2009年09月30日

続 嗚呼、アレキサンドリア!

(前回のつづき)

1992年にエジプトはアレキサンドリア沖合いの海底からプトレマイオス朝の遺跡出現!というニュースは、実にセンセーショナルなものだった。
なにしろこれが出てくるまで、アレキサンドリアを首都としたこの時代、かの有名なクレオパトラやシーザーはじめとした当時の王侯貴族がどこに住んでいたかは謎だったのだ。
伝説に伝えられるムーセイオンや図書館も、正しい位置は想像の範疇。
墓やら円形劇場やら、名残を残す遺跡がまったくないわけではないが、現存するものはどれも保存状態があまりよくない。
だからエジプト考古学史上稀な素晴らしい発見だったことは間違いない。
ワタシは見たかった。絶対に見たかった。

だから「海のエジプト展」の話に胸は高まる。

しかし「本当にプトレマイオス朝のもんだけで『古代エジプト展』をやるのか?」と、微妙に引っかかってもいたのだ。実を言うと。

ちなみにプトレマイオス朝は、ざっくりと紀元前300年から紀元前30年頃エジプトのアレキサンドリアを首都にして栄えた古代王朝。
簡単に言えば、アレキサンダー大王に始まってクレオパトラに終わる時代だ。
地元エジプト(?)ではなく、ギリシャ系の征服王朝である。

古代エジプトと一口に言うが、実は世間でよく知られているツタンカーメンの秘宝やらラムセス2世の偉業やらは「新王国時代」のこと。これは紀元前1570年頃から紀元前1070年頃で、こうして並べても700年ばかり時代が違う。
古代ギリシャの人々にとっては、同じ古代エジプトでも当時既に遺跡観光の対象でもあった。

あれピラミッドは?と言えば、これは「古王国時代」で、紀元前2500年から紀元前2000年くらいの時代。
新王国時代のファラオにとっても、これまた遺跡観光の対象みたいなものだ。

ちなみにヘロドトスも観光客の一人で、エジプト以外もひっくるめた旅行話を『歴史』という著作にしている。元祖「地球の歩き方」だと思う。
なんと観光地としては3000年以上の歴史を誇るエジプト。
世界一の観光立国と言って差し支えなかろう。大したものである。

ざっくり雑な話でスミマセン。

先に書いたことの繰り返しも入るが、要するになにが言いたいかというと、プトレマイオス朝は

1.文化系列はグレコ・ローマン、つまりギリシャやローマ系だから「いわゆる
古代エジプト(ファラオ系、としておく)」とは毛色が違う。

2.時代は新しいけど、内容的にはファラオ系より格下とされている。

・・・と、いうわけで、改めてこうしてみると「古代エジプト」を前面にうたわずに
「海のエジプト」とはうまいネーミングだったと思う。
確かにうまいんだけど、中にはだまされたような気分になる人がいてもおかしくはない。
確かに古代エジプトのファラオの格好をしているのだけれど、細工なんかはおおかたギリシャ風なのだ。
この混ざり具合をファラオ風と対比してみれば、これはこれで面白いものなんだけれど、対比しようにもアレキサンドリアからファラオ系の遺跡の出土はまずないから比べようもない。

デンデラ クレオパトラとカエサリオン
上エジプトのデンデラにあるクレオパトラとカエサリオンのレリーフ(腹部など体の線が曲線的なのがグレコ・ローマン風)

アビドス セティ1世葬祭殿レリーフ
上エジプトのアビドスにあるセティ1世(新王国時代)の壁画

展示物に何があるのか調べて見たけれど「いままで日本に来たことのない古代エジプトの巨大石像5m級」くらいしか目新しいものはないように思えた。
パシフィコみたいな巨大施設でなければ展示できないものだから、確かにこれは「日本で見られる」という意味では一見の価値があるだろう。
しかし、あの大会場でこの料金(大人2300円)で、でっかい像以外のもので見ごたえを出すとしたら、モノより演出が頼りのイベントになってしまうよなあ・・・と内心不安に思っていたのである。

で、結論を言えば、やはりプトレマイオス朝のものだけでは展示品の迫力が今ひとつ。
海洋考古学の壮大なスケールと、世紀の大発見であるという事実をキッチリ念頭に置けばそれなりの感興は湧きおこるのだが、全体にアカデミックな面白さよりはエンタテイメント系の楽しさ主体の展覧会だった。
ディテールが美しい女神像や巨大な石碑など、見ごたえのあるものも確かにあったが、あともう少し突っ込んだ解説が欲しかったと思う。

尚、あちこちで「見てきた感想」を覗くと、古代エジプトの遺跡関係のものを見慣れていない人の場合「それなりに面白いけどこんなものだろうな」というトーンが多かったように見える。
深い関心がなくてなんとなく見に来た人を、大きく揺さぶるほどのパワーはなかったのだろうか?

もちろん感動した人もいて、それはそれでちっともおかしくない。
結局こういうものは、モノ自体が持つ力もあるが、基本は見る側の興味関心次第なのだから。

でもこの展示に揺さぶられるものがあったなら、是非とも一度はエジプトに行って、こころゆくまで圧倒されて欲しい。
巨大な石像などは、展示ではなく太陽の下にぞろぞろ立ち並んでいる。
エジプトは遠くても、せめてロンドンなりパリなりの博物館に行けばきっと全身震えるくらい感動できる。
展示物のレベルとボリュームがそのくらい違う。

ルクソール神殿 ラムセス二世像
ルクソール神殿ラムセス二世像(ルクソールにはこんなもんがぞろぞろある)

さてワタシの場合、本来は遺跡などに関心の深いほうではないけれど、過去の行きがかりでちょっと見聞が広がったから見に行きたかっただけなので、一通りざっとみたら詳細はプログラムを買ってじっくり・・・と思っていた。
出口のショップで早速財布を出したら、なんとそういった資料の販売はDVDのみ。
ええ?!ソンナバカナ??!!と驚いてしまった。
これだけはなんとも不思議だ。
展示物に自信がないのだろうか?
それとも最近のこういう展覧会は、プログラムではなくDVDの販売が主力に変わったりしているのだろうか?

他のことは、単なるエジプトずれした元現地ガイドの愚痴みたいなものにすぎないが、この一点だけはどうにも残念。
こういうイベントは、見たものをあとでゆっくり本で検証して初めて面白くなってくると思うのだけれどな。
どちらかというと、資料入手ついでに見に行ったようなものなので、ちょっと拍子抜けした。

展示そのものは、子供も大人も楽しめるエンタテイメントとして工夫が凝らされていて、いわゆる展覧会とは一味違った面白さはあった。
入場料がちょっと高かったのではあるが、展覧会ではなく「古代エジプトテーマパーク」みたいなものに行ってきたんだ、と思えばそんな値段だったかもしれない。
しかし、テーマパークだからプログラムや資料なんかなくてもいい、という発想だったとしたら馬鹿馬鹿しくも残念なことだし、「プログラムなどなまじ販売すると客足が鈍る」などという発想がどこかにあったとしたら、非常にお客を馬鹿にした話で腹立たしくさえある。
展示品自体が素晴らしければ、プログラムをみたら行って実物を見たくなるものなのだけれど・・・しかし、今回の展示でプログラムがあったとして、事前に入手して見た場合、確かに私は行かずに済ませたかもしれない。
そう思うとちょっと複雑ではある。

その他雑感は、もうひとつのブログに別途上げようと思うが、とりあえずはアレキサンドリアのことなどいろいろ思い出すよすがになって楽しくはあった。
まあとりあえず、見られてよかったな。
行ってきたからこんなことも思えるのだし。

以上、自分用のメモも兼ねて、散漫だが感想など。
尚、写真はオシリス・エクスプレスの写真素材集から借りてきたものである。  

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2009年09月29日

嗚呼、アレキサンドリア!

『海のエジプト展』という展覧会が横浜にやってきた。
もう終わってしまったのだが、なんとか終わる間際に見て来られたので、展示品の出土地アレキサンドリアを巡るあれこれを書いておこうかと思う。
(以下、写真はオシリス・エクスプレスのもの)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

アレキサンドリアの海底から出土したものが日本にやってくる、と聞いたときは少なからず胸が高鳴った。

地中海都市、アレキサンドリア。
カイロに住んでいた頃に何度となく出かけた街だ。
バスだの列車だの車だのとアクセス方法はいろいろで、何で行ってもおおよそ3時間くらいで着く。
私は列車で行くのが好きだった。

車の場合はたいてい「アレキサンドリア砂漠道路」を行くので、道路の名前が示す通りに砂漠のど真ん中を突っ切り突っ走る風景となる。
しかも、砂漠道路に入る前にギザのピラミッド辺りを通過するのだが、この辺の交通渋滞と来たら当時のカイロ近郊でも最悪のものだったのだ(現在はバイパスがいろいろ整備されて、かなり改善されたと聞いている)。

一方で、列車は緑豊かなナイルデルタ地帯を進む。
殺伐としたカイロの日常風景を離れてこの田園風景を眺めると、豊かな緑が目にしみるようだった。

アレキサンドリアは、イメージよりはかなりごたごたした街だ。
でも海があり(汚くても)、潮風が吹き(若干生臭くても)、魚介類がいろいろ食べられる(所詮芸のないエジプト式調理法でも)。
比較対照の問題ではあるが、カイロよりは落ち着いたのどやかな空気の街で、空も多少はきれいで広く感じられる。
要するに、カイロ発の日帰り息抜き小旅行には手頃な場所で、東京の人が横浜に来たり札幌の人が小樽に行ったりする感覚、と言ったらわかりやすいかもしれない。

アレキサンドリアという町そのものは、観光で短期間来た人にとっては優先順位が低い町なのではある。
なにしろ遺跡がグレコ・ローマ時代のものになるので、ギザのピラミッドなどが出来た古王国時代(紀元前2500年〜2000年ごろ)やら、ツタンカーメン、ラムセス二世といった有名なファラオがいた新王国時代(紀元前1800年ごろ〜1500年ごろ)に比べると、遺跡の歴史が千年ばかり新しいし(!)し、出来も悪い、というのが大方の意見だ。
なにをもって「出来が悪い」のかまでは、実は私もよくわかっていないのではあるが。

敢えて私自身の好みを言うと、大迫力で迫り寄ってくるようなファラオ時代の遺跡群や遺物より、なんとなく明るい地中海の光が感じられるグレコ・ローマのものの方が絵になるし可愛らしい感じがしてほっとするのだけれど、それは二年半に渡って「古代エジプトの大遺跡」をウンザリするくらい見続けた結果だとも言える。
当時はツアーガイドを生業にして暮らしていたのだ。

しかしまあ、実際に目にすると、確かにファラオ時代のものの方がスケールが大きいし迫力もある。
とりあえず少なくとも、観光地としてはルクソールなんかの方がはるかにハイレベルなのは間違いないと思う。

しかも現代のアレキサンドリアは、古代ギリシャの匂いもクレオパトラの残り香もしない。
先述した通りのゴタゴタしたアラブ風の港町だ。
地中海都市らしさは薄い。
極端な話、一泊程度ならカイロにいるのと感覚的にはそう大きな差はないと思う。
地中海は見られるが、ナイル川がないデメリットをカバーするほどではなかろう。

グレコ・ローマン博物館 クレオパトラ頭像
クレオパトラ頭像(グレコ・ローマン博物館所蔵)

だから「エジプトに一週間だけ行くのだけれど、アレキサンドリアを日程に入れるべきだろうか?」と悩む人がいたら、「よほど地中海や古代ギリシャに思い入れのある人以外は飛ばしちゃうのが得策ですよ」とアドバイスすることにしている。

街には小さな博物館があって、クレオパトラ7世やらシーザーやらの頭像など、主にこの街近辺で出土したグレコ・ローマンの遺物が展示されていた。
仕事でお客を連れていってガイドをやったりもしたのだが、いつもそれほど混まないコンパクトにまとまった博物館で、ツマランという人が多かったがワタシは好きだった。
実に鄙びた雰囲気の博物館なのだが、そこがなんだか牧歌的でギリシャ風ないい味を出していたと思う。

グレコ・ローマン博物館中庭
グレコ・ローマン博物館の中庭

いまやこの博物館はないそうで、2001年に旧図書館跡地にできた『アレキサンドリア図書館(Bibliotheca Alexandrina)』内の考古学博物館として生まれ変わったそうだ。
「旧図書館跡地」などと簡単に書いちゃったが、この古いほうが出来たのは
1800年ほど(!)前の話で、7世紀にイスラーム勢力が侵攻した段階で破壊されたらしい。最盛期はプトレマイオス朝時代末期で、クレオパトラ7世(世間でいわゆる女王クレオパトラ)の時代が最盛期。当時は世界の学問文化芸術の最高峰だったという。

この辺の詳しい話はこちらをご参照いただきたい。

新博物館、ワタシは残念ながら未見だ。
以下のURLを見る限り、相当ハイレベルな施設である。
迂闊にもいままで詳しいことを知らなかったのだけれど。
英語・フランス語・アラビア語に加えて、日本語のサイトまであるのでイマサラに驚いた。

http://www.bibalex.jp/Japanese/index.htm


(つづく)  

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2009年09月13日

金子貴一『秘境添乗員』 〜旅も秘境もさまざまなれど〜


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久しぶりの更新。

なんとなくそのままになっていたが、朋友金子貴一くんの著作『秘境添乗員』の感想を、軍事情報に掲載いただいてそれきりになっていたので、一応再録しておく。

中東はすっかり遠くなり、なかなか記事を上げる題材にも巡り合わない。
いっそ止めようかとも思ったのだが、なにかの弾みでまた始まらないとも限らないしなあ・・・とズルズルきている。

中途半端であまり格好のよいことではないと思うのだが、やはりたまになにかあったら記事も上がるかもしれないなあ、インシャアッラー・・・と残してある。


以下、再録分。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

金子貴一クンの新刊が出たのでご紹介したい。

新刊は『秘境添乗員』という。
文芸春秋社の『本の話』というPR誌に2年3カ月連載されたものに、大幅加筆修正を加えたものだ。

彼とのお付き合いはエジプト以来で、20年来の古い仲間である。
交遊の経緯は彼の前作『報道できなかった自衛隊イラク従軍記』の紹介等で触れたので、ご参照いただければ幸いである。

http://arima.livedoor.biz/archives/50754013.html
http://honyarara.livedoor.biz/archives/50922517.html
http://arima.livedoor.biz/archives/50742482.html




金子クンの本領は「人間力」にある。
文才だの語学力だのという、目先の能力を超えたもっと深くて強いパワーだ。
最近この本の書評を書いた某評論家によれば「過剰な人」なのだそうだ。
なるほど、確かに彼は「独特の濃さ」がある人だ。
その濃さは決して嫌味や傲慢につながらない。
通常「濃い人」は、多かれ少なかれそれなりの灰汁を醸し出すものなのだが、
金子クンには良い意味でそれがない。
常に感じられるのは、直裁で明朗かつ知的な「人間力」である。
この部分は公私共に変わらない。

そしてこの本のタイトルを見て「世界の秘境のオモシロ経験談」なんかを
期待するとうっかり肩透かしをくらってしまうだろう。
この本には「世界の秘境四方山話」にありがちな嫌味がまるで無いからだ。

例えばバングラデシュへ、アルジェリアへ、ミャンマーの奥地へ・・・などなど、
確かに彼が自分で企画主催して添乗するツアーの行く先はまことにユニーク。
こうした所謂「秘境」と世間に呼ばれるところに日本人ツアーを引率して行く
「秘境添乗員」の話は前半部に色々と語られていて、その話自体は大変面白い。
旅行好きならば、まずは楽しく読めることだろう。
添乗員としてサービスにこれ徹する金子クンの姿は、単なるツアーコンダクターを
はるかに超えて「ツアーバトラー」と呼ぶにふさわしく、仕事内容も非常に
ハイレベルでプロフェッショナルなものだ。

なにしろ彼は、戦乱のイラク自衛隊派兵の「添乗員」を立派にやり遂げた人間だ。
戦地に赴く自衛隊随行と観光ツアーの添乗を、同じ目線で語ったら
叱られるかもしれないが、結局のところ仕事の要は等しく「グループが無事に
食って寝て安全に過ごせるように心配ること」だと思う。
時に危険も伴う異文化環境で続発するトラブルに柔軟に対処しながら、
全員の安全を確保する。
現地住民との円滑なコミュニケーションの仲介役としての役割も欠かせない。
異文化コーディネーターとしての力量がものを言うのは、どちらも同じことだ。

しかも彼はどの仕事も手を抜かず、誠心誠意こなして手抜きなどしない。
戦地に行く自衛隊だろうが観光に行くツアーだろうが妙な差別化などもしない。
要するに「プロ」なんである。
イラク関連のエピソードにも一章が割かれているので、改めて彼の仕事を
見比べて欲しい。

ちなみに彼は、異文化環境にいなくても根っから添乗員みたいなヒトだ。
例えば一緒に歩いていると「あ、そこにぬかるみがあるから足元に気をつけて〜」
「この先の角を右に曲がりま〜す。そこの赤いポストのあるビルのところね〜」と
万事常時こんな調子。
本人いたって自然体でこうなるのだから、添乗員は天職だろう。

そして話は単なる秘境四方山話だけでは終わらない。
そういう類の秘境ツアー裏話を、もっと低レベルで書き飛ばしたようなひどい本が
結構売れたこともあるから、全巻秘境話で終始した方が案外受けたのかもしれ
ないが、この本はさらに深く潜り込んでいく。

実はこの本の真価は、この「潜り込んだ部分」にあるのだと思う。
話は彼自身の過去に遡り、アメリカに留学した高校時代の経験や、見事に正しい
真のエジプト人となった学生時代を経て、ジャーナリストとなり戦地へ赴き、
そうした経験の中で得たものを一つ一つ丁寧に自分のものにしながら生きてきた
いわば「金子クンの作り方」を読者はリアルに追いかけることになる。

それは昨今巷で言葉としては始終出てくる「異文化コミュニケーション」のプロが
如何にして生まれたか、という物語でもある。

そして話は過去を振り返るだけでなく、未来へ向かう動きも見せてくれるのだ。
辛い話もあるのだが、それを超える前向きさがとても良い。
なにしろこの過程で、彼は結婚をするのである。
いらん話かも知れないが、ワタシより一歳年上の初婚だからかなり遅い。
実はひっそり心配していたが、やっと訪れた春はたいそう美しく暖かいようだ。
なによりのことで、本当に嬉しい。

この『秘境添乗員』は金子貴一クンの集大成。
ちょっと間口を広げすぎた感はなくもないのだが、このカオス的な雑多さも彼の
独特の持ち味と思っていただければ幸いなのである。

しかし例えば本書の中の、特に日本でのクルド難民援護関連の話などは、
掘り下げればかなり面白い話になりそうだし、他にももっと突っ込んで欲しい話が
色々とある。
できることならば「次回作へ続く」となればなによりだ。

全体を通して、異文化と触れ合うときに大事なことはなにかを直接間接に
熱く語りかけてくれる本。
日本のグローバル化が叫ばれる中、現状になにか足りない物を感じる方には特に、
単なる旅行書以上の面白さがあると思う。
間口が広すぎたとは書いたが、内容は通常の単行本の三冊分と言ってよいほど。
中身は濃くて充実しているので、色々な人に是非一読をお勧めしたい。


■もくじ

はじめに

第一章 秘境ツアーへようこそ
 
 「第四世界」バングラデシュの旅
 アルジェリアは治安部隊がエスコート
 ヨルダンで預言者モーセの足跡をたどる
 「中東最大の少数民族」クルドの故郷へ
 ミャンマー、密造酒の村で乾杯
 中国・パキスタン「添乗員殺しツアー」
 平成の遣唐使、西安へ
 ピースボート水先案内人
 インド闇社会と平和運動
 砂漠の遊牧民と仲良くなる方法
 世界一周金融調査団

第二章 僕が秘境添乗員になるまで
 
 ホームステイ先は「社会問題の博物館」
 エジプト留学で究極の異文化体験
 エジプト人になりたい!
 いい加減だよエジプトの運転免許
 エジプト人医師にはご用心
 ロバはビジネスパートナー
 テレビ局のカイロ支局でアルバイト
 イラ・イラ戦争の激戦地へ
 七年ぶりの帰国で「浦島太郎」に
 英語教師はつらいよ
 カイロに死す
 エジプトの救急車は命がけ
 秘境添乗員事始め

第三章 いざ、戦火のイラクへ

 隣国ヨルダンで聞いたバグダッド陥落
 自衛隊の通訳としてイラクへ
 イラクで迎えた初夜
 悩める自衛隊員の本音
 サマワで地権者のアイドルに

第四章 ニッポンの秘境・辺境
 
 国内秘境ツアーを始めた理由
 秘境添乗員、教壇に立つ
 観音霊場巡りはスタンプラリー
 花嫁は秘境の女

あとがき


【090626配信 メールマガジン「軍事情報」(本の紹介)より】



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2008年05月27日

森川久美『イスタンブル物語』など 〜トルコ関連図書のこと〜

ずいぶん前に、この本の紹介をした。
忘れた今頃に『復刊ドットコム』から「50票入りました」という連絡が来た。
正確には「到達しました」とあった。
まさに「到達」という言葉が似合う。
紹介記事からニ年三ヶ月たっている。

ケマル・アタチュルクのトルコ建国話は、色々ありそうなものだが案外出ていない。
実に二枚目だったし、女性関係も華やかな武人であって、いくらでも小説や映画のネタになりそうな人物なのだが、悲しいかなトルコの法律で「アタチュルク侮辱禁止法」なるものがあるために、研究者であろうと誰であろうと、この建国の偉人のディテールに迫りにくいからだ、という話を聞いたことがある。
2代目大統領イノニュによって規定されたものだ。

それを考えると、当時の日本の少女漫画とはなんと幅広かったことよ、と思う。
むしろ漫画だからこそできたことなのかもしれない。
メインになるのは、架空の美男美女の惚れたハレタの話だ。
なんだ・・・と思われるだろうが、この作品に描きこまれたディテールはなかなかのもので、少女漫画に関心がなくてもトルコの歴史に関心があれば、十分に読みきれるものだと思う。

この少し前にトルコ近代史の本が、これは無事に復刊されたという通知もきていた。
私は未読だが、以下の本である。

■『トルコ近現代史 イスラム国家から国民国家へ』
【著者】新井政美
【発行】みすず書房
【定価】4,410円(税込み)
【発送時期】6月上旬

面白そうな本なのだが、ちょっと値段が張るので検討中。
しかしこの類の本は初版が出たらそれっきりなので、欲しいと思うならば買っておくのが正解ではある。
正解と経済力が常に均衡しない浮世の矛盾よ。
嗚呼。
最近の我が家は猫に焼き鳥を買う資金が、知的正当性を凌駕しているのである。
夫婦そろって進んでやっていること故に、誰に不満を言うものでもないのだが、嗚呼。

そして、もっと前から復刊運動中のブノアメシャンの中東三部作も、改めて見たらまだまだ遠い道のりらしい。

この三部作など、これだけトルコはじめ中東各域に日本人観光客が跋扈する今、ハンディーな文庫になったらきっと売れるだろうに・・・と思うのだがなあ。

そういえば時は五月末。
イスタンブルが最も美しく楽しい時期だ。
空港から仕事のオファーのあったホテルまでの途中で、タクシーの窓越しにマルマラ海に降り注ぐ美しい初夏の陽射しをぼんやりと眺めていたものだった。

あの時は色々と大変なことが続いていて、正直なところ「日本に戻ってやり直し」という選択肢もあったのだったが、あの海のきらめきにやられて到着前にイスタンブル移住を決めてしまったのだった。

27歳で独身だった。
あの年代で、独身最後の一年余りとなった時期をイスタンブルで過ごせた。
これは今でも、僥倖のように素晴らしいことだったと思っている。

そういえば、現在顎の腫瘍で闘病中のヒメちゃんも、この翌年にイスタンブルで生まれたのだった。
手元で生まれた手のひらにおさまるような仔猫が、15年後の今すっかり偉くなって私にアレコレと指図をしている。

最近どうもこういう感慨が多いような気はするが、そりゃあ私が中年になるわけだなあ、としみじみ思う。  

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2008年05月25日

『トルコで私も考えた』最新刊、そして涙の完結!

『トルコで私も考えた』の第5巻が出た。
ユーモラスな絵柄の少女漫画なのだが、トルコ好きの間に根強いファンがいる本だ。



1996年に著者の高橋由佳利さんがトルコへ旅行に出かけ、見るもの聞くものまあ面白い・・・!という情況で始まるのが1996年発行の第一巻。
その後12年の間に、トルコ人男性と結婚し息子が生まれ、家族で日本に渡ってはたまにトルコへ里帰り・・・という生活になっていく。

この辺りの高橋さんの生活の変化も、第一巻から読んでいると感慨深いのだが、あわせてその背景にあるトルコの生活の変化も面白い。

何しろ4ページほどの短いエピソードが、月一回ペースで連載されていくわけなので、一冊分たまるまでが実に長い。
今回の第5巻も首を長くして待った挙句、忘れた頃にひょっこりと出たのだが、なんでもこれが最終巻との由。
実に寂しい話だが、まあ仕方がないですね・・・。

どうもひねくれた私的感覚なのだが、他人の書いた海外旅行記や生活記というものは、書いた本人や関係者にはそこそこ面白いのだが、第三者の目線からは「だからなんだ」とつい思いたくなるものが大半だ。
私の目には少なくともそう映る。
しかし、このシリーズにこと関しては、特に肩肘張らない柔らかな目線で捉えたトルコの衣食住、日常生活、そして周囲のトルコの人々や高橋さんの家族たちの姿が生き生きしていて、独特の世界になっているので何度読み返しても面白い。
飄々としたユーモラスな絵も、実は辺りのディテールがきちんと綿密に書き込まれていて、貴重な記録になっている。

少女漫画かあ・・・と手に取りかねている方がいたら、是非ご一読をオススメする。

品切れの巻が結構あるのだが、短編集なので間が抜けてもなんとか読める。
いい本なので、是非版を重ねていってほしいものだと思うのだけれど。

ちなみに、我が母校の中央アジア史が専門の某教授も絶賛太鼓判のシリーズでもある。
トルコに関心ある方は是非どうぞ。  

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2008年02月27日

パンとサラダ 〜ヨルダン料理 其のニ〜

ホブズ2ホブズ





オットの食べたヨルダン料理の続き
写真はアラブ圏一帯で食べる、平たいパン。
エジプト方言ではパンを「アエーシュ」と呼ぶのだが、フスハでは「ホブス」で、ヨルダンなど湾岸方面でもやはり「ホブス」と呼ぶ。

昔ヨルダンを旅行したとき「アエーシュおくれ」と言ったら、横にいたウェイターがぶっと笑ったことがある。

「どうもエジプト長そうだけど、その方言でしゃべるときっとみんな笑うぞ。俺はわかるけどね。エジプトからの出稼ぎだから」

で、アエーシュではない、ホブスと言え・・・とご指南いただいたのだった。
そうか、話には聞いていたけどそんなに違うものか、と驚いたのを覚えている。

話がずれるが、アラビア語のエジプト方言というものは非情に独特で、アクセントも発音も語彙も他の方言とはずいぶん違う。
エジプト人の「のんきぐうたらまぬけキャラ」も併せて広く知れ渡っている。
なぜ知れ渡っているかと言うと、エジプトで製作されたテレビドラマや劇映画がアラビア語圏全域で広く愛好されていた時代があったからだ。
たいていはいわゆる「のんきぐうたらまぬけキャラ」のエジプト人が主人公のコメディーで、要するにお笑い番組だ。
発音アクセントの妙なアクの強さもあって、吉本興業が大阪弁を全国区に押し上げたが如く、いやもっと壮大なスケール(?)でエジプト弁は特殊ながらも結構通じるアラビア語方言になった。

そんなわけでエジプト弁は、どこのアラブ圏の人間相手でも意思の疎通が出来て便利な方言ではある。でも弊害はあって、結局「お笑い系」であるが故に、私のような外国人のそれも女性(しかも当時はまだ若かった)がうっかりしゃべると、相手が話も聞かずにゲラゲラ笑い出したりするので、マジメな用事があるときはちょっと鬱陶しいところもなくはない。

まあこの程度なら実害はないのだが、湾岸諸国などの相手によってはエジプト弁をひどく見下す傾向があるようで、公式の会談や重要な商談などではむしろ避けたほうがよい、という話も聞いたことがある。

私はどっちみちそんなレベルには程遠いので、道行く人にバカウケするのが関の山なのではあったが。

エジプト弁については、こちらも合わせてご参照を。

さて、大幅に話が脱線したが、こういう平たいアラブ式のパンも焼き方や小麦粉の種類などで種類はいろいろとある。
上の写真のどっちがどうというところまではわからないのだが、まあ違うタイプがあるんですよ、ということでご参考までに。

こういうパンの役割は「食べる」以外にもある。
実はフォークとナイフの代わりにもなる。
特に前菜はペースト状のものが多いので、ちぎったパンでひたすら拭って食べるものだ。

前菜いろいろについては、こんな記事もあるのでご参照を。

だから、アラブ圏外で中東料理のレストランに行って、パンがすぐに出てこなかったり有料だったりすると、妙に寂しくなってしまう。
和食を食べるのに箸がないような気分、と言ったら言いすぎだろうか?

タッブーリサラダ





そんなわけで、野菜サラダも細かく刻んだものが多い。
パンでつかみやすいスタイルになっているのだ。
タッブーリ(左)はパセリのみじん切りが主体。ドレッシングで和えてある。
これに地方や家庭によって、穀類を混ぜたりタマネギのみじん切りが入ったり、或いはそのままだったりとパターンはさまざまだが、これだけはアラブ圏どこにでもある。
右は普通のサラダ。
トマトやキュウリやタマネギ、ピーマンなんかを細かく刻んでドレッシングで和えたもの。

ドレッシングは、たいていがオリーブ・オイルと塩胡椒に酢で、これにニンニクが結構しっかり効いたものになる。

(つづく)

ひとり歩きのアラビア語自遊自在 会話集

エジプト方言とフスハが主体だけれど、アラビア語の各方言も出ている珍しい本。
実用性はともかく参考にはなります。  

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2008年02月13日

マンサフ! 嗚呼、マンサフ!! 〜ヨルダン料理 其の一〜

ヨルダンには二回行った。
一度は友人と、二度目は一人で。
どちらも旅行だ。

当時はまだ20代後半で、カイロから紅海沿いのヌエバに出て、そこからフェリーでヨルダンはアカバに渡ったのだった。

当時はまだ経済的に恵まれた旅行でもなかったし、現地に知己がいたわけでもないので、なんとなくぶらぶらしただけで終わった。

食べるものも、高級店など行きようがない。
でも、案外エジプトより料理は美味しいかもしれないなあ・・・と思ったのを覚えている。

さて、最近ヨルダンに仕事で出かけた夫が懐かしい写真を送ってくれた。
その中で、一番ワタシの唾液腺を刺激したのが「マンサフ」という料理。

マンサフマンサフのソース






焼いた羊肉と長米という組み合わせは、中東圏ではよくあるものだ。
ヨルダンではこの上に、ヨーグルトとチーズで作った温かいソースをかける。
本式には山羊の乳から作るものらしい。
私が覚えている限りでも、なんだかシェーブル・チーズのような香りのする料理だった。
注文すると「本当に大丈夫なのか」「これは変わった味がするんだぞ」と
必ずお店の人がひとこと言いに来てくれたっけ。

でも、夫の取引先が言うところでは「水牛の乳から作ったもの」だそうだ。

湾岸全体で「マンサフ」というと、羊を一頭潰して作るような宴会料理になるらしい。近所のレバノン料理店のシェフが「マンサフならば10人集まらないと」と言っていたことがあったから、このマンサフとはどうもイメージが違うらしい。

ラバンこちらは「ラバン」だ。
「ラバン」といえばエジプト方言では
「ミルク」になるのだが
ヨルダンではヨーグルトの飲み物になる。
何故か英語のメニューでは
「アイラン」と記されていたそうだ。

確かにトルコの「アイラン」と同じような、塩味のヨーグルトドリンクだ。
英訳が「アイラン」は、ちょいとお店の勇み足、という感じがする。
夫が会食相手のヨルダン人に聞いたら、アラビア語表記は「ラバン」だったとの由。

羊肉とヨーグルトは相性がいい。
写真を見た瞬間、あの玄妙な味と匂いが蘇ってきて、もうたまらない。
帰国してきた夫に向かって、もう私は明日ヨルダンに行っちゃうぞ、というだけ入ってみている今日この頃。

この他、ヨルダン料理の画像を夫が撮ってきてくれたので、思い出話ともどもご紹介します。

(つづく)  

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2008年02月07日

ファラオの復讐対策をマカオで復習する〜香港ぶらぶら雑感記 其の四〜

今回、初めてのマカオが本当に楽しみだった。
やはり想像したとおりで、香港とは違う匂いのする街だ。
旧ポルトガル植民地らしく、やはり南欧の風情がそこかしこに残っている。
街も人ものどやかで、瀟洒な南欧風の洒落た街並みの裏には中華な生活風景があり、ああ良い風情だなあと思っていれば、途轍もなくエゲツナイ電飾満艦飾なギンギラギン的大型カジノも当たり前のように立ち並んでいる。

そして、驚いたことにこの街では、道を渡ろうとするとドライバーがブレーキを踏む。
日本にいると、まあほぼ当たり前のことなのでナンノコッチャと思われるだろうが、ヨーロッパ各地でもイスタンブルでも、そして香港でも、大概「歩行者を見たらアクセルを踏む」という反応が当たり前なのだ。

1990年ごろのカイロも「ブレーキを踏む国」だった。
しかし年月が経つにつれて、次第にアクセルを踏むドライバーが増えたような印象がある。
人の心が荒れてきたのかなあ、と、少し寂しい思いをしたのを覚えている。

だから、どこかの街に出かけて「ブレーキかアクセルか」を観察していると、街の住民のテンションが感じられるような気がする。
個人的な思い込みではあるけれど。

夕暮れ時に南欧風の街角をぶらぶらしていたら、懐かしいものを見つけた。

サトウキビのジュースサトウキビのジュースだ。
カイロの街角でもよく売っている。
住んでいたころは
好きでよく飲んでいた。
暑くてバテ気味のときなど
暑気払いにもってこいなのだ。


マカオの街角でも機械で潰すように絞ってくれる。
飲むとどうも結構冷やしてあるので、冷たいジュースはどうもなあ・・・と思いながらも、懐かしさともども一気に大きなコップ一杯飲み干した。

さて、話はここから始まる。
どうもこれが「アタリ」だったらしいのだ。
マカオで大当たり、といえばこれはギャンブルで大もうけしたようだが、我が家は夫婦そろって賭け事の才も甲斐性もない。
だからカジノに興味もない。
当たったのは、ワタクシの胃腸・・・エジプトで言う「ファラオの復讐」だ。
やれやれ。

散歩から戻って二時間ほど後、どうも胃と鳩尾の辺りに違和感がある。
む・・・?と胃腸薬とビオフェルミンなど飲んでしばし、違和感は明らかな不調に変わり、そしてチクチク刺すような痛みに変わっていった。

よもやまさか、何故どうして、しかしこれはイヤハヤまったく・・・かつては「鉄の胃腸」を誇ったはずの、この私が・・・うっそー、ヤダこんなの!

ああ、やれやれ。
こういうときにはドウシロコウシロなんていう記事を書いたこともあったっけなあ。
過去記事は以下参照。

【第3話】 ファラオの復讐 〜水(その2)〜
再び、ファラオの復讐について 【第61話】(前編
再び、ファラオの復讐について(其の二 対策編) 【第62話】

さて、上記記事では「対処は早めに」「すぐ医者を呼べ」などと偉そうに書いていたのだが、いざ我が身になるとどうもやっぱり億劫なものだ。
私の場合はもう既に何度となく似たような状況はくぐっているので、自家療法で何とか対応してしまった。
「話が違うじゃないか!」という怒りの声が飛びそうだが、私も状況次第ではドクターを呼ぼうと思ってはいたのだ、と一応申し上げておこう。
少なくとも、感染後数時間、症状が出て30分後に対処はした。
別に威張るつもりもないが、慣れた症状だけに初動は早かったのだ。
カイロあたりで泣き声のSOS電話をかけてくるのは、大概まる一日以上我慢を重ねた挙句、耐え切れなくなった人たちだ。
別に威張っているのではない。
誤解しないでほしい。
単に私はこういう状態に妙に慣れている、とそれだけの話だ。
それでこの「早めの対処」が功を奏したのか、回復も早かった。
ドクターも呼ばずにすんだ。

さて、初動でとりあえずやったのは「体内洗浄」だ。
オカシイナ・・・と思った段階で、ぬるま湯をたくさん飲んでは胃の中のものを無理矢理全部吐いてしまう。
尾篭な表現だが「上下マーライオン状態」とでも言おうか・・・ううむ。
状況にもよるので判断の難しいところだが、こういう場合は吐き気が来るまで待っていると、そのぶん体が参るのだ、と私は信じている。

こういうウィルス感染系の病気は何であれ似たようなものだと思うのだが、下手に我慢して耐える時間が長いほど、症状は悪化し回復は遅れる。

今回の私の場合、とにかくひたすら体内を洗った。
確かにウィルス性だったのは間違いなくて、結構な痛みが鳩尾から下をキリキリ絞りにくる。
ぬるま湯を飲むと、ちょっと間をおいてキリキリとサシコミがくる。
トイレで全部吐いて出すものを出す。

これを3〜4回やったら少し治まって、汗が出たりトイレで小水がでたりするようになる。消耗はしているものの峠は越えた感じになった。
ビオフェルミンを飲んで海老状に丸まって寝る。
海老姿勢の理由は・・・単にまだお腹が痛いからだ。
あのあとしばらくの間、海老を見るたび軽い憎しみを覚えたが。
憎しみのあまり、食べたりもした。ふん。

翌朝、どうも少し熱が出ている感じがする。
このまま熱がガンと上がってくるようならばドクターだ、と思っていたのだが、もうしばらく寝ていたら体が楽になってきた。

下痢や発熱はしんどいものなので、ついつい止瀉薬やら解熱剤やらをすぐ投入したくなるが、これは素人判断でやらないほうが良い。
上記の記事にも書いたが、下痢発熱は体内の抵抗軍(もとい抵抗力)が侵略軍(もといウィルス)と戦っている証。
下痢発熱という形で、侵略勢力は外に発散されている。
これを薬で止めるのは、逃げ出そうとする侵略勢力の出口を塞いでいるようなものだ。むしろ、ぬるま湯やビオフェルミンのような援軍を送りながら、多少苦しくてもとっとと出て行ってもらう逃げ道拡大に協力することにしている。

イラクだって、放っておけば早晩サダムが死ぬか消えるかして、自然体で状況が良くなったかもしれないのに、なまじアメリカが出張ってきたおかげで国情が泥沼化したではないか。
なんとなく、そんな感じ(?)

ついでに偏見混じりに言ってしまうと、抗生物質投与は敵味方入り乱れる戦場に核弾頭を打ち込むようなもの、だと思う。
敵は壊滅するが、味方も同様。
ウィルスからくる諸症状は治まるが、かわりに体が参る。
私の場合は、ということだが。
もちろん飲むべき時は当然あるので、ここはドクターの判断になる。

昼ごろにはかなり回復して、とりあえず「薬膳スープと粥と薬膳スイーツが食べたい」くらいの気分にはなってきた。
多少食欲が出てきたらこっちのものだよ、というわけでホテルをチェックアウトして街に出る。
アタリを引いたのが麺粥薬膳の国だったのは、不幸中の幸いだったと思う。
こういう体調で食べたいものが、街中いたるところで美味しそうな湯気を立てている。実際こういう広東薬膳の類は、本当にこういう状態の胃の腑に滲みる。
健康なときよりよほど旨く感じられたんだから、とりあえずそれでよしとするべきなのだろう。
そうにちがいない。

この翌日にはもうほとんど普通に食べていたのだが、本当はこういう無茶は体に良くない。まあ、体が食べたいというものを食べて、もういらないと思ったら食べるのをやめればよいので、この辺は体調と相談なのだが。

尚、以上はあくまでも、極私的自家療法であることをきちんと申し上げておく。
本来は自己判断でこういうことをしないほうがいいし、今回の症状は特段重篤なものでもなかったからこれですんだのだ。

一応、帰国後お医者さんに対処の内容を説明したら「それで正解」ということだったけれど、「でも、それはあくまでもアナタに自己判断できるだけの経験があるからです。普通の人は無理」という但し書きがついたことも付け加えておく。

だから、皆さんはむやみに真似をしないでください・・・。
まあ、一応なにかのご参考までに。

恨めしいのは、寒空の下で飲んだ一杯の冷たいサトウキビジュース・・・あの時ヘンなエジプトへの郷愁めいたものに駆られていなければ、あの晩はマカオ料理三昧の予定だったのだ。
これだけはしみじみと、口惜しく悲しい。

自業自得とはいえ・・・ああ、やれやれ。

自分でも書いているじゃないか。
「冷たいものの一気飲みはいけない」と。
「睡眠はきちんととりなさい」と。
「旅先での馬鹿喰い無茶喰いはいけません」と。

以上、深い自己反省とともに、改めて旅に出る皆さんに注意喚起する次第。
とほほ。

  

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2008年02月03日

香港ぶらぶら雑感記 其の三 〜眠らぬ街で眠れぬ人となる・・・中国茶の不思議〜

香港のありがたいところは、街が眠らないことだ。
今回は特に実行しなかったが、深夜であろうが早朝であろうが、なにかしら食べ物にありつける。
店の閉店時間も遅いので、夕食時間が常に遅めな私にはありがたい。

しかしこの「眠らぬ街」で、実はちょっと不可思議なことが起きていた。
何故か不眠症状態だったのである。
生活が不規則になりがちな仕事柄もあって、元々寝付きも寝起きも悪い夜型の私だが、旅行に出れば結構すとんと眠ってしまう。
ところが、今回ばかりはどうもおかしい。
明け方まで輾転反側状態。
目が爛々と冴え渡って、まったく眠りが訪れる気配すらない。

最初は「眠らぬ街の興奮が乗り移ったかねえ」などとのどかなことを考えていたのだけれど、相当な寝不足状態でやってきたのに、二晩続けてこの状態はどう考えても変だ。
「ちょいと食べすぎかなあ」とも思ったが、過食のせいで不眠になるなら、私は日本じゃ年中無休の不眠症だぞ・・・。

なにが原因だろうかと考えてみて、はたと思い当たったのが「中国茶」だ。
驚いたことに香港で食べるものは不思議と酒を呼ばず、むしろお茶のほうがはるかに料理が美味く感じられる。
食事に酒は欠かせないほうなので、これは本当に不思議だったが、食事中はひたすらお茶をがぶがぶ飲み続けていたのだった。

私は酒はわりあい強いほうだが、カフェインにはどうも弱い体質らしい。
これは高校生くらいのころからわかったいたことなのだが、どうもついうっかり忘れがちで、こういう状態になってはじめて気付く。

よく飲んでいたのは普洱茶(プーアル茶)だった。

夜のお茶を控えたらかなり落ち着いたので、やっぱりカフェインかぁ・・・と勝手に納得しながら帰国。
一応念のため、横浜中華街にある中国茶の専門店で尋ねてみたら、確かにカフェインは結構入っていますよ、との由。
「普段あまり飲んでいないものをたくさん飲むと、過敏に体が反応することもあるかもしれませんね」とも。

ほーれ、ビンゴだビンゴ!と頷く私に、中国茶のプロは「・・・ですから、カフェイン含有量の少ないプーアルくらいにしておくのがよろしいようですよ」というではないか。

・・・また謎が増えてしまった・・・。

首をかしげながらあちこち調べてみたところ、別の犯人(?)が出現。
カフェインもそうだが、どうも中国茶というものは交感神経を刺激するらしい。
そうそうそういえば、ウーロン茶に減肥効果ありなどとよく言うではないか。
細かいメカニズムはよくわからないが、たっぷり飲んだお茶がありがたくも脂肪燃焼を促進してくれる間、体がまったり眠る状態にならないのは無理もないなあ、と、これまた自分勝手に納得した次第。

逆に昼間活動するときに飲めば、まことに霊験あらたかだろう。
犯人呼ばわりなど、被疑者扱いしてマコト申し訳ない。
飲み方が間違っていただけなのだったよ・・・とプーアル茶に心の中で謝ってみた。

(尚、あちこち見たが、以下のサイトを参照した。

http://www.white-family.or.jp/healthy-island/htm/repoto/repo-to60.htm

さて、減肥効果のほうだが、帰国後体重計の針はキッチリと2訴ほど跳ね上がっていた。
「あれほど喰ったのに、中国茶のすばらしい効果でこの程度で済んだのだ」と考えるべきなのか、それとも・・・と考えたが、とりあえずは「減量」という課題に先に取り組むことにして思考停止中。

ついでにもう一つ付け加えると、帰国翌日に最近お世話になっている鍼灸の先生のところで「背中の艶が全然違うなあ」と驚かれたのもまた事実。
漢方薬膳、医食同源、実に侮りがたい。
単に栄養過多なんじゃ・・・などとは考えぬのが花というものだろう。

以上、根拠もいいかげんな実にどうでもいい話だが、お茶など飲むと寝つきの悪くなる向きはお気をつけあれ、ということでご参考までに・・・。

尚、このあたりの話に詳しい方がいらしたら是非ご教示賜りたく、よろしくお願い申し上げます。  

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2008年01月18日

香港ぶらぶら雑感記 其の二 〜ホテルの部屋割りについて〜

今回の旅行では、ホテルは日本から手配していった。
旅行代理店勤務の友人に値段が安いところを数軒選んでもらって、なんだか街中だなあという印象のホテルを選んだ。
海だ山だと自然に親しむのが目的でなければ、とりあえず街から離れていないほうが足回りが良い。うちの夫婦はなんとなく二人で出かけても途中で別行動になることがよくあるし、別々に出かけて後で待ち合わせるのにも、ホテルが街中ならば部屋に戻ってくればよいので面倒くさくない。

いや、ちゃんと地図が読めて常人並みの方向感覚があれば、そういうことまで考えなくっても良いのだが、なにしろ私は世界で二番目に酷い方向音痴なのである。
本当は世界最悪だと思っていたけれど、結婚して自分より酷い人類がいるのを知ってそうとうがっくりきたものだ。
どうでもいいけど「メカ音痴」も同様。

まだうら若き未婚の時代、「結婚すれば道と機械で困らなくてすむようになる・・・♪」という実に美しい期待と夢を胸に抱いていた。
結婚に夢を描くようなカワイラシイところはなかったが、そこんとこだけはなんとか、と願い信じていたのである。
こういう日和見は、神の試練を呼ぶらしい。
たったそれだけの夢を、何故完膚なきまでに壊したもうたか、ああ神よ。
「甘えんな」ということだろうか。そうだろうな。

さて「ホテル裏話」をここで一つ。
馬鹿馬鹿しい話で旅行記ですらないのだけれど、なんとなく思い出しついでに書いておく。ご参考までに。

ホテルにチェックインして部屋に入った。
部屋が何処にあるのかよくわからなくて軽く嫌な予感がしたのだが、案の定これがちょうどエレベーターの真横、というよりむしろ「真裏」にある部屋だった。
小さめのダブルベッドが一つ、部屋の真ん中においてある。
ダブルなので「お二人様用」と言い張れば言い通せる部屋だ・・・が、しかし・・・。

なまじ元がホテルの人間だったので、チェックインでごった返すロビーの風景とともに、悲しいかなストーリーが全部読めてしまった。
ドアに張ってある避難経路などを示したフロアプランを見ても、これは「添乗員乃至はとても運の悪い客」に振るべき部屋、つまり「スカ部屋」なのだ。
トランプで言えば「ババヌキのババ」。

まずそもそも、エレベーターの真横の部屋は、かなりしっかりした作りの一流ホテルでも案外音が耳につくことが多い。
もちろん世界中どこのホテルでも同じだ、ということでは決してないのだが、程度の差こそあれ廊下の人の出入りや、ホテルの構造によってはエレベーターの音などまでが耳につくことがよくある。
この辺の感じ方は個人差があるので気にならない人も結構いるが、自分が夜寝るときなど周囲の音に神経質なほうだという自覚があったら「エレベーター真横は避けてほしい」というリクエストを出したほうがよいかもしれない。
どうせ出すなら事前の予約時に言っておいたほうがよさそうではあるが、この辺は結構微妙なもので、ホテルによってはおっそろしくワンフロアの廊下が長いところもある。
しかもこういう「スカ部屋」が廊下の端にある場合もある。
だから、忙しい人はチェックインの段階で「エレベーターの真横は避けてほしい」という希望を伝える程度にするのがとりあえず無難ではある。
我々のような暇人はとりあえず部屋に上がるが。

さて、読めてしまったストーリーとは、以下の通りだ。

1.この日、このホテルは満室だ(→あとで聞いたら「オーバーブックしていた」そうだ。かわいそうな深夜着の客が何組か、近隣のホテルに送られたはずである)。
1.満室ということは、ホテルのありとあらゆる部屋をうまく割り振らないといけない。
1.本来は添乗員や一人客に回すような部屋だって、ナンダカンダと二人突っ込む算段を考えなければいけない。
1.しかし、こういう部屋に体のでかい欧米系の夫婦などを突っ込んだら、即座にフロントに戻ってきて暴れまくられるのが目に見えている。その点、日本人は体が小さいし(うちのオットは日本人としては完全に規格外なのだが、そこまで予測しているはずがない)、おとなしいのであまり不満を言わないはずだ。
1.日本人ならば、とりあえず欧米系のようにクレーム大爆発の危険性は薄い。
但し、法人契約などのある現地企業からの予約客にうっかりこういうことをすると、ホテルで暴れなくても現地で手配した担当者にクレームが入ったりして、あとの取引に障りが出かねないので、これは避けなければいけない。
1.現地のオペレーターのアテンドがつくツアーグループの場合は、やはりクレームになりやすい。これもアウト。

・・・で、我々の場合は「レジャーできた個人客。日本人。アテンドなし」だ。
爾後のビジネス取引に支障はなく、予約元から怒鳴り込まれても大方「ゴメン」ですむ。
しかも、レートを安く上げるために全額前払いのバウチャー持参なので、いくら暴れてもホテルの変更は不可能。出て行ってくれるならば、事前支払い分を全て掛け捨てにせざるをえない。
こういう状況のホテルにしてみればむしろ嬉しいくらいだ。

このように書くと、このホテルは極悪非道で悪辣に思えるかもしれないが、こういう日のフロント責任者に課せられた使命は「なんとかしてこのスカ部屋を穏便にどこかの客に押し付けること」だ。まさにトランプのババヌキの世界。
お客様全ての満足よりも優先させるべき責務を背負って、つらい一日を過ごしているのである。
上手なババヌキが、その日の仕事の全てといってもよい。
そもそも、我々の払っている宿泊料は部屋タイプ指定のあるものではないので、ホテル側に原則部屋の割り振りを決める権利がある。
だから、こういうことがあっても大声で怒り狂う権利まではない。
この場合は、まず「お願い」から始めるのが無難だ。

それにしても、一泊で出て行くならともかく、三泊しようという客(ワレワレ)にババを抜かせるなんてあまり感心しない部屋割りではある。
ホテル・ビジネスは一応「ホスピタリティー・ビジネス」なのだからね。

とりあえずフロントに電話をかける。
なんといって状況を説明するのが一番穏便にコトが進むのかなあ、とちょっと考えて、小賢しくて鬱陶しいようだが本当のことを言ってしまうことにした。

小薀蓄をたれるようで気が引けるが、こういうクレームをつけるときに感情的になってもろくなことはない。
多少英語の出来る日本人ゲストが「現地人スタッフ」を居丈高に罵っているのを見たこともあるが、こうなるともう相手のホスピタリティーは引き出せない。
自分も気分が悪くなるので、いいことなしだ。

フロントに電話して、チェックインを担当してくれた日本人のスタッフに
「こういう日に文句を言って申し訳ないけど、この部屋なんとかしてくれませんかねえ」と、頼むことにした。
「私、あんまり言いたくないけど、実は元ホテル業界の人間なのですよ」と付け加えた。
「どうせババヌキをやるんなら、別のお客さん相手にやってもらえないかなあ。
私たちは三泊もするけど、夜遅く来て明日出て行くような人もいるでしょう」

別にフロントの責任者に言っても良いのだけれど、まあとりあえずは現場で処理してもらうほうが丸く収まることもあるのだ。
その段階で埒が明かなかったり、対応に誠意がなかったりした場合には、正式なクレームとして責任者を呼び出せばよい。

結果、速効でもっと広いまともな部屋が出てきた。
さっさと部屋を取り替えてくれた以上、感謝こそすれ不満はもうない。

付け加えると、このホテルの日本人スタッフのMさんには、その後大変親切にしてもらって、大変ありがたかった。

以上のストーリーを反芻すると、妙に可笑しくなってくる。
こういうババヌキ話はすっかり忘れていたので、一瞬だけれども懐かしさまで覚えてしまった。
忘れた頃にババを引く、かあ・・・などと、感慨すらあった。

部屋替えの間に街に出た。

看板気のせいかもしれないが
香港の看板はむやみに巨大で
字も馬鹿馬鹿しく大きい。
オットにそう言ったら
「香港の人は目が悪いのだろう」と・・・
いや、そこじゃないと思うんだけれどなあ。


本当のところ実寸で図ったらどうなのか、ちょっと気になるところではある。  

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