2005年12月17日

中東犬猫話 其の三 〜犬たちの受難〜 【第40話】 Vol.2

●深夜の野犬狩り

犬の話に戻ろう。

私がはじめてカイロに行った1980年代末から比べて、十年ほどの間に町の野犬
はずいぶん減った。
最近では夜歩きに金属バットなんていうこともないだろう。
何しろ、やるといったら徹底的にやるエジプト政府、どうもある時期
「野犬一掃作戦」に出たらしいのだ。

カイロに行ったばかりのころ、深夜にパァン、パァンという音が良く聞こえた
ものだった。
何だろ、爆竹?などと思って、たまに耳を澄ましていると、パァンの後に
「キャイーン」という悲鳴・・・まさかと思って知り合いに聞いたら
「野犬狩りだよ」とあっさり言われた。

・・・ていうことは、あれは「銃声」・・・?!
するとその後の「キャイーン」は・・・と、背筋がちょっと冷たくなった。
確かに、いつもうようよいる犬が、なんだか今日は突然少ないなあ、
と思うことはあったのだが、あの「パァン」「キャイーン」と頭の中で
つながっていなかったのである。

そんなわけで最初は妙に気分が暗くなったのだが、慣れというのは
恐ろしいもので、半年もすると「ああ、またやってるなあ」くらいの感覚に
なってしまった。
殺される犬はかわいそうだが、私も実際に群れに囲まれて相当肝を冷やした
ことがあるのだ。
たまたま昼日中で、気がついた通りすがりの人たちが棒やら石やらで追い払っ
てくれたから良かったようなものの、バッグ一つない手ぶらで応戦しようにも
敵は十匹ばかり。
「へっへっへ・・・」みたいな顔つきで、ぺろりんと私の脛をなめてくる。
こういうとき、知らん顔をせずにちゃんと誰かが助けにきてくれるのは、
エジプトのいいところだと思う。

徹底掃討作戦が功を奏したか、現在カイロ市内中心部で野良犬は目立たなく
なったはずだが、まだ郊外や地方などでは徹底していないとも聞く。
犬好きにはつらいかも知れないが、狂犬病の恐れもあることだし、カイロに
限らず中東界隈では、気楽に野良犬に近づいて触れたり餌をやったりするのは
やめておいたほうが無難だ。


●軍用犬に防弾ジャケット

エジプトに限らず、イスラーム圏では犬を屠殺することに抵抗が薄い。
世相が荒れている時などは、かつてのカイロのように簡単に銃を向けられる。

これは去年の話だが、イラク駐留の米軍では軍用犬に防弾ジャケットが
支給されたそうだ。
なんと一着1000ドルなり。
でも、軍用犬の訓練育成には何でも一匹6万ドルもかかるとか。
イラクの群集の銃弾で野犬並にむやみと撃たれていてはたまらないし、
何よりも「自分たちのパートナーを守るため」という。
しかも、反米気運の高い中である。
文字通り「アメリカの犬」ということになったら、もう格好の標的だろう。
一匹につき1000ドルのボディーアーマーくらい、安いものだということである。

防弾ジャケット、役に立ってくれているといいのだけれど。

余談だが、カイロのホテルに勤務していたころ、この「アメリカの軍用犬」は
何度か見たことがある。
勤務先はアメリカ大使館御用達だったので、VIPがくれば必ず関係者が
ホテル中を埋め尽くしたものだ。
カイロの各国大使館は、少なくとも先進国に関しては基本的に大臣クラス以上
のVIPのミッションが宿泊するホテルはほぼ固定していた。
裏動線まで把握して、使い慣れたホテルが警備上都合がよいかららしい。

アメリカ大使館の場合、ホテル内の宴会場にPXまで設置する。
ホテル関係者なのをいいことに、へらへらと入っていって覗いたら、
バドワイザーが一缶90セントだった。
「売っておくれ〜」と一度ダメもとで頼んだけど、だめでした、ハイ。

で、軍用犬も遥々アメリカからやってくるのである。
もう見るからに毛並みも姿も良いジャーマン・シェパードたち。
たまたまエレベーターのなかなどで会って「時差ぼけとれたかい?」と、
頭などなでても、一瞥くれるだけで反応なし。
「任務中なので悪しからず」と、慇懃に無視された感じがしたものである。
犬に恐縮するワタシなのであった。

「犬がホテル内をうろついている!」
「なんと汚らわしい!!」
などなどとブーたれるエジプト人スタッフもいたが、ワタシは内心
「キミたちより、おりこうかもよ」と呟いていたのであった。
そんなことを冗談でも口にしたら、ホテル中を敵にまわすので、
もちろん口に出さなかったけれど。


●言ってはいけない言葉

犬はアラビア語で「カルブ」という。
これはエジプトのアーンミーヤもフスハーも同じだ。

日本で「犬畜生にも劣るやつ!」などと言うが、イスラーム圏では
「この、犬!」というのはもっと激しい罵りの言葉になる。
これは、基本的に言ってはいけない。
言われたほうは、完全に逆上すること間違いなしだ。
陰口をたたく時も「あのカルブ!」などと誰かか言ったら、言われた相手は
完全に侮蔑されきっている。

もうちょっとマイルドに「この馬鹿」くらいだと、ロバがよく出てくる。
「ホマール」という(フスハーで「ヒマール」)。
本来、よく働くし、預言者ムハンマド自身も可愛がっていたというので、
宗教的に不浄ではないのだが、頑固頑迷の代名詞のようになっている。
まあ、人をののしるのは基本的によろしくないことだけれど、カルブよりは
ホマールのほうが救いがある。

さて、それで、キリスト教圏では口にできるがイスラーム圏では間違っても
言ってはいけない動物は「豚」だ。
「ハンジーン」、フスハーで「ヒンジーン」。
言った瞬間、間違いなく、どんなに相手が悪くても言ったあなたの人間として
の品性が疑われる。
実際この単語、口にするのも汚らわしいようで、言う時は大体口をひん曲げて
顔をしかめているくらいだ。

彼の地にいかれる方は、どうぞお気をつけあれ。  

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2005年12月15日

中東犬猫話 其の三 〜犬たちの受難〜 【第40話】 Vol.1

●犬の生活

イスラームの国々で猫がのんきに暮らしている一方で、犬たちの生活は
大変厳しい。
前回前々回で書いたように「不浄」で「不潔」で「下賎」とされているからだ。
歴史に「ればたら」は禁物だけれど、もしあの黒い犬が預言者ムハンマドの
手に噛み付かなかったら、ここまでひどいことになっていなかったかもしれない、
と思えば、なんだか不憫ではある。

例外のサルーキ(前号参照)にしたところでコーランで「犬にあらず」と
なっているから大事にされている。
役に立つから許してやろう、ということだろう。
また、遊牧と狩猟を生活の基とするベドウィンたちは、本来猫を嫌い、
サルーキというこの狩猟犬と寝食をともにして可愛がったという。
都市生活者だった預言者ムハンマドが、この辺の事情を汲んだのかもしれない。
たかが犬猫といっても、やっぱりこの辺は「政治的配慮」というやつだろうか?

そして、現在に至るも、受難の日々は続いている。

たとえば、イランでは犬をペットとして飼うこと自体がイスラーム法に反する
とされて、外で散歩をさせていたら宗教警察に連れ去られてしまった、などと
いう話も聞いたことがある。
でも、アフガニスタンとの国境が麻薬取引の温床となっており、その対策で
ついに何年か前に「麻薬犬」が導入されたとやら。宗教法上で特例を設けたとの
ことである。

ヨーロッパから送り込まれたジャーマンシャパードの一隊、ちゃんと可愛がっ
てもらえているのか、ちょっと心配ではある。


●治安上の不安は「夜盗」ならぬ「野犬」

これだけの扱いを受けていても、町には野良犬が徘徊する。
そんなに嫌われているんなら、何だってこんなに犬が多いのかねえと不思議に
なるくらいだ。

で、犬というのは群れる。
この群れは確かにタチが悪くて、本当に人を襲ったりするのである。
冗談抜きで、十余年前のカイロの駐在員は、深夜に人気のない町を歩く時には
ゴルフのアイアンやら金属バットやらで「武装」していたものだ。

誤解が多いようなので一応付け加えておくが、この場合男性であれば、
怖いのは犬で人間ではない(女性はまたケースが違うが、下手すると日本より
安全かと思われる)。
テロのイメージで、中東全域が恐ろしく治安の悪い剣呑なところのように
思われてしまっているが、日常生活を送る上での一般的な治安は非常に良い。
だからパリだのマドリードだのローマだのという
「とっても治安の悪い都市(固定イメージ)」
に出かけるとなると、普段のんきに生活しているだけにものすごく
緊張したものだった。

もちろん、戦後の混乱が続くイラクなどの数カ国や一部の国の国境地帯などは
別だが、中東では基本的に日常生活上の治安は良いのである。
そういう意味では、下手な欧米の都市部よりも住みやすい。
すり、空き巣、引ったくりなどの事件はあるけれど、日が落ちた後の街歩きは
遥かに気が楽なのである。

(つづく)  
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2005年12月12日

中東犬猫話 其の二 〜聖なる猫、賎なる犬〜 【第39話】 Vol.2

●古代エジプトの猫の神

そんな現実的な理由もあって猫と人が暮らし始めた古代エジプトは、八百万
(やおよろず)の神を祀る国でもあった。
こうした宗教の場合、怖れ敬われる対象は高位の神となり、単純な愛情や喜び
の対象は卑近な神となる。
猫はバステトという女神として畏怖よりは愛情を受けた。
こういう至高というよりは卑近な神様の常で、この女神の具体的な神性は今ひ
とつあいまいだ。
太陽神の使者にして守り神、愛の女神、多産の象徴などなど、漠然とした定義
が山ほどあって、読む本ごとにいろいろなのである。
ようするに「猫の神」ということなんだろう。

なおこの時代にも「猫虐待禁止令」が徹底し、虐待するなどもってのほかだっ
たという。

(バステトの像 ルーブル博物館所蔵)
http://de.wikipedia.org/wiki/Bild:Egypte_louvre_058.jpg

太陽神ラーを最高神とする古代エジプトでは、猫の姿も神聖なものと見えたよ
うだ。
「あの目」である。
太陽とともに月も神聖なものであった国で、陽光の強弱で瞳の大きさを変える
姿は神秘的だったに違いない。

彼の国では、大事な動物、聖なる動物をミイラにして祀る習慣もあって、猫の
ミイラも大量に出土している。
ベニ・ハッサンという遺跡では、なんと30万体の猫のミイラが出土したとい
うから、愛され方は尋常でない。

尚、カイロ考古学博物館には、こういった動物のミイラを集めた一室があって、
猫はもちろん猿、鰐、馬など、さまざまな動物のミイラが展示されている。
関心のある方は、どうぞお立ち寄りあれ。

この時代の猫にまつわる話は山ほどあって、ヘロドトスは「エジプト人は家が
火事になると人より先に猫を救い出した」と記しているし、敵国との戦いでは
猫の群れを最初に置かれたせいで攻撃ができずに惨敗したり・・・と、結構極
端な愛情が注がれていたのが良くわかる。
何しろ当時の聖職者など、日がな一日じっと動かず眠っていられる姿を「内省
的」と崇めたそうだ。
ものは言いようである。

当時(といっても2000年近く期間はあるが)猫は海外「連れ出し」御禁制でも
あった。
それでもこっそりと連れ出したのはフェニキアの商人だと言われており、ヨー
ロッパに家猫が伝わった次第。連れ出しの理由はどうも「船のねずみ番」だっ
たらしい。

また、女王クレオパトラで有名なプトレマイオス朝の時代、当時のタイである
シャムの国にエジプトの猫が献上されて、シャム猫の起源になったそうである。


●聖書と猫

ところで、ついでにユダヤ教、キリスト教に目を向けると、こちらは徹底して
「アンチ猫」である。
猫が魔性というイメージもキリスト教がもとだし、聖書など猫のネの字も出て
こない。

ユダヤ教の場合は、古代エジプトの圧政下で差別され、苦難の日々を過ごした
恨みの裏返しで、猫を嫌うようになったともいう。
御存知のごとく、映画『十戒』でも有名なモーセの物語で、ユダヤの民の逃避
行を追ったのはラムシス二世の息子、メレンプタハの一隊である。

キリスト教の場合は、やはりヨーロッパ土俗の信仰で猫が女神として崇められ
ていた、その裏返しという側面があるらしい。
そもそもカソリック教会が攻撃的なほど権勢を延ばしていたころ、教皇の誰か
が大の猫嫌いだったんじゃないの・・・というのは、私の単なる想像だけれど。

ともあれ、イスラーム圏の猫たちは、犬と違ってのんきに生きている。
たまにグインと伸びをしていると「アル・ハムドリッラー」などという声が、
どこからともなく聞こえる気がするカイロの街角である。
  
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2005年12月11日

中東犬猫話 其の二 〜聖なる猫、賎なる犬〜 【第39話】 Vol.1

●猫は聖なり

イスラームでは、猫は大事にすべき動物とされている。
どうも伝承などを読んでいると、預言者ムハンマドがたいそうな猫好きだった
かららしい。

何しろ、二度目の妻のアイーシャなどは、猫が食べた皿で食事をして平気だっ
た、というくらいである。飼い猫もいて、各文献資料などを見る限り、まるっ
きり「猫かわいがり」状態である。
故に猫らはモスクはお出入り自由だし、猫の虐待はイスラーム法で禁止されて
いる。
猫版『生類憐みの令』である。
イスラームではそもそも罪のない生き物の虐待を戒めているのだが、猫は別格
だ。

一方で犬に対しては、たいそう冷たい。
「その他大勢」の生き物としてむやみな虐待は禁じられているものの、モスク
に入ったら徹底的にお清めをすべし、犬が水浴びした水は沐浴不可、犬が嘗め
た容器は七回洗え・・・と、まあ猫の甘やかされ具合とは雲泥の差だ。

単純にムハンマドとその一家が猫好きであった、という事情はどう見てもあり
そうだ。
じゃあ、犬はどうかというとどうも逆だ。
一説にムハンマドの手に噛み付いたことがあるかららしい。
「黒い犬は悪魔の遣いだから殺してしまえ」とまで言われているところを見る
と、黒い犬だったのかもしれない。生き物の無意味な殺生を禁じるイスラーム
では、珍しい一節だ。

ただし、犬でもベドウィンたちが昔から牧羊犬として大切にしてきた「サルー
キ」という種だけは「サルーキは犬にあらず。これはアラーの神が我々のため
にお恵み下さった贈り物である」という但し書きがつく。
如何にも荒地を駆け巡る姿がふさわしいかっこいい犬種で、今でも世界に愛好
者がいるようだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Saluki
(サルーキの写真)


●猫が愛されたわけ

好きだから好きなのだ、といってしまえばそれまでだ。
個人的な好悪は無視できないと思う。
ただ、オリエントの歴史、特に古代エジプトの時代まで遡ると、愛玩動物とし
ての猫の歴史は長い。
そのあたりの影響はあるのかなあ、と考える。

イエネコというのは、リビアヤマネコが家畜化されたものと考えられている。
紀元前1500年以降の古代エジプトの壁画には猫がよく描かれている。
ファラオの玉座の下でくつろいでいる姿まである。
犬は狩猟犬などは出てくるが、ファラオのそばでごろごろしている暢気な姿な
どはついぞ見かけない。

好き嫌い、というところを別にすると、要するに猫は便利だったのだろうなあ、
と思う。
古代エジプトというのは豊かな農業国で、小麦など穀類の管理が国家の重大事
であったといっても良い。
で、穀類の敵といえばネズミだが、猫を放しておけばせっせと捕まえてくれる
のである。
もちろん人類のためにやるわけではなくて、自分らが食べるために自発的にや
るのだが、特に訓練せずとも勝手に役に立ってくれるのだからありがたい話だ。

猫嫌いの人たちに言わせると、猫は馬鹿だというし、実際あきれるほどオバカ
なところもあると実際に飼っていて思う。
ただ、犬猫両方飼った個人的経験から言うと、猫の場合はわりと単純に手なず
けやすいのである。
簡単なしつけもすぐにできる。
ただし、世界的にも少数の例外を除いて「訓練」はできない。
これも経験則だが、オバカに生まれた猫は勝手にオバカなまま育ち、賢く生ま
れた猫は放っておいても賢くなっていく。

一方で犬は絶対に訓練が必要な動物だ。
無論、猫と同じで利巧馬鹿は生まれつきで違おうが、飼い犬の人生(?)は飼
い主のしつけと訓練の良し悪しで決まるといっても良い。

だから、共存共栄型の猫のほうが扱いやすくて楽なのは間違いない。
犬の場合は、きちんと主従関係を成立させないと生活が成立しない。
つまり、猫を飼うよりも高度なノウハウが必要なのだ。
挙句に放置されている野良犬は、下手をすると群れを作って人を襲うようにな
ったりするが、猫はせいぜい軒先の肉や魚を失敬していくくらいで、個体とし
ても小さいから無害に近い。

(つづく)
  
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2005年12月06日

カイロの猫の本:"Cairo Cats: Egypt's Enduring Legacy"

Cats of Cairo: Egypt's Enduring Legacy
Lorraine Chittock (著)

実はハードカバーしかなくて入手が難しかったのだが、数ヶ月前にペーパーバックが出た。
猫にまつわるアラブ中東世界の詩や格言をそえて、カイロの猫の姿がいろいろ。
特に突っ込んだ考察はないけれど、ちょっと煤けた猫らがカイロの風景になじんで、独特の味があります。



  
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2005年12月04日

中東犬猫話 其の一 〜中東の犬猫の名前って??〜 Vol.2  【第38話】

●トルコの場合

ただし、トルコの特に都市部になると様子が違う。
犬や猫を家族同様のペットとして飼っている人が、結構いたのである。
特に猫は多かった。

私の住んでいた界隈でも、近所の人は飼い猫らの名前を良く知っていた。
中流以上の住宅地だったせいもあるのだろうが、全体にトルコの人は「猫好き」
のイメージが強い。

例えば、出前の配達やら修理その他で出入りする業者たちを見ていると、
反応がまるで違うのである。

エジプトであれば「げ、家の中に猫がいる・・・」という
微妙な「引き反応」から無視が主体。
今は我が家を去った「モモちゃん(♀)」は、もう男性が大好きで、
特に体臭が強くて汗臭いほどに懐きまくる変な猫だったが、
擦り寄られたりするとエジプト人の出入り業者など、まず腰が引けるのである。

一方トルコでは、そうか猫がいるんだね、というニュートラルな反応が
多かったが、座り込んで遊び始めて仕事にならないような人までいた。
いつもくるマントゥ配達の兄さんなどは「ネコ元気?あ〜いた〜みぃ〜」と
玄関先でひとしきり猫らと遊んでいったものだ。
モモちゃん大喜びである。

(マントゥは第9話参照)。

トルコの古いことわざでは「猫を愛するものは真に誠実である」とまでいう。

そういえば、イスタンブルの街角の猫は妙に幸せそうな顔をしている。
カイロの猫らが妙に生活に疲れたやつれた風情なのと対照的だ。
個人的なイメージでしかないが、道行く猫がのんきに幸せそうな街は、
大抵住みやすい。

トルコ人、相対に猫好き国民と見たのだが、どうなんだろう。


●名前のいろいろ

で、名前だが、いわゆる「高尚な趣味」として飼育されている犬猫は、
どこでもやっぱりジュスティーヌとかウィリアムとかいうことになるようだ。

イスタンブルの近所の猫は、上の住人の飼い猫のペルシャ猫が
「ピート・ポタプッシュ」で、我が家のタケゾウそっくりのデブ猫(どうも
父親らしい)が「フンドゥク(ハシバミの実)」。
「ユルドゥズ(星)」なんてかっこいいのもあった。

エジプトの場合、猫の名前でよくきくのは「ミシュミシュ」。
果物の杏のことだが「かわいい女の子」という意味で使うこともある。
ついでに言うと、オカマもそう呼ばれる。

余談だが「明日はいいことがあるさ」というのを
エジプトでは「ボクラ・フィー・ミシュミシュ」という。
ボクラは「明日」、フィーは「ある」の意だ。

この辺の名前のバリエーションは、引き続き調査中。
各地の皆様のご協力をよろしくお願いします。


●犬猫の聖と俗

イスラーム圏の場合、実はたかが犬猫と馬鹿にできない文化背景がある。

犬猫は、エジプトをはじめイスラーム圏では、古来から生活の中にいた。
基本的には、犬は蔑まれ、不浄とされる。
一方で、猫は大事にすべきものとされている。
イスラーム的背景からそういうことになる。

極私的には、預言者ムハンマドは猫好きで、犬が嫌いだった、というところに
行き着くような気がしてならないのだが、どうなのだろう?

この辺の歴史や成り立ちは、ちょっと長くなるので次回に続く。  
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2005年12月02日

中東犬猫話 其の一 〜中東の犬猫の名前って??〜 Vol.1  【第38話】

●『東大病院』の待合室にて

のっけから『中東ぶらぶら』でもなんでもない話になる。
お許し願いたい。

数年前、我が実家の大婆猫クロミさんの具合が悪くなった。
ガンの疑いあり、とのことで、早速近隣の大学病院で検査ということになり、
たまたま一番近いのが東大病院だった。

各種病気の見本市のごとき我が家系で、考えてみれば東大病院にかかったのは
クロミさんだけだ。「家畜」のほうですが。「人間」でなくて。
で、意味もなく感慨を覚えながら待合室にいると、順番を待つ「患畜さま」の
ご立派なこと。呼ばれる名前もすごい。

「榊原ジュスティーヌさま〜」
「柏木ウィリアムサマさま〜」
「松平エリザベスさま〜」

すると、待合室中の視線がジュスティーヌ様などに集中するのである。
エリザベスさまの場合、飼い主が「リズちゃん行きますよ」とか言っていた。
確かに高貴なお顔立ちのアフガンハウンドでしたけど。

でも中には
「坂本ポン太く〜ん」
「山田タマちゃ〜ん」
「田中金太郎く〜ん」
というのも間に入って、その都度待合室の空気が微妙に和む。

ついでにもっとどうでもいい話をすると、そこには三回通ったが、
その都度必ず「元ヤンキー系の若い飼い主グループ」がいた。
平均3〜4名で一匹連れてきているのが、なぜかいつもプードル、ポメラニアン
等の白い長毛小型犬だった。名前まで確認できなかったのが残念である(?)。

で、うちは「山口クロミ・・・さ〜ん」と、いう微妙な間をもって呼ばれた。
山口じゃないんだけど。実家の猫ですから。


●中東圏における犬猫の名前調査

クロミさんは、残念ながらその半年後に世を去った。
享年19歳であった。あと数ヶ月頑張ればハタチの大台に乗れたのだが、
天命だから仕方なかろう。

さて、何故こんなどうでもいい話を始めたかというと、待合室の話から
「中東の犬猫の名前はどうなっているのだろうか?」とふと思ったからだ。
で、調べてみたものの、あまり目覚しい成果は得られなかった。

私設特派員を駆使して中東各地で
「犬猫を飼っているか? 名前はなんだ? よく聞く犬猫の名前は?」
という質問を流してもらったのだ。
実は結構調査に手間と時間をかけたテーマだったのではある・・・。

結果はまあ、予想通りといえば予想通り。
「犬猫などに名前を付けて呼ぶ習慣はない」ということであった。
私設特派員こと夫は「何でそんなことをきくのだ?」と不思議がられたとの由
(基本的に商談中なんだから、不思議がられるのも無理はなかろう)。

要するに、彼の地ではまだ犬猫をペットとして可愛がる習慣がまだ根付いて
いないのだ。
もちろんそういう人もいないわけではないが「タマ」だの「ポチ」だのという
一般的な名前が頻出するほどではない、ということらしい。

でも、私がいた当時のカイロでは、富裕層の間で血統書つきの犬を買うのが
「高尚な趣味」として流行りはじめていたようだった。
ゲジーラ・クラブという高級スポーツクラブに行くと
「高級犬同好会」のような一群が犬を遊ばせていた。
なんか見たような種類がいるなあと思ったら、飼い主が得意げに近寄ってきて
「これは『アキタ』だ。『シバ』もほしいと思っているのだが、
どうにかならないだろうか?」と相談されたこともある。

「相談ついでに是非お茶でも飲もう。ランチでもどうだ」というので
「要するに彼は『日本種』が好きなわけね」ということで御辞退申し上げた。
後で聞いたら、彼はクラブ内で犬を見ている『日本種』の女性にせっせと
声をかけていたらしい。
ボクサーに狆を掛け合わせたような顔のオヤジで、実害はなかったようだが。

猫についても、家で飼っている知人はいなくもなかったが、必ず聞かれるのが
「どんな猫を飼っているのか?」ということで、犬の場合と同様にブランドが
大事だったらしい。
「トルコ生まれの駄猫」と答えると、
「何でそんな猫をわざわざ飼っているのか?」とまでよく言われたのである。
大きなお世話だわい。

帰国の時には「猫をどうするの?」とよくきかれた。
「連れて帰る」というと「気でも狂ったのか」とまで言われたものだ。

と、いうことで、自分の家で家族同様に犬猫と暮らすという習慣は、
エジプトでは一般的でない。

(つづく)

「アリーマの中東ぶらぶら回想記」(38)
メールマガジン「軍事情報」別冊  
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