イングランド代表23名に、史上最年少のテオ・ウォルコットが選ばれた。
大方は以下のとおり。
livedoor ニュース
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20060510-00000021-spnavi-spo.html
私が面白いなと思ったのは、このサプライズ自体より、イギリスのマスコミの反応だ。
15日日経の夕刊に出ていたのだが、
「初の記者会見でウォルコットが『ラグビーやクリケットの選手がしゃべるような』知性あふれる上品な英語を話した」との由。
はぁ、イギリスは階級社会ときいてはいたけど、スポーツにもそういうところがあったわけね、と、初めて知った。
特に「ラグビー」というのが面白い。
日本的感覚では、サッカー選手もラグビー選手も、行動や話し方にあからさまな違いがあるとは思えないけれど、発祥の国ではそうじゃないわけだ。
へぇ。
私自身はロンドンに何回か数日滞在した程度で、イギリスの事情は疎い。
ただ、昔の中東の職場でボスが三代続けてイギリス人で、一時はボスのそのまた上のボスまでイギリス人だったころがある。
もちろん皆、それなりに育ちの良い人ばかりだ。
そして、この大ボスが実に典型的な上流タイプだった。
カイロからの日本出張に何度も同行して鞄持ちをやったものだ。
当時の勤務先は、グループ全体が日本の某Sグループ傘下にあって、ここが飛ぶ鳥を落とさんばかりの勢いで幅を利かせていた時代だった(いまや見る影もないのをみると、つくづく時代の流れを感じてしまう)。
さて、そんなわけで、当時は世界各国からお偉いさんたちが日本へぞろぞろやってきていた。そして、このグループの総裁T氏とその御曹司が歓迎レセプションにお出ましになって「わざわざ中東アフリカ(くんだり)から御苦労にも(ぞろぞろ)やってきた」
と、グループの全員がお声かけをいただいた。
その後、私とも日本語で言葉を交わしたのだが、T氏が離れるなり大ボス曰く
「彼の日本語は、どうだった?」
「は、と、いいますと・・・?」
「だから、どういうアクセントだったかときいているのだ」
「標準語でした」
「そうではなくて、あれだ、いわゆる『上流』の言葉だったのか?」
「はぁ、なるほど。ええとですね、日本語というのはそういう言葉の棲み分けが薄い言語でして・・・」とか言ってるうちに、カクテルパーティーの席上のことでもあって、話はうやむやになってしまった。
大ボスにしてみれば、T氏の一族がただの成り上がりなのか、それともまっとうな上流の人間なのか、興味があったのだろうと思う。
大層ブリティッシュな関心ではある。
ふうん、そういうものなの、と軽く納得したのを覚えている。
ウォルコットの話をきいて、そのことを思い出した次第。
確かに、そういわれてみれば、例えばベッカムのしゃべる英語というのは
さっぱりわからない。
ほかの選手も色とりどりというのか、聞いたこともない妙なアクセント満載なので、
前のワールドカップで、イギリスチームのインタビューは結構面白かったのを覚えている。
もうひとつ余談だが、中田英寿のイタリア語のことを、日本でも指折りというイタリア語通訳の方に尋ねたことがある。
ほとんどわからない人間にしてみれば、まるで鳥が歌うような中田のイタリア語は見事なものに思えたのだけれど、実際のところプロの耳にはどう聞こえるのか興味があったのだ。
彼によると「サッカーっていうのは、町のニィちゃんレベルの選手が多くて、その辺といつも一緒にいて覚えたイタリア語だから、確かにうまいけど、あんまり上品ではないね」ということだった。
別に中田選手をどうの、というつもりはない。
ただ、ヨーロッパとサッカーと階級階層意識、などという三つ巴を漠然と思ってみただけのこと。
それだけです。