2006年05月13日

中東のジョーク満載、オススメ本

『ジョークでわかるイスラム社会』早坂隆(著)

エジプトの話には触れていないが、実にバリエーション豊かな楽しいジョークが山盛り。それにとどまらず、イスラームの習慣や、生活、歴史など、話題は多肢にわたって、ちょっとした「中東イスラーム入門」にもなっている。

この一冊は、本当にお勧めだ。
イスラームや中東に関心があるなら、是非一冊お手元に、と思う。


『イラン・ジョーク集―笑いは世界をつなぐ』モクタリ・ダビッド(著)
 
著者は在日20年。イランは私自身あまりイメージのない国なので、拙稿ではほとんど触れていない(というか触れられない)が、この国のジョークもなかなか凝っている。

著者の在日歴が長いからなのかもしれないが、イラン人のメンタリティーというのは一種独特らしい。いわゆるアラブ圏とは、また違うフィーリングを感じるところが多々ある。

こちらもかなりキワドイ話が満載。
イランの人々が、非常に身近に感じられる一冊だ。  

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2006年05月12日

ジョークについて 其の二 〜エジプト人の笑いのツボ〜 【第56話】後編

(前編http://arima.livedoor.biz/archives/50468287.htmlにつづく)

●あるサイーディーが・・・

披露したネタは、私が知っているくらいだから、誰でも知っているノクタ。
以下のとおり:

あるサイーディーが、デューティーフリー・ショップに行った。
テレビを一台買おうと、店員に「このテレビをおくれ」と言ったが、
「ダメダメ、サイーディーには売れないよ」と追い払われてしまった。

しかしそれにしても、どうして俺がサイーディーだとわかったんだろうな?
と、悩んだ男は、たぶん服装のせいだろうと、今度はジーンズにTシャツという
都会風の格好で再び店に出かけた。

「このテレビをおくれ」
「ダメダメ、サイーディーには売れないよ」

男は再び店員に追い払われてしまった。

どうして俺がサイーディーだとわかったんだろうな?、と男は悩み、
今度こそはとばかりに気合を入れて、立派なスーツを着込み、ネクタイを締め、
これならば大丈夫に違いない、と自信満々で店に再び出かけた。

「このテレビをおくれ」
「ダメダメ、サイーディーには売れないよ」

さすがに腹を立てたサイーディーは、店員に言った。

「おまえ、どうして俺がサイーディーだとわかるんだ??!!」
「だって、これはテレビじゃなくて、冷蔵庫だぜ」


●エジプト的キャラクターの不思議さと面白さ

この話はいろいろバリエーションがあって、テレビ&冷蔵庫の組み合わせに
限らないが、もう本当に古典中の古典だ。
これが、馬鹿受けする。
何度やっても受ける。

挙句「アリーマは一つノクタができる」という噂がホテルに広まって、
こっちがどんなに忙しかろうと「ちょっとあれをやれ」になるのだ。
なにがそんなに面白いんだか、さっぱりわからない。

でも、拒否すると「アリーマは、フロントではやったらしいけどバンケット
ではやらなかった」などといういらぬ僻み嫉みを招きかねない。
エジプト人、大変明るく見えるのに、結構つまらないことにこだわるのだ。

でも、ある時期おそろしくしつこかったのに、いつのまにかパッタリと、
誰も何も言わなくなった。
エジプト人は熱するとしつこいが、冷めるとあっさりしている。

これは実は人間関係にも出る。
普通日本人の同僚同士が、何らかの理由で険悪になったら、すべて水に流して
また仲良くするなど、あまり考えられない。

でも、エジプト人の場合、一時期は仇同士のようにいがみ合った二人が、
何かのきっかけで、簡単に仲直りするのである。

また、一度いなくなって数年後に再開すると「おお、久しぶりだねえ!」と
非常に喜んでくれることもある。
いがみあった過去など、きれいさっぱり忘れているのだ。
こういうことは実に驚くほど何度もおきたので、平均的エジプト人キャラと
認定してもよろしいか(?)と、考える。

まあ、いつまでもグジグジ根に持たない、というのはエジプト人のいい所だ。
しかし、一度揉めると、かなりしつこくねちっこく険悪で陰険になる。


●「笑いのツボ」の違い

前回の話に戻るが、日本人の笑いのツボというのは、国際的にみると実は
相当変わっている。
世界各国違いはあろうが、基本的に「笑いの対象」というのは、動作であり、
言葉であり、話だ。
それは日本も同じだが、ひとつ決定的に違うのは「微妙な間」や
「一瞬の不思議な空気感」が非常に大事なことだ。

言葉や動作ですべてを埋め尽くすのではなくて、メリハリを楽しむところは、
日本独特だと思うことがある。
「動」の部分で笑うのは同じだが、「静」の部分での笑いというのは
翻訳不能の独特な世界だ。

エジプトに話を戻すと、本当に彼らの笑いのツボは、いまもって不可解な
ところがある。
先程の「ノクタ」はまだわかりやすいが、映画館などに行くと、
気分ぶち壊しになるくらい、わけのわからんところで「大爆笑の渦」が起きる。

例えば、古い話だがアーノルド・シュワルツネッガーの『ターミネーター』。
あれは、逃げ回る男女の無事を祈ってハラハラどきどきするはずなのだが、
エジプト人の観客が感情移入したのは「ターミネーター」のほうだったのだ。

シュワルツネッガーが、今度こそ機械でひき潰された・・・と安心したら、
また再生して立ち上がったシーンで場内拍手大喝采が巻き起こる。

この辺はまだ「不思議」ですむが、「ビッグ・ブルー」という
リュック・ベッソン監督の名画ではひどい目にあった。

ロザンナ・アークエット演じるヒロインが、
海に引き込まれるように深く潜ろうとする、恋人であるダイバーの命綱を、
男に懇願されて泣きながらナイフで切るシーンがある。

「見ていらっしゃい、私の愛を!」

何度見ても泣けるシーンで、胸を熱くしていたら、場内の半分ほどが
「笑った」のだ。

出かけた涙も引っ込んで、思わずあたりを見回してしまった。

大人気ない話だが、あれですっかり気分を害した私は、カイロで映画館に
近寄らなくなった。

しかし、あそこで何がおかしかったのかは、いまだに「謎」のままである。
  
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ジョークについて 其の二 〜エジプト人の笑いのツボ〜 【第56話】前編

●中東のジョーク

中東というと、本当に悲惨で暗い危機感あふれた状況下、
戒律の厳しい宗教に殉ずる怖いほど真剣な人々の住むところ、というイメージ、
かなり強いのではないかと思う。

アッラーを笑い話にしたり、性的な冗談など言おうものなら、
人々に石くらいぶつけられそうな気がするかもしれない。

ところがどっこい、中東の人たちほど笑うことが好きな人種はいない。
日本人は、ここまでいえない・・・と、絶句しそうなきわどい冗談も大好きだ。
もちろん時と場を考えなければいけないが、日本の「小噺」のような定型の
ジョークがあって、これをアラビア語では「ノクタ」とか「ヌクタ」などと呼ぶ。

これは、宗教がらみのものから極端なシモネタまで、中東圏内各国各地で
多彩なバリエーションを誇っている。


●エジプトの場合

エジプトの場合、一番よく出てくるのが「サイーディー」もの。
サイーディーというのは上エジプトの住民のことで、エジプトでは「田舎者」の
代名詞になっている。
ガラベイヤ(エジプト独特のすその長い服)を着て、頭にターバンをまいた、
いかにも田舎の実直で純朴な農夫のイメージだ。

関東人や関西人が名古屋を馬鹿にしたり、九州人が「佐賀県」を馬鹿にしたり、
というパターンと同じで、エジプトの場合はサイーディーになる。

そんなわけで「ワヘッド サイーディー・・・(あるサイーディーが・・・)」
で始まるノクタのバリエーションは多彩だ。

この国の(多分ほかの中東の国も)不思議なところは、同じノクタを何度も
繰り返しては、そのまるっきり同じネタに毎度大笑いするところだ。
これはあくまで個人的な体験で、一般にそうなのかどうかはわからないが、
あまりのしつこさに、私は辟易したことがある。

実は、私はひとつだけ、アラビア語の「ノクタ」をやれるのである。
たぶん「アリーマがやる」というシチュエーションが受けたのだろうとは思うが、
うっかり一度同僚にやってみせたら、その後しばらく、なにかにつけては
「アリーマ、あれをやれ」とくる。

やれやれ。

まあ、そのたびに初めて聞いたように爆笑馬鹿受けするので、
そう悪い気はしないわけだが、あんまり何度もやらされるので
ちょっとうんざりしたものではあった。

なにしろ、同僚に軽い気持ちで言って見せたら、死ぬほど笑い転げた後、
エジプト人上司のところに引きずっていかれて、もう一度やらされたのである。
で、さっきの同僚はまた笑い転げていた。

(後編につづく)  
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2006年05月06日

ジョークについて 〜其の一〜 【第55話】

●これもこれで各地各様

いわゆるホモサピエンスというのは、生物としては一種だが、
人類の営みというものは、実に各地各国で多種多様だ。

今回も、とりあえずちょっと中東を離れてみようと思う。

挨拶のお約束ですら、似たような文化圏に見えても違う。
今回はジョークについて。
これが実に、面白いけれども状況によってはつらいものなのだ。

そもそも、jokeという英語はどう定義すればいいのだろう。
"sense of humour"という表現はあるが、jokeがうまい、という意味ではない。

日本語では「冗談」で、輸入語的に「冗句」という言葉も使われるけれど、
どうも上記の英語と互換性はなさそうだ。

さて、思い出話。

私がカイロに行って、一番最初に困ったのが、語学力自体ももちろんだが、
この辺の感覚の違いだった。
特にカイロに住み始めたころ(注:当時25歳)は、同年代の若いイギリス人
の友人が多くて、勢いそういう連中ばかりの飲み会だのパーティーだのに
よく遊びにいった。
もちろんエジプト人も来ていたが、そういう連中は私などとは
したたかさのレベルが違った。

私は誘われれば、安全が確保されていて且つよほど面倒なことがない限り、
国内外を問わず、ハイハイ、ノー・プロブレム
とか何とかいって出かけてしまう。

まあ、若い連中の無礼講、ということもあるだろうけれど、
誰か友人が一緒であっても、ネイティブの会話に突っ込んでいくのは
当時の英語力では相当にしんどかったものだ。

これが、私の中の「日本人」という壁だと気がつくのに数年かかった。
恥を忍んで告白すると、当時は意地悪されてると思って、
泣いちゃったりしたことさえある(あ〜あ、馬鹿だなあ)。

無礼とジョークの区別がつかなかったのだ。
無論、周りはひっくり返りそうに驚いていた(おお、恥ずかしい)。
何しろ当時は、今より10キロ体重の少ない、ほっそりとした東洋人の女の子
だったんである(大過去形だ、と念を押すまでもあるまいが)。

最近は「無礼」で「下品」な性的ジョークを言ってるカナダ人(♂)を
「来る場所を間違えてるみたいだから、お勘定して出てお行き」
と、にっこり笑いながらバーから叩き出せるくらいにはなった。

人間、歳とともに度胸も貫禄も皮下脂肪もついてくるんである。


●余談

ちょっと話がそれる。

一度は誤解を解きたいと思っていた。
私の経歴を見ると、なにやら恐ろしくアグレッシブにしてエネルギッシュに
人生前向き・・・というイメージが浮かぶらしい。

転々とした土地や国、業種は確かに普通の人より多少変わっているかも知れない。
でも、そのほとんどは別に自分で走り回って求めたのではなく、
ぼーっと「次、どうするかなあ」と思っているときに、目の前に差し出された
話を、これまた、「ハイハイ、ノー・プロブレム」などといって、いいかげん
に引き受けてきただけのことだ。
その結果、奇妙な履歴ができてしまっていた次第。

で、当時あんまりものを考えなかったツケが今になって回ってきて、
最近は、必死に相当ガタのきた「脳内ビジュアル・レコーダー」を回しながら、
本を読んで「ああ、あれは、こういうことだったのか!」などと、
驚き納得している始末だ。

私的な話で恐縮だが、途中で今の夫と出会って結婚したのも、完全に「想定外」
の事態ではあった。

猫がぞろぞろついて歩くようになったのも、行きがかり上で、これも想定外だ
った。
でも、家族ができたのは何よりだった、と今でも神様に感謝している。
なんの神であれ。


●再び、各国各様

西欧社会の、特に利害関係の絡まない若い連中にとって、議論とはゲームだ。
これは、国にもよるが、多くの西欧諸国で共通だと思う。
子供のころから、親と、兄弟と、友達とこういったゲームに打ち興じる。

「秘すれば花」を美徳として育った日本人、こういう場面では実に弱い。
子供の時からの鍛えられ方が違う。

相手に言うことに
"No, I don't think so."とか
"No, I disagree."
などという文化、日本ではゼロなのだ。
それはわかる。
それは日本人としての美徳ではあるけれど、やられっぱなしもシャクだ。

英語圏はまだいいほうだが、ドイツ人なんて自分の理解不能な事を聞かれると、
庶民はまず"Nein"つまり、ノーと言って相手を否定する。
否定が最大の防御なのだ。

国によって温度差はあるが、西欧圏では私の知る限り、イギリス人は、
黙って聞いていてもいいけど、とりあえず何かいいなさいよ、
というお鉢が回ってくることが多いように思う。

アメリカ人は、状況にもよるが「マイノリティーの扱い」に慣れている様で
「日本ではどんなものを食べているの?」といった、答えやすい質問が飛ぶ。

ドイツでは、ドイツ語でまともに「参戦」できない限り、無視される。

一番楽なのはアメリカ式だが、ホスピタリティーがあるようで、実はかなり
馬鹿にされているようにも感じるのである。

で、英語もそうだが、ましてやドイツ語で、とにかく何とか
「何も言えない木偶の坊」でなくなるために、とにかく会話を自分で
リードすることにした。
どこか食いつけるところに食いついて、無理やり自分の前に話を引っ張る。

若い連中の無礼講な飲み会くらいでしか使いようはないし、この態度は
大人の「表面的な社交」の世界では受け入れられないのだけれど、
これで少しは話ができた。

この習慣は、まともに英語で商談だの接待だのをやるようになっても、
結構役に立った。
とりあえず、その日の「ジョーク」を決めておくのだ。
予備二つくらい含めて。
あと、何か特に、最近の日本について話すべきことも決めておく。
自分の意見がきちんとなければ「わかんない」で終わっちゃうので。

でも、うまく行けばここから引っ張れる話題は多い。
展開までは決めない。でもたいてい何とかなる。
若いころは強引にねじりこんでいた「最初の一歩」だった。
いまは、普通に話しながら会話の流れをつかめる。

第一「若い女の子」ではないので、頭から小ばかにされなくてすむ。
国籍を問わず。
だから、経験と年齢というのは、悪いものではないと思う。

私は年齢を重ねることが嫌ではない。
不便なことがいろいろあるのも、確かだけれど。


●中東のジョーク

西欧的な軽やかさがないのは、ご想像のとおり。
またアラビア語圏では、日本で「さむ〜い」とされる類の言葉遊びが
大変喜ばれる。

あまり名誉な話ではないけど、私のエジプト時代の通称は
「アリーマ・ライーマ」だった。

アリーマというのは、こじつけくさいけれど「アリーム」という
主に神学系の学者、知識人の女性形で、一般に女の子の名前にはなりにくい。
でも、音感が似ているので、なんとなく浸透した。

じゃあ「ライーマ」はなにかというと、
「こずるい、目端が利く、ずるがしこい」という、大変セコい合いの手だ。
英語の"wicked"に近いかもしれないが、もう少し明るく軽い。

音や言葉の遊びが好きなあの連中にかかると、寒くもクサくも何ともなく、
私が会議などで、結構いけそうなプロジェクト案など出すと
「アリーマ、ヤ、ライーマ」と呟いてくすくす笑う連中がいたものだ。

まあ確かに、最終的には勤務先の利益のために、案外「ライーマ」なことも
やって、結果は良かったのだから、コンプリメントだと思っている。

さて、では実際のところは・・・?
というところで、次回に続く。  
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