2009年09月13日

金子貴一『秘境添乗員』 〜旅も秘境もさまざまなれど〜


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久しぶりの更新。

なんとなくそのままになっていたが、朋友金子貴一くんの著作『秘境添乗員』の感想を、軍事情報に掲載いただいてそれきりになっていたので、一応再録しておく。

中東はすっかり遠くなり、なかなか記事を上げる題材にも巡り合わない。
いっそ止めようかとも思ったのだが、なにかの弾みでまた始まらないとも限らないしなあ・・・とズルズルきている。

中途半端であまり格好のよいことではないと思うのだが、やはりたまになにかあったら記事も上がるかもしれないなあ、インシャアッラー・・・と残してある。


以下、再録分。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

金子貴一クンの新刊が出たのでご紹介したい。

新刊は『秘境添乗員』という。
文芸春秋社の『本の話』というPR誌に2年3カ月連載されたものに、大幅加筆修正を加えたものだ。

彼とのお付き合いはエジプト以来で、20年来の古い仲間である。
交遊の経緯は彼の前作『報道できなかった自衛隊イラク従軍記』の紹介等で触れたので、ご参照いただければ幸いである。

http://arima.livedoor.biz/archives/50754013.html
http://honyarara.livedoor.biz/archives/50922517.html
http://arima.livedoor.biz/archives/50742482.html




金子クンの本領は「人間力」にある。
文才だの語学力だのという、目先の能力を超えたもっと深くて強いパワーだ。
最近この本の書評を書いた某評論家によれば「過剰な人」なのだそうだ。
なるほど、確かに彼は「独特の濃さ」がある人だ。
その濃さは決して嫌味や傲慢につながらない。
通常「濃い人」は、多かれ少なかれそれなりの灰汁を醸し出すものなのだが、
金子クンには良い意味でそれがない。
常に感じられるのは、直裁で明朗かつ知的な「人間力」である。
この部分は公私共に変わらない。

そしてこの本のタイトルを見て「世界の秘境のオモシロ経験談」なんかを
期待するとうっかり肩透かしをくらってしまうだろう。
この本には「世界の秘境四方山話」にありがちな嫌味がまるで無いからだ。

例えばバングラデシュへ、アルジェリアへ、ミャンマーの奥地へ・・・などなど、
確かに彼が自分で企画主催して添乗するツアーの行く先はまことにユニーク。
こうした所謂「秘境」と世間に呼ばれるところに日本人ツアーを引率して行く
「秘境添乗員」の話は前半部に色々と語られていて、その話自体は大変面白い。
旅行好きならば、まずは楽しく読めることだろう。
添乗員としてサービスにこれ徹する金子クンの姿は、単なるツアーコンダクターを
はるかに超えて「ツアーバトラー」と呼ぶにふさわしく、仕事内容も非常に
ハイレベルでプロフェッショナルなものだ。

なにしろ彼は、戦乱のイラク自衛隊派兵の「添乗員」を立派にやり遂げた人間だ。
戦地に赴く自衛隊随行と観光ツアーの添乗を、同じ目線で語ったら
叱られるかもしれないが、結局のところ仕事の要は等しく「グループが無事に
食って寝て安全に過ごせるように心配ること」だと思う。
時に危険も伴う異文化環境で続発するトラブルに柔軟に対処しながら、
全員の安全を確保する。
現地住民との円滑なコミュニケーションの仲介役としての役割も欠かせない。
異文化コーディネーターとしての力量がものを言うのは、どちらも同じことだ。

しかも彼はどの仕事も手を抜かず、誠心誠意こなして手抜きなどしない。
戦地に行く自衛隊だろうが観光に行くツアーだろうが妙な差別化などもしない。
要するに「プロ」なんである。
イラク関連のエピソードにも一章が割かれているので、改めて彼の仕事を
見比べて欲しい。

ちなみに彼は、異文化環境にいなくても根っから添乗員みたいなヒトだ。
例えば一緒に歩いていると「あ、そこにぬかるみがあるから足元に気をつけて〜」
「この先の角を右に曲がりま〜す。そこの赤いポストのあるビルのところね〜」と
万事常時こんな調子。
本人いたって自然体でこうなるのだから、添乗員は天職だろう。

そして話は単なる秘境四方山話だけでは終わらない。
そういう類の秘境ツアー裏話を、もっと低レベルで書き飛ばしたようなひどい本が
結構売れたこともあるから、全巻秘境話で終始した方が案外受けたのかもしれ
ないが、この本はさらに深く潜り込んでいく。

実はこの本の真価は、この「潜り込んだ部分」にあるのだと思う。
話は彼自身の過去に遡り、アメリカに留学した高校時代の経験や、見事に正しい
真のエジプト人となった学生時代を経て、ジャーナリストとなり戦地へ赴き、
そうした経験の中で得たものを一つ一つ丁寧に自分のものにしながら生きてきた
いわば「金子クンの作り方」を読者はリアルに追いかけることになる。

それは昨今巷で言葉としては始終出てくる「異文化コミュニケーション」のプロが
如何にして生まれたか、という物語でもある。

そして話は過去を振り返るだけでなく、未来へ向かう動きも見せてくれるのだ。
辛い話もあるのだが、それを超える前向きさがとても良い。
なにしろこの過程で、彼は結婚をするのである。
いらん話かも知れないが、ワタシより一歳年上の初婚だからかなり遅い。
実はひっそり心配していたが、やっと訪れた春はたいそう美しく暖かいようだ。
なによりのことで、本当に嬉しい。

この『秘境添乗員』は金子貴一クンの集大成。
ちょっと間口を広げすぎた感はなくもないのだが、このカオス的な雑多さも彼の
独特の持ち味と思っていただければ幸いなのである。

しかし例えば本書の中の、特に日本でのクルド難民援護関連の話などは、
掘り下げればかなり面白い話になりそうだし、他にももっと突っ込んで欲しい話が
色々とある。
できることならば「次回作へ続く」となればなによりだ。

全体を通して、異文化と触れ合うときに大事なことはなにかを直接間接に
熱く語りかけてくれる本。
日本のグローバル化が叫ばれる中、現状になにか足りない物を感じる方には特に、
単なる旅行書以上の面白さがあると思う。
間口が広すぎたとは書いたが、内容は通常の単行本の三冊分と言ってよいほど。
中身は濃くて充実しているので、色々な人に是非一読をお勧めしたい。


■もくじ

はじめに

第一章 秘境ツアーへようこそ
 
 「第四世界」バングラデシュの旅
 アルジェリアは治安部隊がエスコート
 ヨルダンで預言者モーセの足跡をたどる
 「中東最大の少数民族」クルドの故郷へ
 ミャンマー、密造酒の村で乾杯
 中国・パキスタン「添乗員殺しツアー」
 平成の遣唐使、西安へ
 ピースボート水先案内人
 インド闇社会と平和運動
 砂漠の遊牧民と仲良くなる方法
 世界一周金融調査団

第二章 僕が秘境添乗員になるまで
 
 ホームステイ先は「社会問題の博物館」
 エジプト留学で究極の異文化体験
 エジプト人になりたい!
 いい加減だよエジプトの運転免許
 エジプト人医師にはご用心
 ロバはビジネスパートナー
 テレビ局のカイロ支局でアルバイト
 イラ・イラ戦争の激戦地へ
 七年ぶりの帰国で「浦島太郎」に
 英語教師はつらいよ
 カイロに死す
 エジプトの救急車は命がけ
 秘境添乗員事始め

第三章 いざ、戦火のイラクへ

 隣国ヨルダンで聞いたバグダッド陥落
 自衛隊の通訳としてイラクへ
 イラクで迎えた初夜
 悩める自衛隊員の本音
 サマワで地権者のアイドルに

第四章 ニッポンの秘境・辺境
 
 国内秘境ツアーを始めた理由
 秘境添乗員、教壇に立つ
 観音霊場巡りはスタンプラリー
 花嫁は秘境の女

あとがき


【090626配信 メールマガジン「軍事情報」(本の紹介)より】



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2007年11月23日

エジプトへの邦人渡航者、ついに10万人越え

日経ネットの記事によると、エジプトへの日本人渡航者がついに10万を超えた由。
以下引用。

「エジプトへの日本人訪問者、初めて年間10万人超す
エジプト観光庁によると同国への日本人訪問者数は今年1―10月で10万9000人(前年同期比63%増)と初めて年間10万人を超えた。過去の最高は1997年の9万1000人だった。同年11月17日にイスラム過激派により日本人を含む外国人58人が殺されたルクソール事件以来、10年で回復した形だ」

この「10万」という数は、ずいぶん前から日本エジプトを問わず関係者の悲願だったから、大変嬉しいことだ。

記事にあるように、過去最高は9万越えくらい。
この年は年末年始を控えて「今年こそ10万達成!」と関係者一同が非常に盛り上がっていた時期だった。
JATAという日本旅行業協会主催の大イベント開催の年でもあり、この年エジプト政府観光局は相当な資金を投入して巨大なブースまで設営していた。
当時は私自身も在カイロのホテルの人間で、関係者ということでカイロから日本に出張してきていたのだった。

あのときの勢いは凄まじかったと思う。
初日の客先回りでは、各大手代理店の担当者が新規予約のファイルを積み上げて待ち構えていてくれた。
この数年前に、冷たい目で腕組みして「エジプトねえ・・・まあねえ・・・」と、いかにも気乗りのしない口調であしらわれていたことなど嘘のようだった。
一体どうしてしまったんだろう?!と面食らうほどの熱烈歓迎ぶり。
その日の仕上げは、夜の大手代理店との会食で、高いワインを気前よく抜いた。

座は勢いよく盛り上がり、さて二次会でもしましょうか・・・というタイミングで、同席していた部長氏の携帯が鳴った。
絶句して青ざめる氏の顔は今でも忘れられない。
中座して戻った時に告げられたのは「ルクソールのハトシェプスト葬祭殿で・・・」という信じがたいようなニュースだった。
テロ勃発、である。

そのまま会食はお開きで、ホテルにもどって情報収集に追われた。
CNNをつけっぱなしでカイロに電話をかけたら、どうも話が今さっき聞いたようなことばかりだ。
「ところで、そっちの情報源は?」ときいたら、なんとCNNだったので電話を切った。
今はどうだかわからないが、当時のエジプトの場合は政府からの「大本営発表」など誰も当てにしていなかったのである。
かなり脱力感と徒労感があったが、おかげでここでばたばた情報収集に走っても、結局は自分の気を紛らわせているだけで特になんの役にもたちはしない、ということに気付いてベッドにもぐりこんだ。
しかし一睡もできなかったのをよく覚えている。

直後のJATA会議では、立派に出来上がったエジプトのブースがやけにがらんとして、呆けたような顔つきでぼんやりしている関係者の姿に胸が痛んだ。
こういうと他人事のようだが、私も呆けた顔つきの関係者の一人だったのだ。

そんなこんなで日本からの観光客はしばらく途絶えた。
数年後には何とか持ち直して勢いをつけはじめた雰囲気は感じていたが、ついに今年念願の10万人を達成したわけだ。

あれからもう10年たってしまったのか、という思いと、10年もかかったのだなあ、という思いが交錯して感慨深いものがある。  
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2007年10月09日

カイロのオペラハウスと地震の思い出 其のニ

(前回よりつづく)

カイロのオペラハウス。
何度か出かけたが、実に立派な建物である。
上記の通り、日本の某ゼネコンが日本政府の全面援助の下に建設したもの。
エジプトにこういう施設を作る意義などは云々すまい。
この無駄に立派な施設のおかげで、我が日本国の彼の国におけるプレゼンスは
少なからず上がっているはずだから。

ここの敷地が無駄に広くて、車がないと建物に行き着くまでが大変だ。
車があっても駐車場から結構歩く。
本来オペラハウスとは運転手付きの車で出かけるもの、ということなのだろうか。
この辺に微妙な「エジプトX日本」のオペラ常識のずれを感じてしまうのではあるが、
まあとにかく立派な建物だ。
動線は悪いが。

では劇場所属オペラやオーケストラの実力は、となると、どうも寂しいものがある。
エジプトの場合、西欧のクラシック音楽に親しむ趣味のある層など、まずほとんどないと
言ってよい。
だから、基本的に聴衆不在の国だ。
あとは推して知るべし。

予算も潤沢とは言いがたい。
先の記事を提供してくれた友人は、カイロのオペラハウスと色々お付き合いのあった人
なのだが、彼女の話を色々聞いていても内幕は結構大変そうだ。
実際に演目を観ても、衣装はペラペラだわ舞台装置も小学校の学芸会なみだわで、
観ているほうがどうも辛くなってくるくらい「お台所苦しげ」なのだった。
最近は少しはよくなったのだろうか?

ホテルもそうだし、まあ何事にも通じるのだろうが、立派なハードを作るのは実は簡単な
ことで、問題はそれをどう維持管理して有効活用していくかというソフト部分なのだが、
エジプトに限らず「作りっぱなし」が世の中結構多い。

話がずれるが、東京辺りに文字通り雨後の筍のごとくニョキニョキ立派な外資のホテルが
立ち並ぶ様子を遠くから見るにつけ、建物は作れるにしても、従業員は足りるのかいな、
と他人事ながら心配になる今日この頃。
ハードは作れるだろうが、従業員をどうするのかねえ・・・と思うのだ。
単に英語ができるできないという問題ではなくて、日本人でも外国人でも普通に接客の
こなせるようなホテルマンが、そうそう潤沢にいるはずないのだがなあ。

こうしてみると、カイロのオペラハウスと似たり寄ったりの話に思えてくるから不思議だ。

さて、地震の話。
この友人が言うように、エジプトはほとんど地震が起きないところなのだが、ある時
わりあい大きな地震があった。うろ覚えで恐縮だが、1993年ごろだったと思う。
なにしろ「耐震構造」などという言葉の概念自体が存在しないので、その被害ときたら
大変なものだったと聞く。
その直後に揺り戻しがあった話ははじめて聞いたが、オペラハウスで観衆がパニックを
起こすのも無理はない。

そもそも、日本人くらい地震慣れしている国民のほうが、世界的にむしろ珍しい。
「地震が起きたとき、どのように行動するか」なんてマニュアルが、国民全員の意識に
きちんと刷り込まれているなど、実は稀有なことなのだそうだ。

そんなわけで、トルコ政府がカイロの地震のしばらくあとに、日本から地震の権威を
招聘して諸々の指導を依頼したことがある。
そのときの某教授氏が勤務していたホテルに泊まっていたのが縁で、色々お話を
伺う機会があった。

「先生、イスタンブルにも近いうち地震はあるのでしょうか?」と尋ねたところ
「うむ、近いうちにあるだろうね、きっと」との答え。
青ざめる私を見て笑いながら、
「たぶん、数ヶ月以内から2〜300年以内に」とおっしゃった。

地質学の研究者にとって、数百年というのは「最近乃至は近未来」である、と。
なるほど。

そして地震対策だが、やはり肝心なのは街づくりと、それ以上に地震に対する
各国の行政や人々の意識だそうだ。
この先生はその後エジプトにも招聘されて、このときには勤務先に電話を下さって
再会を喜んだものだった。

そんなわけで、前回の話にあった「オペラハウスに日本人だけのんきに取り残される図」
は、十分起こりうる。
どの程度の地震がどの程度怖いかを知っているのは、まず日本人だけなのだから。

でも、その光景を想像すると、ついついクスクス笑いが出て仕方がないのでもある。

(つづく)  
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2007年10月05日

カイロのオペラハウスと地震の思い出 其の一

カイロ在住当時の友人(AP嬢としておこう)が、面白いものを某所で書いていた。
あまりに面白いから、本人のOKをもらってこちらにご紹介する。
カイロのオペラハウスの話だ。

以下引用・・・:

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ある日「カルメン」を見にオペラハウスへ。
珍しくおフランスあたりから歌手呼んだ公演だった。
で、開幕後20分ほど、カルメン登場して有名な「ハバネラ」を歌い始めて最初のサビのあたりで突然激しい横揺れがっ!
地震ですよ、地震。地質学上地震はほんとにまれ(有史以来記録に残る地震はわずか3回)なエジプト、そこで数日前に有史以来4回目の大が付く地震がありまして、ビルは倒れるわ、水道は破裂するわetc...の大変な被害を蒙りました。

人々は慣れていないだけに、すわ、またか!の場内大パニック。
カルメン歌い終わってないのに総立ちかよと、落ち着いて座っていたら皆我先に出口へ殺到、場内はほぼ、もぬけの殻。私の連れもその家族もうすでに逃走済み。で、周りを見渡すと残っているのはほとんど日本人ばかり...だって我々にとってはこんな揺り戻しなど屁のようなもの。しかもこのオペラハウスは日本の某ゼネコンが建てて無償供与した代物ですから、こん中がカイロで一番安全なんだよ...。

と、舞台上ではカルメンのみひとりぼーぜんと立ちつくし、セビリアのひとびとは蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、オケピはとみると指揮者が唖然とする前で団員は我先に逃げ出す...が、逃げずに持ち場を死守するもの約数名。
それはハープ奏者と、コントラバス奏者、それにチューバ奏者。
なぜか?楽器がでかすぎて持って逃げられない、でも置いて行くのが忍びないという
ミュージシャンの鑑のような(人としてはいかがなものかと...)方たち。
あ〜、こうやって負け戦でも陣地守って死んじゃう兵隊さんがいるのね〜、としみじみ思いました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この光景、かなりリアルに想像できて、ついつい大笑いしてしまった。
ふとあれこれ思い出したので、その辺は改めて・・・

(つづく)  
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2007年03月23日

カイロ近郊に新名所出現?!〜特派員レポート〜

これはちょっと眉唾なのではあるが、画像もあるので御紹介してしまおう。
カイロから戻ってきた私設特派員によると・・・

「カイロ郊外のイスマイリアという都市(スエズの近く)に向かう道路の脇に『奇跡の木』
が出現して話題を集めているのだ!」

・・・と。

経緯は不明なのだが、なにかの事情でコンクリートで埋まっていた木の根元が露出。
そこに「アッラー」と「ムハンマド」の文字が浮かび上がっていた、という話だ。
三週間位前に現れて、あちこちから人が集まり交通渋滞を引き起こしているとやら。

論より証拠?
画像をどうぞ。

新名所1 新名所2 新名所3







突然現れた新名所のご案内。
カイロ空港からイスマイリア方面に向かってほど近い、
カイロ郊外にあるそうだ。

これはいたずらか、はたまた「奇跡」か?
なんとも言いがたいが、とりあえず珍しい写真であろうと思うので、記事に上げる次第。

でもさ、特派員よ、アナタも交通渋滞に「貢献」したワケね・・・と言ったら、
「同行しているエジプト人に無理やり連れていかれたんだ」との由。

かくしてカイロの交通渋滞は、郊外にも発生するのである。  
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2007年03月08日

続々 ベリーダンスの話 〜朝まで頑張れ!〜

一流ナイトクラブでのベリーダンス鑑賞が、男性といえども「難」で、実は「けっこう現実的で辛い理由がある」などと、やけにもったいぶったことを前回書いてしまった。

いや、何も複雑なことはない。
持って回っていうほどのこともない。

例え一流といえども、カイロのこうしたナイトクラブは「強烈な夜更かし型」だ、と、
本当にそれだけのことなのだ。

エジプトに限らず、中東やら地中海地域やらで生活すると痛感するのだが、
日本人というのは実に健康的で早寝早起きな国民だと思う。
なにしろ夕食が6時だ。
レストランのディナーが8時終了だったりする。
ディナーの時間というのは、各国各地で色々なのではあるが、夕食が6時か、遅くても
7時ごろが常識である国、というのは珍しいのではないかという気がする。
その他アジア諸国の状況をよく知らないのでなんともいえないが、少なくともヨーロッパや
中東の感覚でいくと、これは極端に早い。
まあ、日本の場合は夕食がメインの食事だから、早く食べないと消化に悪い、などという
事情もあるのだろうか。
エジプト人など、5時半頃にランチ、などという話もよくあるくらいだ。
ディナーのピークは10時ごろとなる。
飲み屋じゃなくて、ごく普通のレストランが、である。

だからなにがどうなっているんだよ、という声がそろそろ飛びそうだ。

わかりやすいように、とりあえず一流ナイトクラブのスケジュール例をあげてみよう。

22時  開店。ただし、客はいない。たまに間違って入ってきた外国人が、
     所在なげに人気のない店で極限まで遅くしたディナーを突いていたりする。

23時半 前座のバンドが、チューニングなどしている。
     パラリンポロリンとBGMめかしき演奏が、なんとなく始まる。

深夜0時 やっと客が入り始める。二つ目のバンドがゆるゆると、今度はもう少し
     ライブ感のある演奏をやる。ディナーも終わって、夜はこれから、だ。

そんなこんな感じで、ようやく座が盛り上がり始める。
前座やバンドの数は、クラブによる。

深夜2時 べリーダンサー登場!ダンサーの格によって、前座の若いダンサーが出る     こともある。この辺が本番。

深夜4時 〆に歌謡ショー。有名歌手が出て、大いに座を盛り上げる。
     まあ、氷川きよしや北島三郎とまでは行かないが、
     山本譲二クラスの歌手だろうか。

こんな調子で、夜も明け染める頃に営業が終わるのだ。
これは「一流クラブ」の話であって、朝5時ごろから盛り上がる2次会用クラブも、
ヘタすると朝7時ごろからまだまだ頑張るクラブもあるらしい。
老若男女、果ては子供まで、本来夜更かし体質が強いエジプト人。
本気で夜遊びを始めたら、日本人など到底付いていけるはずがないのである。

まあこういう盛り上がりはディスコなどの類も同じで、昔早朝5時ごろに仕事でホテルへお客の出迎えなどに出かけると、眠くてボーッとしているこちらを尻目に、
テンションをあげまくった夜遊び族とすれ違ったものだ。
早朝から疲労感を増す光景ではあった。

一度夫同伴で出た「ナイトクラブ現場研修」では、ひたすら欠伸を噛み殺しながら、
モウカエリタイヨウという態度もあらわな彼を、ナンノカンノと必死でなだめて過ごした。
当然、木曜の夜(エジプトは金曜が休み)に出かけたにせよ、じっと座って飲み食いしながら
明け方まで過ごすというのは、強力なモーティベーションを要することだ。
なんだかよくわからんままに、妻の業務研修に徹夜で付き合う夫の姿、というのも
実に不思議だが健気ではある。
多少ブツクサ言ったからとて、誰が責められよう。

ついでに本当のことをそっと告白すると、私は女性なのでもあるし、ナイトクラブの
実態を知らなかったとしても、直接の業務に支障はないので、断ろうと思えば断れた
研修だったのでもある。
でも、結局その晩そこに夫まで引きずり出して座っていたのは、純粋に好奇心ゆえだ。
スマヌ、夫よ。
もう時効だと思うから、なんとなく謝っておく。

当時はフィフィ・アブドゥという大御所ダンサーが現役で、別のクラブに週何度か出ていた。
夫もこちらは仕事の接待で行ったことがあるのだが、この日のショーとはまるで格違い
だったそうだ。
私自身もその昔にDinaのショーを見ていたので、その日のショーはなんとも中途半端
に思えた。
一流ホテルのナイトクラブだから、絶対に期待感に沿ったものになるとは限らないのだ。

だから、なにが難かと言えば「朝まで付き合う根性がいる」と、そこに尽きる。
エジプト人始め中東の人たちというのは、夜エンドレスで遊ぶことにかけては、
日本人など想像もつかぬほどパワフルなので、いきなり何も知らないで「ナイトクラブで
ベリーダンスのショーを・・・」などと出かけても、たぶん面食らうだけだと思う。

ちなみに、友人のRさんがみたDinaというトップダンサーのショーは、実に素晴らしい
ものだったそうだ。
お値段は一人US$150と、これもまた素晴らしいのだが「その価値は十分にありました」
との由。
これはフルコースのディナーもつくので、日本でクリスマスのディナーショーなんぞを
観に行くことを考えれば、まあリーズナブルな値段といえるかもしれない。

だから、どうしても一流ダンサーの芸に触れたければ、朝まで盛り上がる気合を持って、
根性を入れて、翌日も半日潰れることを覚悟の上で臨むべし、ということになる。

そして、大切なのは、そこまでやる価値のあるダンサーが出てくるかどうか、しっかり
事前に確認することだろう。

そんなわけで観光客相手とは言っても、所謂「ナイル川ディナークルーズ」はコンパクトに
うまくまとまったショーを、まともな時間に楽しめるので、ベリーダンスを雰囲気だけでも感じたい向きにはオススメできる。
しかも、これならば実に健全なので、女性だけで出かけても、まったく不自然ではない。
きれいな夜景を堪能して、翌朝からの仕事なり観光なりに向けて鋭気を養えるので
「観光客向け」と馬鹿にしたものでもない、と私は思う。

まあ、あの「夜のパワー」を実体験することで、なにか一つエジプトを知ることには
なるだろうから、決して無駄だとまでは言わないけれども・・・。  
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2007年03月05日

続 ベリーダンスの話 〜一流ダンサーは何処に?〜

友人のRさんがカイロに行くにあたって、老婆心ながらちょっと「現地事情」の話をした、
前回書いた。

カイロがベリーダンスの本場にして、世界の拠点であるならば、これはやっぱり一目
「一流の芸」をみたいと思うのは人情だ。
最近あちこちにある、BBSやらSNSやらの類でも「カイロでベリーダンスを見るには
どこに行けばいいでしょう」という質問が見受けられる。
大抵が「観光客相手のものでなく、地元の人が行くようなところ」という希望だ。

この場合、答えはシンプルで「カイロの一流ナイトクラブへ」ということになるのだが、
これが案外一筋縄ではいかない。

「ベリーダンスが見られるところ」とまず考えると、

1.ナイル川ディナークルーズの観光客向けショー
2.レストランなどでのショー
3.ナイトクラブ

と、まあこの3パターンだろう。
1の場合、以前に夫が行ってきた記事を上げたことがあるし、Rさんも別の船のショーを見てきたそうだが、まあ「芸としての踊りを見る」というよりは、雰囲気もののアトラクションだ。

2になると、これは場所による。
エジプト以外の国では、ダンサーのレベルの高いレストランもあるらしいが、エジプトの場合はディナークルーズと大差ないことが多い。
高級なレバノン料理のレストランでアラブ人客が多いところならば、ひょっとしたらいいダンサーがいるかもしれないが、場所は限られるだろう。

それならばナイトクラブということになるが、勢い込んで出かける前に、カイロなどの
所謂「ナイトクラブ」とはなんなのかを一応わかっておいたほうが良いかなあと思う。

一言で言えば、これは「夜の紳士の社交場」というやつだ。
この類の場所は、日本でも下は場末のキャバレーから、上は銀座の高級クラブまで、
値段と出入りする人間の階層にあわせて色々だが、これはカイロも似たり寄ったり。
違うのは、あからさまにホステスや酌婦の類の女性はつかないところと、必ず「ショーを見せる」という前提でクラブが運営されているところだろうか。

こういう場所にも種類があって、これはシンプルに「高級」と「その他」にあっさり分けて
よさそうだ。
前者は主に一流ホテル内にあるナイトクラブで、こういうところならば女性客を
見かけないこともない。
但し、その場合は男性に同伴されている、という状態がほぼ鉄則に近い。
まあ、女性だけで入れないこともないのだが、銀座の高級クラブに一見で女性が飲みに
行くようなものだ、と考えたらわかりやすいだろうか?
できなくはないが、ちょっと浮き上がった感じになってしまうのだ。

では「その他」は、と言うと、実は私も行ったことがない。
場所により色々あるらしいけれど、話に出たドイツ人の友人などは一人で果敢にも入ろうとして、入場を断られたりしている。
一流ホテルなどの高級ナイトクラブと違い、こちらは「男性専用」なのだ。
カイロ市内からピラミッドへ向かう、いわゆる「ピラミッド通り」に軒を連ねているナイトクラブなどは大半「その類」で、1〜2軒は筋のいいクラブがあるらしいが、大半は「色と酒」が主体となる。
娼婦がいるのかどうかまでは知らないが、この辺で踊るベリーダンサーには「色がらみ」が
ついて回るという話だ。
システムまではわからない。
ご存知の方は、是非お知らせ下さい。
ワタシもどうなっているのか一応知りたい。参考までに。
一生行くことのない場所ではあるけれど。

そういう事情だから、地元の人は普通はナイトクラブなどに出入りしない。
するとしたら、必ずしも信心の深くない金持ちだ。
高級、その他のどちらであれ、庶民が遊ぶ場所ではないのである。
だから「地元の人が行く場所で、観光客向けでないベリーダンスのショーをみたい」
という外国人ツーリストの希望は、カイロの街の実情とずれてしまう。
残念ながら。

さて、Rさんはその友達と二人連れで出かけよう、ということだったので、まずはその辺の
事情を説明して「行くならば一流ホテル内の高級なところへ、できる限り『男性同伴』で」
とアドバイスしてみた。

カイロのような街で、女性だけで「紳士の社交場」に出かけるとしたら、これは間違いなく周りの男性が放っておかなかろう。本人の受け止めよう次第でもあるが、男を漁りに行くわけではないのだから、まあまず鬱陶しいことになる。

ところが「男性と一緒」というだけで、程度の差はあれ周りは遠慮するのだ。
エジプトにしても、その他中東諸国にしても、彼の地の男達は原則として「他人の領域を侵さず」という、案外律儀な「縄張り意識」を持っている。
他の男性が連れている女性を、じろじろ見ることすら「男としての信義に悖ること」となる。
だから、同胞であるエジプト人始め中東系の男性が連れている女性にナンパをかけるなど、
まったくもって言語道断な行動になる。
フェミニズム的な見地から、女性はモノやナワバリではないっ!と怒る人もいるかも
しれないが、まあそれが現状なのだから一応理解しておいて損はあるまい。
これが外国人だとケース・バイ・ケースで、同胞に対してよりは緩いが遠慮はするはずだ。
多少の粉はかかるかもしれないが、ノーガードの状態よりはマシであろう。

「まあ、だから、誰か信頼できる男性と一緒に行ってね」と私は言った。
老婆心ながら。

尚、クラブの格が一流だから、ダンサーもすべて一流とは限らない。
こういうナイトクラブの場合、あくまでも「紳士の社交場」であって、ベリーダンスを観る
というところに第一義はないので、そうそう極端に下手なダンサーは出さないまでも、
超一流のベリーダンサーが出ているとも限らないのだ。
実際、私は「なんだこりゃ?」と思うような「若手ニューウェーブの新星」とやらのショーを
観る羽目に落ちたことがある。
話はずれるが、昔の勤めていたホテルの「現場研修」だった。
ホテルの商品は一通り見ておけ!という指令だが、まさか一人じゃ行けません、と言ったら
「ハズバンド同伴可」となった次第。
夫同行の現場研修。経費で無料でもあれは辛かったが、その話はちょっと置いておいて・・・。

トップクラスのダンサーは一ヶ所の専属だが、契約をするクラブは数年ごとに変わる。
しかも、こういうダンサーは毎日出ないこともあるので、確実に出そうな日は要確認だ。
だからまず「今をときめくトップダンサー」がどこのクラブに出ているか、から始まって、
まずは調べなければいけない。
ちなみに、RさんはDINAというトップダンサーの出ているところに行った。
どこに出ているのか、と思ったら、私の昔の職場なのであった。
「儲からないからナイトクラブは潰す!」と当時の料飲部長が始終言っていたものだが、
マネジメントの方針が変わったらしい。
組織や物事の方針が、たまげるほどドラスティックに変わることがあるのも、エジプトの
特徴なのではある。

ここで、え〜、それってズルイ・・・などと口走ってしまった私は、単に心の狭い人間だ。
DINAのショーならば、何度でもみたい。
大昔に一度、ピラミッドのほうの超一流ホテルと専属契約を結んでいたころにショーを
観に行ったが、これは素晴らしいものだったのを今でも覚えている。

さて、話が脱線しているが、じゃあ男性ならば、そういう一流のショーを気楽に観に行って
問題ないわけだね、という結論にくると思う。
でも、これがやっぱり「難」なのだ。

けっこう現実的で辛い理由があるので、だんだん歯切れが悪くなるが・・・
まあ、しょうもない理由だ、ということで次回に続く。  
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2007年03月01日

ベリーダンスの話 〜フォークロアの様式化?〜

友人のRさんがエジプトに行って来た。
彼女にとっては、初めての中東だという。
ベリーダンスを習っていてステージにも上がるくらいだから、本場カイロは憧れだったそうだ。

「本場」とあっさり書いてしまったが、これは色々と語弊があるかもしれない。
でも、色々な意味で今も昔も、カイロがベリーダンスの世界的な拠点になっているのは間違いないので、とりあえずそういうことにしておく。

ベリーとは"belly"、つまり「腹」で、文字通り女性が腹部をくねらせて踊る形を
そう呼んでいる。
ベリーダンスの発祥や歴史の話になると、これは諸説あって、ヘタをすると遥かに
5000年ばかり歴史を遡ることになりかねないので、これは私が語れる話ではない。
単純に「中東世界に中世からある官能的な踊りのこと」としておこう、とりあえず。

「とりあえず」が頻発するが、いちいち突っ込んでいくとキリがないのでお許しを。

イスラームは女性が肌を露出することをタブーとするし、ましてや人前で官能的な動きを表現するなど言語道断なので、ベリーダンスは宗教とは別に発達してきた文化だ。
別ではあるが、表裏一体の「裏」の部分ともいえる。

モラルに反するとしながらも、彼の地の人々は踊るのが好きだ。
プロのダンサーでなくても、身内の集まりなどでちょっとした弾みで踊りだす女性達は、色々な形で見かけた。
男性も踊る。
エジプトの場合、他のイスラーム諸国よりに比べて「男女の別」が比較的緩やかな部分があるので、中東では珍しく、男女一緒にパーティーなどの席で踊ってはしゃいで盛り上がる姿を見ることもある。
様式化されたプロのベリーダンスとは違う世界なのだけれど、リズム感や動きは
どこか似通っていて、見ていると面白い。

これを考えはじめると、さてそれではアラブ的な踊りのルーツとはなんぞや、などとややこしい迷路に入り込んでしまう。
だから「とりあえず」この辺でやめておくが、エジプトに限っていえば、こうした踊りは
ほとんどDNAに刷り込まれたようなものに見える。

そして面白いことに、エジプトのベリーダンスは技術的な様式化が意外に進んでいないらしい。
技術的にはイスラエルやトルコ、さらにはヘタをするとアメリカやドイツ辺りのダンサーが遥かに上を行くことがあるという。

アメリカ?
ドイツ??

そう、欧米諸国では過去数十年来というもの、ベリーダンスがメジャーな女性の
「お稽古事」なのだ。
日本でも、ハワイのフラやスペインのフラメンコを熱心に学ぶ人たちがいるようなもの、
といったらわかりやすいだろうか?

ベリーダンスも最近は教室が増えてきたらしい。
こういう教室の場合は、当然だがDNA的な刷り込みのない外国人向けに、きちんと
様式化された基本ステップから応用へ、というスタイルがあるので、例えばエジプト人が遺伝子の呼ぶ声に従って体を動かしながら覚える姿とはかけ離れた世界となる。

ちょっと大げさな対比をしてしまったが、中東土着のフォークロアが欧米を経由して一つの完成された様式が生まれ、源流のある国を部分的に凌いでしまった、というイメージだ。

そこでやっと友人のRさんに話に戻る(やれやれ)。
「本場のエジプト」と言いながら、技術的には意外に見るものはないかもしれないよ、と、余計なお世話だとは思いつつ言ってみたのだ。
「でも、生活に根ざしたソウルの部分で、強く感じるところはあるらしいんだけれど」

一応申し添えれば、以上は昔カイロで仲のよかったドイツ人留学生の受け売りだ。
彼女はドイツからイスラエルに留学して、その後カイロにやってきたのだが、ミュンヘン辺りの
トルコ料理屋で週末はダンサーをやることもある、という人だったのだ。
お蔭様で、けっこう色々面白いところに連れていってもらえて、思いがけず楽しかった。
持つべきものは友達である。

もっとも、こんな薀蓄などRさんは既に承知の上だったので、本当に余計なお世話ではあった。

だからもう少し建設的に役に立てるアドバイスはないか、と考えて、一応知っている限りの現実的なことを話してみたら、これは多少参考になったらしい。
どんなムダ話でも、役に立つなら嬉しいことではある。

(つづく)  
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2006年10月27日

エジプト エネルギー事情(補足と訂正)

10月21日の記事について、知人より補足が。
私の認識不足も多いにあるので、訂正とともに以下ご参照を。

「エジプトにも確かに、天然ガスや石油などの資源はあるが、私の知る限りではせいぜい自国消費程度(ただしおかげで現地のガソリンは安かったけれど)」と書いたが、天然ガスに関しては完全に認識を誤っていた。

「こちらのコメントで、一点少々事実と異なるのは、エジプトは産油国としては小規模ですが、産ガス国としては結構なもの、ということです。今欧米メジャーが大規模な投資を行いつつ、開発事業を行っています。恐らく天然ガス、LNGの輸出で、あの国の経済状態は大きくimproveする筈です」

確かに、シナイ半島や砂漠沿いを走っていると、天然ガスの採掘現場(?)と思しきポイントを通り過ぎることがよくあった。

どうも「エベルギー資源=石油」というイメージが、自分の中で無意識のうちに相変わらず根強いのをつくづく感じてしまった。
それが時代遅れなのはわかっているのだが、しょせんは石油全盛時代の生まれ育ち、ということなのだろうか?

時代は変わってきているのだから、そういう思い込みはよくないなあ、と自戒する次第。

以上、訂正まで。

補足してくださった知人の某氏に、この場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございました。

  
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2006年10月21日

エジプト:天然ガス採掘・石油精製で中国と協力〜ニュースのお時間です

中国とアフリカの関係は、このところ何だか不可思議だ。

以前に、温家宝首相がエジプトを皮切りにアフリカ諸国を歴訪したニュースに触れたことがあるが(こちらを参照)、またまた中国対エジプトがらみのニュース。

詳しくは以下参照。
livedoor ニュース


エジプトにも確かに、天然ガスや石油などの資源はあるが、私の知る限りではせいぜい自国消費程度(ただしおかげで現地のガソリンは安かったけれど)。
確かに日本や欧米の各国資本は入っているが、メジャーな産油国ではない。

スーダンに中国人労務者が大量に送り込まれているような状況は、例えばエチオピアやナイジェリアといった国にもあるようで、人的資源まで無償提供してプロジェクト支援をしている中国。
「どう考えても採算があっているとは思えないものもあるね」とエネルギー関連の仕事をしている知人が言う。

今回の記事は、私の足りない知識と頭でナンボ考えても「なんかヘン」という程度の
コドモのような感想しか出てこないので、こちらはまた別の、エネルギー関連に明るい知人に「このニュース、どう思います?」と、聞いてみた。

知人のコメントは以下の通り。

「中国は御存知の通り、このまま行くとエネルギー不足で破綻、革命が起こる危険も有り、現体制を維持する為にバブルをある程度抑えつつもエネルギー確保に躍起です。

日本は無資源のくせに脳天気ですね。

それでも何等かの新エネルギー対策をしないと、中国も結局近々エネルギーが足りない状態にならざるを得ないのですけどね。

アンゴラ(アフリカ)の石油権益を得る為に日本のODAに匹敵する資金量を使ったし、中央アジアからマジにパイプラインを敷設して石油持ち込んでるし、とにかくブラックホールの様な国ですよ。

これはエネルギーだけでなく、近々食料、水、等でも同様の現象となってきます。
正に「不気味」という表現がピッタリです」

ふうむ、なるほど。
特に近年、石油以上に危機感高まっている「水」も絡む。

中国は国家の一番二番が今年に入ってからアフリカ大陸を囲い込むように歴訪している。
子供が白地図を描くようにわかりやすい訪問順だった
つまり、私にもわかるようなシンプルさだ。
そんなシンプルなものが私にすら感じられる、ということは、深いところでは「もっと凄いこと」になってるんじゃ・・・?、などと考えてしまう。

そのレベルでの歴訪など、それ以前のレベルでのお膳立てがうまくいっていなければできないことなのであるし。

一方で、資源関連の日本の動きは、正直言って良くわからない。
私が知らないだけかと思っていたが、かの知人にして「日本は脳天気」ということだ。

丸腰で兵糧も確保しないで国際社会を右往左往する図・・・なんて、つい想像してぞっとした。

ついでに、近所の大変情けないオス猫を思い出してしまった。
猫のケンカは、最初の睨み合いで勝負が決まるんだけど、目が合う前に逃げまわってる「お坊ちゃん猫」である。
我家のオネエサマ猫たちにまで、馬鹿にされている。

日本がアレだとは、思いたくないんだけれど・・・。

  
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2006年10月01日

第63話 再び、ラマダーンの風景 〜彼らの信仰、私のお仕事 其の一〜(後編)

(前編のつづき)

●「お祈り」と「お仕事」

トルコのときの話は昨年記事をご参照いただくとして、エジプトでのラマダーンは
正直に告白すると、案外人間関係的にしんどかった。

昨年10月13日配信の「第31話」では、以下のようなボヤキが出ている。

「実際、断食をしているイスラム教徒には、異教徒もきちんと敬意を払って行動
することが厳しく求められる。
その雰囲気ときたら、ほとんど押し付けがましいほどで、気を遣いながらも
結構むっとくることがあった。
でも、大勢が「断食すべし」という空気なので、文句など言いようがない。」

去年はこの程度ボヤいただけにしておいたが、実はこの行間には汗と涙の歴史が
刻まれているのだ(ちょっと大袈裟)。
単純に現地にいるだけであれば、案外楽しいことも多いこの季節だが、
カイロのホテルでは仕事と同僚たちとの人間関係の兼ね合いに結構苦労した。

神に祈ることの大切さは、よくわかっている。
どんな宗教であれ、祈ることから全ては始まる。
郷に入らば郷に従え、という言葉もある。
だから、誤解しないでほしいのだが、それでも物には限度というものがあるのだ。

私のいたオフィスは、男性三名と女性一名の同僚と同室だった。
そしてここが「女性スタッフ用のお祈り場」になっていたのだ。

同室の男性スタッフは全員がイスラム教徒だったので、当たり前の用に仕事を中断して
部屋を空ける。
私は「女性だから居ても構わないけれど、目の前だけは通らないように」と
言われていた。

そこまではいい。

しかし参るのは、社内で商談中など、急に書類や資料が必要になってオフィスに
駆け戻ってきたときだ。
「お祈り中」ということで、内側からがっちり鍵のかかったオフィスのドアに、
焦りつつ呆然とすることがよくあった。

こればかりは仕事の邪魔なので、お祈りを始める前にオフィスの鍵を外の秘書の
デスクに置いといてくれろ、と頼んだが、毎度毎度きれいに忘れてくれるのだ。
秘書が居るときは鍵を借りて入るが、居ないときには外でお祈りが一段落つくまで
待つより他ない。

そんなに焦らなくても、現地のペースで仕事をすれば、と言われてしまいそうだが、
当時は結構時間に追われて仕事をしていたのである。

そんなわけで、相当強行に交渉して、怒り泣き、なだめすかして、どうにか
「お祈り中、アリーマが出入りできる用にしておくこと!」という形にしてもらった。
いや、実をいうと、今ではちょっと反省しているのだけれど
「そうしないとドアを蹴破るぞ!」と暴れたりしたのだ・・・嗚呼・・・。

どうせセールス&マーケティング部(私が所属していた部局)の女性スタッフは
皆一人ずつ変わりばんこにお祈りをするのだから、入り口に居る秘書が不在でも、
「次の人」が、オフィスの鍵の番をしておくか、それができないなら
鍵を私のわかるところに置いといてオクレ!という、私の要求は
非礼なものだったのだろうか、と今でもときどき考える。

ちなみに、この部屋の片隅には「お祈りセット」が常備されていた。
ヒジャーブ(髪を覆うもの)、長いスカート(ウェストはゴム入り)、そして絨毯一枚が、
袋におさまっていた。
コーランも一冊置いてあった。

ところで今でも謎なのは、礼拝前の「お清め」だ。
やはり女性スタッフのたまり場兼喫煙所だった、本来はゲスト用のバスルームで、
手はともかく足や顔を洗っている現地人女子は、五年間一度も見たことがない。

夏場は素足だが、冬はしっかりとストッキング着用だし、何しろ化粧は派手だ。
一度落として化粧直しなんて、考えられない。
女性の場合、その辺どうしてたのだろう・・・?

本来ならば、手、足、顔と首は洗ってお清め、という手順があるはずだが、
あれは省略可能なものだったのだろうか?

ご存知の方、教えてください。
私も調べてみますが。

(2006年9月28日(木)配信)

・・・この話題、次号配信に続く・・・

  
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2006年09月27日

国際交流基金の『中東理解講座』


八月にも一度お知らせしましたが、国際交流基金の『中東理解講座』講座、まもなくスタートします。
まだ参加可能ですので、よろしければどうぞ。

http://arima.livedoor.biz/archives/50577900.html

なかなか充実した内容です。
エジプトを様々な視点から捉える講座と、世界規模でイスラームを捉える講座があります。

私も申し込みました。
隅の方で寝ている馬鹿者がいたら、それが私です・・・。  
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2006年09月23日

アズハルパーク in カイロ

シタデルをのぞむ私設特派員がここで「会食」をした、と。
ハンハリーリー市場とAuto Strad Roadの間に、昨年『アズハルパーク』という公園ができて、新しい市民の憩いの場になっているそうです。

レストランもあって、遠くにシタデルとモハメッド・アリ・モスクが見えます。



ちょっと人工的な印象はありますが、娯楽といえば「日暮れ後のお散歩」のカイロ。
車がないとアクセスが厳しいようではありますが、のんびりするにはよさそうです。


レストラン1開店前のレストラン。
イメージ的には「高級」です。
遠くにシタデルを臨みながらのお食事、寒くない時期ならば雰囲気よさそう。




レストラン何故か女性の後姿も写っちゃってますが・・・白いテーブルクロスなどかかって、落ち着いた雰囲気。

ナニ食べたの?
美味しかった??

と、聞いたら「よくある普通のエジプト料理。普通」との由。


まあ、雰囲気が大事、と言うことで。
ただし、お酒は出ません。



旧市街公園から旧市街が見渡せます。
いまだにこんな、中世そのままの町並みも残っているのです。







旧市街2靄がかかったような美しい夕暮れ・・・と言いたいところですが、この「靄」は埃と排気ガスの層ですねえ・・・。

でも、遠目にはぼんやりときれいな夕焼け。

そろそろラマダーンも始まることだから、断食明けのイフタルで、このレストランも賑わうのでしょうか?


  
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2006年08月12日

モロヘイヤ専用包丁(高級品)

もう出盛りになったモロヘイヤ。
エジプトでは初夏から夏にかけてよく食べます。

この料理で一番大変なのが、葉っぱをむしって細かく刻む作業。
最近は現地でも、フードプロセッサーなんて便利ものも出回っているようだけれど、
やはり庶民はひたすらひたすら刻みます。

うまくしたもので、エジプト現地では「モロヘイヤ刻み専用包丁」がちゃんとあります。


モロヘイヤ包丁 カバー付き古典的には、小型の半月刀みたいなものに持ち手を両側につけた形が一般的だけど、先日お土産にその「高級品バージョン」をもらいました。
なんと23エジプトポンド(500円弱くらいでしょうか)。
カバー付きの高級品です!!



モロヘイヤ包丁横ねこバスこれはその中身。
ごく庶民的なものだと、たぶんその半額以下で買えます。

大きさは横25センチくらいでしょうか?
関係ないけど、なんとなく大きさ比較用に置いた「ねこバスのペンケース」は頭から尻尾まで約23センチ。


モロヘイヤ包丁立なんとこの高級品は、取っ手もしっかりとした木でできてるけど、なんと二枚刃!
古典的なやつは一枚刃だから、威力がちがうのだ、と思いますたぶん。

たぶん・・・というのは、実はモロヘイヤは、フードプロセッサーで処理していたからで・・・。



挙句、好きだと聞きつけたオットの会社の人の奥さんが、刻んだのを定期的に差し入れてくれてたものだから、モロヘイヤを手で刻んだことのない駄目な奴なんでした。
スミマセン。

モロヘイヤ包丁横二枚刃の間は2cmほど。
ううむ、これならザクザクいけそうだなあ。





エジプトはこういう鍋釜類は、普通のシンプルなものなら非常に安いから、お料理好きな方は、現地にいったら、高級スーパーマーケットの類でもいいから覗いてみてください。
結構面白いんですよ。

「子羊でも丸ごと煮るのかい?!」と思いたくなるような、馬鹿でかい鍋が「家庭用」だったりします。業務用でなくて。

モロヘイヤ・スープのレシピは、以前もご紹介したけれど以下参照。
http://arima.livedoor.biz/archives/50121436.html

バステトついでだけど、この青い猫は、中王国時代(紀元前2000年頃)にファイユームというところ出土した、ファイエンス焼き(一種の七宝焼きみたいなもの)の像で、お土産でレプリカがよく売ってます。
「バステト」という女神の像です。

何の神様か、というところはいまひとつ曖昧で、一応「恋と音楽の神」とか「母性の神」などといわれていますが、そんなに大げさな神様ではなくて、ギリシャ神話のミューズに近いかもしれません。

ともあれ、猫が古来可愛がられていたのが良くわかります。

この辺の詳しい話は『中東犬猫話』ということで連載記事にしたことがあります。
関心ある方は以下をご参照ください。

http://arima.livedoor.biz/archives/cat_50005203.html

  
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2006年08月06日

エジプト東方砂漠 遊牧民の貴重な記録


先日ご紹介した、常見藤代さんの写真展にお邪魔してきた。

紅海沿岸のハルガダあたりからナイル川にかけて広がる、東方砂漠で遊牧生活を送る女性の記録だ。

私自身は写真はシロウト以下なので、非常に月並みなことしか言えないが、裸足で岩山を駆け上がる男性の図(「靴など履くから、足の裏が弱くなる」と言うような一言が、ストレートに伝わる一景)、婚礼の写真、駱駝たちと戯れる女性の図(この女性が単独で放牧生活を送っている、その生活を追っている)など、遠い砂漠の世界に思わずいざなわれていくような気持ちがした。
ステキな写真ばかりだ。

それ以上に、記録として、国際的にも得難いものだ。
消えゆく遊牧民の生活文化。
現実的には観光客が相手の仕事が主体となって、定住生活に変わっていく一族の男たち。
その中で、ひとり女性が七頭のらくだを引いて遊牧に出てゆく。

以前から、写真の語るものの大きさ、重要さを痛感してきているのだが、写真の隅々に見受けられる、衣食住などのディテールを実に興味深く見た。

お忙しい中での立ち話ではあったが、色々とお話も伺えた。

この女性の部族は一帯に千人ほどいるのだが、お互いにどこの誰かを知っていること。
女性は(一軒お婆さんのようだが、58歳との由)夫が足を悪くして定住生活を余儀なくされており、9人の子供がいること。
部族の連帯に守られて、何の危険もなく砂漠の遊牧生活をしていること。

これは随分前に別のところで聞いた話だが、いわゆるベドウィンの部族としての連帯は確かに非常に強固なのだそうだ。

たとえば、通常は「どこからきた?」と出身地を尋ねる都市のエジプト人と違い、
「おまえはどこの部族だ?」とたずねるという。

そのときフィールドワーク中だった某氏は、とっさに「日本の姓だって部族名みたいなもんだわい」と「アナ・アル-ヤマーダ(仮名)」と答えられたとか
(アナは「私」、アルは定冠詞で、部族名などの一族名の前に付ける)。

アートには疎い私ではあるが、砂漠の風景はやはり心を鎮めてくれる思いがする。
活き活きと生活する人々の、姿や表情は、さすが生活をともにした人の撮ったものだ。
写真一杯に愛情と共感があふれて、気持ちが和む。

乾いた気持ちに潤いを求める方も、是非どうぞ。


常見藤代写真展
「Becoming the Legend」
(砂漠の荒野に生きる)  

◆日時:2006年8月2日(水)〜8月11日(金) 
    10:30~19:00(最終日15:00まで)

◆会場:コニカミノルタプラザ・ギャラリーC(新宿駅)
    TEL:03-3225-5001

(地図)→東口を出てすぐの、タカノのビル内です
http://konicaminolta.jp/about/plaza/access/access.html

末筆ながら、お忙しい中色々お話いただいた常見さん、どうもありがとうございました。
  
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2006年07月28日

常見藤代さんの写真展「Becoming the Legend〜砂漠の荒野に生きる」

写真家の常見藤代さんが、個展を開かれます。

エジプトの東方砂漠でひとりで遊牧する一人の現地の女性を、常見さんが3年間撮ってきた写真の集大成です。
ラクダ7頭とともに、女性ひとり、広大な砂漠を自由に移動して生きるエネルギーや行動力に惹かれ、常見さんが撮りためてきた写真が展示されます。

常見さんによると、97年以来雨が降らないために遊牧が困難になり、ほとんどの遊牧民が定住地で観光客相手の仕事をして暮らすようになり、今でも遊牧生活を続けているのは数家族だけ。
あと数十年もすれば砂漠に遊牧民はいなくなってしまうだろうと言われているそうです。

貴重な写真が見られることと、私自身大変楽しみにしております。

ピラミッドなどの古代遺跡やイスラーム文化といったエジプトと、また違う世界が広がることでしょう。
皆様、よろしければ是非お運びください。

詳細は以下の通りです。


常見藤代写真展
「Becoming the Legend」
(砂漠の荒野に生きる)  

◆日時:2006年8月2日(水)〜8月11日(金) 
    10:30~19:00(最終日15:00まで)

◆会場:コニカミノルタプラザ・ギャラリーC(新宿駅)
    TEL:03-3225-5001

「Becoming the Legend〜砂漠の荒野に生きる」
2006年8月2日(水)〜11日(金)
 10:30~19:00(最終日15:00まで)
コニカミノルタプラザ・ギャラリーC(新宿駅)。
(TEL:03-3225-5001)

  
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2006年07月16日

鳩料理@カイロ『アラベスク』

レバノンがあのようなことになっている中、のんきに料理の話しなんかしていてよいのか、とは思うけれど、このあたりは『軍事情報本誌』にお任せしよう。

お料理の続き。
場所は引き続き、カイロのレストラン『アラベスク』。

さて、モロヘイヤはスープだったので、次はメインディッシュ。
鳩料理が出た。

鳩はアラビア語で「ハマーム」というのだけれど、面白いことに「風呂」とか「お手洗い」も「ハマーム」。
綴りも同じ。

何故なのか、あっちこっちできいて見たけれど、理由不明。
なにかの偶然だろうか?

鳩料理
しかし・・・嗚呼、哀れにもすでに分解済みの姿。
まあ、食べてる途中で思い出してくれただけよしとしよう・・・。

これは「ハマーム・マハシ」といって、中に詰めものをしてグリルした鳩料理。


マハシというのは、なにかに詰めたり包んだりする料理法だ。

キャベツに包めば「マハシ・コロンバ」、ぶどうの葉に包めば「マハシ・ワラク・エナブ」というわけ。
トルコ料理だと「ドルマ」とよばれるけれど、基本的に同じ料理。
おそらく元はトルコ料理だったのだろうな、と想像する。

引きわり小麦や米、松の実などを炊いて味付けをし、スパイスをいれたものを、
鳩のお腹に詰めて焼いた料理だ。

エジプトも含め、中東ではそんなに強烈にスパイスを入れないので、たまげてイスから落ちるほど特殊な味付けにはならない。
日本人には食べやすい反面、凝った強烈なエスニック料理を期待する向きには、少々退屈かもしれない。

鳩料理の場合、もっとシンプルに「マシュウィ」つまり「焼いただけ」のものもある。
観光客用の店では取り外されているが、ローカルな店では頭がついたまんま焼かれた鳩が一羽、丸ごと供される。
気の小さい人は、目をあわさないようにして食べるとよろしいようで(?)。

鳩自体が小さな鶏だから、案外食べるところは少ないが、独特の野趣のある風味がなかなか結構な一品だ。

しかし・・・鳥インフルエンザ警報をアレだけ飛ばしておいたはずなんだけれど・・・。

目下は余りお勧めしないが、この騒動が一段落したら、是非お試しいただきたいエジプト名物料理なのではある。



  
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2006年07月12日

モロヘイヤ・スープをカイロ『アラベスク』で

レストラン『アラベスク』再び。
まずは「モロヘイヤ・スープ」です。

最近は日本でも、普通に出回っています。
カイロにちょっと遅れて、そろそろシーズンですね。

過去の記事にも書いたけれど、モロヘイヤ・スープと言いながら、本来これは「ソース」の扱いで、ウサギのグリルやチキンのグリルにかけていただくのが一般的ですが、このようにスープにすることもあります。

モロヘイヤスープ4
刻むと粘り気のでるモロヘイヤなので、このように粘り気のあるスープです。
欧米人にはいまひとつ人気がないらしいのですが、日本食に「粘りもの(?)」が多いせいか、日本人の口にはあいます。

私も大好き!


モロヘイヤスープ
本当は先にグリルしたチキンなどがはいってますが、今回はスープです。






モロヘイヤスープ2
次にご飯を投入。
ご飯は油やバターを入れて炊いたものです。





モロヘイヤスープ3
ご飯が入りました!(あ〜、おいしそう・・・)







モロヘイヤスープ トマトソース
トマトソースをかけます。






モロヘイヤスープ トマトソース2
色どりが綺麗です。
家庭料理だと、もっとごっちゃな感じですが、これはかなり上品ですね。






モロヘイヤスープ タマネギ
次にタマネギ投入。






モロヘイヤスープ タマネギ2
一般的には、揚げたタマネギをいれるのですが、ここでは生のものの様子。






これで「いただきまーす!」となります。
ここのレストランは、外国人が多いのでこんな風に上品なものになりますが、
レシピは家庭により場所により千差万別。

共通しているのは
「うちの母さんの(又は奥さんの)が一番うまい!」
と、皆さん口をそろえることでしょうか?

家庭によばれると、われら夫婦のために大鍋一杯作っておいてくれて、
「それ食え、ほらほらもっと食え、ぜんぜん食べてないじゃないか〜!」
と、まさに「わんこモロヘイヤ」状態になります。

家庭料理なので、なかなかレストランではお目にかかれませんが、ここ『アラベスク』ではほぼ常時出しています。
いかにもローカルな迫力はありませんが、これはこれで上品で美味しいのです。

モロヘイヤは初夏から夏が旬の野菜なので、やはりこの時期が美味しいのですけれど、ここのレストランではほぼ常時出ています。
冬は冷凍ものを使っているようです。
ただし、オフ・シーズンに「どうしてもモロヘイヤ!」という場合は要確認。

さて、食事は続きます。
つづくは鳩料理。

お楽しみに・・・。

(つづく)

PS:
尚、以前後紹介した「アリーマ・レシピ」は以下の通り。
ご参考までに。

http://arima.livedoor.biz/archives/50121436.html



  
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2006年07月10日

エジプトのビール 懐かしのステラ・ローカル

過去の連載で、呆れたことに延々二回もステラ・ローカルことエジプトの国産ビールの話を書いていた。

時期もいまくらい。

要するに、ビールの美味しい季節になりました、ということだ。

過去の記事などは以下参照。
http://arima.livedoor.biz/archives/28337244.html
http://arima.livedoor.biz/archives/28607446.html

上記にも書いたが、エジプトの企業民営化が進み、この10年ほどで一気に色々なことが変わっていった。
その中でも、私が勝手に特筆したいのは(?!)、ステラ・ローカルことエジプト国産ビールの状況だ。

現在ハイネケンのグループ参加にはいり、種類も山ほど増えたという。



ステラ・ローカルでも、私がカイロあたりをうろうろしていたころに「命の水」となって苦楽をともにしたのは、酸っぱくて不味くて、ロシアンルーレット以上の死亡率・・・じゃなくて酸化率(飲めない。泡が立たない)の高い「ステラ・ローカル」だった。





ステラ・ローカル ロゴ入りグラスも!私がカイロを去った後、ラベルまで一新してしまった。
昔のトモダチが、出世して口もきけないヒトになってしまったような寂寞感を・・・ちっとも感じないけど、フン、なんだい!という気分にはなる。
コナマイキにも、ロゴ入りグラスまであるらしい(これ、欲しいなあ・・・)。

写真は再び、私設特派員@オット撮影。


アラベスクのメニュー表紙『アラベスク』という、高級エジプト料理店に出かけた時に撮って来てくれた(撮るなら、メニューの表紙よりも入り口がよかったんですけど・・・)。

エジプト料理の専門店にして高級店で、しかもお酒も出すところというのは案外とないもので、昔々から日本企業関係などの接待はここだ。
でも、そう馬鹿にしたものではなくて、いわゆる現地式よりはかなりさっぱりしているが、店の雰囲気も併せて決して悪くはない。

カイロのダウンタウンにある。

カスル・エル・ニール通りここはカスル・エル・ニール通りという、町の中心「タハリール広場」から伸びている大通りだ。
レストランはこの道にある。

道路わきに並んでいるのは「路上駐車」の車。
過去を知っている私にとっては、余りに整然として薄気味悪いくらいだが、両脇にきっちりと「路駐」なのではある。

昔はこれが二重駐車、三重駐車だったものだし、車が実に綺麗で高級になった。
富めるものがより豊かになってはいるようだ。

なにしろ、車が陽を浴びて光ってるからね・・・昔は、煤けて汚れて光りませんでした。
見ての通り、街路自体は古い。

昔の風景は、むしろ最近のカルツームに近い。
こちらの写真は改めて・・・。

カイロのダウンタウン2埃と人ごみと喧騒のない朝まだきなど、このあたりを歩いていると、石造りのヨーロッパ風の建物がオリエントの色をかけて、不思議な空気を醸し出している。

意外と洒落た街路ではあるのだ。
本来は・・・。

と、いうわけで『アラベスク』でのお食事風景へ続くのである・・・お楽しみに。

(つづく)

  
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2006年07月09日

ムバラク大統領の「ノクタ」

某オトモダチにお願いして、以下の「ノクタ」をいただきました。
まあ「小噺」みたいな意味合いですが、エジプト人は寄ればさわればこればかり。

御提供いただいた、ヤー、マイフレンドー!
ありがとうね。

以下、ノクタ。

其の一

ムバラク大統領が飛行機の機内で100ポンド札を拾った。

「良い事を思いついたぞ! これを窓から落とせば、拾った者が幸せになれるな」
「さすがは大統領様。常に国民の幸せをお考えでいらっしゃいますね。僭越ながら大臣にも提案がございます。」
「なんだ、言ってみろ。」
「これを1ポンド札100枚に両替してからにされますと、100人が幸せになれます」
「ふーむ。名案だ。早速両替だ」

機内で1ポンド札を集める大統領。ところがどうしても集まらない。
そこでコックピットへ行き「1ポンド札を持ってないかね?」と聞いてみた。

「大統領様、どうして1ポンド札が必要で?」
「名案を思いついたんだよ。かくかくしかじか・・・」
「なるほど。さすがは大統領様。僭越ながら機長にも提案がございます。」
「なんだ、言ってみろ。」
「窓から大統領様自身が落っこちれば、7000万人のエジプト国民全員が幸せになれます」

まだあるのだ。

其のニ

ムバラク大統領は夜の散歩が大好き。
闇にまぎれて一人で束の間の自由を楽しんでいた。
ところが、ある日大きな穴に落っこちた。
「おいっ、なんでこんな所に穴なんかあいてるんだ。危ないじゃないか!
責任者は死刑だな。ぶつぶつ・・・。」

そこへ誰かが通りかかった。
「おーい! 助けてくれ!」
「あんた誰だい?」
「誰だっていいだろ。さっさと助けろ!」
「いやだね。名乗らなきゃ助けてなんかやらない。」
「・・・」
「なんだい? 聞こえないよ。」
「ホスニ・ムバラクじゃ」
「大きな声で言ってくれぇ!」
「ホスニ・ムバラクじゃ! 大統領じゃ!」

ほんまかいな?
言うに事欠いて・・・面白い奴め・・・と思って助け出したら、本当に大統領が出てきた。

「あーあ、助かった。ありがとう。ところで私を助けたことは内緒にしてくれ。メデイアに笑われちゃかなわん。」
「大統領も私に助けられたことは内緒にしてくださいまし。エジプト中から袋たたきにされちゃかなわない・・・」


笑いの中に、国民の真情が垣間見える。
とりあえずエジプト人は、どんな状況でも笑っているから、これだけは立派だと思う。

ただ、これからエジプトに向かう方は、このノクタを公開する場所を考えたほうがいいかも・・・。
  
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2006年07月06日

最近のベリーダンス カイロにて(びっくらこきました!)

ベリーダンスのみられる場所は、あちこちいろんな種類のものがありますが、一般的には観光用のナイルディナークルーズ、ということになります。
"Nile Maxim"という船が、企業の接待などには好評です。

ちなみに、民族舞踊や歌謡ショーなども入る、極めて健全なものです。

で、オットが写真を撮ってきてくれて、ぶったまげました。
いやはや「最近の映像」が語るものは多いです。

ベリーダンス1
以前は「踊るボンレスハム」みたいなオバサンが出てきてがっくり、なんていうこともありましたが、踊りのほうはともかく、まあ綺麗なヒトが踊るようになったものです。




ベリーダンス2
どうもエジプト人ダンサーではなさそうなイメージ。
何より、な、なんとナイスバディーでございましょう。
しかも、本来は揺れるお腹がセクシーなベリーダンスですが、このお姐さんの腹筋は割れています!!(ワタシが興奮してどうする・・・)。




ベリーダンス3それよりナニよりたまげたのは・・・露出度!!
以前は、お腹の部分は透けてもレースをつけ、胸周りの素肌がこのように露出するなどとんでもない話でした。
最近はその上、こんなそばに来て微笑んでくれちゃうんですね。
テーブルにいる男性諸氏(オット含む)の、鼻の下の長さが見えるようです。


かつては、ディーナというエジプトでもトップクラスの有名なダンサーが「それで逮捕するのなら、やってごらん!」と、敢えて素肌を出して踊った(もちろん露出度は写真程度ですが)、という話が伝説になっていたくらいです。

なるほど、こういうところにも、ひとつ世相が見えてきます。
いつからこうなったのかわかりませんし、どこでもそうなのかどうかも不明ですが、ひとつ頑強に守られていたタブーが消えた、という、この一事はオドロキです。

いやもう、見たときは「ひゃ〜、これって、素肌だったのっ?!」と、思わず驚きの声を上げる私に、やけに嬉しそうに「うん!」と答えたオットではありました。

バカタレ!
  
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2006年07月03日

エジプトの「言論の自由」〜「ニュースのお時間です」

ここ数年のエジプトの様子を遠くから眺めていて、ムバラク大統領もずいぶん、国民の言論に柔らかくなったものだなあ、と隔世の感を覚えていた。

私がはじめてエジプトに行ったころ(1980年代末)は、渡航前に
「たとえ日本語でも、エジプト政府批判などを外でしてはいけない」
「電話で政府批判じみたことを言うのも、やめたほうがいい」
などなどと言い聞かされて旅立ったのを覚えている。

だから「言論の自由」などという概念自体がなかったし、私の電話にも始終盗聴音が入っていた。
突然しゃべっている相手の声が遠くなって「ザーー」という雑音が入るので、
すぐわかるのだ。

これは、カイロの某警察署の署長から教えてもらったことだ。
「そうなったら、しゃべることは気をつけておけよ」と。

ちなみに、このオジサンは面白い人で、どこぞかの飲み会で知り合ったんだけど、ハッシシやって、酒飲んで、パトカーに飲みにきてたヤツまとめて乗せてディスコ連れてってくれたりしたものだ。

たまに誘いが来ると飲みに行ってたが、色事方面に話が行きかけると全部ハナシがあさって方面に飛ばされて宙に浮くので「誘うだけムダ」と思うようになったらしくて、いつの間にか電話がかかってこなくなった。

そんな話はともかくとして・・・。

最近はエジプト人もかなり堂々と政府批判などするようになった。
夫に色々聞いてきてもらった話やら、単なる英語のタウン誌だった
"Egypy Today"などという雑誌が、かなり政治批判的な記事を乗せるようになっていることやらを遠くから見るにつけ、ドン・ムバラクも年をとって、少しは軟化したのかねえ、などと思っていたが、やはり根本的なところは変わらないらしい。

要するに、対外的なポーズであり、国民の不満の軽いガス抜き程度の変化で、
本質的にはやはり言論統制の厳しい国なのだ。

反ムバラク的な記事をかいたかどで、逮捕拘留されていたエジプト人記者に
有罪判決。

詳細は以下を参照。
livedoor ニュース


そういえば、国家治安維持法の廃止も先延ばしだ。

のんびりのんきに見えて、案外辛いところもある国なのではある。  
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2006年06月30日

カイロの夏の過ごし方 【第60話】前編

◆ 第60話 カイロの夏の過ごし方


●カイロの夏は40度を超える、が・・・!

去年もちょっと「カイロの夏」のお話は出した。
http://arima.livedoor.biz/archives/29066522.html

そう、今頃のカイロときたら、30度など軽く飛ばして、みるみるうちに日中は
40度をこえる。
こうなると「暑い」というよりも「熱い」。

これを聞いただけで「夏のエジプトなど金輪際行くものか!」と反射的に思う
ことだろうが、私の個人的な感覚で「夏のカイロと東京、どちらか選べ!」
と言われたら、迷わず「カイロ!!」である。

たまたま触れてきたことではあるが、エジプトというのは湿気がないので、
40度であれば感覚は東京の30度くらい。
暑いことは暑いが、日陰か室内にさえいればよいことで、しかも陽が落ちれば
涼しい風が吹く。

また、カイロでは公式に40度は滅多と越えない。
実は、40度を越えたら「勤労者は家に帰ってよい」という規定があるとやらで、
政府の公式発表はたいてい39度止まりだ。
うそつけ!と言いたくなる日は結構あるが、まあそういうことになっている。

確かに40度を越えた中で外にいるのは辛い。
しかし、35度くらいなら快適なものだ。

だから、早朝や日没は意外に過ごしやすい。
そう思うのは私だけではないようで、カイロ日本人会がアンケートをとったら
「東京よりもカイロが過ごしやすい」と答えた人が圧倒的に多かった。

ツアーも夏場は、どうしても日中炎天下の行動はある程度避けられないものの、
出来るだけ早朝に観光を持ってくれば、案外耐えられる。

しかも、完全なオフシーズンだから、冬場は大混雑の各有名史跡などは
空いていてゆっくり見学できる。
ちゃんとしたホテルはプール装備なので、朝観光したあとは、のんびりと
プールサイドで寛ぐ、などということも可能。
案外ツアーシーズンとしても捨てたものではない、と私は思っている。


●カイロで「避暑」をする人々

でもだからといって、中東がどこもそのように快適だ、というわけではない。
それを証拠に、夏場になると、サウジアラビアやクウェートなど湾岸方面から、
一斉に長期滞在客が押し寄せてくる。

目的は「避暑」だ。

参考までに、本日6月22日の各地の気温と湿度を・・・(Yahoo! Weatherより)

    日中平均 最高気温 最低気温  湿度
東京   25度   27度   22度    78%
カイロ  35度 35度   25度   34%
リアド   44度  43度   31度    8%
ドバイ  36度   32度   25度   67%

今日のカイロはちょっと湿度が高そうだが、まあでもこのくらいならば、
体感気温を10度引いたような状態を考えれば爽やかなものだ。

しかし・・・ナンボ湿気が辛いとは言ったって、カラッカラの低温オーブン
みたいなところは、やっぱり遠慮したい・・・嗚呼、リアド。

そしてドバイ・・・今は行きたくない。以上。

尚、日中平均のほうが最高気温のほうが高いのは、単に不思議だが、
これはYahooのデータである。念のため。

だから、湾岸諸国の住民にとって、カイロとは実に過ごしやすい街なのだ。
アラビア語も通じる。
だから、夏のカイロの高級ホテルは意外に混んでいる。
遺跡は空いているにせよ。

(後編に続く)

(6月22日配信)


  
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2006年06月01日

カイロの街角にて 雑誌スタンド

カイロの雑誌スタンド
こういうスタンドは、カイロに限らずどこでも結構良く見かけます。
各国語の新聞や雑誌が、街の埃(しかも埃及国カイロの)をきれいにかぶりながらも、色々そろっています。

ザマレクという「南青山・麻布的」な外人密度も反映しているのでしょうが、
日本よりはるかに海外の雑誌や新聞などは買いやすいです。
ほこりっぽいけど。

昔は結構厳しい検閲があって、塗りつぶしやひっちゃぶきが良くありましたが、
最近はどうなのでしょう?

ただの「英語タウン誌」だった"Cairo Today"が、最近はかなりストレートに政治的な記事を載せるようになるくらいだから、かなり緩和されてはいるのでしょうね。

店の人は、そこいら辺でぶらぶらしています。
無人ではありません。念のため。

  
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2006年05月31日

カイロの街角にて 高級果物店

カイロの高級果物店
露天ではまた違う風景ですが、なぜかこういう高級住宅地にある果物屋に限らず、カイロじゃとっても綺麗に果物を並べます。
一個とったら、全部崩れるんでないか、と不安になるほどです。

こういう熱意と几帳面さが、あの国民のどこから出てくるのか、
時々私は不思議に思います。

尚、この写真はまだ春先で、それほど果物が出回っていないころ。
それでもこんなに色々そろっています。

私がいたころは、スイカ一個50円とかでした。
オレンジ1キロ30円、とか。

日本帰国後、しばらく野菜や果物が買えなかった私です・・・。
  
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