●前回のお話
毎度のことながら、
前回は話が散漫に流れた挙句、
収拾がつかなくなったので「つづく」にしてしまった(すみません)。
結局何をいいたかったかというと、
「イスラム教徒でも酒を飲む者はいる」
「ただし国により社会により、酒を飲むことへの禁忌感は違う」
「国が黙認しようが容認しようが『アッラーの意思に反する』という
社会的感覚のほうが重い場合がある」
といったようなところである。
この三つを順に詳細に検証していくと、あと半年くらいかかってしまうので、
分かりやすい具体例をご紹介しよう。。
●オマル・ハイヤームとアブー・ヌワース
でも、端的な例がどうも浮かばないから、一気に歴史を遡ってしまう。
オマル・ハイヤームは、11世紀半ばから12世紀にかけて生きた、
ペルシャの叡智の人である。
そして、以前の記事でも軽く触れたが、酒仙詩人として知られてもいる。
天文学者であり、数学者でもあり、医学者、科学者とマルチな人だ。
一方アブー・ヌワースは8〜9世紀にかけて、ペルシャの影響もあって
科学文化の花開いたイスラム帝国アッバース朝時代に
バクダードを中心に活躍した詩人。
アッバース朝カリフたちがタニマチにいたころはブイブイいっていたが、
面白いけどなんだか茶坊主的な人の宿命で、
生活のアップダウンはかなり激しかったらしい。
何しろ酒色が人生の一大テーマだった人なので、
詩のテーマはそういう内容となる。
どっちも「イスラム教徒」で「酒飲み」である。
ただし、オマル・ハイヤーム(以下、便宜上オマル)は
ペルシャ語で古典的かつ端正な詩を書き、
アブー・ヌワース(以下、便宜上ヌワース)は
アラビア語で、当時の型にはまらない自由な詩を書いた。
一応申し上げておくと、私はまだ原典にまであたっていないし、
あたって鑑賞できるほどの語学力もないから、
岩波文庫のたいそう良くできた日本語訳を読んだだけである。
でも、オマルの端正だが若干厭世的なイメージと、
ヌワースのほとんどヤケッパチな異端児感覚は読み取れる。
異性関係の話は酒には付き物だが、
オマルが美女を描く一方で、ヌワースは美女と美少年を両方愛でている。
愛でている、というと聞こえはいいけれど、
ヌワースの場合、深夜過ぎると酔っ払ってワケわかんなくなって、
その辺の閉店間際のスナックに入りこんで、
ママの手をいきなり握り締めたりする「あほオヤジ」の中世アラビア版だ。
で、時には東京は新宿二丁目辺りを千鳥足で徘徊して、
となりに酌にきた美少年の肩なんかも喜んで抱いちゃって、
お持ち帰りもしちゃう・・・という「しょうもないオヤジ」そのもの。
ていうか、日本的モラルから考えると、完璧に破綻したオッサンだ。
こういうオヤジに限って、金があったりなかったりする。
うまくいってるときは羽振りがいいが、
そうでないと飲み屋にツケがたまり続ける。
1000年以上前の、しかも禁酒の律が確立したイスラーム世界の話だから、
人間の営みって基本的に同じだなあ、としみじみ思わせてくれる。
オマルの場合、しみじみと女性を語ることはあるが、具象的にはならない。
ヌワースが「酒も色も好き!」と
あからさまに、且つ破天荒に謳いあげる一方で、
オマルは酒も女性も自分を見つめる哲学的なフィルターとしている感がある。
飲む酒も、オマルは政府の高官らしく「紅い酒」(赤ワインだろう)が中心だ。
ワインは発祥の時代から高貴な酒とされ、庶民はあまり口にしないものだった
というから、ますます貴人のイメージが高まる。
酒自体の状態や見た目などよりは、
酔いとともに世の無常を語る方に重きをおいている印象だ。
その一方で、ヌワースの飲む酒は、紅いこともあるが、蜂蜜色であったり、
水を入れたら泡が出たりと、多種多様なんでもあり。
歴史的にはヌワースが約200年早いので、
オマルの時代にもそういう酒はあったのだろう。
酒の種類というのは、歴史を追って増えることはあっても減りはすまい。
どこまでも想像だが、オマルが貴人らしく赤ワインしか嗜まなかった一方で、
ヌワースはどうでもいいような雑酒から高級な美酒にいたるまで、
手当たり次第に飲んだくれていたようだ(懐具合によるのだろう)。
オマルが、遠い目で酒を通して何かを語らんとする姿勢とは対照的に、
ヌワースはとにかく飲むことが楽しくてたまらない、という様子。
正しい酒飲みは、実はヌワースのほうなのかもしれない。
私的には彼に共感を覚える。
でも、一緒に飲みに行ったら
「お、しまった。金がない」
「ああ、終電が出てしまった。どこか泊まるところが・・・」
とかすぐに言い出しそうなので、話は面白かろうがウザいかもしれない。
オマルの場合は、酔って座が乱れると、ひっそりテーブルの下で
女性の手を握ったりするタイプじゃないか。
で、その女性の耳元でナニゴトか囁いて、
なんとなく店の外で待ち合わせしちゃうんだろう。
いますね、この手のオヤジも。
結局のところ、行きつくところも考えてることも同じなわけだ。
オマルのほうが格好はいいけど、頭の中は「俺のこと」一色だろうから、これ
もこれでうっとおしそうだ。
どっちかといわれると、どっちもいやだなあ・・・
あ、どうでもいい?
すみません。
●飲酒への屈折
無論、二人ともイスラム教徒なので「禁酒の戒律」は思いっきり破っている。
ただし、オマルの場合は「自分はペルシャ人である」という民族意識が強い。
ヌワースもペルシャの文化に強く傾倒している。
母はペルシャ人で、その影響が強いようだ。
父については諸説あるが、イエメンあたりの出自らしい。
ただし、ヌワースが幼いうちに亡くなっている。
オマルは、飲酒する自分について特に悩みや後悔が薄そうだ。
「俺の世界」で哲学することで完結するタイプなのだろうか。
一方でヌワースは、若いころは勢いがいいけれど、
晩年「アッラーよ許したまえ」と、いやに弱気になっている。
もう、本当に愚痴っぽく、過去の行状を嘆く詩が綿々と綴られる。
この二人を並べて比べるのは、あまりに乱暴なのはわかっているが、
この辺を考えると「酒に対する禁忌感」の姿が一つ見えるような気がする。
ペルシャは本来ゾロアスター教を信教とし、イスラム教勢力に征服されて後に
イスラーム化していく。ゾロアスター教やそれ以前のペルシャの原始的な宗教
は飲酒を禁忌としないから、イスラーム化以前に酒はすでに文化として成立し
ている。
だから、オマルの場合は「酒を飲んで何が悪い」と、
若干イスラームに対して反発する心理も見え隠れする。
一方で、ヌワースの酒に対する屈折は、
現代のエジプトあたりの酒飲みイスラム教徒に近い。
とりあえず、イスラム教徒の飲酒パターン二例である。
●飲酒と禁酒の推移
メッカを中心とした、イスラーム発祥の地を見ても、
イスラーム成立以前に飲酒という習慣は一般的だったようだ。
まあ、禁止の律ができるくらいだから、
相当浸透して色々な弊害を引き起こしていたと思われる。
だから、絶対禁酒の律も、最初からあったわけではなく、
「飲酒はあまり褒められた習慣ではない」というところから始まって、
「酒気帯びで礼拝をしてはいけない」となり、
最終的に「禁酒」という結論にくる。
でも、それでは「酒(ハムル)」をどう定義するかと、
その後イスラム法学者たちが論争を繰り広げている。
「ナツメヤシか干しぶどうで作った酒(ナビーズ)の医療目的の使用」
を認める学派もあった。
イスラーム発祥の地でこういう状態だから、
征服王朝が、異文化としてイスラーム化したペルシャやトルコで、
飲酒に対する禁忌感が薄れるのは無理もないことだと思う。
実際、アブー・ヌワースのタニマチだったアッバース朝のカリフたちにしても
何かというとヌワースを侍らせて酒を飲んでいたのである。
現代イランについて言えば、1979年に革命が起きるまでは
飲酒についてはかなり緩やかだったらしい。
ただし、このパフラヴィー朝は諸々の理由で庶民に相当憎まれていたらしく、
その反動で極端なイスラーム国家として変転してしまう。
いまや、酒は持っているだけで罪になる。
でも、実はまったく存在しないわけではなくて、
ホーム・パーティーに招かれたら「トルコ製の缶入りウォッカ」なるものを
勧められた話をきいたことがある。
彼は、そんな「トルコ製品」などトルコ本国じゃ聞いたこともないので、
「健康安全管理上の理由」で辞退したそうだけれど。
さて、トルコの話にここからつなげようと思っていたけれど、紙数が尽きたの
で次回に続く。
(アリーマ山口)
アリーマより♪
●参考図書
今回の場合、当然この二冊である。
薄く簡便で安価。
わかりやすい解説がついており、何より訳詩が素晴らしい。
イスラム教徒と飲酒について、すっきりしないところのある向きは、
とりあえず読んでみたらよいのではないかと思う。
時代も状況も違うが、人の欲望は時を越えて変わらないものがあるから。
アラブ飲酒詩選
アブー・ヌワース(著)、塙 治夫(訳)
岩波文庫
ルバイヤート
オマル・ハイヤーム (著)、 小川 亮作 (翻訳)
岩波文庫
【
メルマガ「軍事情報」 別冊『アリーマの中東ぶらぶら回想記(26)』 050908配信】