2005年10月07日

今すぐ人気ブログランキング

【第30話】 ラマダーンの風景 其の二 〜チキンな思い出とモロヘイヤ〜

●ラマダーン開始

「ところが、所変われば・・・というところで、次週に続く」
と先週終わって、今週は話をイスタンブルに飛ばそうと思っていた。
実際、このマガジンが配信されるころには、各地ラマダン月に突入している。


ちなみに、この記事を書いている10月4日の場合、カイロだと日の出が5:49
で、日没が17:36だ。
前回も触れたが、ヒジュラ暦の一日は日没から始まる。
日本ではちょうど始まったばかりである。
また、繰り返しになるが、月の見え方というのは各地で違うので、各地の目安
が公表されている。
日本の場合は、後記に上げた『イスラミック・センター・ジャパン』のサイト
などで見られる。


●ところで、チキン・モロヘイヤ

さて、トルコの風景を・・・と思いつつよく考えてみたら、
書こうと思っていて忘れていたテーマがあった。
夏の間、酒のことばっかり考えてるうちに、「モロヘイヤ」というエジプト名
物の夏野菜を忘れていたのである。
思い出させてくださった、某読者の方に、御礼申し上げたい。
だから、トルコの話はまた次回に。
さて、モロヘイヤ、今年の日本は各地暑かったから、まだ滑り込みセーフかも。
もし間に合わなかったら、来年トライしてくださいね・・・ということで、
今回はチキンとモロヘイヤのお話を。
一応第七話に出てきてはいるのだが、この話には、時期を見て再登場のリクエストが前から上がっていたのを忘れていたのである。
マーレーシュ。

この野菜はエジプト名物。
5月ごろに街角で売り始め、涼しくなると無くなる。
出始めは葉が柔らかく、だんだん硬くなる。

エジプト名物といえば、チキン・モロヘイヤ。
ウサギ肉のものは高級感が高いが、鶏肉だと庶民の食卓にはおなじみだ。
今年は断食明けのイフタルの食卓にも並ぶだろうか?

日本で売っているモロヘイヤは茎もやわらかいが、エジプトの場合は非常に硬
いので、まずは葉をむしるところから料理が始まる。
市場に出回らない季節でも、冷凍のものは売っているから、年中食べようと思
えば食べられる。


●チキンな話

エジプトには、
「メイヤ・メイヤ、フェラハ・フィ・ガマイヤ」
という言葉がある。

メイヤは「100」、フェラハが鶏で、ガマイヤは国営の小売店のことだ。
「ガマイヤに鳥があったら万万歳!」とでも訳すのか・・・?
「今日は景気がよくてよかったねぇ」みたいな意味だ。

「元気?」ときかれて「メイヤ・メイヤ」と返事がきたら、相手は元気いっぱ
いでゴキゲンだ。
で、続けて「フェラハ・フィ・ガマイヤ」と調子を入れることもあるわけだ。

庶民の食卓に、どれほど鶏肉が大切か、この一節が語るように思う。
また、エジプトでは、鶏肉をはじめとした食料がなかなか手に入らない時代も
あったのだ、という「過去の時代」も透けて見える。

さて、カイロに行ってまず困ったのは、鶏肉を部位に分けて売っていないこと
だった。
ザマレクなどという外国人の多い地域では、冷凍にして売っていなくもないの
だが、どうもおいしくない上に高い!!
さすがに羊や牛は部位分けしてあったが、鶏肉は「一羽丸ごと」が基本だった。

日本に帰ってくると、腿だ胸だ手羽先だ砂肝だササミだ鶏皮だ・・・というと
ころが、当たり前のように買える。帰国してしみじみ「ラクだなあ」と実感し
た。
その分、値段は高くなるし、鶏肉自体の味も落ちるけれど。

とにかくカイロでは、チキンは「丸ごと」が基本。

一羽で10年程前の値段だと、「カイロの南青山」ザマレク地区で500円〜
700円くらいだった。
町外れの市場などに行くと半額以下。
丸ごとで、だ。


●さらにチキンな話

さらに、もっと新鮮なものを、という向きには、生きたままの鶏も売っている。
鶏は「フェラハ・アビヤド(白い、という意味)」という、日本でもおなじみ
の鶏と、チャボのような茶色いのがある。
茶色いのは「フェラハ・バラディ」といって、肉が少なくてちょっと硬いが、
いいスープが出る。

その他、店によっては「これも食べるのかい?!」というような様々な鳥が売
られている。

一度は、とある店先のガラスケースの中で猫が寝ており、
恐る恐る尋ねたらば「まさか日本人は猫を食うのか?!」と逆にきかれた。
やれやれ、よかった。
その猫は、単に遊びにきて、昼寝をしているだけだったのである。

ウサギもいて、これはハッキリと食用。
カイロに行ったばかりのころ「わ〜カワイ〜」などと、何も考えないで籠をの
ぞいていたら「これなんかうまいぞ!どうだ、買ってけ!!」と言われて、無
言で走って逃げたこともある。

一度は通る道であろうとか言いながら、鶏は平気になったのに、結局ウサギは
しまいまで触れなかった。料理したものを食べるだけは食べたけれど、特段う
まいと思えなかったせいもある。
あとはまあ、理屈にならないけど気分の問題だ。

で、鶏はどうして・・・って、食ったらびっくりするほど美味かったからだ。

とにかく、カイロのスーク(市場)に行けば、ほとんど動物園状態。
動物園の支店といおうか分園といおうか・・・とにかく各街角にもそういう店
はある。
しかも便利なことに「あれ頂戴」といえば、捌いて持ち帰るまでにしてくれる。
この辺の作業は、店にもよるが非常に丁寧だ。
きれいに羽をむしって、内臓も外してから戻すという念の入りよう。

要領がわかるまでは、店の前で「キィィィ〜〜クェェーーーー」というような、
意味不明の音に耐えていたが、慣れると先に「鶏クン指名」をしてから野菜な
どを買い・・・ということができるようになる。
結婚後は、元気のある休みの日に買いに行った。
三羽もらって、家で「手羽、胸、腿・・・」と部位分けして冷凍するのだ。

鶏の捌き方には結構苦労したが、英語のフランス料理本を買い求めて、首っ引
きで覚えた。
日本語資料は、なかった。
必要ないですもんね・・・そりゃあ、ないだろうよ。

でも、最初に生きた鶏を買ったのは、単に行きがかり上だ。

独身時代のある日、私は知人を大勢自宅に招いていたのである。
私の主催する飲み会だから「食いもん飲みもんは持参!」といってあったにせ
よ、自分でそれなりの準備はしなければいけない。

で、当日に肉屋がなぜか軒並み休みなのである。
その日は確か、ラマダン明け直前で、街を羊の群れが埋め尽くしているころだ。
タクシーに飛び乗って、どこかで売ってないか探して歩いたが、どこもかしこ
も「休み」か「売り切れ」である。
「肉なら、そこにあるがな」と運転手、街角の羊の群れを指す。
・・・一頭買えというのかね・・・。

で、しまいに住んでいたアパートメントの門番に尋ねた。

「鶏でいいか?」といった彼は、すたすたと家から五分ほど歩いたエリアに入
っていった。
驚くほど純庶民系エリアで、私はこんなところが近所にあるなど知らなかった
のだが、なんだかそこは「生きた鶏」のお店だったのである。

「どれにする?」
「・・・任す・・・」

というわけで、10分ほどたつと、鳥が二羽入ったビニール袋を渡された。
丸ごと二羽で500円しなかったのを覚えている。


●もっとチキンな話

帰宅して、早速料理に取り掛かる。
袋を開けると、あれほど「いらないから」と言っておいた「鳥の生首」が、じ
っとこちらを見つめているじゃないか!

きゃ〜〜〜、と、いったんキッチンの壁まで飛び退る。
見たくないけど、首の人間でいう頚動脈のあたりがきっぱり切れていて、半目
を開いているのがわかる。正しく、イスラームの教義にのっとった屠られ方で、
頚動脈がスッパリ切れて、首が皮一枚くらいでつながっている・・・見たくない
のに、瞬間的に見ちゃったのだ。
ひーー。

でも「鶏の頭からは美味いスープがとれる」という話を思い出し、おもむろに
鶏をつかみ・・・きゃぁぁぁぁーーーー!!

鶏、〆たてで、まだ暖かい・・・ひぃ〜。
そりゃあ、30分ばかり前まで籠の中で生きていたわけだから、暖かいのも当然
だが、瞬間ショックで固まるワタシ。
手のひらの温かさが、全身に何かを伝えている気がする・・・。

気を取り直して料理にかかる。
最初のショックで「もうどうにでもしてね」という気分になっていたので、ス
パイス塩コショウした鶏肉を、淡々とゆでにかかる。
半目をあけた鶏の頭だけ鍋の底に沈めて、できるだけ目が合わない状態に。
鍋を覗くたびに恨めしげににらまれちゃ、たまったものではないので。

で、パーティーは盛況であり、お料理は好評であった。
鳥をゆでたスープは粥にしたら喜ばれたし、出汁の鶏肉はほぐして「茹で鶏サ
ラダ」。
しかも、その鶏が「今まで食べていた鶏ってなんだったのよ?!」と叫びたく
なるほど美味かった。

以来感傷はきっぱり捨てて「鶏を買うなら生きたやつ」となるあたり、食い意
地って怖いものだと思うのではある。

尚、極私流だが『チキン・モロヘイヤの作り方』は、別途ブログにあげるので
興味のある方はご参照を。

今ごろは、イフタルの食卓のために、丸ごとのチキンが肉屋の店先に山積みだ
ろうな、と思うと、妙に楽しい。


◆メールマガジン「軍事情報」別冊
「アリーマの中東ぶらぶら回想記」(30)

今日もよろしく、ぽちっとワンクリック!

この記事へのトラックバックURL


中東ぶらぶら回想記は、無料メルマガ『軍事情報』別冊でなんちゃって週刊連載中!
登録は今すぐ↓
Powerd by まぐまぐ