2005年03月31日

【第4話】番外編〜ソウルぶらぶら雑感記〜

●山口組、ソウルへ・・・

去る3月25日夕刻、山口組組長とその姐はソウルに向かった。

・・と書くと政治情勢のみならず裏社会でも何か変動が・・・というスッパ抜
き記事のようだが、単に私と夫が二人で週末かけてソウルに行ってきた、とい
うだけだ。

目的は当然カチコミ・・・じゃなくて観光である。

実は韓国というのは、個人的にカイロ生活と無縁ではなかった。
だから、コジツケくさいが、今回は番外編をひとつ。

最初に申し上げておくが、何故韓国であったかというのは、最近の政治情勢や
ら、諸々の『軍事情報』の記事とはまるっきり関係ない。

一ヶ月くらい前、夫が仕事で中東方面を這いずり回って溜め込んだマイレージ
を気前よく放出しちゃおう、と言い出したのだ。「わーい、もつ焼き、キムチ
サムゲタン!」と、政治性ゼロの発言をしたのは妻のワタクシ。
瞬間的に真っ赤に燃える美味そうなものの幻影で、頭がくらくらしたものであ
る。

●ソウルの思い出
実はソウルは、今回で5回目。
考えてみれば不思議なことに、今回を除いていつも中東とワンセットになって
いる。
一度目はモロッコや南欧をうろうろした約20年前の学生時代。その後三回はカ
イロ在住時、日本とセットで韓国にも仕事で出張した折だ。
どの場合も理由は「大韓航空だったから」と、主義も主張も何もない話ではあ
ったけれど。

今回同様、いずれも二泊三日程度の短い滞在だったが、それでも『街の匂い』
は感じられたと思う。いつ行っても、奇妙な既視感を感じる。街に違和感がな
いのだ。
既視感と同時に、不思議なシンパシーが沸く。
祖母が対馬だから、私にも朝鮮半島の血がどこかに流れているのだろうか? 

学生時代の滞在はソウル・オリンピック直前、カイロからの出張はワールドカ
ップ開催が決まる頃と、それぞれ時期的に面白かった。
特に最初の訪韓時は、街全体からエネルギーの渦が立ち上るようで、「東京オ
リンピック前の東京はこんな雰囲気だったのだろうか」と想像しながら街をぶ
らぶらしたのを覚えている。


●カイロで韓国語
さて、「カイロ生活と無縁でなかった」と書いたので、それにまつわる思い出
話を少し。

当時私はカイロで某ホテルの営業をやっており、担当はざっくり「極東地区」
となっていたので、日本だけでなくカイロ現地の韓国法人の顧客も結構抱えて
いたのだ。で、旅行業のほうも何とか食い込もうと「まずは市場調査」とかな
んとか言って出張申請したらあっさり通ってしまい、「わーい、もつ焼き、キ
ムチ・・・」と喜んだ次第。

節操がない、といわれてしまえばそのとおり。
無いです。特に飲食については。

カイロ現地の韓国企業には、当時色々とお世話になった。
確かに「日本人?オンナ?で、このカイロでウチにいったい何しにきたわけ
?」という反応も当初無いではなかったが、「こういう土地で同じアジアの人
間ががんばっているのだから応援しなければ」と、言ってくれる人も多く、営
業活動をはじめてしばらくしたら、かなりの量の仕事が入るようになった。

あまりに急速に宿泊客が増えた。日本人宿泊客を越える月もしばしばだった。
それならば、と一念発起して、某社の駐在員の紹介で韓国語のプライベートレ
ッスンを受けるようになった。しかし残念ながら、二ヶ月ほどしたら先生が帰
国してしまったのである。

しかも、別のホテルに韓国人のスタッフが入ったら、ドドドと顧客らはそちら
に流れてしまい、なんのかのと私の韓国語学習は頓挫する。残念だったが、そ
れでもハングルがかろうじて読めるのはありがたいことだ。
今回もメニューが読めたし、かつての出張時も訪問先旅行代理店のツアーのパ
ンフに書いてある日程表くらいは読めて助かった(ちなみに代表的な旅行社
は、KTBとKALPAKである)。

また、顧客らは無節操に私を見捨てたのでもなく、「やっぱり、このような国
で同国人ががんばっているならば・・・わかってくれるね、ヤマグチ・・・」
と、大層すまなそうだった。そうですか、まあ何かの時には思い出してくださ
いよ、とあっさりあきらめたものだ。
エジプトで言う、「マァレーシュ」(まあ、しょうがないや)というやつであ
る。


●スキャンダル発生?
どうでもいいけれど、この狭いカイロ韓国人社会で、ワタクシの男性関係につ
いて一度だけスキャンダルが発生したことがある。「ヤマグチが『トール、ダ
ーク、ハンサム』な男と、韓国料理屋で非常に親密そうにしげしげと食事をし
ている」というのである。

勢い込んで電話で一報をくれたのは、G社の李さんだった。
「・・・という風な噂になってるよ。どうなってるの、本当のところ?」
はて、と首をかしげた私。
そういう事実があれば、ある意味嬉しいことだが、悲しいかな覚えが全くない
からだ。

で『いつどこで』といったところを突っ込んで、軽いため息をついた。

「ミスター李、それはですね、うちの夫です。マイ・ハズバンド!」
(トールとダークまでは確かに正しい。サイパンの空港で現地スタッフに間違
われたことは、連載第一回目に書いたと思う)。

で、ミスター李は積極的にあちこち訂正して回ってくれたようで、その後「も
う大丈夫だから」と電話をくれた。カムサハムニダ。

ちなみになぜカイロで韓国料理屋かというと、日本食レストランと違って安く
ておいしくて良心的だったからだ。3〜4軒あるけれど、どこもそれなりにが
んばっていた。
カイロで現地食に疲れたら、日本食も良いけれど韓国料理はお勧めである。


●今回の印象など
ワールドカップを境に街の風景がずいぶん変わったように思える。

携帯電話も当たり前に普及している。
しかし、着信音量はすごい。日本の携帯の音量を最大にしてもああは鳴り響か
ない。最初は何事かと思った。そして、電車の中、バスの中など、どこであろ
うと特にマナー的にはお構いなしの様子。
怒られるかもしれないけれど、日本の携帯電話マナーに、正直なところちょっ
とくどすぎるものを感じている私は、少しほっとした気分になる。

市の中心部にあるロッテホテルは、巨大で洒落たショッピングセンターの一部
となっていた。地下にはこれまた洒落た食料品売り場がある。

実は我ら夫婦、スーパーマーケットの試食の類には目がないのであるが、ここ
はすごい。
立ち止まって眺めているだけで、ほとんど顎を捕まえてアーン状態で、いろい
ろなものを口に放り込んでくれるのだ。
日本だと、手を伸ばした瞬間「買うんでしょうね、アンタ、買うんでしょう
ね、食べたからには買いなさいよ」という無言のプレッシャーがかかるものだ
が、そんな空気はまったくない。「はい食べて、ほら食べて、こっちも食べ
て、ほらどうぞ、もうひとつどう?」と、こちらはほとんど雛鳥状態になる。

お昼においしいサムゲタンをご馳走になり、夜はもつ焼き大会が企画されてい
る中間時間帯。なすがまま雛鳥になっていると、肝心のものが食べられなくな
るし、週末だけ会って大変な人出。さすがの我々も逃走し、近くのホテルのロ
ビーで一息ついた。

一息つきながら、ホテルのロビー周りのスタッフをぼんやり眺めていた。
姿勢が良い。所作振舞いがきびきびと美しい。指先、足の先まで緊張感ととも
に、惚れ惚れするほど美しい動きだ。まだこの国では「ホテルマンの誇り」が
健在らしい。
日本ではこの頃あまり見かけなくなった光景である。
確かにかつてのチョソン・ホテルであったそこは、いまやソウルでもナンバー
ワンだとは言うけれど、韓国の一流どころのホテルマンは、全体にハイレベル
だと思う。

あと、街のいたるところ、日本人観光客がきそうなところには、軒並み『ヨン
さま』のポスターがこれでもかと張ってあった。特に眼鏡関係は100%。はは
は。

時は移る。街は変わる。人も変わる。


●最後に、思うこと・・・
散漫なまま、延々と長くなってしまった。
いきなり強引にクロージングに持ち込んでしまおう(あれ、ま)。

日本と韓国ほかアジア諸国の歴史的問題については、当連載で大きく何かを語
るべきでないと考える。マクロな視点からの意見や分析は、本体の『軍事情
報』に任せよう。

さて、では私個人のごくミクロな視点から思うことを少しだけ。

心に傷を持たない人間はいない。少し大げさに言うと、これはトラウマとも言
われる。
バケツにあいた穴のようなもので、放っておくと広がったり、あるいはいつの
まにか消えていたりする。放っておけば消えてしまうようなものは良いとし
て、そうでないトラウマは、きちんと対峙して自分なりに乗り越えないと、い
つまでもいつまでも付きまとって離れなくなる。
こういった傷を乗り越えて、バケツの穴を努力してふさぐことを『人間的成
長』というのかもしれないな、とこの頃思う。

同じトラウマを同時代に多くの人々が抱えると、それは歴史的瑕疵となる。
バケツはより大きくなり、穴の形も複雑になり、塞ぐ作業もそれだけ難しいも
のとなる。

日本と韓国はじめアジア諸国との「歴史的瑕疵」は、やはりなんとか努力し
て、前向きに乗り越えるべきものだ。
一個人の抱えるトラウマなどと比較するのは、非常に乱暴だとは思うが、戦後
から今にいたるまでの過程を見ていると、「きちんと対峙して前向きに乗り越
えよう」という強い思いがあまり感じられないので、敢えてそういってしま
う。

そろそろ思春期の子供のような悩み方をやめて、大人になるときなのではなか
ろうか。
何が必要かといえば、私に思いつくのは、膝を突き合わせ、相手の目を見てき
ちんとしたディスカッションをすることと、民間レベルでの交流をもっと深め
ることくらいだけれど。

帰りの便に乗る前に空港のレストランに駆け込んで、いじましく『赤い汁物』
をぱくつきながら、そんなことを考えた。

帰宅後、我が家の味噌汁は赤く染まり、これはしばらく続きそうである。


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2005年03月30日

筆者のプロファイル

【筆者プロファイル】

アリーマ山口
1963年生まれ。女性。東京出身。日本国籍。

血統的には四分の三が九州、残りは青森県弘前。
分けるとうるさいだろうけれど、九州は、対馬、熊本、そして福岡は直方。
ただし、両親どちらの家もかなり昔に東京に出てきていたので、本人は東京生
まれ東京育ち。

ひょんなことでエジプトの某ツアー・オペレーター(現地旅行手配会社)で働
くことになり、その二年後湾岸戦争勃発。
ドイツはミュンヘンに一時避難するうち、ホテル業にもぐりこむ。

一年後、同じチェーンのトルコはイスタンブルのホテルに異動し約一年半。
その間、奇特な男が現れて結婚しようというので、偶然とはいえ皇太子殿下御
夫妻と同じころに日本で婚礼をあげて、イスタンブルのホテルを『寿退職』し
夫(日本人。ただし、サイパンの空港で、現地スタッフに間違えられたことあ
り)の当時駐在地であった古巣のカイロに戻る。

そこで別のチェーン系ホテルに潜り込み五年ちょっと。その後、同じチェー
ン内の横浜のホテルが机を作ってくれるというので、家族(夫と猫四匹)を置
いて日本帰国、単身赴任。一年後、夫も八年の駐在を終えて無事帰国。

現在はホテル業から足を洗い、英語とドイツ語の翻訳、通訳、雑文書き、各種
コーディネート何でも承りの、フリーランサー。
夫と猫三匹とともに、横浜在住。

なお、一匹は帰国後逃走。
地下組織にもぐった、とか、明らかにもっといい家を見つけて、のうのうと暮
らしている、などと推測されている。
なにしろ、『モサドの殺し屋』という異名をとった強烈かつ強力な美猫(♀)。
その辺で野垂れ死んでいるはずはない。
その他三匹の異名をついでに紹介しておくと、『アル-カイーダの特攻隊(♀)』
(その前は『リビアのテロリスト』と呼んでいたが、昨今の政治情勢に従い改
定)、『ロシアのスパイ(♀)』、『エジプトのお巡りさん(♂)』となる。
深い意味は・・・皆様のご想像に任せましょう。

ちなみに、履歴経歴を全部書くとあまりにヤヤコシイので、適当に換骨奪胎し
てある。だから多少いいかげんだが、詐称は基本的にない・・・と思う、自分
が記憶する限り。

名前は、最初「見ても誰かよくわからない名前」を使おうか、と思った。
でも、どうせ見る人が見れば分かってしまうし、適当なものも思いつかなかっ
たので、エジプト時代の呼び名を使用することにした。
アリーマというのは、旧姓からきたものだけれど、カリーマ、ハリーマという
女性のアラブ名がよくある上、アリーマ自体もアラビア語に存在する立派な言
葉(発音は厳密には少し違うけれど)。
立派過ぎて恥ずかしいから意味はあえて書かないが、いつのまにか現地ではフ
ァーストネーム扱いになってしまった。だから、アリーマ。

これをみて、「あんた、生きてたのか?!」と思った人がいたら、お便りくだ
さい。
  
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2005年03月24日

【第3話】 ファラオの復讐 〜水(その2)〜

前回は、現地の水事情を、中東全体をざっと概観する形で御紹介した。

情報があちこちに飛んだので、散漫だったと反省しているが、とりあえず『中
東諸国』といってもいろいろなのだ、というところを少しイメージしていただ
ければよかったかな、と思う。
あと、トルコはヨーロッパとされている。念のため。

分かっている人には申し訳ないが、「大きな声じゃ言えないけど、なんかよく
わからんところだなあ」と思っている読者の皆様で、現地に関心のある方が、
回を重ねるごとに「あの辺もいろいろなのだね。ふんふん」などと漠然と思っ
ていただければ・・・と思っている。
で、後は専門家(本体『軍事情報』)にお任せする、と。

とにかく、アラブだ、中東だといっても、国情や実情は多種多様。十把ひとか
らげにできない。
だって日本と中国と韓国が「同じようなもん」と言われたら「ちょっと待て
!」と言いたくなりましょう。
同じことです。

ちょいと脱線ついでに一例をあげれば、エジプト人は、自分たちが「アラブ
人」だという意識はほとんどない。じゃあアフリカ人か、と言ったら、これは
これで非常に複雑な反応が返ってくる。彼の地にも、肌色による心理的差別が
明らかにあるからだ。

なんと言っても、
男女問わず「肌が白い」ということは美男美女としてポイントが高い。
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お便りを頂きました

大変嬉しいことに、メルマガ連載開始早々にお便りを二通いただいた。

読んでくださる方がいる、と思うと本当に嬉しい。
また、食生活や現地の生活事情など、何か気になることがあったらどうぞリク
エストをあげてください。

一方的に私が駄文を書き連ねるのでなく、読者の皆さんと一緒に作っていく連
載にできれば、と願っています。

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湘南ビーチFMに出演!

先日、『アート・オブ・フラ』の取材で、湘南ビーチFMに出た。

たまたま札幌にいたので電話でのインタビューとなったのだが、後で送っても
らったテープを聞いたら、全身から火が出そうなほどひどい声でげんなりした。
母に聞かせたら「あの声はいったいなに?! あなた、前の晩は何時まで飲ん
でいたんです!」と叱られた。ううう・・・・・母とは恐ろしいものである。
ラジオのほうはともかく、本は順調に売れていてうれしい限りだ。
こちらの感想も、よろしければどうぞお寄せください。

今回北海道に行って、ハワイ語がご専門のS先生にいろいろと教えていただい
た。感謝の言葉もないほどの熱意に感動しています。
この場を借りて御礼申し上げます。

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土山浩子さん

22日の日経の夕刊に土山浩子さんが紹介されていた。
お元気で活躍されておられぬはずはない、と思っていたが、やっぱり相変わら
ずエネルギー全開のようで嬉しい限りだ。

彼女は、私がエジプトでガイド業に入った時の師匠であり、先輩であり、言い
えて妙だが私にとっては『姐筋』にあたる、と本人は勝手に思っている。

「ガイドの心得」として、知識よりも何よりも「お客様を如何に大事にする
か。各観光ポイントでお客様が快適に観光ができるよう、ガイドがまず気をつ
けるのはどういうところか」など、得がたいアドバイスをいろいろいただいた
ものだ。

ついでに偶然ながら、当時あちこち放浪してカイロに流れ着いたわが弟を、
「にわかガイド」に仕立て上げてくれた師匠でもあった(もう時効だ。言って
もいいだろう)。
姉と弟が同じ先輩に世話になった例、というのは、エジプト旅行業界でも珍し
かろうと思う。姉と弟は雁首そろえて、土山さんのお宅で大変おいしいモロヘ
イヤというエジプト料理をご馳走になったものであった。

その後私がドイツに行って、諸般の事情で行き詰まっていた時に、どういう虫
が知らせたものやら電話を突然くれて「仕事ならこっちに腐るほどあるから、
帰ってらっしゃい!」と誘ってくださった恩人でもある。

本人きっと忘れておられるに違いないが、あの時あの電話が一本こなかった
ら、今の私はどうなっていたかわからない。
翌日カイロ行きのチケットを買いに走ったものだった。

この頃すっかり連絡が絶えて気になっていたが、お元気そうで何よりである。

ちなみにエジプト人のご主人との間に息子さんが二人。ご長男は北大路欣也張
りの二枚目で、空手の達人で、全国統一テストはトップクラス。医学部に行っ
たと聞いたが、どうしているだろう?

もしもどなたか、土山さんとコンタクトのある方がいらしたら、「アリーマ山
口がよろしく言ってました」とお伝えください。

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2005年03月17日

【第2話】 エジプトはナイルの賜物 〜水(その1)〜

前回「つづく」となったが、そうすると、十余年分の私の生活記がダラダラ続く。
それでは読者の皆様もたまらないであろうから、今回以降はテーマを決めて、で、結局ダラダラ無駄話をしよう・・・と。

よろしゅうございますね。

お題は『水』。2回に分けてお届けする。

『水』は、
正則アラビア語で「マァ」、エジプト方言で「マイァ」となるが、「マァ、イイヤァ」ということではない。大変重要で、面白く、おかしく、そして辛い話なのである。

ちなみにトルコ語では「スー」といい、ヨルダンなどでは「シュー」といっていた。

言葉の話はそのうちするつもりでいるけれど、とにかくアラビア語というのはひとくくりにできない。今回も各地の『水』という方言を集めようと思ったけれど、言語の話をそのうちすることになろうから、その時にまわそうと思う。

●エジプトはナイルの賜物

ヘロドトスが「エジプトはナイルの賜物」と書いたのが、名著とされる『歴史』だ。



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私が訳者です

きっと不思議に思っている読者の方がいると思うけれど、『アート・オブ・フラ』というハワ
イのフラの本を全訳したのは、私自身だ。

さすがに本が出てからは聞かれなくなったが、「アリーマは中東かアフリカで
『ハワイ王国』なる怪しい国とつながって、それを日本に紹介する本を書いて
いるらしい」「え、『ハワイ』なんてところ中東にあったんですか!すごい、
知らなかった!!」
などというコメントは絶えず。いわゆるハワイです、アメリカに併合されちゃ
った、皆さんが新婚旅行とかでよく行く、北太平洋のハ・ワ・イ!!

ホワイ・ミー・ハワイー?と、自分でも妙な気分だったのは否定しない。
異文化に対するハードルがないに等しく、英語が適当にでき、かなり何かと難
しいこのフラ関係の世界で、逃げ足が速く(高校時代陸上部で、800m都大会二
位、1500mのベストが4分33秒。大抵の状況は逃げ切れる自信がある)、ちょっ
とやそっとではつぶれそうもない「もぐらたたき型キャラクター」(ぶったた
かれても必ず違うところから顔を出す)という、ほとんど体育会系(?)の理
由でご指名がかかった。

背丈ほどの関連書を積み上げて翻訳をした。昨年の猛暑の中だった。
モデル並でなく、普通の背丈だったことに感謝している。
初の全訳なので、広く世間に出てくれれば、これより嬉しいことはない。

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私の名前について

先日、大学時代の恩師とお会いする機会があった。

「私のアラブ名は、なんか『アリーマ』になっちゃったんですよ」とお話しし
たら、呵呵大笑されて「それは大変な名前だねぇ。まあ、あなたらしくていい
んじゃないの」と仰られた。畏れ多いお言葉である。だから意味なんて間違っ
ても書きたくないのだ。

書きません。知りたい人は各自お調べのうえ、「ばーか」と私を笑ってくださ
い。
第一、自分で進んでつけたわけじゃなくて、エジプト人の仲間や同僚が勝手に
私の旧姓をファーストネームだと思いこんだだけの話なのだし。

先生はかなり前に退官されたのだが、今でもその向学心と研究意欲は驚くべき
ものだ。
一見穏やかなこの方の、どこにそれだけの情熱とエネルギーがあるのかと、お
会いするたびにつくづく感動を覚える。ご専門はインド史だが話題は豊富で、
食事などしながらの3時間ほどはいつもあっという間に過ぎてしまう。

「最近一冊本を訳しましてね。イタリアの研究者が書いたインド近代史のもの
なんですが、タイトルが素敵でねえ。『協調から非暴力革命へ』というのです」
「え、先生、イタリア語はなさるのでしたっけ?」
「いや、この本を訳すために勉強したのだけれど、やっぱりちゃんと先生につ
いて習わないで独学でやった言葉はだめだねえ。微妙なところでどうしても引
っかかってしまうのですよ」

しかも「どうせ出版してくれるところなどあるはずがないから」と、自費出版
される、という。
何とかお力になりたいが、無力な自分が実に悲しい。

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2005年03月03日

【第1話】 今回はまったくの回想記

●はじめに

2005年の年が明け、年末までガタガタしていた仕事の片がついたら、すっからかんの暇人になっていた。
「暇でたまらないから何か書きたい」とエンリケ航海王子殿下に申し上げたところ、「どうぞ」ということであった。
ドイツ一年も含め、中東界隈に十年ほど住んで働いていたことがあるので、まあその辺の雑文でも、ということを恐る恐る申し上げたところ、「どうぞどうぞ」というお返事であった。

航海王子が後悔王子にならぬことを切に祈りつつ(祈るだけではいかん、精進せい!と言われそうだけど)、昔住んでいたエジプトなどの話や個人的な思い出話を中心に、意外と誤解の多い現地の習慣、宗教観、文化、生活などを書いていこうと思う。

最初にお断りしておくが、私は現地に比較的長く住んでいた、というだけのものであって、何の専門家でもない(ホテル業と旅行業だけは元プロといえるけれど)。
ただ、現地の『ホテル』という、言ってみれば現地社会の縮図のような機関に現地採用ベースで勤務していたため、ひょっとしたら他の人が見えないことが違う視点から少し見えているかもしれない、という気はする。

またこの連載を始めるにあたって、「自分としても改めて当時の体験を振り返り、あの頃なんの気なしに見過ごしてきたことを勉強しなおしたい」という希望もある。

その上、現地にいたのは1999年初頭まで、その後2000年に家族(夫と猫たち)帰国後は、現地を訪ねていない。自分なりに補足し、ウォッチし続けてはいたが、やはり肌感覚的に鈍っていることはあると思う。

だから、「これは違う」「それはおかしい」というところがあったら、是非「建設的に」御教示いただきたい。最初から逃げを打つようで、本人情けないのではあるが、一応この辺はわかっておいていただきたく。

また、『軍事』『政治』といったところは『軍事情報』本体のプロの皆様にお任せするとして、その他一般的なことについての疑問質問など、できる限りわかる範囲でお答えしたく思う。
ただし、どうぞお手柔らかに。

今回は、アラブ世界との係わり合いの、始まり部分を説明させてほしい。
読者の皆様にとってはどうでもいいかもしれないけれど、やはり話の前段として経緯を書かねば、とも思うし。
以降は、毎回ある程度テーマを決めて書いていくつもりだけれど、今号は全くの『回想記』。
ご忍耐のほどを。

●最初のアラブ体験

実は、アラブ・イスラム圏(*注)は、エジプトが初めてではなかった。

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