2005年03月17日

今すぐ人気ブログランキング

【第2話】 エジプトはナイルの賜物 〜水(その1)〜

前回「つづく」となったが、そうすると、十余年分の私の生活記がダラダラ続く。
それでは読者の皆様もたまらないであろうから、今回以降はテーマを決めて、で、結局ダラダラ無駄話をしよう・・・と。

よろしゅうございますね。

お題は『水』。2回に分けてお届けする。

『水』は、
正則アラビア語で「マァ」、エジプト方言で「マイァ」となるが、「マァ、イイヤァ」ということではない。大変重要で、面白く、おかしく、そして辛い話なのである。

ちなみにトルコ語では「スー」といい、ヨルダンなどでは「シュー」といっていた。

言葉の話はそのうちするつもりでいるけれど、とにかくアラビア語というのはひとくくりにできない。今回も各地の『水』という方言を集めようと思ったけれど、言語の話をそのうちすることになろうから、その時にまわそうと思う。

●エジプトはナイルの賜物

ヘロドトスが「エジプトはナイルの賜物」と書いたのが、名著とされる『歴史』だ。




言いようによっては、これは歴史上初のガイドブックのようなものであって、一昔前の『地球のXXXX』より、かなりひどい(ちなみに最近の『地球のXXXX』シリーズは、それなりに良くなってきたと思う)。

当時エジプトの遺跡は、古代ギリシャ人にとっては『観光地』だったのである。
なんと言っても、ヘロドトスの時代より2000年以上前にピラミッドはできていたのだ。

因みに、その存在の謎の部分は当時の彼らよりも、現代の我々のほうが良く知っているといえる。

で、ヘロドトスが「じゃあ、俺がガイドブックを書いてやろうじゃないの!」と思い立った・・・かどうかは史実に定かにされていないが、あの『歴史』は彼の旅行記、印象記で、今の時代に読んでいると面白いが、結構いろいろと過去の歴史関係者は振り回されたようだ。なにぶん想像力豊かなので、とんでもないことを書いてしまうのである。内容も基本的に、現地で会った人々からのヒアリングがベース。風聞や言い伝え、言った本人の思い込みなどがふんだんに盛り込まれているわけで、必ずしも当てにならないわけだ。

何はともあれ、エジプトは、観光地として2500年以上の歴史があるといって間違いない。

エジプト人は国民性として親切な人たちなので、日本人一般よりも旅行業向きであろう、と思う。ケース・バイ・ケースだけれど、弱者、老人、子供へのホスピタリティーは、間違いなく日本以上だ。子供連れでいると、レストランのスタッフが大騒ぎでかまってくれて、肝心の座っている大人へのサービスがほっぽらかされることがあり、下手に責めると思いっきり嫌われるので、管理する側にたつとこれはこれでつらいものがあったりするのであるが。

脱線したが、しかし、正しくエジプトの姿を伝える言葉は、『エジプトはナイルの賜物』という一節である。これは真実であり、5000年の歴史にわたり変わらぬ事実なのである。蓋しヘロドトスの至言といえよう。

●現代中東水事情

日本の農業は、お天気次第。
これは、きちんと雨が降る国ではみな同じである。

近隣諸国で雨次第なのは、トルコやモロッコなどマグレブ諸国。
リビアには、古代氷河期時代の大変な地下水脈があるらしい。
トルコでは十年以上前は水不足に備えて、大型水タンクやら、巨大バケツやらで対応していたものだ。これは今でもそう変わらないらしい。

じゃあエジプトは、というと、雨はほとんどまったく降らない国だ。
しかし、湾岸のもっぱら砂漠ばかりの国とは違って、昔から農業が盛んな国なのである。

雨も降らないのに農業がどう成立する?

それは『エジプトはナイルの賜物』と、再びここに尽きる。
要するに、お天気を当てにしない、安定した潅漑中心の農業だったのであり、それは現代にいたっても大きくは変わらない。
海水を淡水化するプラントが、紅海沿いにあるくらいなものだ。

平成元年にカイロに居を定めた私は、「きっと水に苦労するだろう」と思っていた。
しかし、水道水はただ同然に安く、「水を節約する」というような発想も薄かったのには驚いた。水源であるナイル川の力である。

確かに、ナイルが水源の水はきっちりと消毒されていて、カルキと薬品臭が耐えがたかったが、現地の人々はそれで生活している。だから私も、と一年ちょっとは粘ったが、あまりの水のまずさに耐えかねてミネラルウォーターを買うようになった。

若気の至りと笑っていただいて結構。
最初から素直にそうしていれば良いのに、まったくお馬鹿さんだ。

しかも、昆布だしなどをまともにとろうとすると、何がどう間違ったのか悲惨な味になるのだ。鰹節や肉類の出汁はまだ良いのに、昆布だけはまるでだめだった。
このからくりがわかる方には、ぜひ教えていただきたい。
何しろ最近は日本でも同じ事が起きるのだから。

カイロで断水ということはたまに無くもなかったが、それに備えて云々、というほどのことはなかった。その後イスタンブルに移って驚いたのは、「水を節約しましょう!」というキャンペーンが街のあちこちに展開されており、しかも夏になるとしょっちゅう断水して、汗まみれの体を飲料水で拭いたりしたことだった。
確かにカイロ同様に水のある風景ではあったけれど、あれは『海』で『塩水』だから、ナイル川とは違うのだ。

その後、水のタンクがある少しましな住居に移ったのだけれど、最初にイスタンブルで住んだ、緑豊かな庭の向こうにボスポラス海峡が見えるアパートメント、というのは、多少の不便を忍んでも離れがたかった。古い建物で、入り口には大きなペルシャ猫が寝そべっていた。名前はピート・ポタプッシュ。二階の住人の飼い猫だった。
数日のうちに当たり前のように我が家に出入りするようになり、私のベッドで勝手に寝ていくようになった。

念のためもう一度言っておくが、彼はあくまで猫であり、しかも去勢済み。
我が家にやってきた子猫と遊ぼうとして引っかかれたりしていた。気の良い猫だった。その子猫は、その後『モサドの殺し屋』という異名をとったモモちゃん(メス)である。

ついでに、アラブ圏その他諸国の水事情を概観すると、最初っからカラカラの湾岸諸国や水源に遠い地域は、海水を淡水化する工業技術に頼っているのが現状である。
また、飲料水でなく工業用水の場合、石油の出るところには水脈もあるとの由。

まあ、要するに国によっていろいろなのである。

(尚、今回の水関係の話は、カイロ・トルコ時代に知己を得た知人友人らの情報提供をベースにしている。あえて名前は出さないけれど、この場を借りてご協力に御礼申し上げます。
ショクラン・ギッダン。どうもありがとう。)

(つづく)

◆この記事を読んで「何か」を感じたらクリック→人気blogランキング

今日もよろしく、ぽちっとワンクリック!

この記事へのトラックバックURL

この記事へのトラックバック
<a title="アリーマの中東ぶらぶら回想記" href="http://blog.livedoor.jp/arimaburabura/">アリーマの中東ぶらぶら回想記</a> のブログを作りました。
ブログでバックナンバー【軍事情報】at 2005年03月21日 10:24

中東ぶらぶら回想記は、無料メルマガ『軍事情報』別冊でなんちゃって週刊連載中!
登録は今すぐ↓
Powerd by まぐまぐ