●前回の補足
前回の後記の「エジプトのアルコール類 その他諸々」の項で、以下のように書いた。
「水を入れると濁るアラブ世界で言う「アラック」もあったようだが、幸か不幸か私は飲んだことがない。
これも「健康(管理)上の理由」である。」
この部分について、とある読者の方から
「トルコのラクと同じもののようですね。今度トルコ料理のレストランで飲もうと思っているのだけれど、飲んでも大丈夫でしょうか?」という主旨のお問い合わせをいただいた。
確かに言葉足らずだったかもしれないので補足すると、
私が避けていたのは「当時(15年ほど前)のエジプト産蒸留酒」であって、アラックやラクそのものではない。
特に昨今は品質管理の技術も上がっているようだから、エジプト産蒸留酒でも、飲んだから即健康を害するというものではないはずだ。
ただし、往々にしてアルコールの質が悪いので、悪酔いや二日酔いの元になりやすい、ということである。
だから皆さん、飲んでも大丈夫です!
ただ、どっちにしろお酒なので、飲みすぎれば結果は明らかだけれど。
要するに、飲み過ぎなければいいんです(反省しよう)。
●アラブの濁り酒
せっかくだから、この濁り酒の話をもう少ししようと思う。
「ライオンの乳」と呼ばれるこの酒は、水を入れると白く濁る。
たいていはナツメヤシの実かブドウから作られるが、地方や時代によって、杏や干しブドウ、無花果、ワインの絞り粕など原料はさまざまだ。
アラビア語でアラック又はアラク、トルコ語でラクと呼ばれるこの酒、実は何度か話に出ている。
連載第六回で、
「羊肉に合うといえば赤ワインもいいが、何と言っても相性抜群なのはトルコで「ラク」、湾岸あたり(レバノン産が有名)で「アラク」と呼ばれる酒だ。ブドウの絞り粕から作る蒸留酒で、水を入れると白濁する。独特の癖がある。」
と書いたことがあった。
また、7月3日にブログに出した「梅雨対策 其乃二」という記事の中で、
「八角は英語でアニス。
何かといえば、レバノン産のアラック、トルコのラクにある、独特の香りの元だ。確かにあの、水を入れると白く濁る酒は、夏に飲むと体がひんやりして気持ちよい。」
などとも書いた。
ところで、上記のブログ記事では、ひとつ訂正がある。
ここで書いた香り付けに使われるアニスは、セリ科でトルコはアナトリア原産。中国原産でモクレン科の八角(スターアニス)とはまるで別物だったのだ。
アニスは草の実、八角は木の実で、見たところもまったく違う。
ただしどちらの香り成分もほぼ同じで、プロでも匂いだけでは区別がつかないのだとか。
薬効も咳止め、消化促進と、よく似ている。
そういえば、ラクやアラクって、
確かに咳止めシロップみたいな味がするのだけれど、使うスパイスが本来同じなんだから無理もない。
「独特の癖」を一言であらわすと「咳止めシロップ風味」だったのである。
飲んだことのない方は、そういうことで、想像してみていただきたい(?)。
尚、アニスも八角同様に体の熱や湿気を取る作用があるので、暑い季節に現地で飲むとたいそう美味い。
咳止めシロップ、などと無粋なことを言ってしまったが、慣れれば癖になる。
●アラクの起源は?
日本に輸入されているものはいまやトルコのラクが主流なので、トルコの酒の代名詞のようになってしまったが、発祥はイラクあたりとされている。
ワインやビールといった醸造酒は、遥かに古代エジプトやメソポタミア文明にまで歴史を遡る。
しかし、蒸留酒となると、単に放置して発酵させるだけではなくて「蒸留する」という特殊技術が必要なので、歴史に登場するのはもう少し後だ。
蒸留酒の起源については諸説あり、これがアラクになると、実はその成立年代も定かではないのだが、ワインの蒸留法が初めてアラブ世界の文書に出てくるのは9世紀。
ただし、ここで蒸留された酒がアラクかどうかは、はっきりとわからない。
さらに時代が過ぎて、13世紀には中国の料理書に
「阿利吉酒」として製造法が紹介されている。
シルクロード経由で伝わったようだ。
だから、少なくともその頃には広く流通していたと思える。
8〜9世紀ごろにイラク発祥とすれば、当時栄華を極めたアッバース朝イスラーム帝国の王都バグダードが舞台となる。
まさにアラビアン・ナイトの世界に生まれた酒か?などと想像すると楽しい。
実際のところは、いまだに調査中。
詳しく知っている人がいたら、是非教えていただきたい。
●トルコの「ラク」
というわけで、ラクかアラクか、というところでは、アラクが先だ。
発祥や語源には諸説あるのだが、先にトルコのラクを片付けてしまおう。
単純に、元のアラビア語のアラクがトルコ風になまったのだ。
以上。
え、単純すぎる??
では、これは私が勝手にそう思っている、という解説を加えると・・・
アラビア語では「ア」といっても数種ある。
アラクの場合の「ア」は喉から縊りだすようにして発音する「んぁ〜」で、アラビア語では「アイン」という文字。
ひらがなで無理やり表記すると「んぁぃん」という摩訶不思議な音となる。
ついでに言うと、これに濁点がついた音もある。ングァ〜。
日本人が、各国各地のアラビア語教室で必ず涙目になる、天敵のような音だ。
で、この音はトルコ語にないからあっさり省略したのだろう、と思う。
トルコ語は、アラビア語とは対照的に、日本人になじみやすい音感の言語だ。
母音は多少複雑だが、子音がアラビア語のようにややこしくないので、話しやすい。
尚、西欧語では"raki"と表記されるのだが、日本語では「ラキ」と書かれたり「ラク」と書かれたりする。
これは何故かというと、トルコ語の "i"には二種類あるからだ。
文字通り "i" と書いて「イ」と発音するものの他に、"I" をそのまま小文字にした形(上に点のついていない形)で「イ」と「ウ」の中間のような曖昧母音になるものがある。
便宜上大文字のIで表記すると、トルコ語では"rakI"なので、日本語ではイになったりウになったりするわけだ。
どちらかというと、イよりはウに近い音なので「ラク」と呼ぶのが良いかなと思う。
最近は白濁する蒸留酒といえばトルコのラク、というイメージになってしまったが、トルコでラクの生産がはじまったのは300年程前と意外に最近の話だ。
ワインの産地としても名高いアナトリア地方で始まった。
しかしその後はトルコ国内で広く普及して、いまや押しも押されぬトルコの国民酒だ。
そして、お供に欠かせないのは「白チーズ(ベヤズ・ペイニール)」。
日本酒とイカの塩辛以上に、切っても切れないものである。
←ギリシャのフェタ・チーズも同じようなチーズです
←こっちはトルコ産。でも入荷未定とのこと
また、その他の「メゼ」と呼ばれる各種の前菜は絶好の酒肴でもあって、こういうメゼをあれこれ取り揃えた店もある。
「メイハネ」といって、まさに日本でいう居酒屋にあたる。
気取った雰囲気は皆無で庶民的。
女性の姿が少ないのも日本の居酒屋に似ている。
イスタンブルは、こういった庶民派のメイハネから、洒落たバーやクラブ、夏になればオープンエアのディスコやクラブが海沿いに一斉オープン・・・と選り取りみどりで、夜遊びがこんなに楽しい街はなかった。
カイロあたりでは「酒の出る遊び場」というだけで高級化してしまうのだが、イスタンブルの場合は本人の懐具合に合わせて、いろいろな場所がある。
こういうところで、独身最後にして20代最後の年を過ごせた私は幸せだと思う。
●アラクの語源と酒関連のアラビア語
さて、ラクの元となったアラクに話を戻すと、語源は諸説ある。
曰く、
イラクで生まれた酒なので『イラク』がなまって『アラク』になったのだ。
アラクには「汗をかく」という意味もある。
飲むと体が熱くなって汗をかくから「アラク」だ
・・・などなど・・・。
確かなことはわかっていない。
また、酒はアラビア語で「ハムル」という。
「隠すもの」という意味があり、飲むと知性を隠すから、酒がハムルとよばれるようになったそうだ。
ワインは別に「ナビーズ」とも呼ばれる。
この話は詳しくは別の機会に譲るが、
イスラームの成立以前、飲酒はかなり一般的な習慣だったようだ。
さて、生産量と世界的な知名度では、完全に後発のラクに圧倒されてしまったアラクだが、アラブ世界では湾岸諸国で飲まれている。
ただし、各国の酒類への管理が厳しいため、トルコでおおっぴらに愛好されているような勢いはない。
私が知る限りではヨルダンとレバノンの二カ国で広く飲まれているが、湾岸のその他各国では酒自体がご禁制であったり、飲めても外国人が主体のホテルのような特殊なところに限られるので「楽しんで飲む」という環境自体が乏しい。
そんななかで、最高級品とされているのがレバノン産だ。
この国のワインは有名で、びっくりするほど安くて美味しいのだがアラクも極上。
トルコのラクよりも香りが高く、そのぶん癖も強いが、基になるワインのレベルが非常に高いだけに、個人的な好みでは「アラクの勝ち」だ。
レバノンは美食の国でもあって、
アラブ圏では「高級アラブ料理」といえばレバノン料理の店になる。
エジプト滞在時に行けなかったのが、これほど悔やまれる国はない。
●そして日本にも・・・
ついでに付け加えると、日本に蒸留酒の製造法が入ってきたのは15世紀。
琉球経由で薩摩に伝わり、焼酎が造られはじめたのだが、この酒が「阿利吉」と呼ばれたそうだ。
よくも遥々、日本まで伝わってきたものだ。
いったいどんな酒だったのだろう?
やっぱり芋焼酎だったのだろうか?
「芋で作った焼酎など、この世に存在せん」と豪語する、「純正熊本人(しかも米焼酎の里、球磨地方出身)」のオットにかかれば「そんなはずはない!」と一蹴されるのだろうけれど。
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