●トルコの場合
ただし、トルコの特に都市部になると様子が違う。
犬や猫を家族同様のペットとして飼っている人が、結構いたのである。
特に猫は多かった。
私の住んでいた界隈でも、近所の人は飼い猫らの名前を良く知っていた。
中流以上の住宅地だったせいもあるのだろうが、全体にトルコの人は「猫好き」
のイメージが強い。
例えば、出前の配達やら修理その他で出入りする業者たちを見ていると、
反応がまるで違うのである。
エジプトであれば「げ、家の中に猫がいる・・・」という
微妙な「引き反応」から無視が主体。
今は我が家を去った「モモちゃん(♀)」は、もう男性が大好きで、
特に体臭が強くて汗臭いほどに懐きまくる変な猫だったが、
擦り寄られたりするとエジプト人の出入り業者など、まず腰が引けるのである。
一方トルコでは、そうか猫がいるんだね、というニュートラルな反応が
多かったが、座り込んで遊び始めて仕事にならないような人までいた。
いつもくるマントゥ配達の兄さんなどは「ネコ元気?あ〜いた〜みぃ〜」と
玄関先でひとしきり猫らと遊んでいったものだ。
モモちゃん大喜びである。
(マントゥは第9話参照)。
トルコの古いことわざでは「猫を愛するものは真に誠実である」とまでいう。
そういえば、イスタンブルの街角の猫は妙に幸せそうな顔をしている。
カイロの猫らが妙に生活に疲れたやつれた風情なのと対照的だ。
個人的なイメージでしかないが、道行く猫がのんきに幸せそうな街は、
大抵住みやすい。
トルコ人、相対に猫好き国民と見たのだが、どうなんだろう。
●名前のいろいろ
で、名前だが、いわゆる「高尚な趣味」として飼育されている犬猫は、
どこでもやっぱりジュスティーヌとかウィリアムとかいうことになるようだ。
イスタンブルの近所の猫は、上の住人の飼い猫のペルシャ猫が
「ピート・ポタプッシュ」で、我が家のタケゾウそっくりのデブ猫(どうも
父親らしい)が「フンドゥク(ハシバミの実)」。
「ユルドゥズ(星)」なんてかっこいいのもあった。
エジプトの場合、猫の名前でよくきくのは「ミシュミシュ」。
果物の杏のことだが「かわいい女の子」という意味で使うこともある。
ついでに言うと、オカマもそう呼ばれる。
余談だが「明日はいいことがあるさ」というのを
エジプトでは「ボクラ・フィー・ミシュミシュ」という。
ボクラは「明日」、フィーは「ある」の意だ。
この辺の名前のバリエーションは、引き続き調査中。
各地の皆様のご協力をよろしくお願いします。
●犬猫の聖と俗
イスラーム圏の場合、実はたかが犬猫と馬鹿にできない文化背景がある。
犬猫は、エジプトをはじめイスラーム圏では、古来から生活の中にいた。
基本的には、犬は蔑まれ、不浄とされる。
一方で、猫は大事にすべきものとされている。
イスラーム的背景からそういうことになる。
極私的には、預言者ムハンマドは猫好きで、犬が嫌いだった、というところに
行き着くような気がしてならないのだが、どうなのだろう?
この辺の歴史や成り立ちは、ちょっと長くなるので次回に続く。