●深夜の野犬狩り
犬の話に戻ろう。
私がはじめてカイロに行った1980年代末から比べて、十年ほどの間に町の野犬
はずいぶん減った。
最近では夜歩きに金属バットなんていうこともないだろう。
何しろ、やるといったら徹底的にやるエジプト政府、どうもある時期
「野犬一掃作戦」に出たらしいのだ。
カイロに行ったばかりのころ、深夜にパァン、パァンという音が良く聞こえた
ものだった。
何だろ、爆竹?などと思って、たまに耳を澄ましていると、パァンの後に
「キャイーン」という悲鳴・・・まさかと思って知り合いに聞いたら
「野犬狩りだよ」とあっさり言われた。
・・・ていうことは、あれは「銃声」・・・?!
するとその後の「キャイーン」は・・・と、背筋がちょっと冷たくなった。
確かに、いつもうようよいる犬が、なんだか今日は突然少ないなあ、
と思うことはあったのだが、あの「パァン」「キャイーン」と頭の中で
つながっていなかったのである。
そんなわけで最初は妙に気分が暗くなったのだが、慣れというのは
恐ろしいもので、半年もすると「ああ、またやってるなあ」くらいの感覚に
なってしまった。
殺される犬はかわいそうだが、私も実際に群れに囲まれて相当肝を冷やした
ことがあるのだ。
たまたま昼日中で、気がついた通りすがりの人たちが棒やら石やらで追い払っ
てくれたから良かったようなものの、バッグ一つない手ぶらで応戦しようにも
敵は十匹ばかり。
「へっへっへ・・・」みたいな顔つきで、ぺろりんと私の脛をなめてくる。
こういうとき、知らん顔をせずにちゃんと誰かが助けにきてくれるのは、
エジプトのいいところだと思う。
徹底掃討作戦が功を奏したか、現在カイロ市内中心部で野良犬は目立たなく
なったはずだが、まだ郊外や地方などでは徹底していないとも聞く。
犬好きにはつらいかも知れないが、狂犬病の恐れもあることだし、カイロに
限らず中東界隈では、気楽に野良犬に近づいて触れたり餌をやったりするのは
やめておいたほうが無難だ。
●軍用犬に防弾ジャケット
エジプトに限らず、イスラーム圏では犬を屠殺することに抵抗が薄い。
世相が荒れている時などは、かつてのカイロのように簡単に銃を向けられる。
これは去年の話だが、イラク駐留の米軍では軍用犬に防弾ジャケットが
支給されたそうだ。
なんと一着1000ドルなり。
でも、軍用犬の訓練育成には何でも一匹6万ドルもかかるとか。
イラクの群集の銃弾で野犬並にむやみと撃たれていてはたまらないし、
何よりも「自分たちのパートナーを守るため」という。
しかも、反米気運の高い中である。
文字通り「アメリカの犬」ということになったら、もう格好の標的だろう。
一匹につき1000ドルのボディーアーマーくらい、安いものだということである。
防弾ジャケット、役に立ってくれているといいのだけれど。
余談だが、カイロのホテルに勤務していたころ、この「アメリカの軍用犬」は
何度か見たことがある。
勤務先はアメリカ大使館御用達だったので、VIPがくれば必ず関係者が
ホテル中を埋め尽くしたものだ。
カイロの各国大使館は、少なくとも先進国に関しては基本的に大臣クラス以上
のVIPのミッションが宿泊するホテルはほぼ固定していた。
裏動線まで把握して、使い慣れたホテルが警備上都合がよいかららしい。
アメリカ大使館の場合、ホテル内の宴会場にPXまで設置する。
ホテル関係者なのをいいことに、へらへらと入っていって覗いたら、
バドワイザーが一缶90セントだった。
「売っておくれ〜」と一度ダメもとで頼んだけど、だめでした、ハイ。
で、軍用犬も遥々アメリカからやってくるのである。
もう見るからに毛並みも姿も良いジャーマン・シェパードたち。
たまたまエレベーターのなかなどで会って「時差ぼけとれたかい?」と、
頭などなでても、一瞥くれるだけで反応なし。
「任務中なので悪しからず」と、慇懃に無視された感じがしたものである。
犬に恐縮するワタシなのであった。
「犬がホテル内をうろついている!」
「なんと汚らわしい!!」
などなどとブーたれるエジプト人スタッフもいたが、ワタシは内心
「キミたちより、おりこうかもよ」と呟いていたのであった。
そんなことを冗談でも口にしたら、ホテル中を敵にまわすので、
もちろん口に出さなかったけれど。
●言ってはいけない言葉
犬はアラビア語で「カルブ」という。
これはエジプトのアーンミーヤもフスハーも同じだ。
日本で「犬畜生にも劣るやつ!」などと言うが、イスラーム圏では
「この、犬!」というのはもっと激しい罵りの言葉になる。
これは、基本的に言ってはいけない。
言われたほうは、完全に逆上すること間違いなしだ。
陰口をたたく時も「あのカルブ!」などと誰かか言ったら、言われた相手は
完全に侮蔑されきっている。
もうちょっとマイルドに「この馬鹿」くらいだと、ロバがよく出てくる。
「ホマール」という(フスハーで「ヒマール」)。
本来、よく働くし、預言者ムハンマド自身も可愛がっていたというので、
宗教的に不浄ではないのだが、頑固頑迷の代名詞のようになっている。
まあ、人をののしるのは基本的によろしくないことだけれど、カルブよりは
ホマールのほうが救いがある。
さて、それで、キリスト教圏では口にできるがイスラーム圏では間違っても
言ってはいけない動物は「豚」だ。
「ハンジーン」、フスハーで「ヒンジーン」。
言った瞬間、間違いなく、どんなに相手が悪くても言ったあなたの人間として
の品性が疑われる。
実際この単語、口にするのも汚らわしいようで、言う時は大体口をひん曲げて
顔をしかめているくらいだ。
彼の地にいかれる方は、どうぞお気をつけあれ。