2007年03月31日

ブログURLの一時的不調について

数日前から、幣ブログの接続に不具合が起きております。
取り急ぎ、共同で管理をお願いしている、おき軍事のエンリケ殿下から、メールマガジンの
読者の方には、以下のようなお知らせを出していただきました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お休みのところすみません。
エンリケです。

アリーマさんから、「先週来「中東ぶらぶら回想記」のURLがつながらない」とのご連絡があり、いろいろ調べていました。先ほど原因が判明しました。

取り急ぎお伝えしたいのは、以下の点です。

1.中東ぶらぶら回想記のURL http://arima.livedoor.biz/ は現在つながりません
2.しかし、 http://blog.livedoor.jp/arimaburabura/?blog_id=411093 で、これまで通り見ることができます
3.http://arima.livedoor.biz/ は閉鎖してません

春になって更新が続く「ぶらぶら」をぜひご訪問ください。


一日も早く 
http://arima.livedoor.biz/
で見られるようにします。

原因ですが、
有料登録(ライブドアプロ)しているのに、無料登録状態になっていることでした。

当方のアドレスが、ここしばらく接続できない状態にあったこともあり、
ライブドアさんからの連絡を受け取れなかった可能性があります。

早急にライブドアさんと連絡を取り、回復するようにします。

回想記は、これまでどおり更新されています。

よろしくお願いします。

お休みのところ、失礼しました


平成19年3月31日

おき軍事
エンリケ航海王子

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幣ブログは「困ったことがおきると白馬に乗って現れるプリンス」の庇護を受けております
(・・・白馬じゃなくて高速艇かもしれない・・・)。
有難いことです。

取り急ぎ、事態が解決するように取り組んでいただいております。

実は、ある日突然接続不能になったので「すわ、強制閉鎖か?!・・・でもまたどうして?」
と、たまげていたのですが、そうでなくて幸いでした・・・。

ともあれ、以上のような事情でご面倒をおかけしていますが「ブログ強制閉鎖」などの
オッカナイ状況にはなっていません。
こういうことをここに書いても、アクセスできずに「?!」となっている方のお役には
立たないか・・・とは思うのですが、ここにご報告しておきます。
更新もできる状況です。

・・・記事が上がらないとしたら、それは純粋に、ワタシがサボっているからです・・・(嘆)  

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2007年03月30日

桜の季節

桜と大岡川「今年は3月18日開花?!」
と、世間を沸かせ
結局のところ、突然の冷え込みに
ずるずると遅れた桜が、
ようやくきれいに咲きそろい始めた。



桜かつて「タマちゃん」が出現した横浜の大岡川では
この時期こんな提灯が出て
夜桜が美しい。
もちろん昼間も美しい。
なんとなく「ああ、日本だなあ」と嬉しい。



桜アップところで桜はバラ科の植物なのだ。
確かにこうして近くでよくよく見ると、
一重咲きの薔薇に形が似ていなくもない。
近くによっても、やはり綺麗な花だ。
しかし、気候の変調のせいだか
なんだか葉桜になるのが早そうだ。



梅から桜、そして新緑の季節にかけては、本当に日本にいるのが楽しい。
海外在住の方には申し訳ないのだが、一応私も十年間余りはこの時期のホームシックに
耐えたのだし、その先には元中東在住者を弱らせる「梅雨」という季節がやってくるので、
どうぞお許しいただきたい。

ところで、桜の花びらを塩漬けにした「桜茶」は、二日酔いに効く。
花びらよりも樹皮に香りと薬効があって、咳止めなどにもよいそうだ。

そして、桜の花粉にはエフェドリンという物質が含まれていて、これが気持ちを
高揚させるのだとか。

道理で花見酒が効くわけだ、と、妙に納得してみたりする。

春爛漫の桜の下に立つと、確かに少し力が湧いてくる。
今年はこの力を、飲んだくれてカラオケをがなり倒すようなこと以外の用途に使おうな、
と、ひっそり決意をする私なのである。  
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2007年03月29日

金子貴一と私 〜『軍事情報』配信の書評〜

『報道できなかった自衛隊イラク従軍記』を先日もブログ上でご紹介したが、その後『軍事情報』のメールマガジン用に
著者本人との交流や思い出話などを書かせていただいた。

こちらにご紹介したいと思う。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆

まずは、著者の金子貴一ことタカの思い出話から。

タカと初めて会ったのは、カイロに仕事で移り住んで半年余りも経った頃だったろうか。当時彼は既に、一度カイロを引き払っていたのだが、ガイドブックの取材でエジプトに来ていたのである。

知人の家で飲み会があって、わいのわいのと飲んだくれていた時、
「だからさあ、誰か一緒に来てくれないかなあ・・・」
と、彼が突然言ったのだ。

いや、酔っ払っていたから私の耳には突然に聞こえただけなのだが、話が途中で見えなかったから「何のハナシ?」と聞いてみれば、紅海のほうに取材に出かける、という。

スエズからハルガダに向かって紅海沿いに南上すると、少し砂漠のほうに引っ込んだところに世界最古の修道院があって、そこに泊りがけで取材に行く、宿泊の許可は取ったのだそうだ。

「通常交通機関はないところなのだが、今回はスエズから車を一台チャーターして行こうと思う。
その後は、ハルガダまで行ってさらにあれこれ取材をして、戻ってくるんだよ・・・」

「聖アントニウス修道院」という世界最古の修道院の存在を、私はそこで初めて知った(一応、以前の記事でごく簡単に触れたことがある)。

アゴアシは持つから、くっついてきて手伝ってくれる人はいないかねえ、という話に、
酔った勢いもあって、私は「ハイ」と元気に手をあげた。

いい中年になった今、しみじみと思い返せば、なんでも酔った勢いで話を決めてしまえる
年頃だった。
例え酔っていなくても勢いだけで、面白そうなものにはなんでも飛びついていた当時は、
まだ20代半ばだ。
若さとヴァカさが紙一重の、良くも悪しくも楽しい時代である。

これは『地球の歩き方 エジプト編』の取材だった。
タカの処女作でもある。

特に潤沢な資金があったわけでもないし、一泊500円ほどのホテルを根城にするバックパッカーが、オンボロといえども車を一台チャーターして、メジャーでもないポイントを目指すとは思えないから、これは純粋にタカのジャーナリストらしい興味からでた取材だったのだと思う。

で、助手の私は何をやるかといえば、アレはなによコレはなによ、あの人ナニしゃべってんのよ、と取材者を通訳にガイドにとこき使い、レストラン選定には無闇と熱意を燃やし(別に高級な小奇麗なところでなくても一向構わないが、食べ物に妙なこだわりが強いのは昔からなのだ)、その他なにかと彼の気持ちを「和ませる」ことに終始したのだった。

まあ、一人では荷物を置いて周辺を探りに身軽に出ることもできないし、誰であろうと人間が一人いればよい、という発想で、そういうヘンテコリンな同行者を気楽に連れて歩いてくれたのだから、タカも呑気なヤツだと改めて思う。

ただ、食べ物に関しては至ってアッサリした男なので、私の妙なこだわりには閉口した
らしい。
彼には珍しく、いまだにたまに思い出しては「まったくねえ・・・」と呟くことがある。

そんなこんなで、交流は続き、私の結婚式ではカメラマンまで務めてくれた。
これは我が母には不評プンプンで、
「お嫁さん(私のことだ)が、まるっきりカワイク撮れてないっ!」と、あとで激しい
ブーイングが出たものだった。

花嫁に関しては、ひたすらドキュメンタリータッチで、やれ忘れ物の処理だ、
記念写真の指示だ・・・とウェディングドレスで仕切りまくる姿を克明に追ってくれている。

「ウソでいいから、ソフトフォーカスに優しげな風情の「花嫁写真」を
一枚くらい残してくれてもよかろーが!」

と、改めて思わないでもないが、まあ仕方があるまい。頼んだのは私だ。
それにしては、花婿だけはそれらしい「斜め横顔ポートレイト」などが残っているのは
不思議でならないのだけれどね。
まあ、いまさら責めまい。

かくのごとく、金子貴一は実に面倒見がよく、フットワークは軽く、寛容にして温厚、
しかしいい具合に、妙なところでいい加減な男である。
真面目ではあるが、生真面目クソ真面目ではない、ともいえる。

そして彼がひとたびアラビア語をしゃべりだすと、辺りが瞬間でカイロのホコリ臭い
街角に変わる。
身振り、手ぶり、口ぶりのすべてが、実に見事にエジプト人なのだ。
だから、彼とアラブ料理屋でメシなど食うと、なんとも実に楽しい。

ある晩ある時、そんな調子で食事をしていたら、
「サマワにいるときにさあ」
などと口走ったので、ナンダナンダと首を傾げたところ、
「自衛隊と一緒に通訳で行っていたんだ」と、いとも簡単に言う。
「あ〜、でも、民間人が一緒だったなんて今マスコミに知れると大変だから、
間違っても変なところで書いたりしゃべったりしないでね」

ウン、ワカッタと言ったついでに、聞いてみた。

「・・・ところで、タカって、フスハー(正則アラビア語)できたっけ・・・?」
「できないよ」
「・・・イラク方言、わかったっけ・・・」
「わかるわけないじゃん」
「じゃあ、いったいどうやって・・・」
「ええっとねえ、まず相手に『僕、イラク方言わかんないし、フスハーもできないから、
エジプト方言でしゃべってちょうだいね』って頼んじゃうと、向こうが適当に調子あわせてくれるんだよね」

以上、あっけらかんと笑って言っていたが、実はやはり大変だったのだろうなあ、と
思ってはいた。
そして、今回上梓された従軍記を読んで、よくもまあ軽く言ったもんだと、なんだか
頭痛がしてきたくらいである。

それにしても、通訳の人選にあたって、自衛隊もかなり慎重にいろいろ調査したはず
なのだが、敢えて彼を選んだプロセスにはちょっと興味がある。

アラビア語がいくら難解だと言ってみても、それを流暢にこなすアラブ世界の専門家は、
巷に決して少なくはない。
肩書きや表向きの経歴、という部分では、この金子貴一よりもむしろ「適任に見える」
候補者がいたはずだ。

しかし敢えて彼が選任されたのは、言ってみれば「人間力」のようなところをきちんと
評価されたが故だろう、と私は思う。

マスコミも世論も「イラク派兵問題」には相当喧しく騒ぎたてていた、あの当時の情勢下、
よくこの判断が下せたものだな、とつくづく思う。

そして、その期待に応えて、立派に任務をやり遂げて戻ってきたタカも、実に誠に
立派な男である。

書籍自体については、既に拙ブログでいろいろと書いたので、そちらをご参照いただきたい。

だが、この一冊は単なる民間ジャーナリストの従軍記に留まらないことだけは
お伝えしたい。
異文化の狭間に立って何事かを調整する立場になったとき、どんな資質と発想と感性が
必要とされるか?
それが随所に読み取れる、実に秀逸な「異文化対応マニュアル」である。

実に個人的な感慨ばかりの「推薦の辞」となったが、彼の人となりを想像する一助になれば幸いだ。

そんなわけで、この一冊は彼がいままでの人生を通じて、ひたすら前向きに、
他の人間にはなかなかできないスタンスで努力し、学んできたことのひとつの集大成に
なっている。

これから先へ、そしてさらに高きへと、まだまだ進んでいくのは間違いないと思うだけに、
ジャーナリスト金子貴一のターニングポイントとなる本書を、まずは皆様に御一読いただきたい、と、切に願う次第である。

(アリーマ山口)


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上記に『軍事情報』編集主幹のエンリケ殿下のコメントもついて配信された。

配信分には、目次や殿下独自の目線でのコメントなどもあるので、是非こちらもあわせてご参照いただければ幸いだ。

報道できなかった自衛隊イラク従軍記
  
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2007年03月23日

カイロ近郊に新名所出現?!〜特派員レポート〜

これはちょっと眉唾なのではあるが、画像もあるので御紹介してしまおう。
カイロから戻ってきた私設特派員によると・・・

「カイロ郊外のイスマイリアという都市(スエズの近く)に向かう道路の脇に『奇跡の木』
が出現して話題を集めているのだ!」

・・・と。

経緯は不明なのだが、なにかの事情でコンクリートで埋まっていた木の根元が露出。
そこに「アッラー」と「ムハンマド」の文字が浮かび上がっていた、という話だ。
三週間位前に現れて、あちこちから人が集まり交通渋滞を引き起こしているとやら。

論より証拠?
画像をどうぞ。

新名所1 新名所2 新名所3







突然現れた新名所のご案内。
カイロ空港からイスマイリア方面に向かってほど近い、
カイロ郊外にあるそうだ。

これはいたずらか、はたまた「奇跡」か?
なんとも言いがたいが、とりあえず珍しい写真であろうと思うので、記事に上げる次第。

でもさ、特派員よ、アナタも交通渋滞に「貢献」したワケね・・・と言ったら、
「同行しているエジプト人に無理やり連れていかれたんだ」との由。

かくしてカイロの交通渋滞は、郊外にも発生するのである。  
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2007年03月19日

エジプト料理『ネフェルティティ』@目黒

昨年末、東京は目黒にエジプト料理の店ができた。
詳しくは、喰いもん関係中心の別ブログをご参照いただきたいが、そちらに書くまでもないが
一応補足したいところを以下に・・・。
写真も撮ってきたのでご参考までに。

エーシュ実によくわからない写真だが、
エジプトで言う「エーシュ」
アラブ圏によくある平たいパンを
エジプトではこう言うのだが、
その他アラビア語圏では「ホブス」になる
注意が必要なのだ。

(尚、湾岸では「エーシュ」が「米」になるところもあるらしい)。

どっち道、エジプト以外のアラビア語圏で「アイザ・エーシュ」(パンが欲しい)
などとエジプト弁で口走ると、プッと笑われて「アンタ、エジプト人かなんか?」
と、言われる。

エジプト弁というのは、アラビア語圏では日本でいう大阪弁のイメージがあるのだ。
そして、この方言はアラブ世界あまねく通じる。
笑い乃至は軽蔑を招くにせよ、とにかくよく通じる。
「だから、エジプト弁をとりあえず覚えると便利です」などという人もいるらしいが
(神戸を地盤にする「某議員さん」も、そんなことを御著書で、あくまで軽いタッチながら書いている)、やっぱりまずは「正則アラビア語(フスハー)」をやっておくに越したことはない。

とにかく、エジプト国内では「パン=エーシュ」となる。
「エーシュ=日々の稼ぎ」という意味あいにもなる。
日本語でいう「おまんま」という意味あいだろうか?

ショルバアラブ圏ではどこでも豆を本当によく食べる。
このスープは実に豆マメしい代物で、
このスープに郷愁を覚えはじめたら
アナタのエジプト化もかなり進んでいる。
どろりとしているのに
妙にボサボサした口当たり・・・

豆類が苦手な人は、まず喰えない、レンズ豆(Lentil)のポタージュだ。
エジプトの場合、スープをきちんと取ってさえいれば、慣れるとしみじみ旨いと思う
ようになる。
こちらの店の場合、日本人向けに口当たりは軽かったが。

オムアリオム・アリ(「アリ母さん」の意)は、
エジプト名物のデザート。
西洋式に言う「パン・プディング」の一種で、
パンと干しぶどうなどをミルクで煮込む料理。
単純なものだが、何故か好き嫌いはわかれる。
なぜだろう?

こちらのレストランは、味付けは比較的現地に近い。
ただし値段はかなり強気だ。
近隣大使館(特にエジプト大使館)や、接待での利用を見込んでいるためか、と思う。

ちなみに、謳い文句になっている「五つ星ホテルのシェフ」は、わかる人には
わかるだろうが、カイロはザマレクにある「サフィール・ザマレク」というホテル出身。
いい加減な「なんちゃってアラブ料理シェフ」の作るものよりはかなりよいが、それだけに余計なことを言わなければよいのにな、と思ってしまうのではある。

特に何もいわなくても、そこそこ現地に近い味のものが出てくるので、なにか特に
エジプトらしいものが食べたいならば、予約の時点で相談しておくとよいと思う。

それにしても、この日に限ってなのかどうだか、店にいるお客の8割以上は女性だった。
私も女性3名のグループで行ったのだが、中東地域は本当に最近女性に人気なのだな、
としみじみ思った次第である。  
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2007年03月16日

古代エジプトのビールを再現? 

ちょっと古いニュースではあるが、古代エジプトのビールを再現したものが、密かに
売れているそうだ。

詳しくは以下参照。

京大と早大が共同開発 アカデミックビール「ホワイトナイル」

以前から、早稲田大学の吉村作治教授が、キリンビールと共同で研究を進めている話は
あったのだが(「キリンビール大学」の「古代エジプトビール研究所」は面白いサイトだ)、
京大農学部が原料となるエンマー小麦なる古代種を提供して、共同開発した結果、
販売が始まったもの。
両大学の生協などで販売していたが、この売れ行きがけっこう順調で発売半年で4万本売れたとやら。
330ml入りの小瓶が一本450円と、相当強気な値段だが、話題性の勝利ということだろうか。
製造元は黄桜酒造

ただし、現状はまだエンマー小麦はまだ完全に再現に至らず、今のところは近い種類の小麦を使ったもののみの販売。
本格的な「古代種」を使ったもののお目見えは、今年の夏以降になるそうだ。

さて、現代のエジプトに至ると、現地で一番よく飲まれているビールは「ステラ・ローカル」という。
ビールの話は、過去の記事にも書いたのだが、はっきり言って「5000年変わらぬ味わいって、こんなもんか」と思えるような代物だ。
ボトルによって当たり外れまである。
けれど、特に熱暑の下で「当たり」を引くと、これは実に嬉しいものなのではあった。

最近のラインナップはかなり充実してきて、ハイネケン・グループのもとで新ブランドが出たり、旧ブランドもかなり品質向上したり、ついでに場所によっては強烈に値段が吊り上ったりしているという話だ。
5000年の歴史が、この5年で力強い変化を見せている。
それで国が潤うのならば、よいことだ。

などなどと漠然と思っていたところ、先日東京都内の某エジプト料理店にて、
その『ホワイトナイル』がメニューに出ているのを発見。
ものは試しで飲んでみた。店では小瓶が850円。ご参考までに。

ホワイトナイルけっこう酸味のあるビールだ。
この微妙な酸っぱさは、
確かにドイツ辺りで小麦を使って作る
「ヴァイツェン」にどこかしら似ているが・・・
しかし、この妙に懐かしい酸っぱさは
なんだかどうも・・・

・・・カイロでよく飲んだ『ステラ・ローカル』なのだ、要するに・・・。
ああ、懐かしい。
懐かしいし、必死に研究開発した皆さんには誠に申し訳ないが、私は結局二杯目では

「普通の生ビール下さい」

などと、実に無粋なことを言っていたのだった。
きっと私の舌も根性も曲がっているに違いない。

でも、夏に本格的に「エンマー小麦製の古代ビール」が出たら、きっとまた文句言いながら
飲むのだろうな、と思う。

少なくとも、古代エジプトのビールを現代に再現するプロジェクトにはロマンを感じるし、
しかもそれが産学連携の成果として、きちんと利益まで上げているならば立派なことだ。
そういうことには、やはりきちんと敬意を表さないといけない。

それに、ステラ・ローカルには、ずいぶんお世話になったんだしね・・・などと言ったら、
関係者に余計申し訳ないだろうか?

でも、あの「不味いビールの味」が、最近たまらなく懐かしくなることがある。
「たまにはエジプトに里帰りせよ」という、ファラオのお告げ・・・かもしれない・・・。


ビールでいただきます!
  • 著:大田垣晴子
  • 出版社:ソフトバンククリエイティブ
  • 定価:1050円
livedoor BOOKS
書誌データ / 書評を書く



古代エジプトのビールは1ページしか出てこないが、こんな本もあり。
詳しくはこちらを。  
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2007年03月15日

咲き残りの紅梅

たまに花の写真を上げている。
なんで突然『中東ぶらぶら』にそこいらの花が出現するか、というと、意外に海外在住の方が、拙ブログをのぞきにきてくださることもあるらしい、とある時知ったからだ。

海外在住時、いつも花の季節には気がもめた。
特に、梅や桜の頃になると、どうにも花が恋しくなったものだった。
とりわけカイロにいた頃など、季節感が温度差と砂嵐くらいしかないようなものだから、
こればかりは本当に侘しかったのを覚えている。

日本にいると、少なくとも四季折々の花が見られて幸せだ。
でも、見られるならば見られるで、あの花はまだか、この花は見そこねてしまった・・・
などと、これはこれで気が揉めるから困ったものだ。

紅梅今年は早々と咲き始めた梅。
もう盛りはとうに過ぎて、
散り残りがぽつぽつと。
雨上がりの陽光はすっかり春だが
この数日は意外に冷え込む。
花冷え、というにも早すぎるのだけれど。

ミモザ
花という花が
今年は早々と咲いてゆく。
実家の庭ではミモザが満開だった。


  
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Yahooカテゴリーに掲載されました!

特に読者になにか有益な情報、というものでもないのだが、拙ブログが『Yahooカテゴリー』
に掲載された。
こういうインターネットの世界に詳しい方に言わせれば、非常に意義あることだそうだ。

http://dir.yahoo.co.jp/Regional/Countries/Arab_Republic_of_Egypt/Society_and_Culture/

(↑ここに載っております)

実は「不肖の妹」である『横浜ほにゃらら日記』も一ヶ月前に載った(こちら)。
知人のサイトが掲載されたというので「じゃあ、ワタシも」と深く考えずに審査の
申し込みをしたところ、一週間ほどして「掲載通知」が来た次第。

本当はこんなにすんなり載るものではないのであるぞ。
ブロガーとしては「慶事」と思ってよいことなのであるぞ。
もっとあからさまに喜ばんかい!

・・・などなどと言われたものだが「そうか、そうなんだ」としか思えぬ自分の無知さが悲しい。

それで、じゃあ「ぶらぶら」はどうかしら?と申し込みをしたら、再び審査通過。

なんであれ、こういうところから色々な人の目に触れるものになっていくようだし、
稚拙な知識とはいえど、そうなればより多くの人のお役に立てるので、大変喜ばしいことだ。
それは間違いない。

春とともに、喜びをもって皆様にご報告する次第である。  
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2007年03月13日

ベリーダンスの魅力とは? 〜ニュースのお時間です〜

最近三回ほどベリーダンスの話を書いたが、ちょうど折りよくこんなニュースが上がったので
御紹介を。

以下記事、ご参照下さい。
女に磨きがかかるというベリーダンスの魅力とは?

日本でも最近人気の「お稽古事」としてのベリーダンスの実態を取材、という記事で、
取材先は友人もたまに出ている『シェヘラザード』という東京は四ツ谷のクラブ。

詳しくは記事のほうを読んでいただくとして、欧米などで一気に人気が出た背景と、
事情や動機が似ているのが面白い。
「女性らしい、柔らかで官能的な動きが身につく」ということだ。

ずいぶん昔、欧米で女性らしいエロスを求めて、ベリーダンス教室に通う女性達が大勢いると
聞いたとき、さすがは性的にオープンなヨーロッパだなあと妙に感心したことがある。
別にレズビアン系の女性、ということではなく、「女性らしい動きを学んで、フェミニンさを磨きたい」ということだ。

私本人は、腰をくねらせたり色っぽいしなを作ったり・・・という仕草とは、
実にまったくもってキッパリと「無縁」(というのも見栄で、単に「無能」)なのではあり、
考えただけでコッパズカシイわい!ということになってしまうのだが、
そういうフェミニンさを美しいものとする感覚は、まあわからないでもない。
特にドイツ辺りの女性は、そういうところがあるかもねえ、などと他人事のように思いつつ
まあ日本で一般化するのは難しいだろうなあと感じたものだ。
一時代前の日本の感覚では「官能とエロス=隠微にして男性専科」だった。
こういうオープンな官能性を、女性が明るく健康的なものとして前向きに受け止める空気は
まだまだなかったと思う。

しかし、最近はそういったフェミニンな官能性を、一部とはいえオープンに受け入れて
身につけようと考える女性が日本にも現れた。

まるで時代遅れのオッサンのような感慨だが、「日本の女性も変わったなあ」と、
しみじみ思う。
言い方を変えれば、性に対する感性が、ポジティブな意味で強く逞しくなったのだろう。
一方で、男性の方はどうなのかしらん、とつい思ってしまう。
まあこれも個人的な感慨にすぎないし、余計なことだが、こっちは「相変わらず」
なんじゃないの、と思えてならないのだけれど。

ベリーダンサー参考までに。
ダンサーは日本人とヨーロッパのハーフ、とのこと。
エジプト辺りで見かけるダンサーは、
こういうイメージの体型の人が多い。
東京・目黒のエジプト料理レストラン
『ネフェルティティ』にて。

しかし・・・記事冒頭にある
「たるんだお腹を“ビシッ!と引き締めたいなら“ベリーダンス”がいいらしい」
というのはどうなんだろう?
その辺、筋肉質に引き締まっちゃうと、揺れるベリーが無くなっちゃうんじゃ・・・?
エジプト辺りのダンサーも、お腹回りはけっこう「ふくよか」だった記憶がある。
そもそも、あの界隈で本来「美しい」とされるのは、筋肉質に痩せたタイプよりは、
豊満でふくよかな肉体の女性だ。
本来ダンサーとしての訓練をつんでいる人が、引き締まった筋肉質な肉体美を身につけていることはあろうが、ベリーダンスだけでお腹がびっしり締まる、ということは、
どうもなさそうな気がするのだが・・・。

は、ワタクシ?
美醜体型以前の問題だろうなあ(・・・無論そういう問題もある。当然ある)。
こういう人こそがやるべし、などという内容も記事にあるけど、仕事の取材で体験レッスンに
強制的に通わされたフラですら、身の置き所のない思いで迅速に撤退した、うっすら女の皮をかぶったオッサン型キャラクター(・・・自分で書いていて情けないわい)。
こんな奴から「官能とエロス」なんざ振っても蹴っても出てこないもんであり・・・嗚呼。

だから、前向きにベリーダンスに向かう女性達は、私の目にはちょっと眩しい。  
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2007年03月12日

『報道できなかった自衛隊イラク従軍記』

報道できなかった自衛隊イラク従軍記


以前『世界の宗教 知れば知るほど』という本の共著者として御紹介した、友人の金子貴一が、実に良い本を出した。
これは拙ブログの読者の方に、是非読んでいただきたい本だとしみじみ思うので、
力をこめて御紹介する。

彼自身のサイトで、実にあっさりと「極秘経歴」として「実は、私は2004年2月3日から3月24日まで、陸上自衛隊のアラビア語通訳として、イラクのサマワに滞在して、陸自の方々と苦楽を共にしておりました」などと語られているのだが、これがどれほどのことかは想像に余りある。
そのレポートがついに出たのだ。

民間人が海外の戦地に同行し、業務支援という形で現地での活動に従事する記録、
というだけで、非常に貴重なものだと思う。
ジャーナリストが「記者としての目線」「外からの目線」で書いた本や、自衛隊関係者乃至はシンパが、「関係者の目線」「内からの目線」で発表した記録などは、相当数出ていて、これはこれで価値ある記録だが、金子が今回発表した記録は、そのどちらでもない中立に立つものの目線からのものとなる。
本書の中で彼は自分を「異文化コーディネーター」と位置づけているのだが、その立ち位置は
正しく「一般世間の人々」と「自衛隊関係者」の中間点にあり、また同時に「日本的発想」と「アラブ的発想」の中間点にもある。
同時に、欧米的な発想も状況次第では必要とされる。

そのすべてを肌身で理解したうえで、対面する二つの文化圏の人間が歩み寄り理解できる
場と状況を「通訳」という立場を介して作り上げるわけだ。
言語能力も当然のことながら、人間性や感性精神の柔軟さが必須となるわけで、しかもその上に重ねて「戦地での心身ともに過酷な生活」という環境までがついてくる。
強靭な体力と精神力が必要とされるうえに、文字通り「命懸け」なのでもある。
その上、彼の調整の結果次第では、人命や国事を左右する結果に至りかねない。
まあなんとも大変な仕事を引き受けたものだ、と改めて感嘆してしまう。
そして、本書には特に詳しく出てこないのだが、あえて金子貴一を選んで同行した、自衛隊の判断のプロセスが興味深い。
「やるじゃないか、自衛隊!」と、話を聞いたときは内心拍手を送ったものだった。

私自身も、こんな苛烈な状況には程遠いながらも、一応それなりに対面する異文化の調整役のような立場に過去立った経験はあるので、読んでいるだけで気が遠くなりそうだった。
そういう、現場にいたら失神ものの場面を、彼はどこかしらユーモラスなほど淡々と、情緒的にも感傷的にもならず、しかし前向きな情熱を持って綴っていく。
彼の人柄ゆえの筆致なのだが、読みやすくわかりやすく、非常に楽しくすらある。
実際、面白い楽しいエピソードもいろいろ織り込まれていて、読んでいて思わず爆笑するシーンもあった。

おそらくこの本は「貴重な従軍ルポ」という形で受け入れられ、評価されていくと思う。
イラク情勢や自衛隊、軍事といったことに関心のある人々は、確実に手にとって読む一冊となるに違いない。

ついでに加えれば、元々大学で文化人類学を専攻して「アラブの部族研究」を専門にしていただけに、サマワ周辺の諸部族の状況や生活文化、といった情報も多彩に盛り込まれているので、アラブ圏の地域研究をしている読者にも貴重な情報は多いと思う。

しかし敢えて私は、この本をそういうカテゴリーに押し込んでほしくないのである。
軍事関係、アラブ学関係といったフィルターをすべて捨て去っても、この本は「異文化対応マニュアル」として抜群に優れていると思うからだ。
自分の背景にある文化と異なるものとぶつかったときに、どうとらえ、どのように行動するべきか、というヒントが、この本には様々な形で描かれている。
これから世界を目指す若い読者に、また「異文化コミュニケーション」という言葉に何らかの引っ掛かりを感じる読者に、是非とも一読をお薦めする次第だ。

別に身びいきでなく、久しぶりに色々な意味で面白い良い本を読んだ。
そしてこれは完全な身びいきだが、その作者が「たまたま」朋友である金子貴一だったことに、我がことのような嬉しさをしみじみ感じるものである。

(ライブドア用)

報道できなかった自衛隊イラク従軍記
  • 著:金子 貴一
  • 出版社:学研
  • 定価:1890円
livedoor BOOKS
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2007年03月09日

カルツームより 〜特派員レポート〜

ただいま、中東ロードに出ている特派員より・・・(オットです。要するに)

「ドバイも涼しかったが(日中でも27-28℃くらい)、ここカルツームも今の季節は
過ごしやすい。
朝晩は非常に涼しく長袖が必要なくらいで日中でも30-31℃くらいまでしか気温が上昇
せず。
今回は当たりだな。未だ青ナイルがブルーに見える時期です。」

*注:
スーダンのカルツームは、ウガンダにあるビクトリア湖を源流とする「白ナイル」と
エチオピアのタナ湖を源流とする「青ナイル」が合流する街。
ここで一本の「ナイル川」となって、エジプトに流れていきます。
なぜ「白」と「青」かと言えば、そういう色に見えるからだそうだけれど、実際に色がわかる季節は限られているそうな。
サイドバーにある写真のように、どんより茶色っぽいのが普通らしく・・・
うっすら夢を持っていたので、初めて話を聞いたときはちょっとがっかりしたものですが。

で、カルツームはアフリカらしく大変に暑いそうで。
湾岸辺りも暑いけれど、ガンガンに空調が効いているので「体感温度」というか「実感気温」
は、カルツームの比ではないそうな(・・・そりゃあ辛かろう・・・)。


「今回は取引先の会社が手配してくれた、安くてこじんまりしたホテルに泊まっているが
インターネットの接続に手間取りやっと繋がった次第。
確かにこのホテルは便利で融通も利くホテルで、しかもヒルトンの半額以下(三分の一くらいか?)で朝食も付いているので文句は言えないのだが...。

でも部屋くらい毎日掃除して欲しい。

今日で三日目になるが、実はまだチェックイン手続きもしていない。
まだパスポートの登録もしていない。
それで良いらしい。」

*注:
カルツームのヒルトンは、おっそろしく老朽化が進んでいるのだけれど、他に競合がない
という理由でかなり強烈に高いそうな。
開発途上国の高級ホテルには良くある話ですが。

でも、そのホテルものんびりしてるなあ。
いいのか、それで?!

尚、カルツームの風景などはこちらをご参照あれ。
エジプトの田舎の方や、1990年代初頭のカイロの町並みなどが思い出されます。
ちなみに、カルツーム市内は撮影禁止です・・・。


「ドバイは高層ビルが空高く伸びるにつれて、ドンドン醜い街になっていくなー。
街の混雑、渋滞、空気の汚さもそうだが、何といってもサービスが悪い。
国の文化や習慣(と言ってもドバイに威張れる程のものが在るとも思えないが)を尊重しないイン・パキ連中を主流とした出稼ぎが中心なのでサービス面での充実を期待する方が無理かも知れないが。
まだ、カイロやカルツームの方が感じが良いよ。」

まあ「元カイロ土着民」には「冷たいコンクリートジャングル」なんですね(熱いけど)。
私は空港しか知らないのですが。

以上、特派員レポートでした。  
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2007年03月08日

続々 ベリーダンスの話 〜朝まで頑張れ!〜

一流ナイトクラブでのベリーダンス鑑賞が、男性といえども「難」で、実は「けっこう現実的で辛い理由がある」などと、やけにもったいぶったことを前回書いてしまった。

いや、何も複雑なことはない。
持って回っていうほどのこともない。

例え一流といえども、カイロのこうしたナイトクラブは「強烈な夜更かし型」だ、と、
本当にそれだけのことなのだ。

エジプトに限らず、中東やら地中海地域やらで生活すると痛感するのだが、
日本人というのは実に健康的で早寝早起きな国民だと思う。
なにしろ夕食が6時だ。
レストランのディナーが8時終了だったりする。
ディナーの時間というのは、各国各地で色々なのではあるが、夕食が6時か、遅くても
7時ごろが常識である国、というのは珍しいのではないかという気がする。
その他アジア諸国の状況をよく知らないのでなんともいえないが、少なくともヨーロッパや
中東の感覚でいくと、これは極端に早い。
まあ、日本の場合は夕食がメインの食事だから、早く食べないと消化に悪い、などという
事情もあるのだろうか。
エジプト人など、5時半頃にランチ、などという話もよくあるくらいだ。
ディナーのピークは10時ごろとなる。
飲み屋じゃなくて、ごく普通のレストランが、である。

だからなにがどうなっているんだよ、という声がそろそろ飛びそうだ。

わかりやすいように、とりあえず一流ナイトクラブのスケジュール例をあげてみよう。

22時  開店。ただし、客はいない。たまに間違って入ってきた外国人が、
     所在なげに人気のない店で極限まで遅くしたディナーを突いていたりする。

23時半 前座のバンドが、チューニングなどしている。
     パラリンポロリンとBGMめかしき演奏が、なんとなく始まる。

深夜0時 やっと客が入り始める。二つ目のバンドがゆるゆると、今度はもう少し
     ライブ感のある演奏をやる。ディナーも終わって、夜はこれから、だ。

そんなこんな感じで、ようやく座が盛り上がり始める。
前座やバンドの数は、クラブによる。

深夜2時 べリーダンサー登場!ダンサーの格によって、前座の若いダンサーが出る     こともある。この辺が本番。

深夜4時 〆に歌謡ショー。有名歌手が出て、大いに座を盛り上げる。
     まあ、氷川きよしや北島三郎とまでは行かないが、
     山本譲二クラスの歌手だろうか。

こんな調子で、夜も明け染める頃に営業が終わるのだ。
これは「一流クラブ」の話であって、朝5時ごろから盛り上がる2次会用クラブも、
ヘタすると朝7時ごろからまだまだ頑張るクラブもあるらしい。
老若男女、果ては子供まで、本来夜更かし体質が強いエジプト人。
本気で夜遊びを始めたら、日本人など到底付いていけるはずがないのである。

まあこういう盛り上がりはディスコなどの類も同じで、昔早朝5時ごろに仕事でホテルへお客の出迎えなどに出かけると、眠くてボーッとしているこちらを尻目に、
テンションをあげまくった夜遊び族とすれ違ったものだ。
早朝から疲労感を増す光景ではあった。

一度夫同伴で出た「ナイトクラブ現場研修」では、ひたすら欠伸を噛み殺しながら、
モウカエリタイヨウという態度もあらわな彼を、ナンノカンノと必死でなだめて過ごした。
当然、木曜の夜(エジプトは金曜が休み)に出かけたにせよ、じっと座って飲み食いしながら
明け方まで過ごすというのは、強力なモーティベーションを要することだ。
なんだかよくわからんままに、妻の業務研修に徹夜で付き合う夫の姿、というのも
実に不思議だが健気ではある。
多少ブツクサ言ったからとて、誰が責められよう。

ついでに本当のことをそっと告白すると、私は女性なのでもあるし、ナイトクラブの
実態を知らなかったとしても、直接の業務に支障はないので、断ろうと思えば断れた
研修だったのでもある。
でも、結局その晩そこに夫まで引きずり出して座っていたのは、純粋に好奇心ゆえだ。
スマヌ、夫よ。
もう時効だと思うから、なんとなく謝っておく。

当時はフィフィ・アブドゥという大御所ダンサーが現役で、別のクラブに週何度か出ていた。
夫もこちらは仕事の接待で行ったことがあるのだが、この日のショーとはまるで格違い
だったそうだ。
私自身もその昔にDinaのショーを見ていたので、その日のショーはなんとも中途半端
に思えた。
一流ホテルのナイトクラブだから、絶対に期待感に沿ったものになるとは限らないのだ。

だから、なにが難かと言えば「朝まで付き合う根性がいる」と、そこに尽きる。
エジプト人始め中東の人たちというのは、夜エンドレスで遊ぶことにかけては、
日本人など想像もつかぬほどパワフルなので、いきなり何も知らないで「ナイトクラブで
ベリーダンスのショーを・・・」などと出かけても、たぶん面食らうだけだと思う。

ちなみに、友人のRさんがみたDinaというトップダンサーのショーは、実に素晴らしい
ものだったそうだ。
お値段は一人US$150と、これもまた素晴らしいのだが「その価値は十分にありました」
との由。
これはフルコースのディナーもつくので、日本でクリスマスのディナーショーなんぞを
観に行くことを考えれば、まあリーズナブルな値段といえるかもしれない。

だから、どうしても一流ダンサーの芸に触れたければ、朝まで盛り上がる気合を持って、
根性を入れて、翌日も半日潰れることを覚悟の上で臨むべし、ということになる。

そして、大切なのは、そこまでやる価値のあるダンサーが出てくるかどうか、しっかり
事前に確認することだろう。

そんなわけで観光客相手とは言っても、所謂「ナイル川ディナークルーズ」はコンパクトに
うまくまとまったショーを、まともな時間に楽しめるので、ベリーダンスを雰囲気だけでも感じたい向きにはオススメできる。
しかも、これならば実に健全なので、女性だけで出かけても、まったく不自然ではない。
きれいな夜景を堪能して、翌朝からの仕事なり観光なりに向けて鋭気を養えるので
「観光客向け」と馬鹿にしたものでもない、と私は思う。

まあ、あの「夜のパワー」を実体験することで、なにか一つエジプトを知ることには
なるだろうから、決して無駄だとまでは言わないけれども・・・。  
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2007年03月05日

続 ベリーダンスの話 〜一流ダンサーは何処に?〜

友人のRさんがカイロに行くにあたって、老婆心ながらちょっと「現地事情」の話をした、
前回書いた。

カイロがベリーダンスの本場にして、世界の拠点であるならば、これはやっぱり一目
「一流の芸」をみたいと思うのは人情だ。
最近あちこちにある、BBSやらSNSやらの類でも「カイロでベリーダンスを見るには
どこに行けばいいでしょう」という質問が見受けられる。
大抵が「観光客相手のものでなく、地元の人が行くようなところ」という希望だ。

この場合、答えはシンプルで「カイロの一流ナイトクラブへ」ということになるのだが、
これが案外一筋縄ではいかない。

「ベリーダンスが見られるところ」とまず考えると、

1.ナイル川ディナークルーズの観光客向けショー
2.レストランなどでのショー
3.ナイトクラブ

と、まあこの3パターンだろう。
1の場合、以前に夫が行ってきた記事を上げたことがあるし、Rさんも別の船のショーを見てきたそうだが、まあ「芸としての踊りを見る」というよりは、雰囲気もののアトラクションだ。

2になると、これは場所による。
エジプト以外の国では、ダンサーのレベルの高いレストランもあるらしいが、エジプトの場合はディナークルーズと大差ないことが多い。
高級なレバノン料理のレストランでアラブ人客が多いところならば、ひょっとしたらいいダンサーがいるかもしれないが、場所は限られるだろう。

それならばナイトクラブということになるが、勢い込んで出かける前に、カイロなどの
所謂「ナイトクラブ」とはなんなのかを一応わかっておいたほうが良いかなあと思う。

一言で言えば、これは「夜の紳士の社交場」というやつだ。
この類の場所は、日本でも下は場末のキャバレーから、上は銀座の高級クラブまで、
値段と出入りする人間の階層にあわせて色々だが、これはカイロも似たり寄ったり。
違うのは、あからさまにホステスや酌婦の類の女性はつかないところと、必ず「ショーを見せる」という前提でクラブが運営されているところだろうか。

こういう場所にも種類があって、これはシンプルに「高級」と「その他」にあっさり分けて
よさそうだ。
前者は主に一流ホテル内にあるナイトクラブで、こういうところならば女性客を
見かけないこともない。
但し、その場合は男性に同伴されている、という状態がほぼ鉄則に近い。
まあ、女性だけで入れないこともないのだが、銀座の高級クラブに一見で女性が飲みに
行くようなものだ、と考えたらわかりやすいだろうか?
できなくはないが、ちょっと浮き上がった感じになってしまうのだ。

では「その他」は、と言うと、実は私も行ったことがない。
場所により色々あるらしいけれど、話に出たドイツ人の友人などは一人で果敢にも入ろうとして、入場を断られたりしている。
一流ホテルなどの高級ナイトクラブと違い、こちらは「男性専用」なのだ。
カイロ市内からピラミッドへ向かう、いわゆる「ピラミッド通り」に軒を連ねているナイトクラブなどは大半「その類」で、1〜2軒は筋のいいクラブがあるらしいが、大半は「色と酒」が主体となる。
娼婦がいるのかどうかまでは知らないが、この辺で踊るベリーダンサーには「色がらみ」が
ついて回るという話だ。
システムまではわからない。
ご存知の方は、是非お知らせ下さい。
ワタシもどうなっているのか一応知りたい。参考までに。
一生行くことのない場所ではあるけれど。

そういう事情だから、地元の人は普通はナイトクラブなどに出入りしない。
するとしたら、必ずしも信心の深くない金持ちだ。
高級、その他のどちらであれ、庶民が遊ぶ場所ではないのである。
だから「地元の人が行く場所で、観光客向けでないベリーダンスのショーをみたい」
という外国人ツーリストの希望は、カイロの街の実情とずれてしまう。
残念ながら。

さて、Rさんはその友達と二人連れで出かけよう、ということだったので、まずはその辺の
事情を説明して「行くならば一流ホテル内の高級なところへ、できる限り『男性同伴』で」
とアドバイスしてみた。

カイロのような街で、女性だけで「紳士の社交場」に出かけるとしたら、これは間違いなく周りの男性が放っておかなかろう。本人の受け止めよう次第でもあるが、男を漁りに行くわけではないのだから、まあまず鬱陶しいことになる。

ところが「男性と一緒」というだけで、程度の差はあれ周りは遠慮するのだ。
エジプトにしても、その他中東諸国にしても、彼の地の男達は原則として「他人の領域を侵さず」という、案外律儀な「縄張り意識」を持っている。
他の男性が連れている女性を、じろじろ見ることすら「男としての信義に悖ること」となる。
だから、同胞であるエジプト人始め中東系の男性が連れている女性にナンパをかけるなど、
まったくもって言語道断な行動になる。
フェミニズム的な見地から、女性はモノやナワバリではないっ!と怒る人もいるかも
しれないが、まあそれが現状なのだから一応理解しておいて損はあるまい。
これが外国人だとケース・バイ・ケースで、同胞に対してよりは緩いが遠慮はするはずだ。
多少の粉はかかるかもしれないが、ノーガードの状態よりはマシであろう。

「まあ、だから、誰か信頼できる男性と一緒に行ってね」と私は言った。
老婆心ながら。

尚、クラブの格が一流だから、ダンサーもすべて一流とは限らない。
こういうナイトクラブの場合、あくまでも「紳士の社交場」であって、ベリーダンスを観る
というところに第一義はないので、そうそう極端に下手なダンサーは出さないまでも、
超一流のベリーダンサーが出ているとも限らないのだ。
実際、私は「なんだこりゃ?」と思うような「若手ニューウェーブの新星」とやらのショーを
観る羽目に落ちたことがある。
話はずれるが、昔の勤めていたホテルの「現場研修」だった。
ホテルの商品は一通り見ておけ!という指令だが、まさか一人じゃ行けません、と言ったら
「ハズバンド同伴可」となった次第。
夫同行の現場研修。経費で無料でもあれは辛かったが、その話はちょっと置いておいて・・・。

トップクラスのダンサーは一ヶ所の専属だが、契約をするクラブは数年ごとに変わる。
しかも、こういうダンサーは毎日出ないこともあるので、確実に出そうな日は要確認だ。
だからまず「今をときめくトップダンサー」がどこのクラブに出ているか、から始まって、
まずは調べなければいけない。
ちなみに、RさんはDINAというトップダンサーの出ているところに行った。
どこに出ているのか、と思ったら、私の昔の職場なのであった。
「儲からないからナイトクラブは潰す!」と当時の料飲部長が始終言っていたものだが、
マネジメントの方針が変わったらしい。
組織や物事の方針が、たまげるほどドラスティックに変わることがあるのも、エジプトの
特徴なのではある。

ここで、え〜、それってズルイ・・・などと口走ってしまった私は、単に心の狭い人間だ。
DINAのショーならば、何度でもみたい。
大昔に一度、ピラミッドのほうの超一流ホテルと専属契約を結んでいたころにショーを
観に行ったが、これは素晴らしいものだったのを今でも覚えている。

さて、話が脱線しているが、じゃあ男性ならば、そういう一流のショーを気楽に観に行って
問題ないわけだね、という結論にくると思う。
でも、これがやっぱり「難」なのだ。

けっこう現実的で辛い理由があるので、だんだん歯切れが悪くなるが・・・
まあ、しょうもない理由だ、ということで次回に続く。  
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2007年03月04日

アレキサンドリアに桜並木が!

「川崎・エジプト親善協会」の第二回友好訪問団が二日、川崎市役所で会見し、二月下旬に訪れたエジプトのアレクサンドリア市などに520本のソメイヨシノを贈ったそうだ。

詳しくは以下参照。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/kgw/20070303/lcl_____kgw_____002.shtml

520本というのは、ちょっとした数だ。
ソメイヨシノがアレクサンドリアにどう根付くのか、ちょっと楽しみではある。

カイロから、在留邦人のお花見バスツアーがでるのかな、などと考えると、
ちょっと楽しい。  
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2007年03月03日

二日連続の誕生日

誕生日が二日続いた。

昨日3月2日は、我が家の猫達(ハナ&ヒメ)の14歳の誕生日。
イスタンブルの我が家で生まれ、結婚後「連れ子」としてカイロへ移住。
中東で苦楽をともにした彼女達。
「ハッピー・バースデー・・・」と歌を歌ったけれど、途中でどこかに行かれてしまい、
特別にあけたカンヅメに「キライ!」とブーイングをあげ・・・ああ、はいはい。
スミマセンね、勝手に盛り上がって・・・。

日本帰国後家出した(!)母猫モモちゃんが、出産直後で青息吐息だったのを思い出す。
「桃の節句というのにねえ・・・」と「巣箱」のダンボールに水やら食べ物やらを差し入れしたものだった。
イスタンブルの住まいでは、近所の人たちの挨拶がおしなべて「子猫、元気かね〜?」。
みんな、子猫が見たくてたまらない。
つくづくトルコの人は猫が好きだなあと思ったものだ。
あちこち住んだが、イスタンブルは猫に優しい街だ。
街を歩いている猫らが、他所の大都市とはちょっと違う呑気な空気をまとっている。

あのとき、喰ってしまいたくなるほど愛らしかった子猫らは、いまや私に手厳しく
指示指導を繰り出す、立派な「婆猫」に。
元気なのがなによりだろうか。

hime喧嘩馬鹿一代な強烈キャラを誇る
通称「姫次郎姐さん」も、高齢のため引退。
でもまだまだ元気一杯。
往年のアビシニアンかバステト女神か・・・
というスタイルには、
ちょいと「貫禄」がついた。体重5.5キロ。

hana日本帰国後交通事故にあって、
右目の視力がほとんどなくなったハナも
たまたま巡り会った獣医さんの指導で
一日五回ばかり目薬をさしていたら
最近ずいぶん元気になった。
相変わらず、写真がキライなのだけれど、

体重3.5キロ。小柄でぽっちゃり丸々の、瞳がつぶらな可愛い奴なのだけどなあ・・・。

そして今日は、拙『中東ぶらぶら回想記』の配信開始二周年。
メールマガジンのほうはお休みいただいているが、なんとか当面ブログだけでも、
ぶらぶらモードで更新をしていこう、と。

私自身に子供はいないが、まあ自分の子の誕生日が続いたような気分なのだ。

沈丁花
沈丁花が早くも満開の今日この頃。






はな
気の早い桜も、横浜では咲き始めた。

春だ、春だ!


  
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「アラブ映画祭2007」開催 〜エジプト映画特集も!〜

「第三回 アラブ映画祭2007」が開催されます。
今年も盛りだくさんな内容。
エジプト映画特集もあり、とのことで、最近腰の重い私ですが、是非足を運びたいもの。

期間、会場は以下の通り。

会期:2007年3月9日(金)〜18日(日)
会場:赤坂・OAGホール
(東京メトロ・都営地下鉄「青山一丁目」駅5分)

詳細は以下を:
http://www.jpf.go.jp/j/culture_j/topics/movie/arab2007.html

上映作品など

今年の目玉は、なんといっても「エジプト映画回顧展」でしょう。
1937年製作の喜劇、エジプトの美空ひばり(?)こと歌姫ウンム・カルスームの主演映画、
そして2006年製作の『ヤコービエン・ビルディング』まで、プログラムを見ただけでも
期待感が高まります(そして行った気になってしまうのが、最近の私の一番いけないところなんですけれどね・・・嘆)。

そしてもう一つの特集「アラブ新作パノラマ」では、初のサウジアラビア映画、そして
イエメン映画も公開。
その他、チュニジア、モロッコ、アルジェリアなど、バラエティー豊か。

以上、ご案内まで。  
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2007年03月01日

ベリーダンスの話 〜フォークロアの様式化?〜

友人のRさんがエジプトに行って来た。
彼女にとっては、初めての中東だという。
ベリーダンスを習っていてステージにも上がるくらいだから、本場カイロは憧れだったそうだ。

「本場」とあっさり書いてしまったが、これは色々と語弊があるかもしれない。
でも、色々な意味で今も昔も、カイロがベリーダンスの世界的な拠点になっているのは間違いないので、とりあえずそういうことにしておく。

ベリーとは"belly"、つまり「腹」で、文字通り女性が腹部をくねらせて踊る形を
そう呼んでいる。
ベリーダンスの発祥や歴史の話になると、これは諸説あって、ヘタをすると遥かに
5000年ばかり歴史を遡ることになりかねないので、これは私が語れる話ではない。
単純に「中東世界に中世からある官能的な踊りのこと」としておこう、とりあえず。

「とりあえず」が頻発するが、いちいち突っ込んでいくとキリがないのでお許しを。

イスラームは女性が肌を露出することをタブーとするし、ましてや人前で官能的な動きを表現するなど言語道断なので、ベリーダンスは宗教とは別に発達してきた文化だ。
別ではあるが、表裏一体の「裏」の部分ともいえる。

モラルに反するとしながらも、彼の地の人々は踊るのが好きだ。
プロのダンサーでなくても、身内の集まりなどでちょっとした弾みで踊りだす女性達は、色々な形で見かけた。
男性も踊る。
エジプトの場合、他のイスラーム諸国よりに比べて「男女の別」が比較的緩やかな部分があるので、中東では珍しく、男女一緒にパーティーなどの席で踊ってはしゃいで盛り上がる姿を見ることもある。
様式化されたプロのベリーダンスとは違う世界なのだけれど、リズム感や動きは
どこか似通っていて、見ていると面白い。

これを考えはじめると、さてそれではアラブ的な踊りのルーツとはなんぞや、などとややこしい迷路に入り込んでしまう。
だから「とりあえず」この辺でやめておくが、エジプトに限っていえば、こうした踊りは
ほとんどDNAに刷り込まれたようなものに見える。

そして面白いことに、エジプトのベリーダンスは技術的な様式化が意外に進んでいないらしい。
技術的にはイスラエルやトルコ、さらにはヘタをするとアメリカやドイツ辺りのダンサーが遥かに上を行くことがあるという。

アメリカ?
ドイツ??

そう、欧米諸国では過去数十年来というもの、ベリーダンスがメジャーな女性の
「お稽古事」なのだ。
日本でも、ハワイのフラやスペインのフラメンコを熱心に学ぶ人たちがいるようなもの、
といったらわかりやすいだろうか?

ベリーダンスも最近は教室が増えてきたらしい。
こういう教室の場合は、当然だがDNA的な刷り込みのない外国人向けに、きちんと
様式化された基本ステップから応用へ、というスタイルがあるので、例えばエジプト人が遺伝子の呼ぶ声に従って体を動かしながら覚える姿とはかけ離れた世界となる。

ちょっと大げさな対比をしてしまったが、中東土着のフォークロアが欧米を経由して一つの完成された様式が生まれ、源流のある国を部分的に凌いでしまった、というイメージだ。

そこでやっと友人のRさんに話に戻る(やれやれ)。
「本場のエジプト」と言いながら、技術的には意外に見るものはないかもしれないよ、と、余計なお世話だとは思いつつ言ってみたのだ。
「でも、生活に根ざしたソウルの部分で、強く感じるところはあるらしいんだけれど」

一応申し添えれば、以上は昔カイロで仲のよかったドイツ人留学生の受け売りだ。
彼女はドイツからイスラエルに留学して、その後カイロにやってきたのだが、ミュンヘン辺りの
トルコ料理屋で週末はダンサーをやることもある、という人だったのだ。
お蔭様で、けっこう色々面白いところに連れていってもらえて、思いがけず楽しかった。
持つべきものは友達である。

もっとも、こんな薀蓄などRさんは既に承知の上だったので、本当に余計なお世話ではあった。

だからもう少し建設的に役に立てるアドバイスはないか、と考えて、一応知っている限りの現実的なことを話してみたら、これは多少参考になったらしい。
どんなムダ話でも、役に立つなら嬉しいことではある。

(つづく)  
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