰った感じはするが。

尚、私は商用でない旅行の場合は、ホテルは清潔に寝られればどこでもいい。
ホテルライフにほとんど個人的関心のない元ホテルマンなのだ。
ついでに言えば、観光もどうだっていい。
観光や名所旧跡にほとんど個人的関心のない元観光ガイドで、元観光業関係者なのだ。嗚呼。

実はひっそりと情報は集めてあるし、なんかうまいもんを食べに行くもんね♪と、ルンルンしているのだが、その辺の計画に関しては「財務・経理・内務担当班」の関知する所ではない。
ふん。

高級店に行くつもりもないので、一週間くらいならば多少の着替えで済む。
まあ、確かにあとは本だけだな。
読んでなくて読みたい本なんぞ、部屋にナンボでも積み上げてあるから、別に悩むことではないのだが。
だがそれをあからさまに言うと「書籍代が家計にのしかかる云々かんぬん・・・」が始まるので、賢く口をつぐんでいる私なのではある。
夫の分は、ジョン・レインで十分であろう。

忘れてはならない重要事項としては「猫の預け先」だが、この数年毎年お世話になっているかかりつけの獣医さんにお願い済み。
ゴメンね、おまえたち。ヨイコにしていておくれ・・・。

あとは手近にあるカバンなどに、着替えと本などを適宜突っ込んで、パスポートと航空券などを確認すればよい(自分の荷物とパスポート以外は「財務・経理・内務担当班」の仕事ではある)。

と、いうことで、単に長い独り言でありんした。

行って参ります。
  
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フランス大統領の休暇、そしてご挨拶

フランスのサルコジ大統領が、冬休みで恋人とエジプトへ行った。
最初聞いたとき、てっきりムバラク大統領の別邸もある紅海のシャルム・エル・シェイクあたりかと思ったら、なんと「ルクソール」だと!

「KY」という流行語が脳裏に浮かんだ。
ワタクシ本人の本名の関係でちっとも嬉しくない言葉なのではあるが、コレはまさしくその類だろう。だって、リゾートならば警護に囲まれたプライベートな場所を確保して日光浴するくらい何のことはなくても、ルクソールではそういうわけに行かないからだ。
ルクソールまで出かければ、観光はするだろうからね。
この二人がVIP待遇でクスクス笑いながら王や貴族の墓の片隅を指差して笑っている間、世界各国から押し寄せた一般庶民は足止めを食って待ちぼうけなのだ。

確かに観光客大移動のトップピークはまだだとしても、ルクソール人口が膨れ上がる季節なのは間違いない。
迷惑を被った旅行者は少なくあるまいよ・・・ああ、なんと罪作りな!
あの国は、こういうVIPが遺跡に入ると、お見事なほどに一帯全てを貸切状態にしてしまうのだ。
まあ、フランス自国の観光客ならば、ルクソールにへたをすると5泊もして一日一箇所見学・・・なんという暢気なことをやっているから、自国民に影響はなかろう。
一番割りを食ったのは、日本と韓国だろうなあ。
何しろ半日狂えば全てがオシャカになるようなツアー行程が多い。
二時間ほど拠点になる一箇所をクローズされただけで、一生一度の観光スポットに辿り着けなくなるグループもある。

こういうマイペースさを「フランス人らしい」などといったら怒られてしまうのだろうか?
あのシケたルクソール空港も、サルコジ大統領のお出入りでダイヤが狂ったりしたのだろうか?

しかもホテルのベッド数は限られたところなのだ。
いったいどこに泊まったのか、ご存知の方がいたら教えてください。

サルコジ大統領の前任者とはスタイルの違うフットワークの軽さは、案外面白く見てはいるのだけれど、こういうのは単に「軽薄」というやつだよなあ、と思ってしまう。

その後カイロに移動して、公式訪問としたそうだ。
確かにフランスが権益を握ろうとしているエジプトの国家プロジェクトはけっこうありそうだから、いいパフォーマンスになったのかもしれないし、ビジネスマンとしては面白い動きだが、国家元首としてのノブレス・オブリージュはまったく意識していないようだ。下品だ、と思う。

まあ、エジプト政府としては、来年以降のフランス人観光客来訪数急上昇は間違いなし、と算盤弾いているのだろうがなあ・・・ちょっと割り切れない気持ち・・・!

さて、話変わって・・・

今年は記事がすっかり不定期になってしまった。
そんなに熱くなれないのなら、いっそ止めてしまいなさいよ・・・と思う自分はいるし、実際「こんなことなら潔く止めてしまえよ」と言った知人もいた。

しかし、なぜずるずるこのブログを継続しているかと言えば、いまのところ縁が薄くとも、またなにかのきっかけで何か氏らの縁ができる可能性もなくはあるまい、と思うからなのである。

そもそもブログという形式は、無理にクローズするよりはそのまま放っておくほうが簡単だし、過去ログが何かで誰かの役に立つこともある。
まあこのまま当分この調子で、気が向いたときに記事をあげるような形式でやって行こうと思う。

年末年始は香港・マカオ出かける予定。
なにか面白いものがあったら、またご報告します。

皆様、今年もお世話になりました。
心より御礼申し上げます。



  
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2007年09月28日

砂漠の国の英知と横浜ベイスターズ

ある週末、地元横浜ベイスターズの応援にでかけた。
もうそろそろ冷えるころかもしれない、と、ブランケット持参だったが、
かんかん照りになった。

ハマスタこと横浜スタジアムは、外気に当たりながら伸び伸び観戦できるので大好きだ。
私はベイスターズと言うよりも、正直なところハマスタのファンなのである。
もっと詳しく言うと、ハマスタで飲むビールが好きなのである。

カイロには、Cairo American Softball Leagueというアマチュアのリーグがあって、
オットも入っていた日本人チーム(その名も"Rising Sun"だ)の応援によく出かけた。
どうも米軍がらみで持ち込むらしくて、週末にバドワイザーを売っていることもあった。
自分で持ち込むこともあった。

晴れた週末、缶ビール片手に屋外で野球観戦。
見ている野球(又はソフトボール)がどんなものでも、これは楽しいのだった。

アメリカ人のチームにひとつだけ混じった、我らが「ライジング・サン」だって、
AからCまで3リーグある中、当時は一番強いAリーグの下位に引っかかるくらいには
強かったのだ。

そういうわけで(?)、横浜に移ってからも、たまに野球を観にいく。
チケットは新聞屋さんがたくさんくれる。
ビール代がかかるが、コソコソ持ち込むよりもスタンドで買って飲む缶ビールのほうが
何故か旨い。

しかし、この日はなんとも大変な暑さになった。
背番号18番三浦のTシャツに合わせて、ベイスターズの青い帽子は被っていたが、
日陰ひとつないスタンドはあまりに暑い!

yakyuu・・・と、いうわけで、急遽「濱」のタオルを購入。
そうそう、そういえば・・・と、
ちょいとアラブ風にしてみた。
単に怪しくみえるのだが、
こうして首の辺りに陰を作るだけで
びっくりするほど涼しい。
単なる不審者にしか見えないが、この写真は・・・。


どうでもいいけれど、砂漠の国ではみんなこんな格好のバリエーションだったなあ、と
不謹慎にも懐かしく思い出した。

ちなみに、こういう気候下では、半袖よりも風通しのよい長袖のほうが涼しい。
長時間外にいる場合は、体力も消耗しないから楽なのである。
ついでに言うと、短パンよりも風通しのよい、エジプトのガラベイヤのような
裾の長い寝巻きのような服が、何より快適だ。

まあ、野球観戦にガラベイヤは着ていけませんけれどね。

と、こうするうちに、もう秋になる。
野球にビールも、そろそろ「また来年」だ。  
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2007年09月21日

近況など

久しぶりの更新時に上げるべき話だとは思うのだが、近況など。

四月に新しい仕事に入った。
この数年間は自宅で地味に机に向かっていたのだが、外の空気を吸いたくなったのだ。
久しぶりの会社勤めが始まって、自分のボケっぷりを身に沁みて感じた。
もうこれは本当に、ありとあらゆる部分で。
私のようなぐうたらは、たまには世間の風にマトモに当たって性根を入れなおすが
よいのである。

さて、この仕事、家から通いやすいというだけの理由で安直に決めたものなのだが、
なんと取り扱い地域は「ロシア」だ。
まあなんとなく仕事内容は聞いていたのだが、実際に始まって「ありゃ」と焦る。
なにしろ、ロシアの地理すら頭に入っていない。

モスクワがあんなにヨーロッパに近いなんて初めて知った。
それまでモスクワは、ロシアの真ん中へんにあると思っていたのだ。
なるほど、後の女帝エカテリーナがロシアに輿入れするとき簡単に陸路で行けたわけだと
馬鹿みたいにいまさら納得したものだ。
別にウラル山脈をはるばる越えていったわけではないのだった。
まあ、嫁入り後にウラル山脈を裸足で超えるくらいの苦労はしたようだけれど、
嫁入りの段階では「まだまだこのくらい・・・」だったのである。
ふうん。

取扱商品は資源関係なのだが、実に素朴に
「石油って、砂漠から沸いて出るもんじゃないんですね」
と、感心した。
「何でこんなに水の多いところに石油があるんですか?」と、ホケラ顔で尋ねて、
「なにをいっとるんだコイツは・・・?」と、周囲の顰蹙を買った。
中東ボケはこんなところにもついて回るのである。

ロシアのシベリア辺りなど、地図を見ただけで「ミズミズしい」感じがする。
水資源も豊かな国らしい。
ふむ。へえ。

とりあえず押し寄せる仕事(一応本業どおり、英語の翻訳なのではあるが)を
とりあえずこなしているうち、とりあえず東シベリアからサハリンが生えている
珍妙なロシア地図が出来上がってしまったりした。
これを何とか修正するのに数ヶ月かかった。
生来方向音痴で、地図を読むのが苦手な私なのではある。
右も左も、どころか、地図の東西南北皆目見当もつかない。
嗚呼!と、強く激しいため息をつく日々だ。

そうこうして、仕事にも慣れずにバタバタしていた6月頃、母が逝った。
自分でも信じがたいほどにヘコんだ。
ひょんなきっかけで母を思い出して、ふいと涙ぐんだりしているのだ。
ほんとかよ、と、我ながら驚いたが、そういうことも起きるものである。

亡くなってみてはじめてわかったのだが、なんだか私は日常的に彼女のことを
何かしら考える習慣があったようなのだ。
まあ、たいていは食べ物がらみであって、
「ああ、この和菓子は美味しいから、今度持って行ってあげよう」だの
「この味噌、母の分も買っておくか」だの、
まあ食べ物が絡まなければ
「この猫の写真集(置物、小物など)は、もうひとつ母の分も・・・」だの
「ああ、こんな本が出ているなあ。買っておいてやろうか」だの
「おお、ジャイアンツがベイスターズにボロ負けだ。電話してからかってやるか」
(*母は熱狂的巨人ファンだった)だのという、実に単純な話だ。
実家が現在自宅のある横浜からは、かなり距離のあるところに引っ越したこともあって、
訪ねていくのは数ヶ月に一度で、普段ろくに電話をするわけでもない。
母と私がべったりと仲がよかったかといえばそういうことでもなく、
世間並みの母と娘にしては、かなりクールな関係だったといってもよい。

まったく、人の心の中になにが棲んでいるのかなんて、本当にわからないものだ。

しかし自由業をやめてしまっていたわけで、ヘコんでばかりもいられず仕事に出た。
正直言って、ベッドにもぐりこんで心ゆくまで団子虫になっていたい心境だったが、
そうも言っていられない世間のしがらみが、うっかり発生していたのである。
ブツクサと甘えた不満を垂れ流しながら、なんとか家を蹴飛ばすように出て、ぼんやりと
オフィスのデスクにしがみつき、ふらふら家に帰り着く、という日々が続いた。

ぶよぶよしたジェル状フィルターに全身覆われたような気分で、なんだかぐったりと
体調も悪い。
んあぁ〜、マッタク、なんだってこんなに体調までおかしくなるんだ?!と、
よくよく考えたら、ナンのことはナイ、天敵の「梅雨時」真っ只中だったのである。
周囲の母の逝去を知らない友人知人が「天敵の梅雨時だけど、どうしてる?」と
声をかけてくれて気がついた。
おかげさまで、梅雨明け宣言とともに体調は回復した。
体の不調は「母を喪った悲しみのあまり」という美しいことではなかったようだ。
単なる中東体質のなれの果て。
悲しいほど湿気に弱い体質は健在(?)である。
がるる。

このように、私事に加えて、ロシアという巨大な象を盲状態で撫でさすり探りまわって
いるうちに、いつの間にか自分の中で中東が「遠いところ」になっていた。

だから中東の話をやめてしまいましょう、というのも短絡な話だと思うし、
今の仕事だって永遠に続くわけではないので、またぶらぶらと適宜、思い出した頃に
更新しようかと思っている。

そうそう、ロシアからパイプラインでギリシャに送られた天然ガスが、海を越えて
エジプトに輸出される計画、なんていうものもあるようなのである。
「世界はひとつ」としみじみ思った。
そうか、どこかでやはりつながっていくものなのだなあ、と。

ロシアの話は、ついこの間まで東シベリアからサハリン生やしたイメージだった者が
語れることなどあるはずないのでやめておく。
こんな話を公開しといてなんですが、皆さんも聞かないでください。
わかりません。

私事で恐縮だが、だらだらぶらぶらと、以上が近況である。
仕事との兼ね合いで、ブログの更新に割ける時間も限られてしまい、今後も停滞しそうな
予測ではあるが、まあ気が向いたときに気が向いた話を、たまに書いてみようかな、
とも思う。インシャアッラー。

遠くなったとはいえ、このブログがワタシと中東をつなぐよすがでもある。
また思い出したように記事が上がったら、のぞいてやって下さい。  
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2007年05月12日

某社ガイドブックの思い出 其の一 〜祝!5万アクセス!!〜

おかげさまで5万アクセスを達成した。
せっかく再開したと思えば、諸々の事情でなかなかこちらの更新が出来なくなってしまったというのに、それでも覗きにきてくださる方がいる。
真に本当に、有難いことだと思う。

改めて御礼申し上げます。

このブログに関しては、あまり考え込まずに、ゆるりゆるりと更新していこうと思っているので、お見限りなくたまに覗いていただければ幸甚である。

5万アクセスを記念して、というほどの話でもないのだが、数日前にひょっこりと
とても懐かしい本が出てきた。

本もうシリーズ自体が無くなってしまったのだが、
一時期JTBの出版事業局が『フリーダム 自遊自在』という
『地球の歩き方』のような別シリーズを出していた。
このシリーズの『ギリシア・トルコ・エジプト』が
1992年に初めて刊行されたのだが、
この本のエジプト分は実は私が書いたのだった。

もう絶版だが、一応アマゾンで古書扱いで出てはいるらしい。

ギリシア・トルコ・エジプト自遊自在
(1,994年版)
ギリシア・トルコ・エジプト 自遊自在
(1997年版)

これも一度は改版がはいっているので、私の出したものよりはかなりマシになっているはずだが、どんな具合に変わったか興味もあって、恥ずかしながら買い求めてみた。
ただいま手元に着くのを待っている。
この辺のご報告は改めて。

この本の取材は1991年の6月に行った。
まったくもって馬鹿みたいだが、なんだかスケジュールの関係と行きがかりで、
よりによって一番熱暑激しい頃に、まるまる一ヶ月、炎天下の砂漠なんぞを駆け回って
いたのだ。
若いというのは素晴らしいことだなあ、と、最近中年らしくすっかり体力の落ちた
我が身のひ弱さをしみじみ思う。
それとともに、こういうことを見境なく敢行する馬鹿さ加減を、呆れつつ懐かしく思う。
体力の要る馬鹿なことは、そんなわけで若い頃にやりつくしたはずだが、何故か未だに
時々似たような状況に陥るのは、学習能力の無さ故であろうか。
ここまで凄まじいことは、どう頑張ってもやりこなせないので、あっちこっちで上手く
手を抜いたり、こっそり逃げて他所に押し付けたり、ということになるのだが、
これが「年の功」だとしたらちょっと情けないかもしれない。

エネルギーが無駄に有り余っているので、ちょっと考えれば楽が出来るところを、
遮二無二無理矢理遠回り敢行(気付かぬまま)、などということの繰り返しだ。
でも、この「無駄」の過程で見たこと聞いたこと感じたことが、実は強烈な印象とともに
記憶に焼きついていることが良くある。
ワカサはヴァカさ、とは思うものの、最近は強烈で鮮烈な感覚を覚えることが本当に減ってしまった。

ヴァカもそれなりに、いいところはあるのだろう。

この本は、勢いだけで取材して、勢いだけで書きなぐったものなので、94年版を出すに
あたっては、細かいフォローや追加取材をする羽目に落ちた人たちが、結構大変な思いを
したらしい。
実はこの仕事の焼き直しは、初めてエジプトに行くきっかけになった、昔の職場の
後輩に押し付けられたのだ。
その後輩が、私がその張本人と知らずに当時の諸々の面倒ごとの愚痴を語るのを、
背中にうっすら汗をかきながら聞いてあげたことがある。
何故か突然に気前よくビールなんかおごってしまう、私の挙動に不審を覚えられた結果、
事態が発覚してお互いかなり気まずい思いをしたものだった。

まあ、ひとりで突貫状態でやっつけたので、細かいところが相当荒っぽかったとは思う。
でも、均質性は無いながらも、改めて読むと結構面白い取材もやっているのだ。
手前味噌だが。

ついでにひっそり付け加えると、写真も自分で撮ったのである。
出版社の担当者に「写真もお願いします」と言われて、

「カメラ、持ってないですが」

と明るく答えたものだった(・・・嗚呼!)。
呆れて絶句しながら、担当者は「これ、あげます」と、当時でも旧式なバカチョンを
一台どこかから引っ張り出してきて支給してくれたものだ。

ところで、この本の仕事を回してくれたのは、他ならぬ「金子貴一」だった。

JTBから『地球の歩き方』のライターだったタカに「こういう本を企画しているけれど
誰かライターの心当たりはいないか?」という問い合わせがはいったのだ。
さすがに競合する同系統の本のライター本人は使えないので、という実に図々しい
問い合わせなのだが、タカの偉いところはそこでウダウダ言わず、即座に友達を紹介して
しまうところだろう。

そんなわけで、不肖ワタクシは「地球の歩き方の取材に同行して、アシスタントであった」という理由をもって(!)、この本をやることになった。

こうしてみると、タカには昔から色々世話になって面倒をかけているのである。

この本に絡む思い出話が、そうこうするうちにどっと沸いてきたので、何回かに分けて
ご紹介しようかと思う。

(つづく)


*補足:
本記事の中で「バカチョン(カメラ)」というレトロな用語を使ったところ、いくつか「差別用語では?」という御指摘をいただいた。

これは、所謂「インスタントカメラ」や「コンパクトカメラ」のことで、私がまだ小学生くらいのころに出てきたオートフォーカスのカメラを指す言葉だ。

ただ、これがたまたま朝鮮の人への侮蔑後と同音異義である、ということで自粛ムードが
高まり、その後に追いかけデジカメの時代となって、すっかり「死語」となっている。

しかし、この「バカチョン」の「ちょん」に関しては、江戸時代からある「ちょんまげ」
「ちょん切る」の「ちょん」で、「短い」→「足りない」→「頭が悪い」という意味合いになった言葉だ。
「チョンの間」などという言葉も、遊郭で使われていたが、歌舞伎用語が元らしい。
明治時代初期に『西洋道中膝栗毛(*)』というオモシロ本が出て、ここに「馬鹿でも、ちょんでも、野呂間でも・・・」という表現が出てくるところがよく引っ張り出される。
だから、差別用語云々以前に「馬鹿でもちょんでも」というのは、定型表現として成立していたわけだ。

*注:『東海道中膝栗毛』のパロディで、弥次さん北さんの孫がロンドンの万国博覧会に行くという内容の本らしい。読んでみたいな(笑)

こんなことクダクダ書き連ねるならば、素直に記事を書き換えたほうが早いし、どっちみち
上品な言葉でもないのだが、とりあえず上記のような言葉であることだけ、
為念補足しておく。

私は、上品でも下品でも、日本の古い言葉は好きなのである。

でも、程度は知れているので、不見識の御指摘は今後も歓迎します。
本当です。


追伸:
金子貴一の名著『報道できなかった自衛隊イラク従軍記』は、引き続き絶賛発売中!
未読の方は、是非どうぞ!!

報道できなかった自衛隊イラク従軍記
  
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2007年04月11日

「オリーブ」と「油」 〜不思議なルーツをぶらぶら辿ると・・・〜

先日、ポルトガルのオリーブオイル生産業者と仕事をする機会があった。
そこで、ちょっと面白いことがあったので、その話を。
欧語の「油」の語源について、だ。

このクライアントが持ってきた商品は、100%有機生産の高級オリーブオイルだった。
私はポルトガル語などわからないので、瓶に書いてある名前が商品名と信じて疑わなかったのだが、商談先の担当者が「この"AZETE"というのが商品名ですね」と確認したら
「"AZETE"は単に『油』だ。そう書いてあるだけだ」
「ええと、じゃあ、商品名は・・・?」
「だからうちの製品は、100%純粋な有機オリーブ・オイルで・・・」
「・・・商品名は・・・」
「だから、うちの製品は・・・」

ようするに、実に素朴に、瓶に「油」とだけ書いた、手詰めの手工業製品なわけである。
「商品名」だの「ブランド」だのという発想すらない。

クライアント氏、そこでふとつぶやいた。

「スペイン語では"aceite"というだろ。スペイン語には、ポルトガル語の"z"を"c"に変えた
言葉がたくさんあるんだよ・・・」

関係ない話だし、この商談にも仕事(一応「英語の通訳」ということになっていた)にも、
実はどうだっていいのだが「あ?!」と思わずつぶやいてしまった。

「アゼーテって・・・アラビア語で油はザイトだのゼートだのと言うなあ・・・。
オリーブはザイトーンだし・・・トルコ語じゃオリーブはゼイティンだ・・・」

なぜ頭に「ア」が付くかといえば、定冠詞の「al」がリエゾンしたんだろう。
それで、ポルトガル語の「油」は"azete"、と・・・。

一瞬職務を忘れて、なんだか不思議な連想に走ってしまった。

オリーブ・オイルというものは、紀元前5000年くらいから紀元前1500年くらいにかけ、
クレタ島からシリア経由で北アフリカに広まったのが発祥だそうだ。
と、いうことは、ひょっとして遥々と地中海の縁をぐるっと巡って、オリーブとその油は
ポルトガルにたどり着いた、ということなのだろうか。
そして「油」=「オリーブ」という感覚も、地中海を一巡りしてきたのだろうか。

まあ、仕事中にそういう夢想に耽っているわけにも行かないので、帰って調べたら
語源にまつわる話がよくまとまっているサイトを発見。

http://www.eigo21.com/etc/kimagure/092.htm

面白いことにイタリア語になると「油」は「olio」で、アラビア語の影響はない。
こちらは遡っていくと、ラテン語、そしてギリシャ語に語源がある。

そして「オリーブの旅」はヨーロッパを北上し、北のほうでは英語で「油」が「oil」
のように、一見何が語源だかわからない姿に変わっていく。

厳密に言うとどうなのか、今ひとつ自信がないので、よくご存知の方がいらしたら
是非補足をお願いしたいのだが、こういうどうでもいいようなことを、あれやこれやと
考えるのは、大変楽しい。

そういえば商談のほうも、気が付いたらなんとなく盛り上がっていた。
無責任な通訳もいたもんだ、と思うのだが、この「AZETE」をいつかどこかの店先で
見かけるといいなあ、と思っている。

いまや「油」と言えばガソリン、というイメージだが、源は「オリーブ」なのだ。
そうそう、うろ覚えだけど、ロシア語では「石油」をネフチとか言うそうだが、
アラビア語ではナフトとも言うのだな・・・これは関係あるのだろうか?

誰か詳しい方、教えてください。  
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2007年03月03日

二日連続の誕生日

誕生日が二日続いた。

昨日3月2日は、我が家の猫達(ハナ&ヒメ)の14歳の誕生日。
イスタンブルの我が家で生まれ、結婚後「連れ子」としてカイロへ移住。
中東で苦楽をともにした彼女達。
「ハッピー・バースデー・・・」と歌を歌ったけれど、途中でどこかに行かれてしまい、
特別にあけたカンヅメに「キライ!」とブーイングをあげ・・・ああ、はいはい。
スミマセンね、勝手に盛り上がって・・・。

日本帰国後家出した(!)母猫モモちゃんが、出産直後で青息吐息だったのを思い出す。
「桃の節句というのにねえ・・・」と「巣箱」のダンボールに水やら食べ物やらを差し入れしたものだった。
イスタンブルの住まいでは、近所の人たちの挨拶がおしなべて「子猫、元気かね〜?」。
みんな、子猫が見たくてたまらない。
つくづくトルコの人は猫が好きだなあと思ったものだ。
あちこち住んだが、イスタンブルは猫に優しい街だ。
街を歩いている猫らが、他所の大都市とはちょっと違う呑気な空気をまとっている。

あのとき、喰ってしまいたくなるほど愛らしかった子猫らは、いまや私に手厳しく
指示指導を繰り出す、立派な「婆猫」に。
元気なのがなによりだろうか。

hime喧嘩馬鹿一代な強烈キャラを誇る
通称「姫次郎姐さん」も、高齢のため引退。
でもまだまだ元気一杯。
往年のアビシニアンかバステト女神か・・・
というスタイルには、
ちょいと「貫禄」がついた。体重5.5キロ。

hana日本帰国後交通事故にあって、
右目の視力がほとんどなくなったハナも
たまたま巡り会った獣医さんの指導で
一日五回ばかり目薬をさしていたら
最近ずいぶん元気になった。
相変わらず、写真がキライなのだけれど、

体重3.5キロ。小柄でぽっちゃり丸々の、瞳がつぶらな可愛い奴なのだけどなあ・・・。

そして今日は、拙『中東ぶらぶら回想記』の配信開始二周年。
メールマガジンのほうはお休みいただいているが、なんとか当面ブログだけでも、
ぶらぶらモードで更新をしていこう、と。

私自身に子供はいないが、まあ自分の子の誕生日が続いたような気分なのだ。

沈丁花
沈丁花が早くも満開の今日この頃。






はな
気の早い桜も、横浜では咲き始めた。

春だ、春だ!


  
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2007年02月27日

カイロで歯科治療 〜虫歯雑感〜

私が最後に歯医者に行ったのはカイロだった。
以来、詰めものは落ち、たまに怪しい痛みがあっても、なんとなくごまかし続けている。
つくづく考えると恐ろしいから考えずにいたが、あれはもう十年も前のことなのだ。

このときに通ったエジプト人の歯医者さんは、きちんとした人だったと思う。
私自身も含め「エジプトの歯医者」のイメージ、至って悪いと思うのだが、
彼は非常にエジプト的な空気の中ではあったが、きちんとした治療をしてくれたのだ、
と今も信じている。
歯医者さんの治療を批評できるほどの経験も知識もないが、日本で何度か「ヤブ歯医者」
のせいで痛い目も見たし、ひどいボッタクリ治療にあった知人の話を聞いたりもした。
そういったところから考える限りでは、余計なことはしないが手際よく、
説明は的確だが能書きが少ない、このドクターの好感度は高かった。
ほとんど無痛で、通うのもほんの数回ですんだ。

「え、そんなもんで終わり?」
「うん、お互いさっさと終わることは、早くすむほうがラクでしょ」

あとで特に問題も起きなかった、と、いうことは、良いドクターだったのだろう
と思っている。

エジプトの医療技術全般の話を考えれば、確かに開発途上国特有の不安さは付いて回る。
一方で個人のクリニックで処理できるレベルに限れば、海外で研鑚を積んだ腕のいい
ドクターがけっこういるものなのでもある。

さて、私の通ったこのクリニックは、某国大使閣下も通ってきているということで、
現地にしては相当に高級なところだったが、最終的にかかった値段は、
日本で三割負担で受診した場合と大差ないように思えた。

でも、現地にしてはけっこうな値段だったので、なんとなく「高いねえ」と言ったら、
「あのねえ・・・日本はどうだか知らないけどね、ロンドンやらニューヨークやらじゃ、
この倍や三倍じゃ済まないんだよ・・・」と諭されたのを覚えている。
確かにそうかもしれない。

このドクターは、ロンドンでずっと開業していてエジプトに帰る気もなかったのだが、
家族の事情でしばらくカイロに戻ることになり、戻ってみたら案外環境的に悪くないから
こちらで数年前に開業した、ということだった。

「このカイロで、環境的に悪くない・・って?!」
「そう。イギリスでは国の政策で、ほとんどイギリス製の機器しか使えないんだ。
でも、歯科治療の機械といっても色々あって、コレコレの機械はアメリカ製が最高だけど
ナントカはドイツ製が一番で、こんなものなら日本製が世界一、なんていうことは
あるわけでね・・・」
「エジプトで全部揃えられるわけ?」
「うん。まあ関税はかかるしお金もかかるけど、エジプトの場合はイギリスのような
変な拘束がないから、自分の気に入った、世界で一番いい道具を集めて治療ができる。
楽しいよ、カイロのほうが」

これはあくまでドクターが自分で言った話なので、本当のところはわからないのだが、
そういうこともあるのだろうか?
歯科治療機器収集オタクの歯医者?
なにがなにやらわからぬままに、これはドコ製のナニ、アレは・・・と嬉しそうに色々な
機械を見せてくれたのは覚えている。
今となっては、メモくらい取ってくるんだったと後悔するのだが、歯医者でガリガリ
やられた後では無理と言うものだ。
そうじゃないですか?

しかもこのドクター、時間感覚は面白い具合にエジプト的だった。

「時間? ええと、遅くこられる?
ナゼって・・・アナタのは時間がかかりそうだから、最後の予約で気楽にやりたいからさ。
いやでしょ、そういうときに、あとでほかの患者が待ってるのは。
いや、アナタが早い時間がいいならそれにあわせるけど、忙しいんでしょ。
仕事終わったあとなら、気楽じゃない、アナタだって」

どうも最初はセクハラ系を一応疑って、終わりごろの時間に夫に迎えに来てもらうように
していたが、どうも取り越し苦労だったらしい。

(注: ただし、エジプト人ドクターが外国人女性にセクハラをする話は、
実際になくはないので、一応注意するに越したことはない。念のため。)

治療が終わると「一服どう?」と煙草を勧められるのもエジプト的だ。
今はやめたが、当時はワタシもヘビースモーカーだったので、マルボロなぞ吹かしながら
ひとしきり世間話をしたものだった。

別に長話をするわけでもなく、淡々と世間話をして、二本ばかり煙草を吸い終ると
「じゃあ」と腰を上げていた。

今思えばひどく不思議なところもあるのだが、なんだか呑気で贅沢だったなあと思う。

ついでだが、別のブログに、エジプト航空機内での思い出話を書いた。
要するに、飛行機の中での緊急歯痛対策(?)なのだが、場所はエジプト航空だし、
なにかの御参考になるかもしれないので、こちらにも御紹介しておく。

虫歯の思い出 其の一

虫歯の思い出 其の二 〜応急処置の妙案〜

虫歯の思い出 其の三 〜飛行機は鬼門〜


目下の問題は、明日があるさ、とフンフン鼻歌でごまかしてきた、
今この瞬間の歯の治療なのではあるが・・・ああ、歯医者さんに行かなくちゃ。  
Posted by arimaburabura at 21:25Comments(2)TrackBack(0) | Amazon.co.jp | 楽天市場 | ブログ

2006年10月07日

口あたりのいいことばかりでなく・・

今回(連載第64回)あれやこれや書いていて、随分大人気ないことをしたものだなあ
と、我ながら少し呆れる。
第三者の視線から見ると、当時の状況と経験と年齢を考えれば、まあ仕方あるまい
とも思うのだけれど、やはりどうも随分恥ずかしいことをしたものだ。

でも、敢えて公開してしまおうと思ったのは、口あたりのいいことばかりでなく、
自分で経験したジレンマやストレスを御紹介するのも、それなりに参考になるかも
しれないなあ、と思ったからだ。

言い訳がましい?
・・・スミマセン・・・。  
Posted by arimaburabura at 23:10Comments(0)TrackBack(0) | Amazon.co.jp | 楽天市場 | ブログ

2006年10月02日

ある日、夫との会話

家内の話で恐縮だが、今回の話(連載第63話)の糸口は、夫の一言だった。

「そういえば、モスクの入り口は男しか見かけないけど、女性はどうしているの?
会社なんか、お祈りはどうしてるんだろうなあ」

確かに彼の事務所は男性スタッフだけだったし、他所の女性スタッフの行動など
見たくても見られない。
私の日々是闘争の物語(?)は、日常でありすぎて家で不満を漏らすほどの
ことではなかったから、彼が知る由もない。

彼も八年現地に住んでいたが、視点の違いってあるものだ。
だから、私が「当たり前だ」と簡単にやり過ごしている小さなことが、
意外に根本にかかわる話かもしれない。

と、いうことで、どんなにつまらないことでも、疑問や気になることなど、
是非お寄せください。

すぐに取り上げられなくても、どこか何かの形で、また私も一緒に考える形で
書いていきたいと思っています。

また、すでにお寄せいただいたリクエストも、随時取り上げていきますので、
お楽しみに。  
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