【もくじ】
・執筆方針を変えます・・・
・ミュンヘンから、カイロ経由イスタンブルへ・・・
・トルコとエジプト〜この『似て異なる』国
・イスタンブル到着
・美しい初夏のイスタンブル
・しかし、冬は・・・
・補足
・仕草
● 執筆方針を変えます・・・
さて、本連載も8回目に至った。
「隔週ということだったのに、いきなり毎週になるということは、早く終わってしまうんですか?」という、涙が出るほど嬉しいコメントまでいただいた。
ありがとうございます。
ブログには一応書いたが、週刊になったのは「ただなんとなく」である。
当初は編集主筆のエンリケ殿下に「10回連載」というお話をいただいていたので、本人10回で何とか『序』『水』『食』『言語』『宗教』・・・というように、ざっくり諸情報を一回づつまとめる方針でやっていたのではあるが、ありがたくも「25回にとりあえず延長」というお話となり、本人少し気楽に無駄話ができる体制となった。実は「何とか十回でアレとコレとコレとアレと・・・」と焦っていたのだけれど「ボチボチいってOK」となったわけだ。
アル・ハムドリッラー(神の恩恵により)。
『食べ物シリーズ』が三回から五回になり、あらま、という間になし崩しに消えていく・・・。
ま、そういう「鷹揚さ」が中東諸国の得意とするところ。いいかげん?いえ、受容と許容、そして寛容と鷹揚が、イスラームの真義なのだと私は理解している。
キリスト教よりもはるかにリラックスした形でそういう観念が存在する。
良くも悪しくも。
毎度前振りが長くて申し訳なし。では、トルコのお話に。
今回は、トルコ異動のいきさつなど、再び回想記、印象記。
お料理の話は次回のお楽しみ(?)ということにする。
● ミュンヘンから、カイロ経由イスタンブルへ・・・
「ワタシは昔、トルコで働いていたんです」というと「え、はぁ、そうなんですか?」という大層微妙な反応が返ってくる。
「えーと、あの、どのあたりで」
「イスタンブルです」
もうそろそろ若い世代にはわからない語彙となっているだろうし、それはよいことだと思うが、過去何故か「男性専門の特殊浴場」を「トルコ」と呼んでいた時代があったのである。トルコ政府が抗議したところ、あっさりとひっくり返ったようだ。良かったですね。
どうせ下世話に落ちるなら、落ちるところまで言っちゃうと、当時の勤務先は略すと「H系ホテルチェーン」だったのだ。言うまでもないが、Hはあくまで社名の略である。私が過去の職場を略称にせず、全て「某」で通しているのは、以前一度、頭文字の略称で書いてみて「わ、こりゃいかん!」と思ったからだ。
西のほうから某主筆殿下が黄色いカードを出す気配が感じられるので、この辺でやめておくことにしよう。何しろ「シモネタ厳禁」と連載開始当初に釘をさされているのだ。
さて、イスタンブルへは、ミュンヘンから「H系」の異動で行くことになった。
何故そんなことになったのかというと、これもまたシンプルな話だ。
「ドイツはどうも相性悪いから、中近東あたりに空きがあったらいいな・・・」と当時のドイツ人上司にふと愚痴ったところ「ある。本当に行く?」と聞かれたのである。
お返事はもちろん元気に「ハイ」であった。ヤー・ヴォール!
なんと恐ろしいことに、私がぶつくさ言う少し前に、その上司はたまたま出張してきていたイスタンブルの系列ホテルの某イギリス人副総支配人に会っており「そっちに日本人スタッフが4人もいるなら、一人くらい回してよ。たのむよ、うち困ってるんだ」と因果を含められていたのである。
その場で面接となり、その後しばらく古巣のカイロでガイドのアルバイトをしつつ息抜き(?)してから、イスタンブルに向かった。ちなみに、夫に出会ったのもこの「息抜き中」だ。
●トルコとエジプト〜この『似て異なる』国
両国に行ったことのない人々にとって、トルコもエジプトも「同じような国」というイメージだろう。無理もない。私だって、実際にトルコに行くまではそう思っていたのだから。
トルコ航空でカイロからイスタンブルに向かった。
とにかくとりあえず、はじめていく国の状況をみるには機内誌だ。
開けて一瞬、目を疑った。「単なる普通の医薬品関連の広告」に、ブロンドの女性がヌードで八人出ていたのである。
「おおっ!」と「懸念のあまり」乗り出した、某殿下他の皆様・・・みーんな「後姿」でした。健全でした。よかったですね。
でもしかし、こういった一般広告に女性の裸が当たり前に出るという事実に「むやみに肌を出してはいけない」というエジプトの感覚になじみきった私は、軽いショックを受けたのである。
「ヤ、ハラーム」と内心思った。
街に入ると、タンクトップにミニスカートという、思いっきり健康的に素肌を出した若い女の子が闊歩している。「ヤ、ハラーム」と内心繰り返しながら、思わず物珍しさに目が行ってしまう。
当時交際中だった我が夫など、遊びにきて街を歩くたび、毎度毎度首がエクソシスト状態で回っていましたね。ヤ、ハラーム!!
街角には『プレイボーイ』などのヌード雑誌が平然と売られており、テレビでは当たり前に『プレイボーイチャンネル』のようなアダルト向け番組を深夜放映していた。
イスタンブルの空気は、そういう意味合いではカイロよりはるかに軽いものだったのである。
これは予想外だった。
尚、ハラームとは本来『宗教的タブー』を指すが、そこから派生していろいろなネガティブな意味で使われる。反対語は「ハラール」だ。ハラール・ミートなどというと、イスラームの戒律にのっとってきちんと処理された肉のことだ。
『宗教的に正しい』という意味である。
●イスタンブル到着
さて、イスタンブルへはカイロから直接飛んだので、トルコ語を一言も知らなかった。
本を探したけれど、たまたまカイロで見つからなかったのだ。まあ、同じイスラーム教国なのだから、何とかなるだろうとタカをくくっていたところもある。
空港のインフォーメーションで行く先のホテル(もう略称はやめ!)を告げて、おおよそのタクシー料金をきく。で、外に出た。
同じ六月なのに、カイロの照りつけるような日差しと違う。揺らぐようにきらめく。
まあ、風景が揺らぐのは、前夜遅くまで飲んでいて、機内でもまた朝から飲んだせいだろう。
寝不足でもある。ふらふら。
ふう、と吐く息は、ハッキリと酒臭い。サングラスをかけた。
だから酒臭さがどうなるわけでもないが、まあ、色々な意味で酔っていたのだ。
若き日のひとコマである。かわいいもんですよ。許してやってください。
タクシーの運転手と目が合ったので「アッサラーム・アレイコム(あなたに平安あれ)」と挨拶すると、軽く引く気配を見せながら「ワレイコム・アッサラーム(あなたにも平安あれ)」という返事が返ってきた。
タクシーを拾い、「フンドゥク某、インシャアッラー(某ホテルへ、神の御心のままに)」と告げた。
最初の挨拶もインシャアッラーもイスラーム的語彙なので、この国でも通じるだろうと思ったのである。確かに通じたらしい。
フンドゥクは正則アラビア語で「ホテル」。とりあえず言ってみた、というところだった。
ドライバーは私のほうを振り向き、何かいいたげにしていたが、とりあえず通じたようで車は走り出した。海沿いを通る。海を見るのは久しぶりだった。
25歳でカイロにきて、30歳くらいには日本に帰ろう、と漠然と考えていた。
でも、28歳のその時、ゆらりのたりと凪ぐ海を見ながら「30歳前は無理そうだなあ」とぼんやり思ったのだった。
●美しい初夏のイスタンブル
すべてが美しかった。
穏やかな海、きらめく日差し。それなりに警戒しているにせよ、ドライバーの言葉も柔らかに響く。一生懸命、あれはなに、これはなに、と英語とトルコ語を混ぜて説明してくれる。まあ、要するに、酔っ払って海がきれいで気分が良かったのである。
さて、ここで御忠告をひとつ。
私もそうだったが、こういう例に限らず、4月から6月というのは各企業の「次期駐在社員候補」が必ず送り込まれる時期でもある。
そして多かれ少なかれ、私と似たようなトランス状態で「は〜い」といわされてしまうのだ。
で、いきなり身も蓋もない結論に行ってしまうと、冬が始まったころ皆「騙された!」と気づくのである。ひどい会社は、5月か6月に下見にこさせて、赴任が12月などというケースもあった。はっきり言って、詐欺である。
●しかし、冬は・・・
イスタンブルの冬は、悲惨だ。
寒い(緯度は盛岡と同じである)、暗い(理由は同様である)、しかも当時はおそろしく空気が悪かった。質の悪い石炭を暖房用に使っていたからである。
今はかなり良くなったそうだが、当時はちょっと外に出るだけで顔がススで黒くなるほどひどいものだった。
エジプトと同じような気候の良い国ではない。寒くて空気が本格的に悪い冬がくるのだ。
ひどい話である。
先から書いているが、エジプトの気候は盛岡と違うわけだ。だから「カイロと同じような街だよ」という言葉は、ある意味まるっきり嘘ではないが、罪深いところがある。
イスタンブルは、冬は思い切り寒く暗い。私は札幌、ミュンヘンと、寒い町には住んだことがあるが、このイスタンブルの冬ほど耐えがたい冬を越えたことはない。
ツアーにしても、冬のさなかのツアーは思いっきり安い。
まあ、見たい対象が遺跡関係であればそれも良かろうが、雰囲気を求めると失望する。
安いからには安いわけがあるのだ。
住むとなればそれなりのしのぎかたがあるが、一生一度旅行にくるのならば、トルコとギリシャだけは『冬は止めましょう』と御忠告しておく。
エジプトと違って、値段の分だけ楽しさ美しさが違うのだ。
● 補足
空港での言動を、勤務先の前任者のS氏(日本人というよりは、もうすでにトルコの人になっちゃった人だ。男性独身)に言ったら、爆笑された。
「アッサラーム・アレイコムとか、インシャアッラーとかって、確かに使う人はいるし、みんなわかるけれど・・・でも、それって、トルコではものすごいド田舎からきたオヤジが言う言葉ですよ」
どうもイスタンブルでは、イスラーム的ご挨拶は「都会的でない」ようなのであった。
とくに、洋服を着た明らかに東洋人に見える女性の口から出たら、タクシー・ドライバーはさぞやギョッとしたことであろう、と(しかも酒臭いのだ・・・問題外である)。
「まあ、ぼられなくて良かったですね」・・・はぁ、まことに・・・。
また、ホテルを意味する「フンドゥク」という正則アラビア語は、トルコ語ではほぼ同じ発音で「ハシバミ(ヘーゼルナッツ)」の実のことなのだった。端的に言えば「どんぐり」みたいなもので、私は「どんぐりHホテルへ、神が望み給えば」といったわけだ。よくぞ行く先がわかった、と、ドライバーをほめてあげたい。
そして、イスタンブル最初の住居の近所には嫌味のようにフンドゥクという名の雄猫が住んでいた。
デブで、顔は極度にブサイクであり、我が家の「お嬢様」モモちゃんに「あれだけはやめてね」と言っていたのに、ああ、言っていたのに・・・今でもうちには、彼の仔らが三匹いる。うち一匹の雄は、顔だけは美猫のお母さんに似てくれたから幸いだったが、あとはハッキリ父ちゃんそのものの姿である。
やれやれ。
● 仕草
なまじエジプトで変なクセをつけているので、イスタンブルではいろいろとおかしなことをやったものだった。
例えばエジプトで、親指、人差し指、中指の腹をくっつけて、手を上に向けて上下させる(といわれても今ひとつわかりにくいだろうから、写真をご参考に・・・)と「ちょっと待って!」という意味になる。
ある日、向かい側のフロントからロビーのデスクに座っている私に呼び出しがかかった。
しかし、私の目の前には別のゲストがおり、その場を離れて待たせるわけには行かないから、この「ちょっと待って!」をやって見せた。
呼んでいるフロントは両手を広げ「なにやってんだ?!」という仕草を返す。
「だ〜か〜ら〜、ちょっと待ってってば!」と再度激しく右手を上下させる。
あとで言い争い。
「よんだら来いよ!」
「待ってって合図したじゃないの!」
「チョク・ギュゼルって、あの客がそんなに気に入ってたのかよ?!」
「はぁ・・・?」
よくよくきいたら、この仕草は「大変よろしい」「ベリー・グッド」つまりトルコ語の「チョク・ギュゼル」という意味で「待て」などという意味はないのだった。同僚らと大笑いする。
「アリーマは日本人みたいに見えるけど、中身はエジプト人だからみんな気をつけなきゃな〜」と、散々からかわれたものだ。ふん!
同じイスラム圏で似たような国に思えるが、鏡写しを見るような、不思議な気分になることがよくあった。なまじ似たようでいてまるで違う国に慣れていたので、その辺の微調整は結構大変だったが面白くもあった。
同じイスラム圏とはいえ、国によってかなり習慣や感覚は違うのだ。
当たり前だろうけれど。
ついでだが、癖というのは恐ろしいもので、日本帰国後の職場でも無意識のうちにやっていたのだ。
「電話です。海外からです!」
「・・・(手を上下させる)・・・」
「すみません、待たせますか?折り返しますか?」
「・・・(手を上下させる。待てというのに!)・・・」
通じるわけ、ありませんね。
こちらの職場でも「あの人、エジプト人だから」といわれるようになったのは結局同じではあった。
さて、そして、今度こそ次回より「トルコ料理のお話」にはいる。
インシャアッラー。
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