2005年07月02日

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【第17話】 〜宗教について思うこと 其の一〜

●イスラム教への関心の高まり

十余年前には考えられなかったことだが、
イスラーム乃至はイスラム教について知りたい、という熱意は驚くほど高まっ
ている。

この熱意の元が、戦争であったりテロリズムであったりと、
必ずしもポジティブなところからの関心でないのはある意味残念なことだが、
少なくとも昨今刊行された、アラブ世界やイスラーム関連の書籍ときたら、
一昔前を覚えている私には感慨深いほどの数だ。

一方で「知りたい、知ろうとした、でもどうもよくわからない」という声が
相も変わらずあるように思う。

宗教というものは、教理や概念でとらえようとしてもわかりにくいものなのだ
とおもう。
日本人が「イスラームはわからない」というのは、要するに「宗教がわからな
い」ということなのではないだろうか?と、最近思うようになった。

これを語るにはもっと勉強が必要な身ではある。
でも、敢えて思うところを書いてみる。
時々こんな話が出てくる、ということにしたい。
これを書ききろうと思ったら、一生かかってしまいそうだからだ。
だから、気が向いた時に、尻切れトンボになっても少しづつ、と言うことでお
許しいただきたい。

尚、反論、感想、御教示のたぐいは歓迎する。
私なりに一生かけて理解するテーマだと思っているので。


●私自身の宗教的背景について

とりあえず、ちょっと脱線する。

宗教についての話は、
実は私自身のごく個人的な宗教観も含めたものになるので、
正直なところちょっと重すぎて、今まで当り障りのない話しかしてこなかっ
た。私の宗教観など、公に語ってどうするのだ、という思いもある。

そして、
硯学並み居るイスラームの世界を私などが語る資格など、いったいあるの
か?!
という、疑問と正直に言ってしまえば不安もあるのだ。

でもやはり、そろそろ向かい合うべき時がきたのかなあ、
という気がする今日この頃である。
まあ、そこまで大げさに考えなくても、少しはそういうことについての自分の
思いを記しても良いかもしれない、とようやく思い始めたのだ。

実は、私の実家の一族は、プロテスタントのクリスチャンだ。
明治のはじめに曽祖父が、アメリカの宣教師のもとで改宗して以来のことだか
ら、まあかなり古いほうといってよいだろう。

両親の方針で、幼稚園から小学生の間だけは教会に通わされた。
中学に入って以降は、自分で行きたければ行くがよし、ということで、自分な
りにいろいろと考えた末「もう行かない」といったら、「あ、そう」というこ
とで終わった。

正直に言って、敬虔な信者の行動様式に、当時の私は奇妙な違和感をもったの
だ。
聖書に盲目追従するのは非科学的であると思う私は、

何がなんでもどうでもいいから神様とイエス様を信じなさい、

という大人たちとどうも折り合えなかったのである。

奇矯な論戦を張ろうとすると、
大人たちは頑なに「正しいから正しいのだ」という理屈にならぬ理屈で困惑し
た様子となる。
「馬鹿馬鹿しいからやめる」と父にいったら、特に何も言わずに「ああ、そう
か」で終わった。

でも、高校は親族にゆかりの深い某ミッションスクールに、一人くらい私の代
から行っても・・・ということで、私が受験することになった。
受けるだけ受ければ義理が立つということで、受けてみたらば合格した。
で、またキリスト教と対峙することとなった。

高校に行った後も、そういう「まじめな人たち」に何か言わずにおられず、聖書
の授業でふざけた作文を書いた。

アブラハムが父なる神に「息子を生贄にささげよ」と命じられ、祭壇の前でわ
が息子イサクを手にかけようとしたその時、神が現れその手を押しとどめて言
われた。

「冗談のわからんやつだな」。

というばかげた内容だった。

「大変機知とユーモアに富んでおりますが、神様に対するまじめな姿勢があり
ません」と、しかられた。
それだけならともかく、牧師をしている叔父のところにまで話が飛んだのには
参った。

で、親族関係の集まりで叔父にあったとき「いったい何を書いたんだよ。あな
たの姪御さんは困った子です、といわれたぞ」というので、カクカクシカジカ
と話したら、バカ受けして終わった。

父も同じであった。
ただし、父に限っては「でも、盗作はいかんな。それはウディ・アレンだろ
う」というオマケがついていた。

彼は異常なほどの活字の虫だったので、私がその辺に転がしてある本を面白が
ってたまに読んでいたらしいのである。
ここではじめて「本代は小遣いと別枠。好きなだけ買ってよろしい」という意
味がわかった。
父は、自分では見つけられない面白い本が読みたかったらしいのだ。

学生時代に逝った父ではあるが、
たまに突然段ボール箱いっぱいの本が贈りつけられてきたものだった。
硬軟取り混ぜていろいろだったが、ギャビン・ライアル、ジョン・ルカレ、フ
レデリック・フォーサイスといったところが全て新刊書だったのはとてもうれ
しかったのを覚えている。

というようなわけで(?)、入国書類などで「宗教」の欄があると「キリスト
教徒」と書く。
他に書きようがないからだ。
イスラム圏にいた折も、断食のような宗教的な儀式には、決して参加しなかっ
た。
あれこれ言われはしたが「私はクリスチャンだ」の一言で誰も何も言わなくな
る。

イスラム教徒が多数占める国でよくあるのは、たとえば断食月に一緒に断食を
すれば仲間だ、という空気なのだが、私にはどうしても違和感がある。
自分が普段いかに不良なクリスチャンだろうと、どうしても「譲れない線」と
いうのはあると、こういうときに思う。
逆に一日や二日「ちょっとやってみる」というのは、宗教的な冒涜だと思える
のだ。

お仏壇については、儀式的にお参りはする。
また、異教の場において真剣に祈る場がひとつだけあって、それは数年前に逝
去した岳父に対してだ。
これだけは、異教徒であろうと許されよう、と思うからだ。

極論というか、暴論というか、とにかく、基本は「愛」なのだと思う。


●というわけで・・・

宗教の基本はすべて「愛」だとおもう。
しかし、この概念はあまりに漠然としているので、何らかの媒体を得なければ
確かな形でたどり着けないと誰も思うだろう。

その道筋が、宗教なのだ。何であれ。
と、思う。

日本もそうだが、世界中に様々な人や文化があって、その土地や歴史とともに
生まれ、発展する。

さてその中で、あなたの理解している宗教っていくつありますか?
仏教って何ですか?
キリスト教って何ですか?

で、イスラム教って、なんだと思いますか?


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この記事へのコメント
「冗談のわからんやつだな」 うまいです。私なら120点つけちゃいます
Posted by パリサイ人 at 2005年07月03日 00:34
Trackback有難うございます。 私もアブダビに3年(1989-1992)住んでいました。 アラブには、とても関心があります。
Posted by Life-Artist at 2005年07月03日 06:29
パリサイ人さま
う〜ん、でも、あれは25年ばかり前に(!)かなりの流行りものだった、ウディ・アレンの短編の「パクり」です。いまやオハズカシイ「子供のころの思い出」です。

Life-Artistさま
コメントをありがとうございます。湾岸方面は是非一度!と思いながら、結局ヨルダンとイスラエルに行っただけで終わりました。アブダビ方のご経験など、是非お寄せください。
Posted by アリーマ at 2005年07月04日 01:56

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